浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

デコポンの甘さみたいじゃん...... :5月の振り返りタイム!!

も!!梅雨なのか梅雨じゃないのかよくわからない今日、皆さまいかがお過ごしでしょうか。個人的には梅雨、結構好きなので、まだまだこんなもんじゃないぜという感じですね。2週間ぐらい雨が降り続いて欲しい。日本の四季って、もう確かなものは梅雨しか残ってないからね、、、

さて、5月があっという間に終わりました。早いものですね。この5月、皆さんはどのように過ごしていたでしょうか。4月から新しい環境となった人はもう馴染めたでしょうか。それとも一人トイレで飯を食ってるでしょうか。僕はといえば、新しくもう一人姪が生まれたりしました。姪の話って、コミュニケーションのジャブとしてめちゃちょうどいいので、事ある毎にしてしまいます。

そんな本日ですが、毎月恒例、当月の振り返りとなります。5月はですね、全く更新することができず、なんなら当ブログのアクセス数も過去最低だったんじゃないかという感じです。あんまり書くことがないからね。その辺りも含めて、どんな一月だったのか、振り返っていきたいと思います。

だいたい、

  • 仕事の話
  • 読書の話
  • 最近面白かったものなど
  • 今月のプレイリスト
  • 来月の抱負

という感じで行こうと思います。でもあんまり書くことがないので、たぶん短めになります。

 

仕事 〜馴れてきたのでExcelの勉強など〜

皆さん、労働してますか? それとも人間してますか? ......というのは冗談で、僕は労働も人間もしています。とりあえず今のところは、、、

働き始めると、精神の余裕がなくなって、人間性を失っていく的なこともよく言われるけど、仕事については”まあまあ楽しく”できているかなと思います。Webの「記録」としてブログを書いている都合上、こうやって「今はまあまあ楽しい」と書いておくの、重要ですよね。後からこのときはまだ俺って人間だったんだなって思えるので。

以前から書いているように、僕は大学で財務の仕事をしております。財務の仕事、人間同士の熱きコミュニケーションというものはほとんどなく、感情も温度も持たない数字どもを相手にする仕事なので、「何が楽しいの?」という疑問はあるかもしれません。実際、日がな一日パソコンを見つめ、メールでしか人間と触れ合うことはなく、頭の中はいつも伝票と支払いのことでいっぱいなので、仕事そのものが楽しいというわけではないかもしれません。まさに「事務」って感じの仕事なので。

ただ、徐々に自分がパワーアップしていく感覚は楽しいです。先月までは、ひたすらあたふたしているだけだったけど、今は俺、こんなこともできちゃうんだぜ??? 的な。4月は何でもかんでも人に聞いていたのに、5月はもう、ホコリを払うように伝票の整理ができています。そういう、ゲームで言うレベルアップ的な面白さが現段階ではあります(まあ僕が出したやつは9割要修正で返ってくるんだけど.....)

で、実際ですね、例えば僕が今25歳だから、定年を65歳とすると、あと40年、つまり480ヶ月あるということになります(長いな)。60歳ぐらいでだいたい落ち着くと考えても、あと400ヶ月以上あるわけです。ここでは切りのいい数字を取って、「僕の仕事生活は、全体で400ヶ月だ」ということにしておきます(そしてそのうちの2ヶ月が終わった)。

これをポケモンに例えると、ですね、ポケモンのストーリークリアを、まあだいたい40時間としておきます(結構ゆっくりやって)。で、僕は今、「仕事」というストーリーのうち、 2 / 400(ヶ月) 終えたことになっています。大丈夫ですか皆さん。付いてきていますか?? これはですね、ポケモンに当てはめると、40(h)× 1 / 200 、つまり1 / 5(h)12分ということになります。ポケモンに例えるとですね、僕のストーリーはまだ12分しか経っていないんですよ!!

で、この辺って、だいたい基本動作を覚えて、「おぉ〜〜 今作はこんなことできるんだ!」って実感する段階ですよね。僕も今そこにいます。すごい回りくどくなったけど、僕の今の仕事の楽しさというのは、ポケモンの開始12分ぐらいと同じ楽しさだということです。

まあ当然、「お前のやっているゲームはポケモン並に良ゲーなのか??」という疑問はあるだろうけど、そこはそれ、そう思わねえとやってられねえだろ!! という反論もあり得ます。ポケモンというのは単なるもののたとえで、実際は「始まりならではの楽しさがあるかも」ということがわかってもらえれば十分です。

 

ぶっちゃけ何してるの??

前回の記事などで、「どんな仕事をしているのか」という全体的な話を少ししました。ただ、そういうのではなく、もっとミクロな観点で、毎日の業務でどんな作業をしているの? という疑問も出せるはずです。

そのあたりについてはですね、Twitterの方でも書いたけど、日々Excelのセルを結合していますダメだとわかっていながらもやっています。なぜかといえば、紙に印刷しやすくするためです

なんというか、手続上、紙の資料とハンコがまだまだ必要な職場でして、「A4の紙への印刷のしやすさ」としてExcelを使っていたりしています。VLOOKUPで引数を対応させるとかね、そういうことは一切していないよ。

ちなみに、「セルの結合がなぜダメなのか」などは、↓の動画で解説されていたりします(紙に印刷するだけの僕でも、人のExcelのデータいじったり修正したりすることがあるので、あんまよくないなと思ってます)


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余談だけれど、この人のゆっくり解説動画、タメになるし茶番が面白いしで、最近ハマっています。「わちょんのゆっくりiT」というチャンネル。僕もこんなゆっくり動画投稿者になりたいものですね。

 


www.youtube.com

↑面白い。似たようなことを僕もちょっと過去にやっていた。

 


www.youtube.com

↑神Excelの話も載せておこう。

 

そんなわけでですね、普段どんなことをしているかといえば、Excelで印刷用の資料を作ったりしています。聞く人に聞かれたら親指から小指まで全部折られてもしょうがないんだけど、とにかくそういう「事務仕事」を日々やっております。大学職員になりたい方は参考にしたりしなかったりしてくだしあ。

仕事の話はこんな感じです。またプレイ時間を進めたら、近況を報告したいと思います!!

 

 

読書の初夏!!

5月も、ぼちぼち本を読んでおりました。読み終わったもので言うと、全3冊となります。あと1冊、今半分ぐらい読み進めたのがあるけど、それは6月に繰り越しですね。

この3冊のうち2冊は、ちゃんと近々、感想回を行おうと思ってます。ので、ここでは「何を読んだか」だけ紹介して、「どんな話だったか」というのは、また今度にします。つまり、「読書感想会の次回予告」的な感じですね。

 

① 村田和代『優しいコミュニケーション 「思いやり」の言語学』(2023,岩波新書

読みました。4月に出た新刊ですね。

ぶっちゃけ、微妙かな〜〜〜〜という感じでした。詳細はまた後日(来週ぐらいに)書きたいと思います。

 

② 津野香奈美『パワハラ上司を科学する』(2023,ちくま新書) 

読みました。今年の1月に出た本なので、比較的新しいと思います。

こちら、かなり面白かったです。読んでよかったという感じでした。これも近いうちに紹介したいと思います。

 

③ 平尾昌宏『人生はゲームなのだろうか? <答えのなさそうな問題>に答える哲学』(2022,ちくまプリマー新書

読みました。去年の2月に出た本なので、結構前だな〜という感じ。Kindleで買って読みました。

これはね、まあまあかな〜〜? という感じ。上二つと違って、これは多分、ブログで取り上げることはないので、若干感想を書いておこうと思います。

まず、中高生向けというコンセプトに忠実だなと感じました。語り口がかなりくだけていて、非常に読みやすいと思います。そこがよいところというか、あんまり哲学とかに興味はない人でも、「哲学ではどんな風に議論するのか?」というのがよくわかるように思います。哲学では実験とかができない代わりに、こういうことをやっていくんだ.....というのが丁寧に説明・実演されていました。

ただ逆に、気になったところとしては、ちょっと初心者向けすぎるな〜というのがあります。本書では哲学の手法として、当たり前や常識を疑うということが紹介されるんですよね。ちょっと引用するとこんな感じ。

 こういうとき、科学だったら実験や観察して調べるわけです。分かりやすいやり方です。だけど、今我々が考えているのは、どうもそういったやり方で解決できる問題ではなさそうです。じゃあどうするか?(中略)

  前に出てきた言い方で言えば、「自分の中でまだはっきりと自覚できていないけど、暗黙のうちに〈こうだ!〉って決めてしまっている、思い込んでしまっているというような、隠れた前提を自分で掘り起こしてみる」と言ってもいいです。

平尾昌宏. 人生はゲームなのだろうか? 〈答えのなさそうな問題〉に答える哲学 (Japanese Edition) (pp.97-98). Kindle 版. 

ここで書いてあることは、僕も本当にその通りだな〜と感じます。ただ、この観点から本書を読んでみると、「割と暗黙の前提的に解決しているところ多くない?」と思う箇所がありました。実際はもっと掘り下げて考えられそうなところでも、「まあこれはこうだよね」的に解決されているところが、なくもないかな〜というか。

例えば、「人生はゲームなのか」という問題を考えるときに、本書では、「①ゲームには目的(ゴール)がある。かつ②ゲームにはルールがある」として、「じゃあ人生はどうなのか?」という風に考えます。で、本書では、「①人生には決まった目標はない。② 人生には法や道徳といったルールがある」→「①、②の条件のうち、一つしか満たさない以上(①は満たさないが②は満たす)、人生はゲームではない」という結論が出されています。ざっくり書くとこんな感じ。

ただこれは、個人的には微妙に思って、「人生には法や道徳といったルールがある」という話だって、無人島で生きるロンビンソン・クルーソーとかどうするのかな? と思います。彼の生も「人生」ではあるだろうけど、そこに「ルール」があるのかというと、物理的制約はあるにせよ、「ゲームのルール」的なものはないんじゃないだろうかと。

それで言うと、①の「人生に決まった目標はない」という話も、ロビンソン・クルーソーにとっては「生き抜くこと」が目標であるように、我々人間は皆、「生き抜 survive」という目的をもってこのゲームをプレイしている...... とは言えなくもないかもしれません。いやこれも微妙かもしれないけど、ともかく、こんな感じで、本書は納得のいくところも多かったけど、同時に「そうかあ?」と思うところもありました(他にはマネーゲームの章など、この気持ちが強かった)

そんなわけで、総括すると、想定している読者のレベルが結構低めなのかなと思いました。だからやっぱり、中高生向けというちくまプリマーの理念を体現した一冊だとは思います。哲学・倫理学の入門に触れてみたいという方にはおすすめです。

 

④源川真希『東京史 ——七つのテーマで巨大都市を読み解く』(2023,ちくま新書

読んでいる途中です。これもこの前出たばかりの本で、Kindleでお風呂で読んでます。

感想を書くかはわからないけど、個人的には、東京に住んでなかったら絶対読まない一冊だな〜というのが面白いところです。京都人でこれ読んでる人ゼロ人説。

結構、既に東京に詳しい人向けだなとは感じます。地図を見ながらじゃないとよく分からない感じ。でも、色々勉強になるし、行ってみたい場所も増えるので、いい読書体験だなと思います。

ちなみに、交通網について述べた次の文章、

近代における移動手段としての鉄道と自動車の役割は大きく、鉄道の路線と道路の拡大は、とぎれることなく続く。新橋・横浜間の鉄道開通に始まり、上野から埼玉県の熊谷に鉄道が敷設された。その他、明治中期には新宿から立川を結ぶ線、本所と千葉県の佐倉を結ぶ線などが開通する。さらに明治後期から大正期にかけて、現在の中央線、山手線、京浜東北線の一部などが整備されていった

源川真希. 東京史 ──七つのテーマで巨大都市を読み解く (ちくま新書) (p.50). Kindle 版. 

みなさん、太字の部分、何を言っているかわかりますか? 都会に慣れてる人からすれば、「あーはいはい」という感じかもしれないけど、僕は田舎者なので、地名とかまだよくわかんねえっす、、、

読書については、そんな感じです。本当はもっと読みたかったんだけれど、5月は初っ端に大熱出して寝込んだりして、思うように進められませんでした。6月は頑張って、何冊か読みつつ読書感想も書こうと思います!!

 

最近面白かったもの!!

漫画

だいぶ長く書いているので、巻き気味でいきます。最近面白かったものについて。

5月はひとつ、めちゃくちゃ面白い漫画に出会いました。なんだと思う? なあ、なんだと思う?? 

正解は、乃木坂太郎先生による、『夏目アラタの結婚』です。この漫画、快活クラブで読んだけど、個人的にめちゃくちゃ面白いなと思ってます。

↑既刊10巻。意外とすぐ読めるよ。

ざっくり言うと、「結婚がテーマのミステリー」という感じなんですが、「結婚」の話も、「ミステリー」のパートも、どっちもとても面白いです。もうひとつ、児童虐待というのもテーマの一つになっていて、それが結婚の方にもミステリーの方にも働いていて、よくできてるな〜〜と思います。

今のところ、「俺の中でこの漫画がすごい 2023」で一位です。最新刊まで読んだけど、もうあと2巻ぐらいで終わりかな〜〜という感じがするので、読んでいない人はお早めに! 映画化もするとの噂。

 

音楽

皆さま、今回の記事のタイトル、なんのことかわかりますか? すみません、分かって当然ですよね...... みんな聴いてるもんな。スピッツの新アルバムが出ましたね。

↑17th アルバム 『ひみつスタジオ』

正直言うと、結構よかったです。僕はスピッツ、好きなんですが、実はアルバム「見っけ」以降、あんまりハマれてないんですよね。「醒めない」までが好きというか。ちなみに一番好きなアルバムは「名前を付けてやる」だよ。

そんなわけで、最近のスピッツはあんまりハマれないな〜と思っていたところ、今回の 『ひみつスタジオ』は結構よかったです

特によかったのが、「オバケのロックバンド」と、「めぐりめぐって」です。「オバケのロックバンド」はファンからすると熱い仕掛けがあるし、「めぐりめぐって」は、なんとなく以前からのスピッツぽいなーと感じるところがありました。ノリノリな感じなのもよいね。あと、「手鞠」も割と好きです。

そんなわけで、5月はスピッツの新アルバムが出たので、ちょっと嬉しかったです。今後、映画「水は海に向かって流れる」の主題歌もやるらしいので(漫画読んだよ!!)、それも楽しみにしています。

 

 

最後は今月のプレイリスト!!!

 鴨が...... 好きだ......


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5月は、割とたくさん聴きました。20曲、57分です。快活で漫画読んでるときに聴きまくってたよ。

もう音楽の話はしているので、手短に紹介すると、Beach Fossils というバンドが改めてよいなと感じました。

↑5月に出たep。「Run To The Moon」と「Dare Me」が特によい。

 


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最近は、徒歩通勤も健康的だなと感じているので(普段はチャリ通)、意外とたくさん歩いたりしています。そういうとき、「今月のプレイリスト」があると心強い味方となるので、皆さんも作ってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

以上!!

5月の振り返りとしては、こんな感じです。今更ですが、平日夜にガーッと書いているので、誤字・読みにくい箇所などは、何分ご容赦ください。

ちなみに、来る6月の抱負は、ブログを3回更新するです。読書感想 + 面白記事 + 月の振り返り、とできればいいけど、面白記事はたぶん無理だな。またリブ子とハカセとかやりたいんだけども.......

そんな感じで、明日も仕事なので、今日はこのあたりで解散です。最後まで読んでくださった方、いつもお付き合いいただきありがとうございます。今後は月2回以上更新するよう頑張りますので、なにとぞ、なにとぞよろしくお願いいたします...... それでは!!

 

 

 

 

 

 

 

財務のお仕事と、読書の日々の振り返り:4月はもう去った......

ども!! 熱いのか寒いのかよくわからないこの頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。服、何着ればいいのか謎ですよね。僕はもうさすがにヒートテックはしまいましたよ。皆さんはどうですか?

 

↑4月半ば、横浜に行ったときの写真。雲がいい感じですね。

 

さて、本当にあっという間ですが、4月が終わってしまいましたよ!! 皆さん!! 人生史上、一番短く感じた1ヶ月だったかもしれません。働き始めて、多くの人と新たに知り合い、色んなことがありました。だからこそ、振り返りが大事だと心得ます。

この4月を一言で振り返ると、意外と仕事はいい感じで、読書も結構がんばれた、となると思います。前回の記事でも書いたけど、現状はそれなりに、仕事の面は余裕のある生活を送れています。

そしてこの4月は、読書についても、これまでにない新たな楽しみ方を見つけられたように思います。その辺りについても振り返っていきます。お待ちかね、プレイリストの紹介もあるよ!!

 

 

 

仕事!!

皆さん、正直なところ僕の仕事生活、本当に興味ありますか? ない? 無かったらごめんだけど、まあ簡単に振り返っていきます。

何をしているのかだいたい分かってきた

betweeeeeen.hateblo.jp

前回の記事では、「OJTという名の現場ぶちこみ投入で、自分が何してるか本当は全然理解してない」という話をしました。その続きになりますが、この頃、自分が何をしているのかだいたい分かってきました! 1ヶ月かけてようやくですね。ちなみにこれって普通なんですかね? どうなんでしょう。

で、それを一言で言うと、自分の場合は「監査との闘い」になると思います。監査って皆さん、ご存じですか? お金の記録をちゃんと付けてるか、なんか知らん連中が調べに来るイベントなんですけど......(詳しくは僕も知らない)。その知らん連中との闘いが、僕の仕事内容の中核になっていると思います。

で、もちろん「闘い」と言っても物理攻撃でボコボコにするわけではないですよ。要は、監査に耐えられるだけの書類をちゃんと作ろう、という感じです。当然、不正を見抜かれないようになんとか誤魔化そうという話ではなく、「監査が来ても何も困らないぐらい、公正で誠実な会計処理をして、この社会に対する責任をしっかり果たすんだ」という感じです。そう書くとめちゃくちゃ立派だな!!

僕は某国立大学で財務系のお仕事をしているわけですが(最近、こういうのはあんまり明かさない方がいいんだろうなと感じるけど、でもやっぱりブログは自由に書きたいので、怒られるまではこんな感じで行きます)、前提として、国立大学法人って国から結構な額のお金をもらってるんですよね。国民の血税によって、研究なり教育なりをしているとも言えるわけです。勿論、税金以外の予算もたくさんあるけど、それはいったん置いておいて...... ともかく、税金が投入されている以上、そのお金がどんな風に使われたのかをしっかり記録して、公正な用途で使われていることをしっかり示していかなければならないわけです。

で、そのときに例えば、もし教授とかが「実験に必要だから」と言いつつ、実はその金で盛大に飲み会してた(実験は行ってなかった)とかだと、「いやそれ税金だからな!!」となるわけです。
あるいは教授が、年間300万の予算を付けて、研究室に秘書を雇います...... と言いつつ、実はその秘書が教授のお母さんで、しかも何の業務もさせずにお金だけ受け取ってたりしたら、「お前...... 税金を私物化すな!!」となるわけです。だからこそ、実験器具を買ったというなら、その研究室に出向いて、ちゃんと納入しているかを確かめたり(あるいはもう、こっちでその器具を発注しちゃうとかもある)、秘書を雇うと言うなら、派遣会社とかに連絡を取って、こちら側でその人材を調達したりだとか、そういうことをするわけです。僕の仕事は大まかに言えばそんな感じですな。

こういうの、研究者からすれば「いちいちめんどくせよ!!」という感じかもしれませんが、まあ仕方ないっすよね......  税金が投入されていて、何より監査があるんですよ、監査が。僕はまだ「監査」というものが何なのかよくわかってないけど、我々にとって最も恐ろしいもので、恐怖の象徴ということは、この1ヶ月でなんとなく理解しました。

仕事については、そんな感じです。

あと、財務の仕事として、未払金の計上とかしています。皆さん、「未払金の計上」ってどんなことか分かりますか?

試しに検索してみると、次のような説明が出てきます。

 

support.yayoi-kk.co.jp

商品の購入やサービスの提供を受けた月の翌月に代金が支払われるケースで、普段代金が支払われた月で経費の仕訳をしている場合、決算月の処理には注意が必要です。
決算月に商品の購入やサービスの提供を受けたものは、その会計期間の経費として計上すべきですが、代金が支払われた月で経費の仕訳を行うと翌年度(翌期)の経費となります。
そのため、決算月に商品の購入やサービスの提供を受けたものは、経費の未払計上をします。
具体的には、以下のように仕訳します。

【例】
12月の電気代12,567円が、翌年1月に普通預金から支払われる

【仕訳】
・12月に電気代を未払計上するときの仕訳

借方勘定科目 借方金額 貸方勘定科目 貸方金額 摘要
水道光熱費 12,567円 未払金 12,567円 12月電気代


・1月に電気代を支払ったときの仕訳

借方勘定科目  借方金額 貸方勘定科目 貸方金額 摘要
未払金 12,567円 普通預金 12,567円 12月電気代

 

 

こういうのね、一月前ならちんぷんかんぷんだっただろうけど、今は何言ってるかだいたいわかるようになってきました。「そうだよね〜」という感じです。それがこの1ヶ月の成果ですね!!

 

読書について

この4月、意外と読書を頑張れました。今は定時で絶対帰るマンをやっていて、平日夜が結構暇です。ので、よく図書館に行ったりしています。

あと、Kindle paperwhiteを買い直しました。以前は、2021年に買ったモデルを使ってたんですが、これが本当にゴミカスOSでして、ストレスの塊だったんですが、新モデルは結構いい感じです! 動作のもっさり感がだいぶ減りました。で、これで毎日、お風呂読書を継続しています。

↑結構いい感じです。先代が酷すぎたのもあるが......

そんなわけで、4月に読み終えた本を、本当に簡単に紹介します。まあたった2冊なんですけどね。

 

1.ジェイコブ・ソール著、村井章子訳『帳簿の世界史』(2015,文春文庫)

前回の記事でも紹介したこちらの本、ちゃんと読み切りました。全13章で370ページぐらいあるので、読み切るのが大変でした。でもめちゃくちゃ面白かったです。

『帳簿の世界史』という邦題の通り、帳簿を付けること、すなわち「会計」によって、歴史がどのように動いてきたかを追う内容になっています。全13章のうち、第11章でようやく「アメリカで鉄道開通」(1860年頃)なので、だいぶ中近世の話が多めです。11章までは本当に、高校で世界史やってたからギリ分かるな〜という感じで、メディチ家とかネッケルとかコルベールとかが出てきて懐かしいです(ちなみにセンターは日本史と世界史で受けたよ)

12章が、20世紀頃の「会計」がフィクションでどう描かれていたかについてで、『クリスマス・キャロル』のスクルージの話とか出てくるので、結構読みやすいです。13章は、リーマンショックがなぜ防げなかったかとかの話で、これも現代に通じるところがあるので、面白く読めます。ので、そんなに世界史好きじゃないよという人は、この12・13章だけ読むのでもいいかもしれません

内容的には、前回も紹介した通り、会計と倫理、そして政治との繋がりとなっています。会計を行う上では、強い職業倫理が求められて、その倫理観が文化的に根付いている体制ほど、歴史を見ると政治的に安定していた、という感じ。この、職業倫理→政治の安定という話は、今までにあんまり見たことのない切り口だったので、とても面白かったです。
あともう一つ面白かったのが、人々は「会計士」に対して、ある種の憧れやかっこよさを抱くと同時に、信用できなさもしっかり感じてるんだ、という話です。お金を緻密に管理する人間は、勤勉・節約家と讃えられることもあれば、守銭奴・拝金主義と罵られることもあるはず。そのあたりの二面性や矛盾を、絵画や小説を題材に読み解いているのも「はわ〜〜〜」という感じでした。

特に印象に残っているのが、会計士に向けられた批判の一つで、「もはや会計士は公平な審判者としての役割を忘れ、法律すれすれのリスキーな会計技術を駆使するだけの人間になってるよ」というものです(350頁)。会計をする上で、法の趣旨や精神を果たそうとするのではなく、ギリギリ違法にならないラインを見つけて力業でなんとかしようとするっていうのは、僕も仕事上、「なんかわかるな.....」という感じです。なんというか、違法じゃないからセーフっていう感覚がね、段々とよく分かるようになってきてます。

その点、本書ではアメリカの超著名な会計士アーサー・アンダーセンを紹介した箇所で、次のように書かれています。

アンダーセンは職業倫理を重んじ、監査人が考えなければならないのは何よりもまず投資家のニーズに応えることだとし、「会計士は財務報告の公正性を保つために、判断と行動に絶対的な独立性を確保しなければならない」と主張する。そして、「シカゴ中の金を積んだところで」自分が不正確あるいは不正だと感じた帳簿にサインさせることはできない、たとえそれで大手顧客を失うことになっても、と断言した。(343頁、太字は引用者)

絶対に公正な審判者であり続けようという姿勢、これね、カッコイイですよね。僕もこういう、職業倫理を身につけたいと思いました。social justiceの人間でありたいですね!!

 

 

2.椎名美智『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』(2022,角川新書)

2冊目。こちら、お風呂Kindle読書で読みました。読みやすかったし、内容的にも大変面白かったです。

その名の通り、敬語研究(「させていただく」研究)の本ですね。探究する問いとして、次の3つが挙げられています。

(1)人々はなぜ「させていただく」を便利だと感じるのか?
(2)人々はなぜ「させていただく」に違和感を覚えるのか?
(3)日本語の敬語の変化の中で、どのような流れがあったから、「させていただく」が好まれるに至ったのか?

椎名 美智. 「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ (Japanese Edition) (p.77). Kindle 版. 

「させていただく」についての便利さ、違和感、そして変遷の3つですね。「正しい敬語の使い方を教えるよ」的な内容ではなくて、「私たちはこの『させていただく』を多用することによって、その実何をしようとしてるのか?」的な話となってます。

僕も最近、仕事でメールを書く機会が増えました。で、「させていただこうと思います」とかの回りくどい表現をよく使っちゃってます。だからこそ、こんなに敬語を飾りまくって、俺たちは結局何をしようとしてるんだ?? という話は、大変面白く読めました。

で、本書で紹介されているのが、言語による「遠隔化」と「近接化」という効果です。例えば敬語を使うと、相手との関係性や心の距離が遠くなり、「遠隔化」が起こる。逆にタメ語を使うと、相手との距離感が近くなり、「近接化」が起こる。そのように、敬語というのは、相手との心の距離感の調整のために使われるんだという話がされています。

そもそも敬語とは、尊い相手に触れないように距離をとるために使う言葉です。つまり、私たちは相手に対する敬意を距離感で示しているわけです。敬意が大きければ大きいほど距離を大きくとることになります。遠ざかることを「遠隔化」というので、敬語には遠隔化作用があると言えます。

椎名 美智. 「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ (Japanese Edition) (p.84). Kindle 版. 太字は引用者による。

私たちはこのように、敬語を遠隔化の道具として、タメ語を近接化の道具として使っています。これまで敬語を使っていたのに、急に使わないで話すと相対的に近づくことになり、馴れ馴れしい感じがします。逆に、これまでタメ語を使っていたのに敬語を使うと、距離ができてよそよそしく水臭い感じがします。敬語とタメ語を相手や場面に応じて臨機応変に使い分けることによって、私たちは相手との距離を調節しているのです。

椎名 美智. 「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ (Japanese Edition) (p.84). Kindle 版. 太字は引用者による。

この「距離感の調整」というのが、個人的にかなり納得でした。これは「させていただく」に限らず、色んなところで使っていると思います。例えば、「〜〜なんすよ」という言い方は、ちょっと馴れ感を出しつつも、他方で丁寧感も出していて、絶妙に相手との距離を測る言葉だなあと思います。4月から社会人始めて、色んな人と会う機会が増えたので、確かにそこでこういうことやってるなというのを感じました。

もうひとつ、印象的だったのが、現代の敬語は必ずしも、相手に対して敬意を示していないという話です。これが本書の核心的な内容になるんですが、じゃあ我々は敬語を使って何をしているのかと言えば、それによって自らの丁寧さ・慎ましさをアピールしているんだという話です。

用法が変化している「させていただく」の使用状況を観察するには、敬語全体の時代的変化も関連づける必要があると思います。第五章で調査結果を総括する際に考察していきますが、私たちの敬語使用が動作主や動作の向かう相手に対して敬意を示す従来の伝統的な敬語から、コミュニケーションの相手、つまり聞き手を意識して、自分が丁寧に話していることを示すタイプの敬語へと傾いてきているのではないかということです。

椎名 美智. 「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ (Japanese Edition) (p.84). Kindle 版. 太字は引用者による。

こんな感じで、実際のデータとかを参照しながら、「させていただく」が相手への敬意を示すというよりは、むしろ自身の丁寧さを示すために使われていることが論じられます。詳しい分析については本書を読むべし。

この「自身の丁寧さのアピール」というのも、かなり納得のいく話でした。僕もコテコテの敬語を使うとき、相手のことを考えるというよりは、「自分がどう見られるか?」という方向に意識が行っているように思います。で、あまりにも相手がこういう用法を使っている時には、確かに「させていただく」に対して違和感みたいなのも生じるなあと思いました。お前、自己防衛のためだけに敬語を使ってるやろ的な......

そしてまあ、当ブログでも基本的に、敬語(丁寧語)を使って書いているわけです。これも本当に、距離感の調整と自身の丁寧さのアピール、両方やってるなと思いました。丁寧語を使うことで、読者に対して一定の距離感を保ちつつ、かつ「俺は独りよがりな文章を書いてるんじゃなくて、ちゃんと読んでる人のことを考えてるんだぜ」というアピールも行ってるなあと、そう思います。
個人的に、「だ・である」系の日記が苦手なんですが、あれってなんとなく、断定口調で、読者のことを全く気にしない感じが出ている気がするんですよね。お前らがいてもいなくても、俺の文章には関係ないぜ的な。で、そういうことを避けるために、僕自身は、読み手をどこかで想定しているような、「です・ます」系の文章を使っているなあと思います。この「思います」もどこかそういう感じですよね。

そんなわけで、言葉の使い方に目を向けるっていうのは、結構面白いなと思った話でした。

村田和代『優しいコミュニケーション 「思いやり」の言語学』(2023,岩波新書

今は↑のような、社会言語学という分野の本も読んでいるので、これも読み終わったら感想を書きたいところです。

 

読書の新しい楽しみ方?

最後にちょっとだけ、最近の読書観について。働き始めてから、以前より、本を読むのが楽しくなったように思います。というより、本を読むときの「楽しみ方」が変わりました。これは最近気付いた変化で、うまく文章化できるかわからんし、だいぶポエミーになってしまってますが、一応書いておこうと思います。

以前より、読書の楽しみ方が変わりまして、この世界を好きになるために本を読むようになったと思います。どういうこと?? どういうことなんですか??

社会人になってから思うのは、(これは知り合いの多くが同じことを言っていたけど)今後の人生のあらましが、なんとなく定まったものように見えてくる、ということです。学生の時は、これからの自分の人生がどうなるか分からず、色んな可能性が見えてました。ただ社会人になると、「だいたいこうだな」というのが分かってくるという話です。もちろん、実際は色んなことが起きて、予想も期待も日々裏切られるのだろうけど、でもやっぱり「だいたいこうなんだろうな〜」という未来予想図は持ってしまいます。

そうすると、次に思うのが、何のために生きるのか? ということで、未来がだいたい(朧気でも)見えてしまうと、「じゃあ、その人生を生きる意味ってあるのかな?」と感じてしまいます。生きる意味、意義、ですね。誰しも、色んなフェーズでこれを真剣に考えると思うけど、社会人になった瞬間、その瞬間は特に、これを悶々と考える契機になると思います。だいたい「60過ぎまで働いてその後死ぬんだな」というビジョンが見えてくるし、「分かりきった未来を生きる意味ある?」ともなります。

で、そこで僕が思う「生きる意味」ですが、、、 この世界は不思議に満ちていて、知れば知るほど面白いから、全然死んでる場合じゃねえ!! と、このところは考えています。「死んでる場合じゃないから生きる」っていう、どこかで聞いたことのあるセリフですね。「この世界が好きだから生きる」と言ってもいいですよ!! おめでたい奴ですか? まあそうかもね!!

当然、面白いことと同時に、理不尽や糞みたいな、というか不条理で不条理を煮た地獄汁みたいなのを飲まされること多いけれど...... でもこの世界って、本当に、知れば知るほど不思議が増えて、そこは最高に面白いと思います。

で、話が一周して戻ってきて、そういう世界の面白さを知るために、読書ってイイよね、、、という着地です。気になる本を読むと、この世界の不思議の解明に、一歩近づけると思います。そうした読書の楽しみ方を、この頃感じているところです。

これが「以前と違う」というのは、院生をやっているときは、もっとこう、読書を何かに役立てようと気持ちが滾っていたように思います。研究に役立てようとか、必要な知識を身につけようとか、そんな具合で。あのときも読書は楽しんでいたけど、もっとこう、常に頭の中に「論敵」がいて、そいつと戦うために本を読んでいた感じです。その「論敵」は、先行研究だったり、身近な教授・院生だったりしたけども、ともかく、どこか切羽詰まった読書をしていたように思います。

そういうのが今はなくなって、もっとこう、「世界を好きになるために」本を読んでいるんだと、少しはそう言えるようになってきています。これがどういうことかというと皆さん、身近な読書量の半端ない院生を思い浮かべてもらって、その人が、「俺はこの世界を好きになるために本を読んでいるんだ」と言うかというと、おそらく、絶対に言わないですよ、たぶん。どちらかというと誰かを殺すために本を読んでるような奴等だからな。あるいはこの世界をぶっ壊すために。それも大事だけど、お仕事を始めてからは、なんかそういう破壊感情がなくなったように思います。

そんなわけで、最近はもうちょっと、違う角度から読書を楽しめるようになってきているという話でした。ポエミーな時間終わり!! ご静聴あざました!!

 

 

4月のプレイリスト

毎月恒例、その月のプレイリストとなります。ただ、今月はあんまりよい感じじゃなかったね。13曲、36分です。

このサムネの場所がどこか分かったらすごい。

通勤をチャリにしていると、あまり音楽を聴く時間がありません。そういうことも相俟って、今月はいい感じの曲をdigれませんでした。

印象に残っているのを一つ挙げるなら、susquachというバンドの「spin the words」かな。

open.spotify.com

susquatch、全然知らなかったけど、めちゃいいですね。これを期に聞こうと思います。ちなみに日本のバンドですよ!!

もうひとつ、このプレイリストにはないですが、4月にリピートしていた曲で、the marshmallow kisses「The Best Days We Used To Have」です。


www.youtube.com

marshmallow kissesというバンド、覚えてますか? 実は先月の記事でも紹介してますよ!! これ、アルバム全体がめっちゃいいんですよね。

この曲の歌詞で、「Don't let our chances turn to regret」というのがあって、意味は「私たちのチャンスを後悔に変えないで」というシンプルなものなんですが、そのシンプルさがめっちゃいいな〜〜と思います。シンプルなのが、結局響く、時もある...... 今がそのときなんだ。

 

 

 

以上!!!

です。月のまとめにしては長くなりましたが、こんな感じです。

読書欲が高まっているので、また近々、2週間に1回ぐらいは、更新したいなと思っています。色んな新書を読んでいきたいところ。そんな感じで、当ブログも頑張らさせていただくので、これからもどうか何卒よろしくお願いいたします。もうかつてのような深夜更新はしないけどな!!

 

 

あいだた on Twitter: "4月の振り返りです。結構たくさん書いてます。 財務のお仕事と、読書の日々の振り返り:4月はもう去った...... - 浅瀬でぱちゃぱちゃ日和 https://t.co/1C8qDLPKsY" / Twitter

 

 

 

 

 

 

働き始めて2週間!! OJTと帳簿の世界史

ども!! 春の陽気に満ちあふれる今日、皆様いかがお過ごしでしょうか。暖かくないですか!? 東京は近頃、最高23度ぐらいの日々が続いています。日中ずっと狭いオフィスでパソコンに向き合ってるしかない「社会人」という身分がとにかく憎い季節です。

4月15日現在、新年度が始まって、約2週間となりました。早いのか遅いのか。この4月、既に新しい出会いなどがあったりもしたと思います。そのとき、この春に別れを迎えた人に対して、「あいつ、今頃どうしてんのかな......」と、思いを馳せることはあったでしょうか? ない? 全くない? 特に僕に対して、どうですか? まあ「ない」かもしれませんが、僕は僕で、この場を借りて新年度の活動報告を行っていきたいと思います。社会人、働き始めて2週間の近況報告となります。

 

働き始めてどう?

4月3日から働き始めて、既に10日間の実労働を終えてきました。毎日、9時出勤で、一応定時が17時45分という感じです(1時間休憩ありの7時間45分労働)。で、今のところの、社会人を迎えてみての感想ですが、

 

 

まあ、正直、

 

 

✝余裕✝

 

 

ですね。

 

調子に乗ってすみません。でも本当に、「思ったより余裕があるな」というのが、現時点での感想です。

 

で、だからこそ、つまり余裕がある今だからこそ、ブログの更新をやっておこうという話です。今のうちに、働いて2週間の感想を振り返ってみたいと思います。もし仕事が忙しくなってきたら、多分休日もブログどころではなくなるのではと思うので(そんなことしてる暇あったらもっと何かこう....... 何かしてると書こうと思ったけど、やっぱりブログ書いてるかもしれないですね、余裕がある今だからこそ、ここまでの記録を残そうという感じ。とりあえず現状、働き始めの2週間、どんな感じだったのかというのを書いておこうと思います。

で、「お前の社会人生活なんて微塵も興味ねーよ!!」という人もおるかもしれないけど、これからはそういう記事が増えそうなので、お付き合いいただければ幸いです。

 

何の仕事してるの?

一応、ざっくりとは、国立大学の財務系の仕事に就いてます。ただ、なんというか今は、本当にただひたすら上司に言われたとおりにパソコンにデータを打ち込んでるだけです。そうして、何らかの書類を作って、どこかの偉い人に提出しております。毎日、だいたいそんな感じ。

正直なところですね、本当に、自分が何をしているのか全然理解してないです。哲学者のジョン・サールがですね、「中国語の部屋」という思考実験を紹介してまして、「中国語が全く分からない人間が、中国語が本当に分からないんだけれども、渡されたマニュアルどーりにタスクをこなすことで、外部から見ればまるで『中国語を理解して行動しているように見える』というとき、この人間は実際に中国語を『理解』していることになるのか?」というものです。で、まさに今の自分もそんな感じです。中国語の部屋ならぬ、財務会計の部屋ですね。財務・会計の仕事をしているらしいが、実際はそれが何なのか全然理解しておらず、渡されたものを記号的に処理しているだけとなっています。

ja.wikipedia.org

 

この時期、財務系の仕事はどこも忙しいようで、年度の切り替わりで予算関連がややこしいことになってるみたいです。で、僕の上司としても、とにかく書類の処理を終わらせないといけないので、「説明はあと!! とにかく作れ作れ作れ!!」という感じっぽいです。現状「何の作業をしているのか」の総論的な説明はあまりなく、とにかく「よくわからんけどこれを埋めていけばいいのね......」という、ぶっつけで各論をこなしていく感じとなっています。

 

新入社員とOJT

で、この「ぶっつけ感」はもしかしたら、新卒社員あるあるなのやもしれません。一方で、最初の2ヶ月ぐらいはみっちり研修を重ねて、そのあとで配属が決められる会社もあるけれど、他方で、初日から配属先に飛ばされて、ひたすら実務に関わりながら覚えていくというスタイルもあるのだと思います。僕は完全に後者のタイプでした。いきなり戦場に放り出され、落ちてる武器を拾いながらなんとか戦っている感じです。ちなみに今は、ひたすら前任者のやりかけの作業を引き継いでいるらしい。何が何だか全然分かってないけど.......

こういう、いきなり現場にぶち込まれるタイプ、よく言えばOJTなのかなと思います。一応説明しておくと、OJTというのはOn the Job Trainingの略で、要は「仕事に携わりながら、それが研修にもなる」ということですね。就活中、ちっちゃめの企業を受けたときは、これが魔法の言葉のように唱えられていました。まあ、体系的な研修制度とかを備えていないところが言いがちなのかなとも思います。オンザ・ジョブ・トレーニングと言うと聞こえはいいけれど、実際はこれ「お前が・自分で・適当に」とかですからね(ググったらこういうことはたくさん言われている)。基本的には放任されて、あくまで必要最低限の説明しか受けられない感じですな。

そんなわけでですね、未だに、自分が何をしているのかわかっておらず、「前年度の参考にここを埋めといてね」ということの繰り返しをしています。最初に総論を示してくれる、民法のパンデクテン方式が懐かしいな〜〜とか思ってます。

で、最初に「余裕だ」と言いましたが、このOJTの影響でですね、とにかく残業が少ないというのがあります。10日間出勤したけど、残業時間は合計で2時間という感じ。基本的に定時で帰れています。

.......なんでかというと、上司からの指示がなければ何もできないからですね。自分一人でできることが、机をピカピカに磨くことぐらいしかない。で、上司も、そんな僕に手取足取り教えるよりは、「自分でやった方が早いわ」となってるんじゃないかなと思います。ので、部署的には繁忙期のはずだけど、やれることがないから早々に帰ってる感じですね。これはもう本当にしょうがない。

というわけで、現状は18時ごろに退勤して、そのまま区の図書館に行って読書をするぐらいには余裕のある日々です。ちなみに、これってどれぐらい普通なんしょう?? 「働き始めなんだから、定時に帰れて当たり前では?」という意見もあれば、「いや、働き始めといえども、普通に残業2時間ぐらいはするよ」という意見、どっちも目にしています。あなたはどっち派!? ひとまず、どちらにしろ、「余裕を持って過ごせている期間」があることは、大変よいことだなと思います。この日々を大切に抱きしめたい。

 

最近読んでる本

「図書館に行ってる」と書きましたが、もちろん本も読んでます。今現在、財務の仕事をしているということもあって、↓の本を読んだりしています。

帳簿の世界史

帳簿の世界史

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ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』(文藝春秋、2015)

アダム・スミスカール・マルクスマックス・ウェーバー.......。彼らが口を揃えて主張していた「帳簿」の力とは、一体何なのか。これまでの歴史家たちが見逃してきた「帳簿の世界史」を、会計と歴史のプロフェッショナルが、始めて紐解く。
(本書のカバー紹介文より)

この本ね、まだ途中だけど、面白いです。「帳簿」という、お金の出入りを記録する媒体が、どのように出現してきて、そして歴史の中でどのような役割を果たしてきたかという内容になってます。本当に世界史ですな。

特に面白いなと思ったのが、「会計」(account)というのは「責任」(accountability)なんだという話が初っ端に出てきたところですね。しっかり帳簿を付けるということは、外部に対して「責任を果たす」ということでもあるんだけれど、中世の王は「俺が責任を負うのは、神に対してだけだ!!」と言って帳簿を付けなかったりして、その結果として財政がズタボロになり国が崩壊したそうです。面白いですね。あと、帳簿を付けるのには、緻密な簿記のスキルだけでなく、不正に抗おうとする職業倫理も求められたそうで、その辺も、倫理を少しは学んできた人間として、興味深いな〜〜と思うところです。

本書からちょっとだけ引用すると、

会計と責任の相互作用は壊れやすく、しかもそれが一企業どころか一国の運命を決定づけることがある。したがって会計の歴史は、単に景気の変動や数字の増減の話ではなく、人間と政治の物語である。会計に熟達し、文化に根付かせながらも、往々にして恐れを忘れてしまい、不可避的に危機に見舞われることの繰り返しだ。この長い歴史を振り返ると、会計もそれに伴う責任も日々実践しなければならないにもかかわらず、その継続はじつにむずかしいことがわかる。会計は財政と政治の安定に欠かせない要素だが、信じがたいほど困難で、脆く、やり方によっては危険にもなる——
(本書、18頁、太字は引用者)

こんな感じで、会計にまつわる「倫理(責任)」と「政治」についてが論じられています。これがオモシレえんだ!!

で、この本、自分が財務に関わることがなければ、決して読むことのなかったものだと思います。かつ、自分が倫理や法や政治というものを勉強してこなければ、決して読むことのなかったものだとも思っています。今までの積み重ねがあってこそ、こういう本に手を付けていると言いますか......

何が言いたいかというと、僕はもう院生ではないし、研究者になるのはだいぶ昔に諦めたけれど、それでも何か問題にぶつかったとき、そこへのアプローチの仕方は昔から変わらないなということです。できるだけ自分の興味関心と引きつけながら、先行研究を読んで理解の糸口を見つけていく....... このスタイルが、これからの僕にとっても「正攻法」であり続けるんじゃないかと思います。

まぁつまり、大学院で育んだ魂が生きているよ、ということです。これからも、何か全く新しいことをやるにしても、学術書を読む精神を忘れずに頑張っていきたいなと思います。

ちなみに、この本が言うには、会計においては「複式簿記」というのが大変な大発明だったらしいですよ!! この本読んでから気付いたけど、僕も職場で複式簿記使ってます。あと、本書曰く、会計の歴史は常に「不正への誘惑に抗おうとする職業倫理の歴史」だったそうです。僕も、不正を断固として許さない強固な職業倫理を持ちながら、頑張っていこうと思います。

 

 

 

以上!!!

簡単な更新になったけど、今日はこの辺にしたいと思います。たぶんまた、月末になったら振り返り記事などを書く、はず。

今のところは、本当に今のところは、「社会人、思ったより余裕だな」というのが正直なところです。僕の実家にいる3歳の姪は、このところ毎朝「幼稚園に生きたくない」と泣きじゃくるらしいですが、僕は今はそうはなっていません。これからもそうならないよう、神と仏に祈る毎日です。

最後に、僕は元気にやっているよということで、もし皆さんも「新年度こんな感じだよ」というのがあれば、↓のフォームに書いてみてください。僕への苦情とか、不満とか、「お前本当に.......」というのがあれば、それも匿名で送ってもらって大丈夫です(怖いけど)。そんなわけで、今後ともよろしくお願いします。それでは。

 

 

暇な人は答えていって下さい。

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

3月の終わり、そして学生生活の終わり......:今月の振り返り記事

ども!! 新学期、そして新年度が近づくこの頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。もう3月31日ですよ!! 明日から4月、そして2023年度になるという、恐ろしい現実が待っています。恐ろしすぎて涙しか出てこない。

そんな今日は、3月の振り返り記事です。あっという間だった3月、僕らは何をしていただろうか...... そしていかなる希望を胸にこの先歩いていくのだろうか...... というところです。罪を重ねながらものうのうと生きている毎日を振り返ります。あと、皆さんお待ちかね、3月のプレイリストについても後半でご紹介したいと思います。

 

3月の振り返り

東京の楽しいスポット!!

2月の20日に東京に引っ越してきたので、もう地味に40日近く経っています。ただ、途中実家に帰省したりもしていたので、暮らしてる期間はジャスト1ヶ月ぐらいですね。もう、京都に住んでいた頃が、本当にはるか昔に思えてきます。懐かしいのう。

で、東京での生活ですが、以前にも書いた通り、とても楽しいです。僕は文京区という家賃がバカみてえにたけえところに住んでいるんですが、チャリを15分ほど走らせれば、上野にも後楽園にも行けるので、暇つぶしに事欠きません。あとは電車もまあまあ使いやすい立地なので、ちょっと離れたところでも遊びに行きやすいです。

で、3月の振り返りも兼ねて、最近行ってみてよかった場所を紹介してみようと思います。

 

小石川植物園(文京区)

 

文京区、茗荷谷駅近くにある植物園です。500円で入れる。ここめっちゃよかったですね。

よく東京は「コンクリートジャングル」なんて揶揄されますが、この場所は↑の写真の通り、ガチもんのジャングルっぽさがありました。それなりに広くて、植物も色んなタイプが生えています。

この植物園、またの名を東京大学大学院理学系研究科附属植物園」。東大の植物系の研究施設を、そのまま一般に公開している形のものです。温室とかもあります。非常に安らぐよ。。。

↑この日は3月1日だったので、梅が咲いてました。

ベンチとかも多数あって、本を読んだりとかでも過ごせます。気分はさながら、『金色のガッシュ』の高嶺清麿ですね。最初期の方の話。中学校サボって植物園で本読んでたとかオシャレですよね。

僕も社会人で疲れ切ったら、こういうところに来てリフレッシュしたいと思います。植物になりたい、とか思うようになるのだろうか。

 

不忍池台東区

2つ目は上野駅から歩いてすぐ、不忍池(しのばずのいけ)です。上野公園と隣接する形であります。

ここでは、池を眺めて、ぼーっとすることができます。ベンチもたくさんあるので、座って、ぼーっとすることができます。桜の季節は混んでいるけど、そうじゃないときは人も少なめでいい感じです。静かだし、読書とかにも向いてました。優雅だな〜〜〜

......ちなみに、ここでぼーっとしながら、僕が何を眺めているかわかりますか?

 

ヒントはぼーっとしながら、です。

 

 

皆さん!! 今日も楽しいですね!!

 


↑別アングル。人がめちゃくちゃ多い。

ちなみに、混んでるときはマジのマジに混んでます。上野公園に向かう道では、屋台が出たりもしているので、お祭り気分を楽しみたい方によいかもしれません。すげえ子どもたちがはしゃいでました。

上野公園も、いい場所なんだけれど、いかんせんこのシーズンは人が多すぎる。桜を見に行ったはずなのに、人間を見に来たのかなと思うぐらい人で溢れてます。視界の6割が人間なんだ。

 

皇居外苑千代田区

3つ目(最後)は皇居外苑です。今日行ってきました。ここもよかったですね〜〜

東京駅の西側の出口から出て、まっすぐ行くと辿り付けます。今日はなんか、乾通りの一般公開というやつで、中を探索することができました。普段がどんな感じなのかはわかんないです。

この皇居外苑の周り、一通り見てみたんですが、思ったのは土地の使い方が大胆だな!! ということ。東京駅の真ん前でありながら、かなーり広く土地を使って、でけえ公園が広がっています。入る際に手荷物検査とかあったので、普通の公園とはちょっと違うけど、それでもマジ広い憩いの場ではあると思います。

これに比べたら、名古屋駅も、京都駅も、ゴミゴミしすぎですな!! 駅前に余裕がなさ過ぎる。ただ、こっちは道路も広かったし、なんか広場とかベンチもあったので、意外と土地を大胆に使ってるんだな〜〜と思いました。

そんなわけで、東京、意外と自然が豊かです。人混みとか地下鉄とか、疲れる要素もあるけれど、同じぐらい癒し要素もありました。他にも新宿御苑とかすごいらしいので行ってみたいですね。

 

実家で姪と戯れた

他にも、3月の思い出として、実家に帰省したことがあります。新居にいつまでもWi-Fiが通らなかったので、一度実家のお世話になりました。実家に帰って、5km先の快活クラブに入り浸ったりしていた。

で、僕の実家には、現在3歳の姪(姉の子ども)がいまして、4月から保育園に通う予定らしいんですが、それまでは実家で面倒見る必要があります。姉夫婦が働きに出ていることもあり、普段は僕の母親(姪にとってはおばあちゃん)が面倒見ています。そこにこの度、叔父である僕も加わってですね、子育ての無料体験版みたいなことをしてきました。

まあ、、、、めちゃくちゃ大変でしたね。このぐらいの子どもって、まだ「定型のリアクション」が大好きなようで、向こうが何かしてきたら、だいたい毎回同じリアクションで返すことになります。例えば、「アンパンチーー!!」と言われたら、必ず「ぐあーーっっ!!」と返したり、「隠れるから見つけてーー!!」と言われたら、必ず(場所が分かりきってても)「どこだ〜〜?」と返す、などです。これをね、本当にね、100回は繰り返すんですよ。100は言い過ぎか。でもとにかく、向こうが飽きるまでやる。それが大変でした。

まあでも、誰にでもそういう時期はあったんだよな...... と思うと感慨深いですよね。僕やあなた、そして僕とあなたの父や母だけでなく、岸田首相にもきっと同じような時期があったんだろうなとか。アニメ『こち亀』のテーマソングの歌詞に、「誰でも一度は子どもだったけどみんな忘れてる〜♪」ていうのがあったんですけど、そういうのをなんか思い出しました。

あとは、姪の様子についても何か書こうかと思いましたが、小さい子どもの行いをネット上に記録として残すのは倫理的にどうなんだろうなとの思いがないわけではないので、この辺にしておきます。

 

本を読んで過ごした

あとは3月、だいたい本を読んで過ごしていました。

実は先日、ついに配属が明らかになりまして、僕は何か財務の仕事をするらしいです。財務?? 家計簿すらろくに付けたことのない僕が大丈夫なんでしょうか...... 

それでまあ、少しは勉強しておこうと思い、財務・会計に関する本を一冊読みました。それがこちら。

山田真哉『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(2005,光文社新書)

この本ですね、非常に面白かったです。まず、ページ数少ない上に、文字が大きめなので、2,3日ですぐ読めました。かつ、我々の日常の身近な例から「会計」の仕事について教えてくれるので、とてもわかりやすかったです。☆5つ!!!

「財務」と「会計」がどれぐらい違うのかはわかりませんが...... どちらもお金の流れを読んで、次の戦略を立てるってところが同じなようです。そんな高度なことが僕にできるのだろうかと、既にだいぶ弱腰なんですが、頑張ります。

ちなみに、もう一冊、有斐閣アルマの『財務・会計入門』も読んでるんですが、、、

こっちは難しすぎて、現状何言ってるかわかんないです。本当に大丈夫か?

 

あとは現在、最後の「暇」の期間であるため、この本も読んでます。

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(2022,新潮文庫)

「2022年、東大・京大で一番読まれた本!!」と話題の一冊ですね。正確には「両大学の生協で、売り上げが一位だった書籍」とのことで、本当に「読まれている」のかは分からないと思います。買ってるだけかもしれねえもんな!!

面白いし、大変勉強になるんですが、ちょっと独特な文体のせいもあって、「ドはまり」という感じではないです。ので、感想とかも特に書かないかも。ただ、「なるほどね〜〜」と思うところは多々あるので、読んでいて面白くはあります。うん。

3月に読んでいる本はこんな感じです。あとは前回と前々回のブログで書いたとおり、労働法についてや、大学関連の事柄について調べていました。

もしかしたらこの3月は、人生で最も「自由に本が読める」期間だったのかもしれません。次のタイミングは多分老後なので...... ただ、現状は特に後悔とかはなく、まあまあたくさん読めてよかったという感じです。今後も読書の習慣は続けていきたいですね!!

 

 

3月のプレイリスト

お待ちかねーーー!!!! 3月のプレイリストの時間です。待ってた人おる? 多分おらんけど、今月もやっていきます。

今月のプレイリストはこんな感じ。

open.spotify.com

22曲、1時間9分と、過去最長ぐらいの長さになっています。今月はいい曲が多かった。

特によかった曲を紹介すると、まず一つ目が、

 

Everyone Else Is Ahead, Far Ahead / The Marshmallow Kisses


www.youtube.com

The Marshmallow Kissesというバンドの「Everyone Else Is Ahead, Far Ahead」という曲です。2分42秒の短い曲ですが、めっちゃいいですね。特に途中のキーボード? がよい。

歌詞もちょっと暗い感じでいいんですよね。最後のところ、「A piece of cake, piece of cake. But I failed」って繰り返してて、このネガティブさが、くぅーーっ!! って感じです。

もう1曲紹介すると、

 

Stay with Me / the Fur.


www.youtube.com

the Fur.というバンドの、「Stay with Me」とかもよかったです。この曲だけでなく、the Fur.というバンド自体がよいですね。他の曲も聴いてみている最中です。

3月も、聴く余裕があったのでたくさん聴けましたが、4月以降はどうなるやらという感じですね。電車通勤だったら、通勤しながら聴けると思うんですが、僕はチャリ通の予定なのでどうなるやら。まあでも、これからもたくさんdigっていきたいです。digるって死語じゃないよね?

 

 

以上!!

以上、この3月の振り返りでした。ちょっと普段より浅めかもしれないけど、こんなもんだと思います。

最後にひとつ忘れていました。そう、4月以降の抱負ですね。

4月の抱負ですが、ひとまず、

 

 

人に舐めた態度を取らない

 

 

これで行こうと思います。いや、それは4月の目標じゃなくて人生全体で意識しろよというのは、本当にその通りなんですが...... とりあえず、この4月は特に気をつけたいと思います。初対面が増える時期なので。

どうも、自分のクセとして、相手との距離を縮めようとして若干舐めたことを吐く癖があるように思います(このブログでも、舐めたことをたくさん言っているはず.....)。ので、気をつけたいなと思いました。4月の目標、調子に乗らず、慎ましく、ですね!!

ちなみに、2022年度の抱負ですが、↓の記事によると、

betweeeeeen.hateblo.jp

でした。

まあどっこいどっこいですね。そんなわけで、これからも、少しずつ成長していきたいと思います。

今日は以上です。次の更新、いつになるか正直わからないんですが、楽しみにしてていただけるとありがたいです。また必ず戻ってくるので。それでは!!

 

 

 

 

ガチ労働者になる前に労働法について学ぶ会:水町勇一郎『労働法入門』など

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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*元ネタ:皆川亮二『ARMS』(小学館

第1巻、3頁より

 

 



 

 

労働法の勉強をしてみようの会

 

 

はい!! というわけで、冒頭のクソ茶番に付き合ってくださった皆様方、ありがとうございます。今日はご覧の通り、労働法について少し学んでみようの会となっています。

ついに来週から働き始める私ですが、先日、大学の惨状について語る系の記事を書きました。で、その中で、職員に退職を強要する超絶パワハラ研修というものを取り上げました。どこかのコンサルを雇って、「研修」という名の下に、人格否定をしまくって自主退職させようとした案件ですね。詳しくは↓の記事を参照。かなりショッキングな内容ですな!!

president.jp

この記事を読んだときの感想は、もし自分がこういう目に遭ったらどうすればいいのか? ということでした。おそらく、基本的には辞めるか耐えるかの2択になりそうですが、ただ辞めるにしても、職を失うわけだからその先ちゃんと生きていけるか不安だし(借金とかあるかもしれないし)、耐えるにしても、そんな職場に居続けて本当にやっていけるのか? というのはあると思います。

で、これから頑張って働いていく身として、もし我々「労働者」を守る盾のようなものがあるのなら、それは知っておきたいところです。我々は、誰の、どんなことから守られているのか。逆に、単に守られることを越えて、使用者側と差し違えるための矛のようなものがあるのなら、それも知っておきたいところです。漫画『からくりサーカス』で言うと、「逃げる」「逃げない」の選択肢を越えて、第三の「闘う」が生まれるような、そんな感じですね(3巻あたりまでめちゃくちゃ面白いですよね)。

そういうわけで、前置きが長くなりましたが、本日は労働法についてちゃんと知っておこうよ!! の回です。「ちゃんと」とは言っても、判例を覚えたり条文の解釈をしたりとかではなくて、あくまで「教養」としてですが...... 労働法の成り立ちや、それがどんな仕組みで動いているのかは押さえておきたいところです。「労働者」という身分は、いかなる権利を有しているのか、そしてなぜそんな権利を持っているのか、というところですね。

ちなみに、僕は法学部の出身ですが、見事に労働法の授業は取ってなかったです。多分他のなんかの授業と被っててそっちを優先していた。そんなわけで、ほぼ知識ゼロですが、頑張っていきたいと思います。

 

水町勇一郎『労働法入門』を読みました

で、今回読んでみたのがこちら。先ほども画像で挙げましたが、岩波新書『労働法入門 新版』となります。

水町勇一郎『労働法入門 新版』(岩波新書、2019)

労働法入門系の本、実務家向けに書かれていて、あんまりガチの初学者向けじゃないことも多いんですが、こちらの本はかなり初学者向け(教養寄り)と思います。労働法の成立の歴史から、日本における特色、2018年の「働き方改革」のあれこれなども踏まえていて、なんかバランスがいいように感じます。

特に...... 皆さん、労働協約とか就業規則という言葉、知っていたりちゃんと説明できたりしますか?  僕は大変恥ずかしながら、労働協約とか知らんかったし、就業規則も「なんか、こう、いろいろ定まってるやつ」ぐらいの認識でした。で、他の労働法入門系の本を読んだときに、これらの単語が何の説明もなく使われたりしていたのだけれど(「当然知ってるよね?」的な)、本書ではちゃんと解説してくれていました。いとありがたし。そういう意味でも、しっかり初学者向けだと思います。

そんなわけで、今回は本書を使って、そもそも労働法とはどんなものかというのを確認していきたいと思います。労働法は、どんな風に成立し、どんなことをしてくれているのか。特に、僕個人としては、まずやつらが何をしてくれるのかということと、そしてなぜそんなことをしてくれるのか、というのが気になります。

 

 

そもそも労働法って?

そもそも労働法って何なんでしょうか? なんなんでしょうね??

「いや、『労働法』という法律は存在しなくて、実際には労働基準法、労働契約法、労働組合法、男女雇用機会均等法など複数の法律の総称であって……」というごちゃごちゃした指摘は置いといて、ごく簡単に言えば、それは労働者保護のための法律、と言えるように思います。例えば、労働基準法の第1条では、

第一条 労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。

ということを宣言しています。「人たるに値する生活」、いいですね。もちろん、単なる労働者保護だけではなく、労働関係の様々なことを定めてくれているのだけれど、中核的な理念としては「労働者保護」があるのだと言ってよさげな感じがします。

で、じゃあなぜそんな法律があるのか? というところで、本書『労働法入門』の説明を借りると(1-8頁)........ まず、今日の意味での労働法が生まれたのは、19世紀であるらしい。19世紀に入る前、1789年のフランス市民革命などによって、欧州の方で「個人の自由」という考え方が確立します。これと同時に、「契約の自由」という考え方も確立。伝統的な共同体とかから離れて、もう個人の自由な契約でやっちゃおうぜ!! という機運が高まります。

そして、この市民革命とほぼ同時期に、イギリスで産業革命が勃発。大規模な工業化が進展します。その結果としてどうなったかというと、「契約の自由」の名のもとに、非常に劣悪な条件で工場で勤務させられる労働者が増加してしまいました。超低賃金で1日12時間労働、さらには危険な環境で勤務させられることも普通にあり、労働者の貧困や健康問題が拡大していきます。で、それが単なる個人の問題を越えて、社会全体の問題となっていったわけです。そうすると、労働者の働き方について、ちゃんと法律等によって対処しなければ!! となり、労働や雇用の在り方に法が介入する形で、労働法が生まれた流れです。これが非常にざっくりした説明。

ここで面白いのは、労働に関しては、個人の自由(=契約の自由)に完全に委ねていてはダメだと考えられたことですね。なぜに、労働は個人の自由に任せっきりではダメで、法などが介入せねばならぬのか。本書ではそのことを、次の3つの点から説明しています(9-10頁)

第一に、労働契約においては、単なる「物」や「土地」などの交換を越えて、労働者自身の身体を取引の対象に入れていること。本書の言い方を借りれば、「契約の内容によっては、取引の対象とされた労働者という人間そのもの、その肉体や精神が侵害されてしまうことが」あり得ます(9頁)。で、たとえ本人の同意に基づいていたとしても、その者が肉体的・精神的に危険な労働に置かれることを社会的に容認していいのか、が問題になったそうです。

ここで、まあ、別にいいんじゃない? と思った方もいるかもしれません。が、第二の点として、労働者は使用者(会社・雇用主)に比べ経済的に弱い立場に立たされがちということがあります。会社の方は、資本があるので今日明日食うに困るということはないだろうけど、労働者の側からすれば、今日働かねば明日死ぬということもあり得ます。我らは「自分の身」一つ以外に何も持ってないので、それを切り売りせざるを得ないということですね。そうした力の不均衡の下だと、使用者から超低賃金・劣悪労働を提示されても、労働者はそれを断ることができなかったりするわけで、そこで「同意に基づく契約」とか言ってもというところです。あと、そういうのに任せておくとあっという間に社会問題になってしまうわけで。

そして第三に、労働者は働くときに自由を奪われがちということが挙げられています。労働者は、使用者の指揮や命令の下で働くので、その間は彼ら自身の「自由」が奪われているとも言えるとのこと。で、本書ではこの3つの観点から、労働については「個人」の自由に任せっきりではダメで、「労働者」という集団に対する保護が必要になったとされています。

 

「集団」という発明

で!! この、今さらっと書いた、労働者という「集団」というのが、非常に重要なポイントとなっています。そしてとても面白いところだとも思います。

元はと言えば、市民革命によって、一度「個人の自由」というものが確立したわけです。ただ同時に、そうやって個人の自由に任せておくと、色々と問題が起こることも顕在化したわけで、そこで改めて「労働者」という集団的括りが用いられます。本書ではこれを「集団の発明」と表現しています(11頁)

では、そうした「集団」を発明して、何がなされたかというと、次の二つのことが挙げられています(11-12頁)

1つ目が、労働者への「集団的保護」です。例としては、労働時間の規制や社会保険制度などが挙げられています。これらは労働者に対して、一律に適用されるものであり、彼らを「集団」として捉え、それを保護する制度となっています。あとで見るように、これらが「一律に」適用されるということは、個人の個別の契約や合意をも上回る効果を持ちます。

2つ目が、ストライキなどの団体行動を取る「集団的自由」の保障。団結して行動することが保障されています。例えば、劣悪な労働条件を提示されたとき、自分一人が抵抗したところで労働者の待遇は何も改善しないけれど、集団で抵抗すれば大きな力になります。以前は、こうした団体行動が団結罪といった罪に問われていたらしいですが、それが認められていくようになったという話。本書の言い方をそのまま持ってくると、「これは、個人の自由のもとで実際上自由を奪われていた労働者に対し、集団として自由を行使することを認め、労使の事実上の力関係の差を是正しようとするものであった」とのこと(11頁)。これはなんというか、非常に労働法らしい話だなーと思いました。

そんなわけで、ここまでをまとめると、労働法の性格というのは、個人の自由な契約に干渉し、労働者を「集団」として捉え、それを保護し、また団結して行動する権利を認めるもの、と言えると思います。で、なぜそんなことをしているのかと言えば、そもそも労働者が経済的に弱い立場にあり、自身の身体を契約の対象にして自由も委ねるような存在だから、となりそうです。まあ確かに、明らかにパワーバランスは使用者の方が上なので、なんらかの介入によって労働者の側もアゲとかないとなんだなと思います。

......ちなみに、ここまでの話は、あくまで労働法の成立過程の話。実際、かつての工場労働の時代と違い、今の世の中で労働者を「集団」として捉えることは、結構難しいように感じます。サービス業とか色んな業種が増えたし、働き方もますます多様になっているので。もちろん、本書もこのことに触れていて、「従来の定型的なモデルを前提とした集団的・画一的な保護・規制は、社会の多様で複雑な変化に十分に対応できないものとなっていった」としています(20頁)。ただ、その一方で、今でも「契約」や「同意」の下で、過酷な労働や不安定な雇用を強いられている者は多数おり、確かに新しい問題も増えたけれど、労働法の伝統的な問題もそのまま残存しているともされています(22頁)。要するに、時代が変われど、労働者保護という理念はこれからも当然必要だろうという話です。

 

労働法はどう働いているの?

本日は「労働法の基礎知識」的な回にしようと思っているんですが、そこでもうひとつ触れておきたいのが、労働法はどう働いているのか? という話。本書では、これについて労働法の4つの法源というのが紹介されています(52,53頁)。労働法が実際に動くときは、次の4つの何かしらが問題になっているぞ、ということですね。

1つ目が、シンプルに法律労働基準法や労働契約法などですね。例えば、労働基準法で、1週間の労働時間の上限が40時間と定められているなどですね。ちなみに、こうした労働法は強行法規としての性格を持ち、個人の自由を上回る効力を発揮するとのこと。例えば、使用者と労働者が互いに合意して、「週の労働時間は100時間としようぜ!!」という契約を交わしていたとしても、こうした契約は無効となります。本書を引用すると、「当事者の合意の有無や内容にかかわらず当事者を規律する」(42頁)という性格を持っています。

2つ目が、労働契約。何月何日から働きますとか、こういう期限で働きますとか、そういうものですね。まあこれもわかりやすいと思います。

そして3つ目が、労働協約。「労働協約って何?」というと、本書の説明をそのまま持ってくれば、「労働組合と会社との間で締結される労働条件などに関する合意・協定のこと」だそう(44頁)。さっきも書いたとおり、労働法においては、労働者という「集団」で行動&交渉する自由が認められています。で、そうした集団(労働組合)が会社から獲得した「合意」にも、法的な力が認められて、ちゃんと会社側を縛るルールとなってくれるそうです。例えば、労働者個人と会社との契約では、「ボーナスは月給の2ヶ月分」となっていても、労働協約にて「ボーナスは月給の3ヶ月分だ!!!」となっていれば、ちゃんとこの労働者も3ヶ月分のボーナスをもらえるなどなど(力関係的に、労働協約>労働契約となっている)。

最後に、4つ目が就業規則就業規則は、会社側が定める職場のルールのことで、これも労働者に集団的に作用します。非常に広範な内容が定められていて、賃金や賞与や退職について、その会社でのルールが示されています。詳しくは自分の職場のものをチェーック!! 正直、僕もまだ働いてないので、どういうものかはあんまりわかってないです。ともかく、法律や労働組合だけでなく、会社側も労働についてのルールを設定しているという話ですね。

で、労働が法的な問題となるときは、以上の4つ、すなわち①法律、②労働契約、③労働協約、④就業規則、のどれかが必ず関わっているとされています。ちなみに、強さとしては、法律>労働協約就業規則>労働契約の順番だそう。引用を持ってくると、次のような感じです。

働く人と会社の間の関係では、これらの四つの法源のなかのどれかによって根拠づけられた権利や義務となることによってはじめて、労働者が使用者に、または使用者が労働者に、法的な請求をすることが可能になる。逆にいうと、これらの四つの法源のどれによっても根拠づけられていないことについては、裁判所の力を借りてその実現を図ることはできない(法的にいうと「請求の根拠を欠く」ということになる)。労働法とは、これらの①〜④の法源に支えられた権利と義務の体系ということもできる。(53頁、太字は引用者)

これはなんというか、読んだときに、結構大事だな!! と思いました。というのも、我々が法律に頼りたくなるのは、なんかしら理不尽な目に遭ったときだと思います。これは本当に自分が耐えなければいけない問題なのか...... 実際は相手の方が間違っているのではないか....... とか、そういう状況ですね。

で、僕がここ1年間いた倫理学の領域では、こういうの、相手の「不正さ」を論証することが大事、とされていたような気がします。功利主義とか権利論とかを使って、「そもそも労働者を単なる『手段』として利用することは道徳的に正当化されず......」という風にやっていたと思います。

ただ、法の世界はあくまで「具体的」なものである、というのがやっぱり面白いなところだな〜と感じます。こうやって①〜④の法源というのが示され、そして「ここに該当しなきゃ、そもそも請求の根拠欠くから!!」とされている。そこがなんというか、清々しくてよいですね。ちゃんとルールが明文化されていて、なによりもまずそこが問題となる。それはつまり、自分が何か理不尽な目に遭っていそうなときは、ともかくこれを確認すべしというのがわかりやすいということでもあると思います。

あと、この①〜④の力関係の中で、「労働契約」が最も力が弱いとされているのも、面白いなと思いました。これも倫理学との比較ですが、倫理学では「個人の同意」というのは、それはそれは大きな力を持っているように思います。ただ、労働法においては、パターナリスティックな介入が割と平然と許されていて、それは成立の趣旨などからもそうなのかもしれないけれど、倫理学とは違うな〜〜と思ったところでした。僕も元は法学部だったはずなのに、いつの間にこういう思考に.........

まあでも、労働法の仕組みについては、だいたいこんな感じです。本当はもっといろいろ複雑なんですが、僕に説明できる範囲を超えるので、この辺にしておきます。4つの法源で動いているよ! というのが分かればひとまずOKだと思います!!

 

労働法は「力」か?

だいぶ字数が多くなってきたので、そろそろ巻きに入る形で...... 最後にこの「労働法は『力』なのか」というトピックで。冒頭の茶番で、漫画『ARMS』のジャヴァウォックの如く労働法を登場させたわけですが、実際に労働法は、何らかの助けになるんでしょうか。そして、なるとしたらどんな感じなのか。

今回、この『労働法入門』の他に、何冊か労働関連の本を読んだんですが、濱口圭一郎『若者と労働』という本に、面白い記述がありました。あとがきから引用です。

実は一点、極めて重要でありながら[本書で]語られないままとなっていた問題があります。それは、働く場で自分の、あるいは自分たちの権利を守るために必要な労働法や労働者の権利に関わる知識が、肝心の働く人々、とりわけ若い人々にほとんど教えられることもなく、放置されているということです

濱口桂一郎. 若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす (Japanese Edition) (p.227). Kindle 版.[]内、太字は引用者 

労働基準法にこう書いてあるなどと会社に文句を言う馬鹿な奴は真っ当な正社員になれません。

労働基準法?上等だ。お前は一生面倒をみてもらいたくないということだな。一生面倒を見てもらいたいのなら、ぐたぐた言うな」

というのが、暗黙の(時には明示の)社会的文法でした。つまり、労働法など下手に勉強しないこと、労働者の権利など下手に振り回さないことこそが、定年までの職業人生において利益を最大化するために必要なことだったわけです

濱口桂一郎. 若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす (Japanese Edition) (p.228). Kindle 版. 太字は引用者

ここに書いてあることも、まあぶっちゃけわかるでござるよという感じで、労働法を学ぶことは、一方で自分の身を守ることでありながら、他方で、定年まで過ごす「会社」というものに不和をもたらし得るものでもあるはずです。先日、来週から働く職場から、『社会人1年目の教科書』(ダイヤモンド社という本が送られてきたんですが、まあ当然、労働法の話は一切振れられておりませんでした。代わりに「演芸会は死ぬ気でやれ」「脳に負荷をかけよ」とかが書いてあるわけですが.......

↑こちら。まあ、大事ではあるとは思う。全然面白くなかったけど......

そんなわけで、本当に労働法を学ぶことが「力」になるのか? というのは、問われうることだとは思います。いや、絶対に力にはなるんだとは思うけれど、正直なところ、まだ働いてもいない人間が労働法を学ぶことで「力を得た!!」とイキがってていいのかという話ですね。こういうところには、否定的な人も多いのではないかと思います。

ただ、これについて思うところを2つほど述べて、本日は締めとしたいと思います。

1つ目は、水町『労働法入門』に書かれていることでもありますが、あくまで労働法は、労働者という「集団」を相手にしたもの。そこには「集団という発明」があったわけです。それすなわち、労働法の問題は、単に自分だけの問題だけではなく、同じような状況の他の誰かの問題でもありうるということです。

例えば、本書では、「権利を守り、公正な社会を築くために」という節で、次のようなことが書かれています。

不条理な事態に直面したときに、泣き寝入りしたのでは自分の権利や信念は守れない。それだけでなく、法と乖離したい実態を容認することは、会社側に法は守らなくてもよい、さらには、法を守っていては激しい競争に生き残れないという意識を植え付け、公正な競争の前提自体が損なわれる事態を生む。例えば、違法なサービズ残業をさせないと、同様に違法なことをしている他の会社と対等に競争できないという状況を生み出したりするのである。それは、現場で働いている人たちの人間性を蝕み、結局、そのような組織や社会は長続きしないという結果に陥る。このままでは、日本の会社の多くや日本の社会そのものがそういう状態になりかねない。(230頁、太字は引用者による)

この熱いメッセージ、よいですよね。他にも本書では、「国家によって権利や自由が保障されていたとしても、それが侵害されている自分の状態を黙認してしまうことは、間接的に他人の権利や自由が侵害される、すなわち他人を同様の状況に追い込んでしまうことにもつながる」と書かれています(243頁)

要するに、単に自分一人が耐え忍べばそれで解決、とも限らないということだと思います。法を外れた状況が常態化すれば、より多くの人が不幸になり得るし、逆に自分が自分の被っている不正に立ち向かうことで、他の誰かの状態が改善することもありそうだ、ということです。

もうひとつ言いたかったのは、やっぱりこういう「法」や「制度」がある以上、それは使った方がいいだろうということですね。これは本当にシンプルで、「あるなら使おうよ」という話です。

労働法の成立の歴史などを見るように、「集団の発明」という話もありましたが、現状の法や制度は、誰かが頑張った結果としてあるものだと思います。そういうものを作った人としては、同じような悲しみ・苦しみを生まないようにと頑張ってきたはずなので、それがあるのに使わないとなれば、「いやなんでよ? あるんだから使ってよ!!」となるはず...... 生活保護とかにも同じこと思ったりするんですが、誰もが使えるように「努力して」作られてきたもののはずなので、なんかこう、制度に欠陥があるとかならまだしも、単に「遠慮して」使わないというのは、よくないんじゃないかと思います。その人の頑張りが否定されてしまうというか......

そんなわけでですね、ぶっちゃけ労働法、日本社会においてはあんまりウケがよくないイメージがあるし、それを学んだ労働者というのもいまいち歓迎されなさそうだけど、でもやっぱり使っていくべきだろうなと思います。それは、上に書いたとおり、単に自分の身を守ることだけでなく、他者の状況の改善にもつながるし(あるいは改悪を阻止できたりする)、そして何より、誰かが頑張って作ってくれたんだから、使わないとダメだろとも思います。後者は完全に僕個人の感情的な話だけど、なんというかまあ、そんな風に思います。我々の「権利」として保障されているわけだしね。

 

 

 

以上!!

今日は「1万字以内」という縛りを自分に課していたため、だいたいこんな感じになります。全然書けていないところも正直たくさんあるけれど、それは各自、本書『労働法入門』を読んで学んでもらうということで。この本、バリ面白かったので、読むべし。

最後に、今更なんですが、現在の労働問題は、なにより非正規労働者に集中しているなと思いました。正社員もブラック労働の問題とかあるけど、やっぱり中心的問題は、非正規の人の地位の低さにあるように思います(色んな本でこれが触れられているし、政策の重点もここに置かれている)。そんなわけで、正規の人よりも非正規の人にとってこそ、労働法は武器になるんだなとも思います。

1週間後には働いているということが、全く実感の湧かないこの頃ですが、これからも頑張っていきたいと思います。とりあえず、こんな深夜更新(現在 am 2:12)はやめにしたいところですな!! そんな感じです。

 

 

 

 

 

 

↑ちなみに、この本も読んだけれど、なんか色々微妙だったので、水町本の方が個人的にはおすすめです。

 

 

 

 

 

大学は迷走し、崩壊し、もう死んでいるのか......?(新書3冊読みました)

ども!! 今年度も残すところ1ヶ月となった今日、みなさまいかがお過ごしでしょうか。春めいてくるとなんだかそわそわしますよね。しません? 3月4月はずっとそわそわしがちなのは僕だけでしょうか。

はい。時候の挨拶はそんなところで、本日は読書感想回です。

 

大学関連の新書を読んだよ!!

3冊読みました。

このところ、家にWi-Fiが通ってないこともあり、かつてないほどに読書欲が高まっています。動画も見れないしゲームもできないから、本を読むことぐらいしかすることがない。めちゃくちゃ本を読み、そして買い足している。なんて素晴らしい環境!! ちなみに、こうやってブログを更新するときなどは、近所のフレッシュネスバーガーに立て籠もっているよ! Wi-Fiも電源もあるし、コーヒーもビールも飲めるので、めちゃくちゃいいところです(モーニングもあるよ!!)

で、自分が来年度からは大学職員になるということもあり、最近は「大学問題」への関心が高まっています。この頃は大学について論じているお手頃な新書等が増えているようで、先月も新刊が出ているので、しっかりチェックしておこうという感じです(おそらく、日本学術会議の任命拒否の問題以降、世間的にも多少関心が高まり、本が出やすくなったのかも)。で、これらに目を通してくおくことで、近年の日本の大学がどんな意味で危機に瀕しているのかを把握しておこうという試みです。

ちなみに、当ブログの読者層としては、おそらく現役の大学関係者が多いはず。ので、大学問題について、一応は当事者意識を持てる人がまあまあいると思います。ただ、もちろん中には「大学とか、もう卒業して4年経とうとしているんだが?」という人もいるはず(僕の学部時代の同期ですね!!)。そういう人からすれば、大学問題というのは、ほとんど興味の湧かないことかもしれません。むしろ知識人ぶってる連中が痛い目に遭ってm9(^Д^)プギャーという人もいるぐらい? わからん。大学って割と嫌われ者になりがちなので......

ただ、既に社会人だという人にとっても、意外と大学って身近な存在であり続けるとも思います。将来自分の子どもや親戚が通うかもしれないし、仕事の後輩や部下も、大学経由で輩出されてくるパターンが多いはず。で、しばらくは大学も次世代の人間が出てくる機関としてあり続けると思うので、ここの問題になんらかの関心を持っておいて損は無い、はず。あと我々の税金も結構な額投入されているというのもあります(国立大学に対して、年間約1兆円使われているらしい)

そんなわけで、一緒に大学の危機について知りに行きましょうよ!! 今回取り上げる本の書名によると、大学は今、迷走し、崩壊し、なんならもう死んでいるかもしれないらしいです。そんな悲しいことある? どんな意味でそういう事態が起こっているか、それを知りに行こうということですね。

で、3冊取り上げてやっていくわけですが、一冊一冊を丁寧に紹介するというよりは(簡単には紹介します)、全体の共通項、あるいは違いを探ってく感じになると思います。先に言うと1万2千字ぐらいになりました。目次を置いておくので、忙しい人は「総括」だけ読んでもらえればOKです。いや本当に忙しい人はここまでも読んでねえか.......

 

 

それではやっていきます。

 

1冊目:田中圭太郎『ルポ 大学崩壊』

最初に紹介するのは、先月出た田中圭太郎『ルポ 大学崩壊』。2023年の2月に出てるので、まだ出版から1ヶ月経ってないです。でももう各地で評判になってる一冊です。

この本、他の2冊と違い、著者がジャーナリストというのが大きな特徴です。田中氏はフリーの記者で、2016年頃から大学の問題に着目し、既に100本以上の記事を書いているとのこと。「ルポ」とあるように、本書は政策の分析や大学論をやるというよりは、どちらかというと、現に大学で苦しんでいる者たちの当事者の声に焦点が当てられています(ただ、政策や法改正の分析もそれなりに行われています)

本書の内容を一言で表すなら、「大学におけるハラスメント特集」だと思います。もう少し言うと、大学で理不尽な目に遭っている人たちの特集ですね。近年の法改正以降、どうも大学への政府や学外者の介入が強まっており、そこでまかり通っている「独裁」やハラスメントを明らかにしています。

 

大学におけるハラスメント

ここでのハラスメントというのは、要は「理不尽な権力行使」のことですね。その例として、パワハラを捏造され解任された北大総長や、某私立大の退職強要研修のほか、京大吉田寮の裁判の問題などが扱われています。どれも、大学の執行部に当たる機関が、理不尽な権力行使をしてきた事例です。それぞれの事案については、↓のネット記事などから読めるので、詳細を追っておくべし。

hre-net.com

president.jp

↑このプレジデントの記事は、本書の抜粋的になっています。

gendai.media

↑これも本書の著者が現代ビジネスで書いた記事。

これらの例の他に本書では、労働法改正に伴う大量の大学教員雇い止め問題や、一部の私立大学が完全に謎ベンチャー化している事例などが取り上げられています。その詳細はここでは省略するけども(ぜひ本書を確認すべし)、この本ね、一冊読み切るとね、かなり暗い気持ちになれますよ!! 実に、暗〜〜い雲が大学に漂っている感じが伝わってきます。特に、一人退職させるごとにコンサルに100万円支払われていた「退職強要研修」とか、ひぇっ......て感じです。

 

なぜそんなことが起きているのか?

で、大学でこうしたハラスメントの嵐が巻き起こっているが明らかにされるわけですが、問題はなぜそういうことが起こっているのかですね。

著者がここで注目しているのが、まず2004年の国立大学法人化と私立学校法の改正、そして2014年の学校教育法改正と国立大学法人法改正です。急に漢字が増えて読む気が失せたかもしれませんが、ごく簡単に言うと、まず2004年の法人化によって、国から大学に渡されるお金が減りました。その結果、大学は自ら資金調達に走らなければならなくなり、いわゆる「運営から経営へ」というやつですが、「稼げる大学」を目指していくわけです。ただ、急にそんなことをするのは当然難しくもあります。そこで2014年の改正で行われたのが、トップの権限の強化でした。トップダウン的に、どんどん施策を進められるようにしようということですね。

例えば、2014年の改正時の「趣旨」として、次のようなことが書かれています。

大学(短期大学を含む。以下同じ。)が,人材育成・イノベーションの拠点として,教育研究機能を最大限に発揮していくためには,学長のリーダーシップの下で,戦略的に大学を運営できるガバナンス体制を構築することが重要である。今回の改正は,大学の組織及び運営体制を整備するため,副学長の職務内容を改めるとともに,教授会の役割を明確化するほか,国立大学法人の学長又は大学共同利用機関法人の機構長の選考に係る規定の整備を行う等の所要の改正を行ったものである。

文科省「学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律及び学校教育法施行規則及び国立大学法人法施行規則の一部を改正する省令について」より  (太字は引用者による)

そんなわけで、「戦略的に大学を運営できるガバナンス体制を構築するために」なんだこのわかりにくい日本語トップの権限を強めたわけですが、その結果として、大学で「独裁」や「私物化」がはびこりやすくなってしまったというのが本書の見方です(10-12頁)。例えば、上の引用では、「教授会の役割を明確化するほか」とありますが、これによって教授会は、今まで「重大な事項を審議する」という位置づけだったのが、単に「求めに応じて学長に意見を述べる」という、学長の諮問機関に格下げされたらしいです。これ「教授たちが大学運営の雑務から解放された」と言えば聞こえはいいけれど、教育の現場に立つ教授たちが運営から閉め出され、学長や執行部が謎の施策をしてきたとしても、「お前らは口出しすんな」と排除された面も大きいようです。例えば、教授たちに何の確認もなしに、謎の新学部が創設されたり研究科の名称変更が行われるなど。

そうやって、法改正によりトップの権限が強まったことで、混沌を極めた大学が増えているらしいです。例えば、「生きている限り学長を続けることが可能になった」という国立TKB大学などがそうですね。この学長も、本来は「学長選考・監察会議」というのによって監視されるはずなんだけれど、この委員のメンバーは学長が自ら選ぶことができるし、あと学外者がやたら入っていたり、文科省の介入も強かったりで、逆に独裁を強める働きをしているらしいです(63頁)。ヤバない?

 

田中本のまとめ

本書の内容については、ざっくりそんな感じ。詳しくは皆さんも読んでみるべし。

本書の特徴は、やはりジャーナリストによるルポ形式を取っていることだと思います。ので、当事者の声というのが豊富に取り上げられていて、「大学でこんな理不尽が起きているのか.......」というのが非常に実感しやすいです。

ただその反面、実際に起こっている紛争について、両者の言い分を公平に聞くというスタンスは薄いように感じました。一つ一つの事案で、「どっちが悪い奴か」というのを、読者が容易に判断できるようになっていると思います。そういう意味では大変読みやすいのだけれど、現状を公平に分析する上では、「おそらく大学側にもこういう言い分があって......」というのがもう少しあるとよいかな〜〜と、個人的には感じました。ちょっと立場が一方に寄りすぎなきらいはあると思います。「大学側が回答を拒否しているから自然とそうなる」というのはあるかもしれないけど.......

とはいえ、非常に豊富な事例が取り上げられているし、「どういう人が、どういう問題で苦しんでいるのか」というのがしっかり伝わってきて、そこが非常によかったです。僕も来年度から職員として働く身として、「ちゃんと労働法勉強しよ......」という気持ちになれました。水町勇一郎『労働法入門』なども購入したので、現在勉強中です。

 

......というわけで、一冊目の『大学崩壊』に関してはこんな感じです。これがあと2冊分続きます。大丈夫か??

 

www.webchikuma.jp

↑ちなみに、Webちくまで「はじめに」が読めます。興味ある人はGO!!

 

 

2冊目:佐藤郁也『大学改革の迷走』

2冊目は、佐藤郁也『大学改革の迷走』です。2019年に出た本で、今回紹介する中では一番古いですね。とはいえ4年前です。

本書の一番の特徴は、何よりもその分厚さと思います。 だいたい470ページあるよ!! 470ページ.......? ちなみに他の2冊はだいたい230ページぐらいです。本当にこれ新書の分量か? 

この本を読み切るのが大変すぎて、しばらくブログ更新が遅れたまであります。でもちゃんと最後まで読み切った上でブログ書いているの、偉くないですか。偉いよな。

本書の内容的な特徴は、主に文科省の政策の検討によって成り立っていることですね。田中本(『崩壊』)がルポ形式だったのに対し、こちらは政策文書の分析をメインとしています。『大学改革の迷走』とあるように、改革、つまり政策への検討を行っています。

ただ、改革政策の費用対効果とか理論的な効用というよりは、どちらかというと、それらの政策文書に見られる稚拙さ・意味不明な表現に焦点が当てられています。つまり、どれだけ曖昧な観念によってこれまで大学改革が進められてきたのか、それを暴く内容になってます。

著者の佐藤郁也氏は、最近は大学関連の本を多く書いていますが、専門は社会調査方法論とのこと。著書に『社会調査の考え方』といった本もあります。本書もその流れで、文科省や大学の作ってる文書を扱って、それがいろいろ混乱していることを指摘するものとなっています。

ちなみに、まえがきから一箇所引用すると、こんな感じ。

実際、この三〇年ほどのあいだに各種の審議会や文部省・文科省から示されてきた改革案の中には、どうみても筋が通らない不可解なものが少なくありません。たとえば、中央教育審議会の答申には、委員として名を連ねている著名な学識経験者や財界人・文化人の顔からすればとういて信じられないほどに稚拙で意味不明な文章が大量に見つけられます

(中略)

事実、それらの政策や指示あるいは評価基準は、政策文書にうたわれているような「改革」を成就させるどころか、むしろ逆に大学における教育と研究の基盤を脆弱なものにし、また大学現場の業務を停滞させてきたのでした(15頁、太字は引用者による)

こんな感じで、「大学改革」を主導するはずの概念が、稚拙だったり意味不明だったりすることを暴いていく感じです。

ただ、こういった「表現の指摘」に留まらず、内部の関係者に聞いた話なども紹介しているので、大学問題に多面的に迫ったものになっていると思います。

 

稚拙・意味不明な用語たち

というわけで、どんなことが書かれているかの紹介です。本書では大学改革関連で出てくる、数多くの稚拙or意味不明な用語や、本来の用法から外れ混乱した概念たちが紹介されるわけですが、それらの筆頭として挙げられているのが、PDCA、KPI、NPM、選択と集中、などなどです。特にPDCAの話に分量が割かれていますね。僕も高校時代から、ことある毎に聞かされているPDCAサイクルですが、大学改革関連の文書ではそれが本当に大量に見られるらしいです。皆がPDCAを回せ廻せと言っているらしい。ただ、これは完全に和製の概念で、しかも本来の用法・使用場面からはだいぶ外れているらしいです。それなのに、狂ったように「PDCAサイクル」のポンチ絵が挿入されてるから、何なの?? という話がされてます(第2章がその話題)。

で、本署の流れとしては、政策文書で何度も繰り返されるこうした表現を指摘して、「こういうよくわからん借り物の言葉使って、『改革ごっこ』してるから、大学は疲弊しているんじゃないですか!!」と主張する感じです。実際、PDCAとか、なんとなく言葉の響きがいいし、「図」もいい感じのを挿入できるので、「改革してる風」を演出するのに持ってこいだと思うんですよね。PDCAだけでなく、上述のKPIや「選択と集中」にも似たようなところがあり、そういう、ビジネス界隈で流行ってる言葉を表層的に取り入れて、改革をした気になってるのが問題だと論じています。しかも本来の用法からは外れているらしいので......

ちなみに、ビジネス界隈からの用語の輸入だけでなく、「海外の大学で流行っていること」を取り入れるのも、文科省や大学がやりがちなことらしいです。その典型例として挙げられているのが「シラバス」です(第1章)。僕は2016年に名古屋大学に入学した当時、電話帳みたいな分厚いシラバスを配られましたが(今もあるのかな?)、ああいうのがまさに「悪しき例」として論じられてます。そもそもアメリカの大学の「sylllabus」は、教授それぞれが自由なフォーマットで作成するものなのに、なぜか日本の「シラバス」はやたらと画一的なフォーマットで電話帳みたいに作成するものになっており、あれで「改革」した気になってるならヤバいといったことが書かれています。

 

なぜそんなことに......?

本書は分厚い分、「問題」もその「原因」も多く書かれているのですが、個人的に気になったのは、大学に対する公的財政支出の乏しさですね。

例えば、OECDの2018年データを参照して本書が言うには、「GDPに対する比率で見た場合、日本の高等教育への公財政支出は、OECD加盟国の平均からすれば半分以下でしかない〇・四%程度という最低水準にある」らしいです(248頁、太字は引用者による)GDPの話は正直よくわからないけど、でもOECD加盟国の平均値は1%らしいので、まあ低いんだろうなというのはわかります。2004年の国立大学法人化以降、国からの予算はどんどん減らされているので......

で、そんな感じに財政支出は少ないくせに、世界大学ランキングからの転落などを受けて、「いやお前らも海外の大学に追いつけよ?」と言ってきているわけなので、これは無理ゲーでは......? と思います。で、低予算の中でなんとか頑張らないといけないので、ビジネス界で流行っている言葉などを取り入れて、「改革している風」の演出が進んでいるのかなと思います。

実際、本書では何度か、「改革の自己目的化」ということが指摘されます(キーワードの一つだと思います)。例えば、大学改革のために何らかの小道具シラバスなど)が必要だとして、本来ならそれを導入して「改革を達成する」ことが目的になるはずが、いつの間にか「その小道具を導入すること」それ自体が目的となってしまったなどです。よくツイッタで先生たちが愚痴っているように、「シラバス」の作成は、授業をうまく運営するどころか、むしろ先生方の事務作業を増やす方向に働いているようです。

シラバスに限らず、こういった「改革の自己目的化」(本書では「小道具偏重主義」とも呼ばれる)が蔓延した結果、大学改革は迷走しているというのが本書の主張です。一箇所引用すると、本書では次のように書かれています。

.......この自己目的化という傾向は、シラバスだけでなく、個別の手法や「小道具」を含む大学改革に関わる政策それ自体についても指摘できます。つまり、日本では往々にして「大学改革何か(国際化、イノベーション、学生たちの人間としての成長等)を実現する」というよりは、「大学改革実現する」ないし「改革をおこなっているという体裁を整える」ことそれ自体が目的になってしまっているのです。(86頁、強調は原文)

そんなわけで本書では、よくわからん外来の言葉を用いて、「改革のまねごと」「経営ごっこ」をしているのが問題だと説かれています。ただ、それは何も、主導者である文科省がすべての元凶というわけではなくて、それに有耶無耶ながらも従ってきた大学や、やたらと大学をサゲる政治家、よくわからん改革を導入するコンサルなども、原因の一端とされています。そんな感じで、大学改革について「単純な悪者探しはやめよう!」と主張しているのも、本書の特徴の一つかなと思います。

 

佐藤本のまとめ

もうだいぶ長くなってしまっているけど、最後に佐藤本の総評を付け加えると、面白いけど、本当に話が長いとなります。わかりやすく面白く書いてくれているのはわかるけど、いかんせん、たとえ話や小噺が長いところが多いです。ただこれブーメランですか??

あと、もうひとつ本書で面白いなと思ったのは、単に「大学」関連の話に限らず、日本の行政全体のぐだぐだ感も伝わってくることです。PDCAとかKPIとか、ビジネス界隈の流行が大学に適用されているわけですが、これは何もいきなり大学にやってきたわけではなく、先に「行政」の方で実践されていたりします(NPM:新公共経営など)。で、行政で行われたモデルがそのまま大学にも降りてきがちなので、大学改革の迷走というよりは、行政の迷走でもあるように感じました。

この辺の、日本の行政全体がビジネス化の流れや、「経営コンサル」に振り回されているところは興味深いなと思いました。佐藤本でも田中本でも、近年の大学へのコンサル介入の問題が指摘されていて、これは今後ますます加速しそうなので、それがどうなるか注目したいところですね。

総括として、佐藤本は大変分量が多いけど、文章が平易で読みやすいし、現状の問題点や、改革の歴史を捉える上では最適なようにも思います(読んだ中では)。2019年の本なので、最近話題の「国際卓越研究大学」とか「大学ファンド」への言及はないけど、それは他の本で補おうという感じですね。

 

↑これがその辺を論じていたりする。

 

3冊目:苅谷剛彦・吉見俊也『大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起』

最後は、苅谷剛彦・吉見俊也『大学はもう死んでいる?』です。2020年の本ですね。近所の本屋にふらっと立ち寄ったらあったので、ついでに買いました。佐藤本を読み切るのがつらすぎて、息抜きに読んでた感じです。これも紹介しておきます。

本書の特徴は、2人の先生による対談形式ということにあると思います。苅谷氏は、先の佐藤氏と共著で『50年目の「大学解体」 20年後の大学再生』という本を書いているし、吉見氏の方は『大学とは何か』『大学という理念: 絶望のその先へ』といった本を書いているので、どちらも大学論に精通した先生ということになります。あと二人とも社会学者ですね。ここ割と大事です。

苅谷先生は東大とオックスフォードの両方に在籍したことがあり(現在はオックスフォード大学の教授)、吉見先生は東大に所属しながらハーバードでも教員の経験があるということで、そうした国内外を知っている人たちによる問題提起ですね。対談なので、田中本のようにルポに基づいたり、佐藤本のように政策文書を分析するのではなく、基本的に現場からの経験・実感ベースで語っているところが多いです。

そんなわけで、「内部」からの視点が多いのが特徴と思います。とりわけ、学生の教育の在り方大学職員の在り方について論じているのが、他2冊には無い点だと思いました。ので、その辺りを紹介したいと思います。

 

大学は「死んでいる」のか......?

本書では「死」という言葉を使って大学の問題を指摘しているわけですが、基本的な路線としては、『大学改革の迷走』と似ていたりします。シラバス、GPA、アクティブラーニングやらの「小道具」をやたらと導入して改革を進めようとする姿勢や、ぐだぐだになってる「スーパーグローバル大学創成支援事業」を批判する点は、佐藤本と共通しております。*ちなみに、「スーパーグローバル大学(SGU)」事業の問題点については、日経の有料会員だとこちらなどから読めます。あとは上の佐藤本の165-172頁あたりなど。ので、政策や改革の問題点を知る上では、佐藤本と重複が多いようにも思います。

ただ、本書はそうした大学改革政策だけでなく、どうすれば優秀な学生(問題発見型の学生)が育つかといった、大学教育の在り方も検討しているのが面白いところでした。真に「グローバル」に活躍できるのはどういう人材で、そうした人材を生むために何が必要か、という感じです。

例えば、具体的提言として、一つの講義で取得できる単位数を2→4に増やして(それにより学生が取るべき講義の総数が減り、一つ一つの講義に集中できる)、かつTAを主体としたディスカッションクラスなどを増やしていけば、まず教授が楽をできるし(TAに任せられるから)、学生はディスカッションが鍛えられるし、TAはお金も指導経験も得られるしで、いいこと尽くしだといったことが論じられています(同時に、これは意欲のある学生と先生が揃ってこそ可能という、ある種のエリーティズムなことも指摘されている(80頁))。他にも、ICU国際教養大学における英語教育の取り組みや、東大のグローバルリーダー育成プログラムなどが、具体的な成功例として言及されています(205-212頁)

もう一点、大学職員の在り方について書かれているのもよいところだなと思いました。本書で言っているのは、大学職員ももっと専門化すべしということです。今の大学(特に国立大学)は、事務のことも何でも教員主導になりがちで、そのせいで教授会も途方もなく長引いているから、もっと職員が決定権を持って決めていってよいということですね。

吉見:(中略)要するに、日本の大学、とりわけ国立大学は分業化ができていないのです。この教員の決定領域と職員の決定領域の境界線を引き直すこと、それによって一方では職員の専門職化を勧め、他方では教員の管理業務を大幅に減らすことがとても重要ですね。大学自治とは、けっして何でもかんでも教員たちが決めていくことではないんです。(113頁、強調は引用者)

↑の引用にあるとおり、教員がやるべきことと職員がやるべきことの分業化が大事とされています。

大学改革系の議論、文科省や教授たちが登場することは多々あっても、「職員」がアクターとして登場することは少ないように感じます。とりわけ、これからの大学職員はどうあるべきかについては、大学論の中で書かれていることはあんまりないと思います。ただ、本書ではこの点も拾ってくれていたので、そこはポイントだなと思いました。

そんなわけで、教授たちを雑務から解放しつつ、いかにより質の高い学生(問題発見やアーギュメントのできる学生)を育てていくか、というのが、本書の主要な問題関心であったと思います。他にも、文系/理系論について書かれていたり、オックスフォードの教育システムについて書かれていたりと、内容的にも色々豊富でした。で、本書のタイトルは、「大学はもう死んでいる?」と疑問形なわけですが、本当に「死んでいる」のかどうかは、ぜひ読んでみて確かめていただくということで........ 

 

苅谷・吉見本のまとめ

一応、本書の気になった点も言っておくと、対談形式ということもあり、なんかお偉い先生方がごちゃごちゃ言ってんなと感じるところもなくはないです。純粋に大学問題について知りたいという人より、苅谷ファン、吉見ファンの方々の方が、本書は楽しめるかもしれません。ところどころ、社会学の知見を何の説明もなしに出してくるというか、「初心者に優しくねえな!!」と感じるところもありました(163頁など)。『崩壊』や『迷走』と違い、どういう読者層を想定しているんだろう? というのが微妙に分からなかったです。

あとはまあ、長いこと大学にいる人々からの提言となっているので、もう少し若手からの視点も紹介されていると、バランスはよいかな〜と感じました。既に「大学人」としてポジションを確立している人からの問題提起なので、もう少し違う世代からは、違う問題提起もされるだろうなという感じです。あんまうまく言えんけども。

ただ、大学の内部にいて、何人もの学生を見ている立場からすると、こういう実感が湧いてくるんだなというのが分かる点で、本書は大変面白かったです。田中本も佐藤本も、どちらかというと「外部」からの分析であったため、この点は他の本にない特徴だなと思いました。

 

 

総括!!

ここまで長々と書いてきたけど、現在の大学の問題をまとめると、だいたい次のようになると思います。

  • シンプルに予算がない!! ので「稼げる大学を目指しつつ、海外の大学の研究水準に追いつけ」と言われても根本的にキツい。
  • 「稼げる大学」「グローバルな大学」を目指して、ビジネス界隈の用語を取り入れたり、海外の大学が行っている取り組みを導入したりしているけど、単純に中身が伴っていない。その結果、小道具を導入することそれ自体が目的になったり、「改革のための改革」に終始している。
  • 教授も雑務で忙しい!! 大学運営のための職員/教員の分業化が進んでいない。
  • と思ったら、今度は学長や執行部の権限を強くしすぎて、大学の独裁・私物化が進んでしまった。ハラスメントも止まらないよ......

という感じ。たぶん。あと、学外者や政府による干渉が強まっていることも挙げられるかもしれません。

思ったのは、現状の大学問題というのは、世界大学ランキングから転落するなど、「海外の大学に差を付けられている」ということそれ自体にあるのではなく、そこを何とか脱しようと謎の改革を連発して、大学全体が疲弊していることにありそうだ、ということです。少なくとも、上記3冊の論調は全部そんな感じでありました。

それで言えば、最近ホットな「国際卓越研究大学」の問題点も同様かもしれません(今回は扱えなかったけど)。あれも「いかにして海外の大学に追いつくか」ということよりは、むしろ「この政策によって、余計に国内の大学がぶっ壊れていかないか」が懸念されているように思います。というわけで、現在の大学問題というのは、そうした改革の迷走にあるんだな〜〜という感じです。

あとは、最後に一つ大きな問いを出すとすると、結局大学の役割って何? というのがあります。

今回読んだ本の中でも、しばしば「大学本来の良さや役割が失われている」という記述がありました。例を出すと、佐藤本(『迷走』)では、大学で進むビジネス化について、「これは、(中略)ある種の『会社』が持っている好ましくない面を安易に模倣し、その結果として大学が『学校』として持っていたはずの本来の良さを自ら放棄しているとしか思えないでしょう」(161頁、太字は引用者)といったことが書かれています。田中本(『崩壊』)でも、初っ端で「大学は研究と教育の場であり、社会の規範となるべき存在だ(9頁)というのが言われ、その後もこうした表現が度々出てきます。

ただ、大学が「ビジネス化」するべきではなく、その本来の良さを守り、社会の規範としてやっていくべきだとしたら、それは具体的にどんなものになるのか? というのは、結構難しい問いだと思います。とりわけ、「稼げる大学」に反対して、それに対抗するビジョンを出すとしたら、どういう「良さ」を推していくのか? というのは、僕もよくわかってないところです。

この点、苅谷・吉見本でも、「大学の価値とは何か、大学は何をプリンシプルに、あるいはどこを目指してお互いにどう手を結んでいくかということがすごく重要です」(36頁、太字は引用者)と述べられていて、僕もその通りだな〜〜と思いました。現状の改革や政策を批判するなら、「では、大学は本来どこを目指すべきなのか?」ということについて、ちゃんと明らかにしておくのが大事やなと感じます。というわけで、これからもそこを頑張って考えていきたいというところですね(雑なまとめ)。

 

 

 

以上!!

めちゃくちゃ長くなりましたが、今日はこんな感じです。全部読んだ人おる? もう少し読んでて楽しい感じにしたかったんですが、普通に難しかったです。すみません。

最初に書いたとおり、最近はWi-Fiがない影響で、めっちゃ本を読んでます。ので、こういう読書感想会を立て続けにやるかもしれません。次はもっと短めにするので、何卒よろしくお願いします。

今日はそんな感じですね。3月、始まったばかりですが、頑張っていきましょう。

 

 



 

 

 

 

 

忙しかった2月の簡単な振り返りと、簡単な近況報告

ども!! 人類が花粉による強襲を受ける今日、皆様いかがお過ごしでしょうか。今までこの冒頭の挨拶では、京都の天気などをお伝えしていましたが、これからは東京の情勢を伝えていくことになりそうです。

現在の東京はですね、花粉と乾燥がヤバい。本当に。ちなみに、結構元気に過ごしています。

最近は近所の植物園に行ったりしている。なかなかよい場所でした。とってもとっても元気に過ごしています。

 

もう既に3月になってしまいましたが、一応今回は2月の振り返り回です。簡単にやります。2月は本当に、本当にあっという間でした。引っ越し準備と新居の整備で一瞬で溶けてしまいました。ので、そんなに振り返ることはないのだけれど、「毎月の振り返りはしっかりやる」という目標を立てているので、今回も頑張ろうと思います。

*ちなみに、本当は今日は読書感想会で更新するつもりだったのだけど、書くのが大変で無理だったので明日か明後日にやります。新書を読みましたよの回の予定です。

 

忙しかった2月!!

お別れソング特集

前回の記事でも書いたけど、2月はお別れの月でした。ひたすら荷造りをしたり、バイト先や研究室で「お別れの儀」をしてきました。ので、そんなにイベントとか振り返ることが無かったのだけれど、当時「お別れ系」ソングをよく聴いていたので、それを共有しておきます。延々とゴミの処理をしながら気晴らしに聴いてました。

 

never young beach / お別れの歌


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まあ、曲名通り、「別れ」というと真っ先に思いつく曲です。ネバヤンの「お別れの歌」ですね。これは恋人との別れだと思うので、”旅立ち”というニュアンスはそんなにないと思うけど、でもなんかやたら聴きたくなった。

この曲と言えば、YouTubeでは公式で小松菜奈バージョンのMVがありますが、それはなんというかですね、色んな意味でツラくなるのでここでは共有しないでおきます。単純に、曲に入るまでが長すぎるのもツラいですね。それ以外もツラいけど。

 


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そう言いつつやっぱり共有する。閲覧注意。

 

② チューリップ / 心の旅

結構古い曲だけど、チューリップの「心の旅」も好きなのでよく聴いてました。1970年代の曲ですね。懐メロや。

「愛に終わりがあって 心の旅が始まる」という歌詞が結構好きで、これ聴くと「お別れソングやなあ」という気持ちになります。さすが財津和夫

どうでもいいけど、このアルバムに入ってる「笑顔で」という曲もかなり好きです。この曲もお別れソングですね。「約束の夢 追い続けていれば 必ずまた会えるから」て歌詞もよいね。

 

スピッツ / 魔法のコトバ


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「魔法のコトバ」。好きな曲なんですが、いっつもスピッツ前面に出しすぎなので、今日はちょっと自重します。紹介するだけにしておく。 いい曲です。サビに好きなフレーズがあって聴いてました。

 

引っ越し直前、極貧生活

2月のもうひとつの思い出といえば、引っ越し直前、極貧生活を送っていたことです。結果として簡易的な避難所生活みたいなのを味わえました。

まず、お引っ越しで大変だったのが、大型家電の処理。冷蔵庫・洗濯機・電子レンジとかその辺です。あいつら、処分するにもお金がかかるし(4000円〜8000円ぐらいする)、結構前もって業者に連絡しないとだしで、処理がかなり面倒でした。引っ越し直前にそれを回すとバタバタしそうなので、結構余裕を持って、退去日の1週間ぐらい前に処理しました。

これが極貧生活の始まりでしたね......

まず、冷蔵庫がないので、食料の保存ができない。だから「買い溜め」というのが基本できなくて、コンビニでおにぎりを買ったりしてました。

ただ、おにぎりを持ち帰ったところで、家に電子レンジがないことに気付く。冷えたおにぎりしか食えない。それは嫌なので、まだ荷造りしてなかったフライパンなどで、おにぎり炒めを作ったりしてました。そうすると多少マシになった。

↑終盤の寝床。避難所か?

家電以外にも、ベッドとかマットレスあたりも大型家具の扱いなので、余裕を持って早めに処理したら、案の定終盤かなりキツかったです...... ただでさえ引っ越し準備で疲れてるのに、最悪の寝床で全然寝れない。被災したときとかって大変なんだなというのを、前もって実感できました。これに加えて電気とかガスも怪しくなるわけだからな、、、

そんなわけで、皆さん、引っ越しは計画性が大事です。大型家具や家電は、早すぎず遅すぎない処分を目指しましょう。あと、処分の際は、リサイクルショップとかよりもなんだかんだ行政がやってるやつの方が安く済んだりするので、しっかり調べましょう。引っ越しは大変だ!!

 

東京はチャリが走りやすい

で、2月最終週からは、東京での新生活が始まりました。これもまた別で記事書くかも知れないけど、ここでも簡単に触れておきます。

まず、東京の生活ですが、今のところめちゃ楽しいです。何が楽しいかと言えば、京都より全然チャリが走りやすいことですね!! 車は多いけど、道が広いので全然京都より快適。坂が多いのはキツいけど、ロードに乗ってるのでなんとかなってます。

↑この道、すごくないですか? 一時停車の車にも侵害されない位置で、ちゃんとチャリレーンが確保されているんですよ。ここ走ったときはマジに感動しました。京都だとあり得んからな。

そんなわけで、最近は探索ついでのサイクリングを楽しんだりしています。チャリは無料の娯楽なのがよい("Cycling is Free")。坂が多いのも、逆に運動になってよいと感じています。そのうちまた、チャリ旅の記事とかも書くかも知れない。

あとは、新居にいまだにWi-Fiが通ってないので、それがツラいですね。ポケットWi-Fiをレンタルしたので、今もこの記事を書けているのだけれど、「1日に6GBまで使える」のを選んだつもりが、間違って「1月に6GBまで使える」にしてました。アホすぎる。調子に乗って初日に3GBぐらい使っちゃったので(そのあとに1月という事実に気付いた)、この先どう考えても詰みなんですが、なんとか頑張ります。皆さんも、Wi-Fiをレンタルするときは気をつけてください。素直に「無制限」のを選ぶのが無難と思います。

 

 

 

以上!!

今日は「元気でやってます」程度の簡易更新なので、この辺で。最初にも書いたけど、明日か明後日辺りには、読書感想系の更新をするつもりです。最近の当ブログ、日記系の更新ばっかで申し訳なくも感じているので。ちゃんと有益な情報を発していきます。

最後に、毎月恒例の2月のプレイリストも共有しておきます。珠玉の曲たちが揃ってるぞ!!

2月のプレイリスト

全15曲、49分です。いつもよりちょっと多めかも。ちなみにサムネは、百万遍の「門」というお店に行ったときに出てきたもの。なんか京都っぽさを感じました。

 

Pithcer 56 / Woman - Wの悲劇より


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よかった曲を挙げると、まずPitcher 56の「Woman - Wの悲劇より」とかですね。薬師丸ひろ子の曲の英語版カバー? らしいのだけど、かなりいい感じでした。聴いてね。

 

Dazey and the Scouts / James Deen You Let Us Down


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もうひとつ挙げるとしたら、Dazey and the Scoutsというバンドの「James Deen You Let Us Down」です。この曲はサビのメロディがいいですね。

で、メロディはいいんですが、歌詞は何というか、狂ってるなと思いました。タイトルのJamese Deenは、実在するAV男優のことらしいです。その男優が撮影中にしょっちゅう女性を暴行していたらしく、2015年後にそれが告発されました。で、この曲ではそれに対し「あなたには失望した」と歌っています。よくわからないけど、それを曲にする?? と感じるのは僕だけでしょうか...... メロディはめっちゃいいんだけどね。

 

プレイリストの紹介も終わったので、今日はこんな感じです。

マジでただの生活の報告で申し訳ないですが、これからは中身ある記事を発信してきたいと思います。とりあえず、早く我が家にWi-Fiが開通することを祈っていてください。とりあえずこんなもので。

 

 

 

 

 

 

 

さらば京都!! 3年間の大学院生活

ども!! まだまだ「冬」感が抜けきらないこの頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。京都は唐突に雪が降ったりしています。今朝も晴れてると思いきや、なんか小粒のあられっぽいのがたくさん降ってました。人類が異常気象に滅ぼされる日も近いかもしれません。

 

↑2月中旬の鴨川

 

さて、そんな寒い2月中旬ですが、僕は今日引っ越しが完了して、2020年春から住んでいた京都をついに離れることになりました。今現在、東京行きの新幹線にてこのエントリを書いています(そして新居でテザリングしながらアップロードを試みている。Wi-Fiがないのがつらい)。そんなわけでですね、今の正直な心境を言うと、侘しさと不安でいっぱいです3年間住んでいた土地と、そこで出会った人々から離れることの侘しさ、それに「新生活うまくやっていけるんだろうか…….」という不安に満ち満ちています。特に「侘しさ」の気持ちが強く、今も実は涙で視界がぼやけて画面が見えていないんですが、ブラインドタッチを完璧にマスターしているおかげで問題なく書けています。

そんな本日は、大学院生活の振り返り、とりわけ「京都に院進してきて何がよかったか」的な話になります。僕の場合、学部は名古屋の大学でしたが、院に進む段階でわざわざ京都にやってきました。その辺りの体験を振り返ろうと思います。

で、学部→院進で大学を変えることはそんなに珍しくはないのだけれど、大抵はどちらかが地元であることが多い気がします(例えば、学部は実家から通ってたけど、院から地元を離れたとか)。そんなわけで、一人暮らし to 一人暮らしの院進は、わりかしレアなようにも感じるので、今日は「一回地元を出たくせに、そこからさらに別の場所に行って何がよかったか?」的な話です。名古屋から京都に来て何がよかったか。もしくは何もいいことなんてなかったか。そんな感じです。

 

なぜ名古屋を出たか?

まずは3年前、なぜ名古屋を出たのか。名古屋、味噌とモーニングとトヨタ自動車の国…… 個人的に、地元を離れて初めて一人で暮らした場所というのもあって、名古屋はかなり思い入れのある場所です。全体的に過ごしやすくていい場所でした。

名古屋を出た理由はいろいろあるけれど、一番は環境を変えたかったからでした。4年間同じ場所で過ごしていると、院進を前にしたとき、「もうあと2年間もここにいるんかいな!!」となります(なりました)。で、なんとなく「変化がないな〜」ということを強く感じました。色々とマンネリ化してきたというか……

特に、当時所属していた法学部がそうでした。名古屋大学法学部では、2年次の初期からゼミが始まるんですが、そこから基本的には3年間、ずっと同じ先生にご指導賜ることになります。3年というのは結構長い。もし途中から院のゼミにも顔を出せば、週2回は先生&院生たちに会うことになり、議論のメンツがほぼ同じようになりがちです。そもそも名大法は院進者がそんなに多くないので、学部時代から既に、院の人もだいたい見知った感じになりがちでした。たまに留学生が増えたりはするぐらいですね。

で、そういうところにいると、段々と「ここで院進してもあと2年間、今までの日々の延長みたいな毎日が続くんやな......」という感慨が生まれてきます。実際はそんなことないかも知れないけど、当時はそうした諦観?が強く、もっと「新しい環境で己を試したい!!!」という気持ちが強まりました。つまり、4年かけて名古屋で耕してきた土壌で、この先もダラダラやっていくのではなく、ゼロから全く新しい関係を作って、そこでも己が通用するか確かめたいの!! となったわけです。当時の僕、意識高いな。

そうやって、○○の院に進みたいとかではなく、先に「名古屋を出たい」という気持ちで院進先を探したら、最終的に京大人環になったという流れでした。そのときはなんか、専門分野の偉い先生の退官とかあって、割と選択肢が狭かったです。まあでも、人環なら学際系で文理融合だから、全く新しい環境で楽しいやろな!!! と当時は思っていました。その先はね、色々あったね!!

 

京都に来てどうだったか?

で、京都に来てからの大学院生活ですが、これは過去に何回か書いている気がするので、ここでは割と割愛します。ただ簡潔に言えば、コロナ・就活・修論の三重苦で吐くほどキツかったですな。

betweeeeeen.hateblo.jp

↑こういうところに書いた気がする。あんまり覚えてない。

 

まあ特にコロナが大変で、外出できない友達できないオンライン授業慣れないなんかもう色々よくわからないと、ひでえ大変な目に遭いました。その中でも、友達を作りにくかったのが一番しんどかったですね!! 研究室にしろバイトにしろ、集まったり会話したりが憚られる風潮があったので、新規コミュニティに参入しづらかったです。それになんとなく、自分は「余所者なんだ」という感じもあって、うまく人間関係を構築できませんでした。あんまり、「こいつこのタイミングで京都来たから大変だろうな〜〜」的な配慮をしてくれる人は周囲におらず、どちらかというと、自分から「友達になろうぜ!!!」と働きかけたけど、それがぶるんと空回りしてました。悲しいな。

それと、これはもう京都を出ていくからついでに書くけど、京都シティが思った以上に住みづらかったのもしんどかったです。何度も言うようだけど、とにかく自転車が走りにくい!! かつ、便利なお店が近くにあんまりない! 今思うと、名古屋にはスーパーとホームセンターが合体したような便利お店が多かったです(See. マックスバリュ川原店、西友御器所店)。京都には、そういう「ここに行けば大抵揃う」系のお店が少なく、あるとしてもめんどくさい立地にあったりして、色んなやる気が削がれました。洛北阪急スクエアぐらいかな? あれも家からだと微妙に遠いんだよな。京都にも、名古屋と同じようにマックスバリュカーマホームセンター的なの作ってくれ。ライフじゃまだしょぼいよ。

 

じゃあ京都に来ない方がよかった?

振り返ると、京都への不満は平安神宮の砂利の数より出てくるんですが、「じゃあ京都に来ない方がよかったの?」となると、全然そんなことはないですね。これが今日の本題です。なんだかんだ、名古屋を出たときに考えていたように「環境を変えて、新天地で再スタート」させてみてよかったと思います。

理由は色々あるけれど、やっぱり一番は人との出会いですね。もしあのまま名古屋に住み続けたら、新しい人との出会いというのは、せいぜい研究室に後輩が入ってくるぐらいだったと思います。どこも長く滞在してればそういうものになっていくだろうけど、自ら環境を変えたことで、出会う人の幅がたくさん広がりました。人との出会いは、まあたまにはムカつくこともあるけれど、基本的には善い刺激になってくれると思います。皆も人との出会いを大切にしよう!! 別れるときは寂しいけどな!!

もうひとつよかったのは、色々と経験を積めたことです。どんな経験かというと、主に初対面でのコミュニケーションの場数ですね。出会う人すべてが初対面の中でも、緊張し過ぎずにいい感じに立ち回るコツとか、むしろ一歩踏み込んで仲良くなるコツとか、そういうのを身につけられたと思います。それだけ、新環境では試される場が増えるので。

昔はガチのコミュ障で、初対面の人と話す時は何も言えないか大スベりするかの二択だったけど、最近はそういうことも少なくなりました(少なくなっただけで無くなったわけではない)。ともかく、初めて接する人にも臆さなくなったというのは、こうして新天地で経験を積んだからこそだと思ってます。この初対面スキル結構、自分のアピールポイントになってます。

さらに経験の話で言えば、もうひとつよかったのが、それが次への自信になっていることですね!! 京都に来て3年間、いろいろと大変な目には遭ったけど、でもそのおかげで、「自分はきっと、次も新しい地でやっていけるぞ」という自信が付きました。だってあのコロナ禍を突破したんやで? 大抵のことはなんとか乗り越えられるだろうと。

最初に言ったように、実は今現在も、新生活への不安は多々あります。「東京で新生活、社会人、やっていけるのか? お、俺に? お? 本当にやっていけるの???」という気持ちが、当然無くは無いのだけれど、それでもまあ、「一回は乗り越えた経験があるから、多分イケる」とは思えます。そんなわけで、経験を積んだことで、ある種の自信が生まれたというのが、この京都での3年間の最もよい成果だったと思います。

あとはまあ、なんだかんだ「京都」という地を過ごせたのも、よかったことの一つだと思います。僕は正直、京都あんまり好きになれなかったし、だからこそ出て行くというのもあるんだけれど、でもやっぱり愛着のある場所の一つです。

Netflixの離婚をテーマにした映画で(ネタバレを避けるためにタイトルを隠す)、ラストのセリフにて、「矛盾していることだが、生涯彼を愛し続けるだろう(I’ll never stop loving him, even though it doesn’t make sense anymore)」というのがあります。で、僕が京都に抱く気持ちも似たようなものかも知れません。別れるけどずっと好きだよ、、、的な。すみません、嘘です。やっぱり京都は住みにくいので嫌いです。映画みたいな高尚な感情はありませんでした。でも、たくさんの思い入れがあるのは確かですよ!

 

3年間の総括!!

上にも書いた通り、元々は、「新天地で人間関係をリセットして、己の力で頑張っていく」ための京都院進でした。そのために名古屋を出たとも言えると思います。

ただ、コロナでの色々も相まって、実際のところは、これまでの名古屋の人々に大きく助けられた3年間でした。特に最初の1年はそう。京都で知り合いができない分、名古屋の人々にめちゃ愚痴も聞いてもらったし、病めるときも健やかなるときもスプラトゥーーーンに付き合ってもらったりしてました。そんなわけで、当初の「一人でも頑張るもん」計画は、あんまり上手くいってなかったところが多かったと思います…….

ただ、それは別に悪いことではなくて、むしろこれからも、何か大変なことがあったときには今までできた関係性によって支え合えるということでもあると思います。特に、新しい土地に行ってそこで頼れる人がいないときなどは、これまで出会ってきた人たちが助けになってくれるのだと、そのことを誇っていこうと思います。そんなわけで、一人で頑張れたところ、そうでないところ、色々あるけれど、総合的に「まあ、よかった」3年間だったと思います。

あと、今までにも何回か書いてるけど、こういうブログとかの新しいことにチャレンジできたのも、この3年間のよいことでした。ブログは「京都にいながら名古屋の人に向けて書く」的な趣旨から始まったものなので、これも京都に来てこその挑戦だったと思います。他にも色々なものに手を出したけど、今後もたゆまぬ探究心を持って、色んなことをやっていきたいと思います。ブログももちろん続けるよ!!

 

 

以上!!

新しい場所での新生活、新社会人ももちろん頑張ります。ぜひ応援していてくださいと言いつつ、3月中は暇なので、わりかしダラダラ過ごしていると思います。

ちなみに、今の僕の心境は完全に、スピッツの「チェリー」ですな。スピッツが好きなので何でもスピッツにこじつける男。実のところ、脱京都、寂しさや不安や戸惑いや虚しさなど色々あるけれど、でも「想像した以上に騒がしい未来が僕を待ってる」と思うようにしています。想像いた以上に騒がしい未来ですよ!! みんなもスピッツ聴こうな。

 


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1月の振り返りと、社会人に向けて頑張ろうの会(引っ越しは大変だ!!)

どもも!! 未曽有の大寒波に襲われた昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか。京都でもエグイ量の雪が降りまして、まるで地元に帰ったような気持ちになりました。僕の地元には「消雪パイプ」という超ハイテク技術があるんですが、京都にはそれがないので、まだ文明として未開なんだなと思いました。消雪パイプの普及=文明開化です。

 

↑雪の日の大学。結構積もった。

 

......はい。もう早いもので、一月も終わりますね。もはやまったく更新しないことでお馴染みになりつつある当ブログですが、更新がない理由は明白で、毎日に変化がないからですね。言ってしまえばコピペで量産したような日々を送っています。それは言い過ぎかもしれないけど、ともかく目立った変化がないので、ブログ更新も少なめになりました。すみません。

で、そんな本日は、(ほぼ)毎月恒例の月末の振り返りになります。2023年1月、僕らは何をして、逆に何をしなかっただろうか........ 簡単に振り返りつつ、ついでに「来月頑張りたいこと」にも触れていきたいと思います。いつも通り「今月のプレイリスト」も紹介するので楽しみにしていてね!! 楽しみにしてるやつおる?

 

1月の振り返り:引っ越しは地獄

というわけで、1月の振り返りです。1月はもう「引っ越し準備」の月でした。これは現在進行中でもあります。

唐突ですが、皆さん、引っ越し、したことありますか? 特に、実家から一人暮らしへの引っ越しではなくて、一人暮らしto一人暮らしの引っ越しです。これがもう本当に、この世のすべてが憎くなるぐらい大変です。

僕は次の4月から東京で就職なんですが、ちょっと早めに、2月中旬ごろに京都から東京へ旅立つ予定です(じゃあな京都!!)。で、1月を振り返ると、東京に物件探しに行ったり、部屋の片づけをしたり、常にこの準備に追われていました。

経験のある方なら誰しもわかると思うんですけど、引っ越しは本当にこの世の地獄なんですよね。あっちこっちやることが多すぎて、マジにもう、「なんで住む場所を変えるというだけなのに、こんなにつらい思いをしないといけないの??」という気持ちになります。移動の自由とか居住の自由って憲法で保障されてるんじゃなかったっけ? 経済的自由権の一種として...... もう少しフリーにやれないものかと思います。

そんなわけで、1月の振り返りをしようとすると、自然と「引っ越しは大変だ!!」となります。そして正直、あんまりそれ以外に書くことがない.......

以下では、「引っ越しの何が大変か?」の解説を一応書きました。が、あんまりおもしろくないので読まなくてOKです。

 

引っ越しの何が大変か?

「引っ越しがマジ地獄」というのは、皆さん周知のことかもしれませんが、一応僕自身の体験の振り返りという意味で、ここに記しておこうと思います。引っ越しの何が大変か、というところですね。大きく3つぐらいあると思います。

 

その1.やることが多い!!

引っ越しの大変さその1は、シンプルにそのやることの多さ。本当にもう、やることが多いんだよ。しかもそれは、いろんな意味で「自分一人ではできない」ことばかりです。というのも、引っ越しには自分一人だけではなく、様々なアクターが関わるからですね。

まず第一に、引っ越しをする上で重要なのが、新居の決定です。住む家が決まらん以上引っ越しも何もありません。ので、不動産の内見などをして、新しい家を見つけなければなりません(そのためにひたすらスーモを見たり、わざわざ東京に行ったりするよ! この時点でちょっとだるいね!!)

そして新居を決める際は、全部ひとりで完結するのではなく、通常は不動産会社との連携となります。流れとしては、不動産会社に行く→入居可能な家を探す→見つけたら入居日を決めて契約をする、という感じです。このあたり、自分以外の人間が関与してくるというのが、大変さの増すところです。よくわからん手数料とかふっかけられます。

で、次にしなければならないのが(本当は先にしなきゃかもしれないけど)今住んでいる家の退去手続きです。○○日に退去しますとか、それまでに鍵を返還しますとか、そういう諸々のあれが必要です。ここで今度は、今住んでいるおうちの管理会社が関わってきます。早くも2人目のアクターですね。

そしてお引越しをする以上、引っ越し業者の決定も大事になります。3人目のアクターですね。しかもこれ、いろんな業者を比較したり、そもそも希望日時に運搬が可能かを調べたり、本当にもう、とにかくめんどくさいです。ネットの見積もりサイトを使うと、よくわからん電話が鳴りやまなくなるので気を付けましょう(ちなみに、僕は今回荷物が少なめなので、クロネコヤマトの単身パックというのを使うことにしました。これめっちゃコスパいいように思います)

で、ですね、ここからさらに大変なのが、この3者間をいい感じに調整しなければならないことです。例えばですが、僕が2/1に引っ越しをしようと考えたとします。そうするとまず、引っ越し業者に対して、「2/1に荷物取りにきてもらうことできますか?」と確認を取ります。そうしたら、「2/1行けるけど、夕方に荷物を回収して、次の日の朝に届けることになるよ」などと言われたりします。

そこから今度は、今の管理会社に、「引っ越し業者が来るのが2/1の夕方なんですけど、鍵の返却ってそれより後でも大丈夫ですか?」などと確認を取ります。で、向こうの回答としては、「できれば鍵の返却は日中がいいな~~」だったりします。夕方に荷物の回収だと、そのあとの鍵の返却が滞ったりするわけです。

加えて、今度は新居の方の不動産会社に「2/2の朝に引っ越しの荷物が届くんですけど、朝早くから新居に入ることは可能ですか?」などと伝えねばなりません。新居の鍵を受け取りに行くわけです。そうすると、新居の不動産会社から「うちは営業開始が朝10時なんで、それより早いとちょっとね~」とか返ってきます。え、いやでも荷物の時間指定が9:00~12:00だから、9時に荷物が届くと詰むんだけど?? となったりします。そんなわけで、引っ越し業者に「夕方回収→翌朝お届けは難しいっぽいです」と伝えると、「じゃあうちでは無理だね」と言われたりします。ので、また新しい業者を探して......という感じですね。F〇CK YOU。

まあこの辺が難しいんですよ。じゃあ今度は「早朝に荷物回収、その日のうちに新居にお届けプラン」とかにすると、管理会社に鍵を返還して、そのあとすぐ東京に行って、新居で荷物が届くのを待機、というのが間に合わなかったりして、、、うまく説明するのが大変だけれど、この辺の調整がマジできついです。ストレスフルです。

 

その2.不用品の処理が大変

皆さん、毎日、燃えるゴミ出してますか。最近、とても不思議に思うんですが、日常的なゴミを出すときって、なぜかお金がかからないですよね。ステーションに持っていくだけで、あとは無料で(税金で)業者がやってくれます。これ、よく考えたら結構謎だと思います。ゴミを処理するときは、どう考えても運搬代&焼却代がかかるのに、たくさん出す人も、そうでない人も、みな同じ「タダ」でゴミを処理してもらってるんですよね。冷静に考えるとすごいことな気がします。

まあただこれが、引っ越しの時に出る大型ゴミとなると話が別で、いちいち有料処分になっちまいます。大型家電だと1つにつき3000円~5000円で、大型・中型家具なら1つにつき400~2000円ぐらい。えー、シンプルに高いです。だってゴミの処理って「得るもの」ないですからね。「失う」ためにお金を払ってますからね。そんな不条理があっていいのだろうか。

これが引っ越しの大変さその2です。ゴミの処理にお金がかかる。リサイクルショップとかフリマアプリとか、代替手段もあるけど、その場合もいちいち一つずつ処理しないとで大変です。もう「要らないもの全部持ってってくれる屋さん」とかいないですかね? 地球の果ての深淵なる闇までゴミを持ってってくれるおじさん的な......

で、話が戻るけども、逆に考えると、普段の燃えるゴミとかを無料で出せてるのって、結構すごいことなのではと思います。あれのせいで感覚がバグってるだけで、本来なら物の処分にはお金がかかって当然なのかも。そんなことを思う毎日です。生み出すだけ生み出して、捨てるときに費用が掛かることには文句を言うというのは、我々現代人の甘えかもしれません。反省しような。

 

その3.諸々の手続きが大変

最後。引っ越しの大変さのその3は、住民票の転出だったり、ガス・電気の解約だったり、郵便局への住所変更届だったりの、諸々の手続きです。これがね、本当にね、もうね、ガチですべての気力をなくすレベルでダルいです。ダルすぎてここで解説する気も失せました。なぜ住居を変えたいというだけで、ここまで大変な目に合わなければならないのかと、本当に毎日思っています。引っ越しは大変だ!! これから一人暮らしをする人は、本当に、出ていく時のことを考えて物を買ったりしましょう。それが大事。

まあそんなわけで、ひたすら引っ越しへの愚痴でした。本当はまだいろいろ文句言いたいことはあるけれど、愚痴バッカなのはよくないのでこの辺で。本当はもっと明るい話がしたい。

 

 

来月頑張りたいこと:社会人に俺はなる!!

ネガティブな話を延々と続けてしまい、すみませんでした。次はもうちょっと明るい話題にします。

もうすぐ2月到来です。本当に早いもので、僕の就職前のモラトリアム(完全自由期間、通称「エンペラーフリータイム」)ももうすぐ終わりを迎えます。あと2か月! 実にあっという間の自由期間でした。

で、もうすぐ社会人になるということで、この2月は「社会人準備強化月間」としたいと思っています。今まで、Python強化月間なり将棋強化月間なりしてきましたが、2月は「社会人準備」です。じゃあどんなことをするの? というのを少しだけ書きます。

 

社会人に向けて、本を読んで勉強する

何を頑張るかというと、本を読んで勉強したいと思っています。偉すぎる。何を勉強するかといえば、大学職員についてです。僕は来春から大学職員として就職予定なので、それに関連する本を読んでおこうと思っています。

 

Q.どうしてそんな勉強を頑張るの??

 

A.僕が「真面目の極み青年」(「ゲスの極み乙女」の対義語)だから

 

 

そんなわけで、読もうと思っている本(実は既に少し読み始めている本)を簡単に紹介します。

 

① リック・アンダーソン著、宮入暢子訳『学術コミュニケーション入門 知っているようで知らない128の疑問』(アドスリー、2022年)

こちらは、「学術コミュニケーション」について解説した一冊です。学術コミュニケーションというのは、本書では、研究者が研究者に向けて己の学術成果を伝える際のコミュニケーションのこととして書かれています。要は、「学術成果が、いかにして他の研究者や世間に伝わっていくか」という話です。そこには大学図書館や出版社などのいろんなアクターが関わっているわけで、そうした流れについて解説してくれています。

僕はまあ、就職したとて希望した部署に行けるわけではないけれど、ひとまずこういう「学術支援」系に興味があります。研究者のサポートなどですね。ので、こうやって本を読んでみたりしているわけですが、思ったよりも知らない世界が広がっていて、非常に面白いです。

特に、個人的に感慨深いのは、こうした本は研究者の仕事についての解説でもあるのだけれど、自分が研究者を志望していた時は決して読もうとしなかったものということです。というのも、研究を頑張ってた時期は、自分の専門分野の本を読むことに必死で、そもそも「研究成果を伝えるとはどういうことか?」とかに関心を持つことがありませんでした。で、今、D進とか諸々を諦めて、事務職として研究に関わろうと思ってはじめて、こうしたことをきちんと知るようになったのは、なんか皮肉だなあとも思います。こういうことはまた、この本を読んだ感想会でも設けて、お伝えできればと思います。

 

現代思想2022年10月号 特集=大学は誰のものか

2つ目は『現代思想』の2022年10月号「大学は誰のものか」です。これもまた、ちゃんと読み終わったら感想会設けたいなあと思っています。主に「国際卓越研究大学」とか「大学ファンド」の問題を踏まえて、今の大学の現状がいかなるものかを論じた会ですね。

「大学」と一言で言っても、当然だけれど実際はいろいろと様々です。例えば、国から「卓越してるね!」と認定されて激しい競争に晒される大学もあれば、資金がかつかつで底を尽きそうな地方の公立大学もあるし、学長がよくわからん権力を握って独裁体制を敷いている私立大学の話もあります。日本の「大学」には本当にいろんな問題があって、この『現代思想』特集を読むと、その片鱗に触れられるという感じでした。普通に面白いので、また感想はどっかで書きたいと思っています。

どうでもいいけれど、日本の大学職員で、こういうのをちゃんと読んでる人ってどれぐらいいるんでしょうか? 僕は「真面目の極み青年」なので、ちゃんと読みます。読んで何かを変えられるポジションにいるわけでもないけれど、とりあえず優越感に浸るために読んでおきます。

 

佐藤郁哉『大学改革の迷走』(ちくま新書、2019)

最後。これも読んでおきたいなと思っているのが、ちくま新書の『大学改革の迷走』。新書でありながら、480ページ近くある大作です。ぎりぎり枕にもできそうです。

これはもうタイトルの通り、「大学改革」への批判ですね。まだちょっとしか読んでないけど、1980年ごろの議論にまでさかのぼって、丁寧に「大学改革とは何であったのか」「どこで迷走したのか」というのを解説してくれています。シンプルに勉強になるので、これもどこかで感想を書きたいところ。

まあこれも、「こういうの読んだところで、あなたに何か変えられるんですか?」と言われると、果てしなく微妙ではありますな。ただ、一応は大学に関わる者として、知っとくだけ知っておいた方がいいかな~~と思っています。ガチで何かを変えたいならそれこそ文科省とかに行くべきなので、いち職員にできることとかほぼ皆無なのだけれど...... でも「本を読む」ぐらいしか目立った取り柄のない人間なので、できることはやっておこうの精神ですね。勉強しておこうと思います。

他にも読みたい本はあるけれど、とりあえず入手しやすさからこんな感じで。来る2月は「社会人強化月間」にするつもりです。大学事務職員に俺はなるんや...... 感想とかも、余裕があれば書くと思うので、その時はまたよろしくお願いします。

 

 

1月のプレイリストの振り返り

最後!! 1月のプレイリストの振り返り。1月はあんまり、大した曲は聴いてないので、さらっといきます。

ちなみに、このサムネは祖母の家で飼っていたわんこです。この度、いろいろあって祖母の家で飼えなくなったので、県外の施設(ダルク)に引き取られたりしました。さようなら、クロよ.......

全体として、「めっちゃ好き」という曲はそんなにないです。よかったのを一つ挙げるとしたら、The Orion Experienceというバンドの、「Honeysuckle Kisses」になりそうです。


www.youtube.com

このバンド、結構好きです。この曲のほかにもお気に入りが3曲ぐらいある。何より、バンド名がかっこいいですよね。「オリオン・エクスペリエンス」ですよ。よくわからんけどセンスがいいように思います。

 

.......ちなみに1月は「邦楽強化月間」でもありました。普段より邦楽を聴いた月でもあった。

まず、個人的にここ最近一番推してるバンド、Laura Day Romanceから新アルバム(EP)が出ました。これもめっちゃよかったですね。特に2曲目のsweet vertigoがいいんだよな~~~~~~~~~~

 

Laura Day Romanceに加えて、1月はカネコアヤノも割と聴いてました。皆さん、カネコアヤノ、ご存知ですか? もうこの質問自体が無礼に当たるかもしれないですね。僕の周囲だと、本当にみんながみんな聴いてるので、もうこの世にカネコアヤノを知らない人はいないのかもしれません。それはさすがに言いすぎか。

カネコアヤノも、つい先日新アルバムが出ました。「タオルケットは穏やかな」です。

本当に、これはわざわざ書くことではないので、じゃあ何で書くんだよという話にもなるのだけれど、個人的にはカネコアヤノは「そんなに好きではないかな?」という感じです(本当になぜわざわざそんなことを書くのか.......)。でも一応聴いてはいます。皆さんもぜひ聴いてみてくださいね。ハマる人が続出してますよ。

 

 

以上

そんな感じです。今回もまた、ボリューミーになってしまいました。反省。

振り返ってみても、1月は本当に、書くことがなかったです。2月は頑張って、「ブログ強化月間」にもしたいですね。また本の感想を書いたりしたいものですな.......

更新がいまいちになっている当ブログですが、古参の方も新規の方も、ぜひ見捨てに見守っていただければと思います。来月こそ頑張りますので、、、それでは今日はこの辺で!!

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年の振り返りと、来年の抱負

ども!! いよいよ2022年が終わらんとする今日、皆様いかがお過ごしでしょうか。もう年越しですよ! 年末って、ただ「年が変わる」というだけの現象なのに、掃除したり実家帰ったり色んな料理作ったりで、コスパが悪すぎると思うのは僕だけでしょうか。もっと褒美が欲しい。しかも2022年→2023年って、何もめでたい感じがしないですね。覚えやすいから一生2022年(令和4年)じゃダメなんかな。それだと年齢数えられなくなるからダメか。

さて、久しぶりの更新になってしまい、大変申し訳ありません...... 特に「11月の振り返り」の記事をサボったのは、大変よろしくなかったと思っています。その辺の反省も踏まえて、本日は「今年1年を振り返ろうの会」になります。

2022年は皆さんにとって、どのような1年だったでしょうか。僕はこの場を借りて振り返るので、皆さんも各自、勝手に振り返っておいて下さい(振り返るのは大事ですよ)。また最後にGoogleフォームを置いておくので、気が向いた方はぜひぶん投げてみてください。

 

 

 

2022年の振り返り・反省・まとめ

今日はそんなに長くしないつもりです。内容としては、今年1年のよかったこと今年1年の反省点、そして来年の抱負の3本立てです。脳内の海馬やらなんやらを総動員して、思い出していきたいですね。それではよろしくお願いします。

今年1年のよかったこと

① 就職先が見つかった!!!

2022年、もっともよかったことはこれですね。無事に就職先が見つかりました。よかったよかった。

実はこれ、2021年に建てた目標でしたが、今年になってようやく達成することができました。

↑これです。

こちらが2021年の抱負だったわけで、じゃあ今年(2022年)の抱負は何だったかというと、

去年の今頃の僕、大丈夫か?  まあいろいろあったので、仕方ないとは思いますが、、、皆さんも自分の人生に絶望的になってはなりませんよ。

そんなわけで、こうした暗黒精神状態から脱せたのも、ひとえに就職先が見つかったことが大きいです。就職先が見つかるというのは、単に「働く場所が見つかった」というだけのことではないですからね。これすなわち、①これからの収入源の確保、②自身の社会的ポジションの確保、③憎き就活からの脱却などの、色んな要素の詰め合わせです。だからこそ、これが達成されたとき、心にもたらされる安心感が爆強だというわけですね。

今年はまあ、就活も比較的順調に行ったし、心を病むようなこともなかったので、よかったです。もし今年も就職先が得られなかったら、ジャパニーズJOKERになってこの社会に復讐でもしてやろうかと思いましたが(アカデミー賞も獲れる)、そういう事態にならずに済んでよかったです。これが2022年、最もよかったことですね。

 

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↑当時書いた記事。

 

修士論文を提出できた!!

よかったことの2つ目は、修士論文を提出できたことです(おめでとう)。無事に修士課程を修了することができました。この修士課程も、だいぶ僕の心を昏くさせる要因だったので、それを退治することができてよかったです。

ちなみに去年の今自分の僕は、ちゃんと研究室に行っていたようです。19時-21時半で指導教官と修論の打ち合わせがあったため...... でも電気がたくさん灯いているということは、珍しいことではないんだろうな!!

修論は確か1月7日ごろに提出だったため、「今年の出来事」として振り返るには、あまりに一瞬過ぎるような気もします(書いていたのはほぼ去年になるし)。ただこのあと、2月初めまで審査や公聴会が続いたり、その後もすこーしだけ書き変えたりしていたので、やっぱり今年の出来事だなと思います。

1年を振り返ると、この1・2月は特に、「ゴミみたいな修論を出した(「みたいな」というのは嘘で、実際には「ゴミを出した」の方が適切かもしれません^^;)」ことのメンタルショックで鬱気味だったので、この2ヶ月は2022年の中でも「暗黒期」に分類されています。

 

↑ちなみに図にするとこんな感じ(謳歌の字が間違ってる......)

 

まあそれでも、修論に決着を付けられたことは、「この2年間の総決算ができた」ということでもありました。学部時代から数えると6年間ですね。そうした何か大きなものを、挫折することなく一応は残せたことは、これからの人生においても大きな布石(負責ではないよ)になるのではないかと思います。改めて、頑張れてよかったことだなあとしみじみ感じます。ありがとう修論!!! 

 

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↑その頃の記事(恥ずかしいので、自分では読み返せていない)

 

③ 新しいことにたくさんチャレンジできた

上の図で言う「自由を謳歌する期」に入れたおかげで(本来なら10月から働くべきではというご尤もな指摘はともかく)、たくさんのやりたかったことにチャレンジすることができました。Pythonの勉強をしたり、ゆっくり動画作成に励んだり(これについては後述)、漫画喫茶に籠もったり、4月に書いた投稿がちょっとだけバズったり、あとはまあ、心ゆくままダラダラ過ごしたり......などができました。ただダラけるだけでなく、大学の演習に顔を出たり、新しいバイトをやってみたり、などもできたのがよかったですね。

個人的に、今年やってみてよかったことのNo.1は.......地味に4コマ漫画の作成です。あれによって、なんか新しい可能性が開けた感じがありました。最近は全然描いていないけれど、でも普段のぼーっとしてる時間なんかに(バス乗ってるときとか)、「このテーマで4コマ描くとしたら、どういう構成にするだろう?」などと考えるようになりました。その時間が意外と楽しいです。問題は、画力がなさ過ぎて思いついた構成を現実にできないことですが、それでも、「これから開拓する余地のある趣味」にはなったように思います。奥行きのある趣味っていいですよね。

 

久しぶりに、ザッと描いたけど、やっぱり難しいなと思います。特に3コマ目がごちゃついたのが反省点です。4コマ目のオチも、ちょっと字が小さくて伝わりづらいですね(あと画質が微妙に悪い)。はい、精進します。

 

④ 総合的に楽しかった

最後に、今年1年は、総合的に楽しかったです。それが何より一番ですね。ここ3年ぐらいは、卒論で心を疲弊したり、就活で心を摩耗したり、修論で心を壊したりしていたので、1年通して「楽しかった」と言えるのは、本当に貴重なことだと思います。今年1年、僕に関わって下さった全ての人に感謝申し上げます。ありがとうございました。特に日頃からたくさんお世話になった、バイト先の人と研究室の人に感謝ですね。

 

 

2022年の反省点

えー、楽しい時間は終わりました。ここからは今年1年の反省点です。自分のダメだったところを振り返り、来年以降に繋げていきたいです。

 

反省① 普通に堕落していた

反省点その①は、時間をあんまり有効活用できなかったのではないか、ということです。普通に堕落した日々を送っていました。もう少し、自由な時間を、自分のため他人のためと、有意義に使えたのではないかと反省しています。

この点の反省点はいくつかありますが、第一に、面倒事を放置するクセが付いた、というのがあります。自由に過ごせる分、締まりのない生活習慣が身についてしまい、部屋の掃除とか全くしなくなりました。洗い物とかもずっと放置しちゃってるし、寝るのも遅ければ起きるのも遅かったです。今日も明日も同じような日々が続く分、「まあ明日やればええか」の精神が身についてしまい(そして結局やらない)、だらしない生き方になってしもたと思っています。ブログの更新とかサボってたのも、そういうところですね。

それにプラスして、健康面での堕落も大きな反省点です。シンプルに体重が増加し(おそらく5kgぐらい太った)、慢性的に運動不足で、視力もさらに悪くなり、あとアルコールによって肝臓がダメージを受けていることも発覚しました。「健康的」の3文字からはほど遠い生活であった。これは、本当に、よくなかったですね。

 

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↑その頃の記事(なんだこのタイトル)

 

反省② 学問的な関心が消失した

反省点の2つ目は、反省....なのかわからないけど、学問的な関心がみるみるうちに消えていったことです。だいたい6月ぐらいから、もう自分の研究とかどうでもよくなってしまい、8月頃には専門にしていた法哲学への関心もほぼ消え失せていました。本当はこのブログでも、「法哲学覚え書き」というシリーズを続けたかったのだけれど、読者より先に僕の興味関心が失せてしまい、「これやって何になるんだ?」との思いで続けられませんでした。大きな反省点ですね。

就活をしていた頃は、「自分は社会に出ても、学問的関心を抱き続けるだろう」となぜか確信していました。働きながら趣味でゆっくり解説動画作ったるぞ!! 的な。ただ実際は、もう細かい専門的な話とか本当にどうでもいいや......となりがちです(哀しい)。今まで何で、あんなに細か〜〜い話を追っかけていたんだろうと、逆に不思議でもあります。専門書とかもだいぶ読めなくなってしまいました。

おそらくもう、「研究」とか「探究」というものに、疲れたのではないかと思います。この「究」がくせ者で、こいつ「究める(きわめる)」とかほざいてますからね。新選漢和辞典によると、「究」には「最後までつきつめる」という意味があるらしいですよ(大学入学式で総長が語ってそうな蘊蓄ですね)やってられっかよ!! というのが現在の正直な感想ですね。

とはいえ、研究の関心は消失しても、読書や知識収集の関心はかろうじて残っています。これからは「究」することはなくても、より広く浅く、色んなものごとを拾っていきたいと思っています。

 

反省③ 人間的な徳があんまりなかった

これは非常に個人的な反省点なので簡単に済ませますが...... ちょっとあんまり、他人と真摯にコミュニケーションを取ることができていなかったように感じていて、その点を反省しています。己の心が歪んでいたなあと思うこと多し。

特に、来年以降は、「面白いからやっちゃう」というのを減らしていきたいと思っています。このブログでもそうなんですが、なんか「面白いやろ」と思ってやったことが、実は迂闊さや軽率さがたっぷりだった......というのが、しばしばあるように思います。反省。具体的な事例を挙げられないのが申し訳ないんですが、ともかく、そうした反省を胸に、来年以降はやっていきたいと思います。何もかも「ネタ」にすることへの反省というか.......

唐突なんですが、最近ハマっている漫画に波よ聞いてくれというのがあります。実家に帰ってきて暇なので読んでるんですが、その中で、

「他人に何度も迷惑をかけて生きてる人。大事な人を傷つけてしまった人。人生の選択を間違いまくっている人。とはいえ自分の人生なかった事にはできないし、なかったことにはしたくない。ただただ挽回したい。そんなダメ人間の集う、人生リハビリ番組になる予定ですうう」(3巻22話より。太字強調は引用者)

というセリフがあって、僕も「なかったこと」にはできないので、せめて挽回していこうと思いました。何が言いたいかというと、『波よ聞いてくれ』はとても面白い漫画なので、ぜひ皆さんも読んでくださいということです。いやそういう話じゃなかったかもしれない。

ともかく、反省を胸に、来年以降は頑張っていきます。

 

来年の抱負

来年の抱負は......具体的なことは、年が明けてからまた言おうと思いますが、ひとまずは「頑張る」です。何を頑張るかと言えば、「とにかく頑張る」になります。頑張りましょう。

というのも、なぜこんなふわっとした抱負かというと、来年以降の生活の見通しがよくわかってないからですね。とにかく「東京で働いている」以上のことが分かりません。仕事がどれぐらい過酷なものかもよく分かってません。ただ1年目なので、最初かなりしんどいことは覚悟しています。新生活、頑張って乗り切るというのが、とりあえずの目標になります。

......どうでもいいですが、「頑張る」って不思議な言葉だなあと思います。漢字で書くと「頑なに張る」ですからね。もう少し、天然素材のように柔らかくしなやかな人間になりたいと思う身としては、頑なに張り続けるのもいかがなものか、と感じたりもします。一説によると、「頑張る」は単なる当て字で、もとは「眼張る」あるいは「我を張る」だそうです(前者が有力説)。もし頑張ることが「我を張る」ことなら、ここ数年は頑張りすぎてきたぐらいなので(そして軋轢を起こしてきた)、来年は「頑張らず」の方がいいかもしれません。よくわからないですね。

 

 

以上!!

最後に、今年の漢字を発表して終わりたいと思います。

 

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↑ちなみに去年の漢字は、「鬱」だったらしいです。去年の僕、大丈夫か?

今年はいいことがたくさんありました。その反面、テンションが上がって調子に乗ってなんかやらかしたりとかもありました。でも全体的には楽しかったので、

 

僕の今年の漢字「躁」ということにしておきます。去年とセットでいい感じですね。

 

とりあえず、2022年はそんな具合です。ブログの更新等、少なくなってすみませんでした。

来年はおそらく、また単身東京に行くことの心細さから、更新が増加するのでは内かと思います(孤独なときほどブログのモチベは高くなる)。そんなわけで、今年の僕に付き合ってくださったことを感謝しつつ、来年以降もよろしくお願いします、という感じです。あと正直言って、晦日はこんなブログを読んでる場合ではないと思います。悪態もついたところで、それではよいお年を!!