浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

どうなる!? 混沌極まる東京都知事選

皆さん、東京、住んでますか? 僕は住み始めて約1年と4ヶ月になります。住む前は「人の心も枯れ果てたコンクリートジャングル」などと思っていましたが、住んでみると意外と居心地がよく、なんだかんだいい場所だなと思っています。ただしこれからの季節は地獄です。

で、2024年6月23日現在、東京都を賑わせているものがあります。もちろん東京都知事ですね。僕はテレビは見ませんが、Twitterのトレンドという名の掃き溜めはわりかしチェックしています。そして、そこではいつも都知事選のニュースばかり入ってきます。住んでいる地域のトレンド的な感じで。

で、僕は本当に毎日なんかしらこの話題を見聞きしているのですが、東京に住んでいない人にとってはそこまで関心のないことかもしれません。かつ、この東京都知事選によってどんなカオスが巻き起こっているも、あまりご存じでないかもしれません。やべーことになってますよ皆さん!!

そんなわけで、今日は一東京在住者から見た都知事選の雑感となります。こういう記録を残しておくのも大切かもしれませんね。できるだけ特定の候補者を持ち上げたり貶したりということはしないつもりですが、まあ左寄りの思想の持主であることはご容赦ください。とはいえ、自分の政治的意見を出すというよりは、「マジでこの選挙、どうなるんやろな〜〜〜」という、この頃の肌感覚を記しておくのが狙いです

 

混沌の都知事

まずは、今の東京都に掲示されている選挙ポスターを見てみましょう。出勤時に毎朝見かけています。

まずですね、掲示板がデカすぎですね。これは去年の文京区区長選挙の時も思いました。東京は候補者が多いようで、他のどこでも見たことのないような掲示板のデカさになっています。まずこれにビビる。これを都内の至るところに設置するコストだけでもかなりのものでは。ちなみに今回の立候補者は56人とのことです。

そして皆さん見えていますでしょうか、一帯を占める黄色いポスターが。これが東京都知事選のカオスその1、NHK党による掲示板ジャックです。ここは立花氏の写真が貼られていますが、他のところにはオーケストラの広告やよく分からん宣伝画像が掲載されていたりします。

↑風俗の広告も載せて警告を受けたらしいです。

これがどういうことかというと、NHK党の立花氏が広告掲載主を募って、一人当たりいくらという金額をもらいつつ、選挙ポスターを完全に広告として利用しているという感じです。

今回の都知事選で、NHK党は関連団体を含め、24人を擁立した。「掲示板をジャックして、あなたのビジネスを広げるチャンス」と呼びかけ、寄付した人に対し、都内約1万4000か所にある掲示板のうち、1か所を選んで、自作のポスターを貼る権利を譲っている。

候補者と無関係のポスター、有料サイトに誘導のQRコード…東京都知事選挙で苦情殺到 : 読売新聞 https://www.yomiuri.co.jp/election/tochijisen/20240621-OYT1T50195/

そんなことしていいの?? というのが率直な感想ですが、今回の選挙中はずっとこのままかもしれません。次回からは何かしらの規制が入るんでしょうか。

また、選挙ポスターについては、ほぼ全裸の女性の写真を載せて掲載を撤回されたところがあります。これが都知事選のカオスその2ですね。

こちらの候補者の河合悠祐氏、ほぼ全裸のポスターは撤回されたのですが、依然として「一夫多妻制を導入します」と宣言するポスターは貼られており、街中で見かけるとかなりカオスです。ちなみに↑で挙げた写真では、京大の学位記を持ちながら「僕は学歴詐称してません!」と呼びかけ、小池都知事のことを意識したものとなっています。

小池都知事については、学歴詐称疑惑が連日ネットニュースで流れてくるのですが、これが東京在住者以外に(東京在住者にとっても)どれだけチェックされている(関心のある)ことなのかはよくわかってないです。

どうでもいいですが、「なぜヌードを公然と掲示してはいけないのか」というのは、法哲学的に興味深い(蓄積のある)議論と思います。公然猥褻だろ!! と怒られているわけですが、当人からしたら「その公然猥褻というのが、そもそも不当に表現の自由を制限しているんだ」という問題意識があるわけで、規制されるべき表現とは何かという問題を改めて提示していると思います。

かつ今回は「そもそも選挙の候補者を掲示するための空間に関係のないことを載せていいのか?」という問題もありそうです。この辺、サンデルなんかは「その掲示板が果たす機能や目的から考えよ」などと言いそうですが、現代リベラルの政治哲学者がどんな見解を示すかは気になります。やはり基本的には自由であるべきなんでしょうか。

そんなわけで、ここまではまぁまともに勝つ気はないだろうという候補者を取り上げてきました。今回の都知事選では「選挙を単なる売名行為に利用してよいのか」という問題意識が各所で上がっています。これについては「確かに」と思う一方で、他方今から「選挙や民主主義に求められる徳」というものをきちんと示していくことも難しそうだと感じています。投票率がここ十数年に渡り下方を続け、そのたびに選挙の大切さというものが説かれてきましたが、むしろここにきてより状況が悪くなっていないかという印象です。逆に、行くところまで行き着くことで、ここから再生されていくのでしょうか!? なぜ選挙でふざけてはいけないのか、選挙には最低限どういった徳や倫理が求められるのかというのは、きちんと考えなければならない問題だと思います。

 

小池 VS 蓮舫 VS 石丸?

で、次は真面目に争っている候補者についてです。

今回の都知事選、僕の元に流れてくるニュースでは、小池 vs 蓮舫になりそうと報じられています。現職の小池都知事がこのまま勝つか、勢いのある蓮舫氏がそれを上回るか。第三候補としては、安芸高田市の議会でお馴染みの石丸氏が上がっています。他だと保守系の田母神氏とか、ネット探偵を自称するYoutuberの暇空茜氏の名前をよく見かけていますが、まあ有力なのは小池・蓮舫・石丸あたりかと思います。

そしてこの3人、僕ももちろん名前は知っているのですが、掲げている政策については正直調べておりませんでした。この3人が勝つことで都政がどうなるか? というのは単純に気になりポイントです(後述するけど、政策よりも不祥事やスキャンダルの方が争点になってそうで、政策の比較とかあんまりされてない気がするんですよね)。こちら、この機に調べましたので、以下簡単にまとめておきます。

 

小池百合子

箇条書きでメモとして書いていきます。

  • 2期連続で当選しており、現在8年目。
  • 公約として『東京大改革3.0』を打ち出している(前回の選挙では2.0だったとのこと)。①セーフシティ ②ダイバーシティ ③スマートシティの3つを大きな項目としており、災害対策と少子化対策に力を入れているように見える。少子化対策としては、出産助成、保育の無償化(第一子まで)などなど。
  • 最近はAIゆりこも話題になった。あの技術すごいですよね。
  • 3期目ということで、2期目の公約をどれだけ果たせたのかが争点になりそう? ペットの殺処分ゼロ・待機児童問題・満員電車問題についてはだいぶ達成度が高いらしい。(参考
  • ぶっちゃけ、僕自身の東京都民歴が浅いので、2期目のことを踏まえて3期目を評価するというのが難しい。僕はコロナ禍も東京では過ごしていないため、このコロナ禍を共に過ごした都民からの評価が気になるところ。
  • 今は学歴詐称問題で世間を賑わせている様子。学歴詐称問題というのは、小池氏がカイロ大学を首席で卒業しているというのが、捏造された情報なのではないかという問題。最近は関係者の証言なんかも飛び交っていてカオスが深まっている(参考)。
  • 他に批判されている点としては、大規模な予算を使ったプロジェクション・マッピング神宮外苑の再開発など。何十億というお金が動くため、もっと有効活用できないのかなど(競争から指名排除されている電通を使っているのも評判が悪い様子)
  • 逆に言うと、学歴詐称疑惑と予算の無駄遣いぐらいしかウィークポイントがない? 前者も疑惑に過ぎないし、現職でやっている人間を引き下ろすにはちょっと弱いような。まあ最有力候補というのも頷けますね。

 

蓮舫

  • 今でも民主党時代の事業仕分けが印象的だが、今回は無所属で出馬。
  • どうでもいいが、本名は齊藤蓮舫で、「蓮 舫」という名前のわけではない(今回初めて知った)。政治家は通名でも活動ができるとか。
  • 公約としては「7つの約束」を提示している。小池氏と同じく少子化対策に力を入れているが、方向性としては現役世代の手取りを増やすことを重視。あとは「行政の透明化」を前面に出しており、都のデータをオープンデータ化するなどとも書いている(逆に防災のことは少ししか書いていない)
  • 他にも、パートナーシップ制度の推進や、神宮外苑再開発の見直しを行っている点は、小池都知事との差別化になりそう。
  • スキャンダルとしては、二重国籍問題と公職選挙法違反疑惑のことなどか。二重国籍についてはこちら公職選挙法違反疑惑についてはこちらなど(説明するとどうしても長くなるので各自調べるべし)。これもウィークポイントとしては弱そうに感じるが、民主党時代のこともあり、保守層からの受けが悪いというのはまあ分かる。

 

石丸氏

  • まず今回驚いたのが、石丸氏は個人ホームページがない......? 絶対あった方がよいと思いますが。
  • 公約として出されているのは、①政治再建、②都市開発、③産業創出の3点。ITツールを使ったり教育への投資を行ったりと「合理化」が一つのキーワードになっている様子。小池・蓮舫にあった少子化対策が掲げられていないのは印象的。経済発展政策に力を入れるということの表明か(こちらを参照)。
  • 強みとしては、安芸高田議会で見せた痛快な議論、理路整然としたしゃべりと、まだ41歳という若さなどか。
  • 弱みとしては後ろ盾となる政党や団体がないことが挙げられている様子(組織票を得にくいなど)。
  • ぶっちゃけ、政策があまり詳しく書かれていないので、そこの判断が難しいですね。「AIを活用して民意を集約し政策に反映」ということも書かれているのですが、どうやるのか..... 『一般意思2.0』的なことをするのか、気になります。

 

どうなる!?

あくまで個人的にですが、政策面で気になるのは蓮舫>石丸>小池の順番となっています。小池都知事に関しては、現状の2期目と次の3期目で何をどう変えていくつもりなのかが気になるところ。革新的な政策よりは「安定感」の方が売りなのかもしれません。対して蓮舫・石丸は現状打破を狙っている印象で、特に蓮舫の「現役世代の手取り向上」と「都政のオープンデータ化」は実現したらすごそうだと感じています。石丸氏のIT活用なども面白そうですが、具体的に何をするんだろう.....というのがよくわかっていないです。

そして都知事選のカオスその3ですが...... ネットニュースを見ていると、こうした政策の比較よりも、互いがどれだけの不祥事やスキャンダルを持っているかというのが重視されているように見えます。小池氏は学歴詐称の信用ならん奴だとか、蓮舫二重国籍で中国に肩入れしているだとか、石丸氏は漫画オタクを詐称しているだとか(最後のはマジでよくわからん)。そして、いつの時代もそうかもしれませんが、人格やキャラクターが非常に重視されているとも感じます。ので、なんかしら都知事選の情報が入ってくると、政策の検討ではなく誰かの人格面を貶しているようなものが多いため、正直結構疲れてもいます(それ以外のニュースは、前半で取り上げたような「そんなことしていいの?」系のものが多いし)

とはいえ、これは都知事選がカオスなのではなく、ネットがカオスなだけかもしれませんね(ある意味通常運転ですが)。大変失礼いたしました。

 

選挙の話題をどう語るか

最後に、選挙や投票に関してですが、去年何かの記事で有権者は負ける候補に票を入れることを好まず、投票するなら勝てる人間に入れる傾向がある」というのを読みました。この話が大変印象に残っています(検索したが見つけられず...... 元記事知っている人いたら教えてください)。自身が票を投じた者が負けるのを「ダサい」と感じる感性と言いますか、「勝たせたい人に入れる」のではなく、「勝ちそうな人に入れる」ものとして紹介されていたと思います。本末転倒といえば本末転倒ですね。

読んだときは、匿名投票なんだからそんなの気にしなくても..... と思いましたが、今はなんとなく気持ちはわかります。自分が投票した者が結果的に敗れ、後からボロカスに言われたりすると、自分も嫌な気持ちになったり傷ついたりするので、最初から勝てるやつにしか投票しないという心理。これは確かにありそうに思います。『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』でも似たようなことが書かれていたような。

で、今は都知事選が熱いので、僕としては周囲ともできれば一度はこの話題に触れたいと思っているのですが、政治への無関心とは別として、上記心理もこれを阻害する壁としてあるように感じています。つまり自分が支持した者が負けると恥ずいので、最初から口に出さないというか。もちろん、支持者なしだったり、無用な対立を避けるために口に出さないということも全然ありますが、「負け馬に乗ったところを見られたくない」ゆえに意見表明を避けることがあるとすれば、結構現代的な問題なのかな? と思います。

ちなみに、今回の僕の選挙への見立てとしては、まあやっぱり小池氏が有力なのではという感じです。現職ということと、提示されているスキャンダルの弱さなどから、「勝ち馬」度合がやはり強いと感じます。ただ、個人的に応援しているという意味では蓮舫・石丸市長の方となります(別に小池氏が勝っても全然よいのだが、なんとなく)。特に石丸氏は、今後もっと具体的なビジョンを出してくれれば推せるのにと感じています。そんなわけで、僕も「外して恥ずかしい」などとは考えず、今の予想や支持者を書いておきたいと思った次第です。

そして今回挙げた3つのカオス、N党の掲示板ジャック、売名過激ポスター、候補者の人格面の貶し合いというのが、どこかで終息してくれれば.....と思っています。これらは現在の選挙を刺激的にしている半面、正直、疲れてきたというのがこの頃の都知事選への感想です。疲れてきている。ネットばかり見ているのがよくないですね。今こそ新聞を取った方がいいのかもしれない。

投票まであと2週間ありますが、この2週間でどんな事件が起きるか、そしてどのような結果となるか、疲労とワクワクの両方を感じるこの頃です。

 

 

以上

今日は珍しく政治の話をしてみました。あまり思想の色を濃くしないようにと思いましたが、田母神氏・暇空茜氏あたりをちゃんと紹介してない時点で左一色だとの批判は受けそうですね。その点は申し訳ないです。疲れていまして、、、、

ただ、こうして目下の選挙に触れている自分を「立派だな」とも感じています(偉いぞ!!)。とかく我々は、政治的意見を表立って表明しない割に、他人のことはひそかに馬鹿にしがちだと思います(あいつは○○を支持してるらしいぞとか)。よくないな!!!! 健全な心を心がけていきたいところです。

特に非東京在住の人に、この頃の都知事選の温度感を知ってもらいたいというのが今日の狙いでした。東京は日々カオスですが、総合的にはいい街です。皆さんもぜひ、この機に東京を訪れて、クソデカ選挙掲示板を目にしてみたりしてください。それでは。

 

 

~エンディングソング「カオスが極まる」~


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社会人だが勉強を頑張る 〜『かもめチャンス』の話なども〜

ども!! 梅雨の足音が近づく今日、皆さまいかがお過ごしでしょうか。じわじわと暑い。夏の到来を感じますね。


あじさいが咲いてますよ。

僕は結構梅雨が好きです(唐突な告白)。じめじめして嫌だという人も多いですが、初夏を感じられてよいんですよね。皆さんもスピッツの「あじさい通り」なんかを聴くようにしてください。

さて今日は、この頃頑張っていることなどについてです。この頃、地味に勉強を頑張っています。皆さん、勉強、してますか? 僕は現在社会人2年目ですが、社会人で「勉強」を頑張っている人はそう多くないのではないでしょうか。つまり僕は偉い。

ちなみに勉強というのは、英語やビジネススキルや資格勉強のことではないです。仕事の役に立つからやっていることではなく、もっとこう、単に「知りたいことがあるから学んでいる」ということになります。その意味では、勉強と言うより「探究」と呼んだ方がいいかもしれませんね(恥ずかしいから呼びませんが)。仕事と関係がないわけではないんだけれど、仕事のためにやっているのではなく、あくまで自身の好奇心から調べていることになります。

で、今日はこういった「社会人になってからの勉強」について、諸々考えていることを書きたいなと思います。

 

何を勉強しているの?

何を勉強しているのかといえば、この頃は「研究の社会的責任」というものに興味があります。もう少し言うと、「大学の研究や科学技術は、社会に対してどのような責務を負っているか。また、その責務はどのような形で果たされるのか」ということに関心がある感じです。これだけだとかなり広く漠然としているので、もうちょっと詳しく書きたいのですが、その前に、自分自身の関心の変遷を書いておこうと思います。

 

入職前

仕事に就く前、つまり大学院生の時は、倫理学法哲学という分野をやってました。ただ、そこで↑のように「科学技術の社会的責任」というのを考えていたわけではないです。

当時の自分の関心としては、「倫理や法というものを、『社会感情』とどう折り合いを付けてやっていくか」というのがありました。例えば、夫婦別姓同性婚といったことについて、「倫理学」の立場からはそれが支持されるとしても、「社会的な感情」を見ると、何かしらの忌避感や嫌悪感があったりして(最近はかなり賛成派も増えてそうだが、自分が研究やってた時期にまだ反発が強かったため、癖でこの例を出してしまう)、じゃあ法はそういうときにどっちにどうすべきだろうね? というのが関心でした。分野としてはリーガル・モラリズムとかが該当すると思ってます。人々が一般的に抱いている感情、特に偏見や思い込みを含むような感情について、法はどう向き合うべきかといったことに興味がありました。

で、この時から、何かしら「社会に対する説明責任」というものに興味があったのだと思います。僕の立場としては、社会感情は確かにヤベーものも多いのだが(今の都知事選に関するネットのご意見を見ていると特にそう思う)、ただこの社会に生きている人たちの生の声だし、法や倫理の議論の中でもどこかで拾うべきではないか..... という感じでした。

あと、倫理学法哲学をやっていたことで、「責務」というものへの関心が高まったように思います。義務や責任と言い換えてもいいですね。例えば「○○は××に対してどのような責務を負っているのか?」という文字列が出てきただけで、やったーーー!! 責務の話だーー!!ってワクワクしてしまう。だから「大学が社会に負っている責任」とかの話も、学生時代のうちから受け入れる地盤ができていたのだと思います。

ただし、ここで「大学」を代入させるようになったのは、やはり働き始めてからの関心が強いと思います。

 

入職後

そんなこんなで、大学院を修了して、2023年に大学事務職員になったわけですが、今は大学の財務関係の仕事をしています。主に、研究室が「これ買いたーい」というので「うーん、わかった!」と言う仕事ですね(嘘です。もうちょっと煩雑です)

で、財務の仕事は、とかく書類や手続が多くて面倒なのですが、その面倒さの多くが、社会的な説明責任と関係しているのではないかと感じています。財務は何も、内部のお金をしっかり管理することだけではなくて、その管理の適切さを外部、つまり社会に対しても示さなければならないのだと。

一例を出すと、大学では文房具や書籍などの少額なものは研究室で勝手に購入することが可能です。その際は自分で購入を行った後「この研究費で払いたい」というのを事務部に伝えて、事務部で支払い処理をする流れとなります。

ただ、何百万円もするような高額案件では、研究室が勝手に発注することはできず、「事務部に発注を依頼して、契約手続を行ってもらう」こととなります。ちなみに今の僕のメイン業務がこれですね。そうすると事務部の方で、研究室が使う備品について業者に連絡を取ったり、見積もりを取ったり、入札を実施したりして、契約手続を行うことになります。

で、正直なところ、「なぜこんな面倒なことを???」と最初の頃はずっと思っておりました。ぶっちゃけ意味が分からなかった。我々第三者が間に入るより、研究室が直接業者とやり取りした方が、早いし食い違いとかもないのではないかと。無駄なプロセスを挟んで互いに手間を増やしているだけなのでは? とそう感じておりました。

ただここで、社会的責務というのが関係してきます。まず研究費というのは、その多くが税金を財源としていると。そうである以上、それを適正に使用すること、そしてその適正さを社会的に説明できることが何より重要となります。例えば、研究室に任せっきりにした場合、特定の業者からしか発注せず、本当はもっと安く買えるのにその業者の言い値で買っていたり、あるいは何かしら業者と不穏な関係になっていることがあり得ます(卒業生の会社にばかり発注して、その分何かと融通利かせてもらったりとか......)

かといって、研究室に一般競争入札とかを実施させるのは無理だし、そもそもの話、それは事務部が責任を持ってやるべきことなので、ちゃんと我々が中間に入って適切に買い物をしようと、そういうことなのだと思います。まだ2年目なので勘で書いているところもありますが......(こういうところの説明、ちゃんと受けることないんだよな、、、)

話が大変長くなりました。結論、何が言いたいかというと、今は財務系の仕事をしているけれど、それが大学や研究が持つ「社会的責務」というものと関連していそうだということです。

社会に対して責任を持つというのは、別にどの仕事もそうかもしれません。ただ、殊お金が絡む領域では、社会感情というものが激しくなりがちだと思います。このところ東大の学費値上げ問題なども話題ですね。また研究費という観点では、2009年の民主党事業仕分けも記憶に新しいかと思います。あのときは科学研究費というものがとにかく仕分けの対象とされましたスパコンに対する「二位じゃダメなんですか」 とか懐かしいですね)。そんなわけで、研究についても「金を無駄遣いしている」「適正に使用していない」と思われては、非常に強い社会的反発を喰らうわけで、そもそも税金を使っているのだから、説明責任を背負って当然であるとも言えるわけです。

以前もどこかで書きましたが、会計(account)というのは説明責任(accountability)であるのだと...... これマジで名言ですよね。そんなわけで、今の仕事からは「研究や科学技術の社会的責務」というものを意識することが多く、冒頭で言ったような関心を抱くに至ったという話でした。ちなみに、いつもフェチが刺激されています。

 

 

現在の関心

最初に書いたとおり、「研究や科学技術が、社会に対して負っている責任」というものに興味があります。今までの大学院までの関心が、現在の仕事で素材を得たという感じですね。

ちなみに、僕は元々文系人間ですが、現在理系部署で働いていることで「科学技術」というものへの関心も高まっています(以前は全然そんなことはなかった)。最近は本当に技術が高度化しているので、「この分野にお金をつぎ込むことについて、市民からどのように納得を得るか」という点について、ますます難しくなっているのではないかと思います。

で、そうしたことを踏まえ、現在「勉強」しているわけですが、いくつか本を読んでいます。以下はそれを簡単に紹介していきます。

 

科研費(研究費)

渡邊淳平『大学の研究者が知っておきたい科研費のしくみと研究をめぐる状況』(2016,科学新聞社)

関心の一つ目は科研費です。僕は大学院にいましたが、修士までしかいなかったので、「科研費」というものがよく分かっておりません。あれ本当になんなの?? なんでお金くれるの?? という思いが以前からありました。

そこで上記本を読んでみたのですが、結構わかりやすくて面白かったですamazonレビューは低いですが.....)。世の中に科研費の本は数多くあるのですが、大抵が「獲得の仕方」についての本で、「そもそも科研費って何??」という解説本が珍しいように感じました。上記の本はその辺も丁寧にやってくれていて助かりました。

特に印象的だったのは、科研費ボトムアップ型であるという話です。

先ほど、「この分野にお金をつぎ込むことについて、市民からどのように納得を得るか」ということを書きました。これについて一つの考え方として、いわゆる「選択と集中」があります。これから流行りそうなところに絞ってお金を出すということですね。これはトップダウン型の助成と言われています。

対して科研費は、流行りそうなテーマとかで絞られているわけではなく、むしろ研究者の自由な発想から生まれる「多様性」を重視する形となっている、と本書で解説されています。流行りそうなトップを支援するのではなく、全体的な基盤(ボトム)をアップするというわけですね。一箇所引用します。

ボトムアップ型はトップダウン型に比べて成果が出る確率が低く効率も悪いように感じられるかもしれませんが、その際の成果とは何でしょうか

そもそもボトムアップ型の研究から芽が出にくくなれば、先につながるものが少なくなり、トップダウン型で重点的に支援すべきものも乏しくなってしまいます。さらに、本当に革新的なイノベーションは、思わぬところから生み出されることが多く、なかなか予想できるものではありません。逆に、予想できるようなものであれば、世界各国でも同じように力を入れるので、その中で常に抜きん出た成果を出していくことはできません。いい芽が出た後で重点的に育てることと、重点的に狙っていい芽を出させようとすることはまったく違うということです(p12)

ここは本当に、なるほど〜〜〜と思いました。科研費についての「なぜ」が一つ解消されたように思います。まあそんな感じで、「研究費」についての勉強を行っているという話でした。

 

② ELSI・RRI

 標葉・見上編『入門 科学技術と社会』(2024,ナカニシヤ出版)

2点目に、これが一番力を入れていますが、ELSIやRRIの勉強も進めています。ELSIやRRIとは何ぞやというと、まあ簡単に言えば、「倫理・法・社会実装のことも踏まえた研究を行っていこう」といった形になります。

ELSIというのが、Ethical、Legal、Socialで、倫理・法・社会を意味しています。これが実は僕の関心とかなりハマっているというか、「倫理に法に、そして社会までやっていいの!!?!?!?」となっているのが心境です。

とはいえ、ELSIはこの頃の流行り分野ではあるのですが、胡散臭く見られているところもあるというか、「研究資金を取るための小手先のテクか何かだろ」といった形で、信用されていないところはありそうです。実は僕もよくわかっていない。これについては今もいろいろ勉強中で、今日の段階であまり書けることはないので、ひとまず「こういうところに興味持ってるよ」ということだけ触れておきます。いずれちゃんと書きます。

他にも、「科学コミュニケーション」という観点で、上記の本を読んだり、

倫理的に議論になりそうな科学技術を学ぶために、上記の本を読んだりしています。どっちの本もかなり内容的に平易ですぐ読めました。感想はいずれ書くかもしれないし書かないかもしれないです。

あと、ELSIやRRIといった分野に関心のある方がいましたら、ぜひ一緒に勉強会とかやりたいですね。山月記みたいになりたくないので、同朋を見つけていくことも大事だと感じています、、、

 

③ オープンサイエンス

南山泰之編『オープンサイエンスにまつわる論点』(2023,樹村房)

最後に、オープンサイエンスについても若干勉強しています。現状、科学や研究の社会的責務を考える上で、絶対に外せないのがこの分野だと思います。

↓こちらも以前読みました。非常に面白かったです。

ただ、オープンサイエンス系は情報の展開が速く多く、ちょっとついて行けていない感じがあります。まだまだ分からない用語とかも多いのに、気付いたらどんどん新しい展開が生まれているんだよな...... たまに調べるぐらいではどんどん置いて行かれる感覚があります。

とはいえ、非常に面白い分野であるので、ちょっとずつでも食いついていきたいなト感じています。

 

悩み

そんなわけで、ここまで「社会人だけど、むしろ勉強を頑張っているよ!!」という話をしてきました。我ながら偉すぎてエラスムスだと思いますが、同時に悩みも結構あります。

その中でも大きいのが、自分を引き上げてくれる人がいないということです。大学院で研究室にいたときは、他の人の発表を聞くなどして、「もっと自分も頑張らねば!!」という思いが湧いていました。何もしていないととにかく「焦り」が生まれて、何かに追われるように勉強をしていました。あと、報告の締め切りやレポートの提出があったりして、常に「ここまでをこのペースでやっていこう」という感覚を持てていたと思います。

で、今の悩みとして、そういうのが一切ないですね。自分一人でやっていることなので、今日やってもいいし、明日やってもいいし、なんなら来月までやらなくていい。やったところで、自分の中でまとめるのみでブログで報告しろよとは思う、特に他人に影響を与えるわけでもない。

betweeeeeen.hateblo.jp

↑以前の記事で、「大学院は常に焦燥感に満ちていてツラかった」と書きましたが、今はそれがない分、勉強もほどほどにという感じです。よいことじゃん、と思いますが、同時にどこか時間を無駄にしているような感覚も付きまとっています。難しいですね。

ただ、そこはむしろ、自分で自分を上げるしかないとも感じています。モチベを与えてうれる誰かに頼るのは甘えだってことよ(厳し〜〜)。あくまで、自分が立てた目標に自分で向かっていく。このことが難しくも、今後やっていかなきゃならないことだな〜〜〜と感じています。

 

かもめチャンスの話など

最後に、もうひとつ大きめの悩みがあります。

それというのも、今更これをやって何になるの?? という悩みです。ここまで読んでいた方も薄々感じていたかもしれません。今から勉強を始めて、何になろうとしているの?と。僕もそう思います。

確かに、大学院でやっていたテーマを継続する人なら一定数いるわけです。しばらくしたら大学院に戻ったりだとか。ただ、大学を出て、ドシロートの状態で何かを始めるというのが、一体何になるのか? と。それで生きていくわけではないし、お金に換えられるわけでもないし、趣味と呼ぶにはマニアックだし、ただ中途半端なだけなのではないかと、、、、

話は逸れますが、ここで『かもめチャンス』の話をします。僕のブログはいつも突然漫画の話に飛びます。

最近この漫画を読みました。全20巻、2008年から2013年に連載されていた作品です。快活で読んだよ。

で、この漫画、個人的にすごくよかったです。↑の表紙の通りロードバイクの漫画で、僕はロード好きなので、それもあって非常に楽しめました。

【あらすじ】
28歳のシングルファザーが、仕事と子育てに追われる中でロードバイクに出会い、どんどんその世界にのめり込んでいくよ。

社会人×自転車ということで、かなりリアル路線な漫画です。前半は自転車にハマっていく過程、後半は実際にロードバイクのレースに出たりするんですが、某小野田坂道くんのあれと違って、レースの描写もかなり堅実で面白いです。

そしてこの漫画、まさに「20代後半から新しいことを始める」というのがテーマとなっています。主人公はシングルファザーの社会人で、そんな中で何をやろうにも、結局なんなんだ? 何のためにやってんだ? という気持ちが付きまといます。

で、最終話のネタバレになってしまいますが、主人公は最後に「お前これからも自転車続けるん? どうするん?」と問いかけられます。「子どももおるし仕事もあるし、もうすぐ30なんやろ? 無理では?」と。それに対し主人公は、「確かになぁ」と認めつつも、

「俺は...ゴールを目指すより、スタートを見つける方がいい。いや、俺たちは一生スタートを探し続ける。きっとその方がいい。」

と答えます。この「ゴールを目指すよりスタートを見つける方がいい」というのが、滅茶苦茶いいですね、、、 

確かに、今から何かを始めても、何者かになったりバズったりというのは難しいかもしれません。ただそうやって、「何になれるか」や「どこまでいけるか」ということではなくて、新しいスタートを切れること、それ自体に価値を見出すのが素晴らしいと思いました。心に来ますね。「俺たちは一生スタートを探し続ける」という言葉もかっこいいんだな、、、

そういうわけで僕自身、この頃勉強を頑張ってはいるけれど、あくまで「自分が何かになれるか」ではなくて、「新しいことを今からでもやれること、それ自体がすげえんだ!!」という気持ちでやっています。逆に、何者かになろうとし過ぎるとしんどかったりしますしね。夢を追うことだけでなく、夢を始められることそれ自体の大切さも大事にしていきたいと思っています。

ちなみに「かもめチャンス」は本当に面白いので、ぜひ読んでみてください。皆も休日は快活クラブに閉じこもろう(置いてない店舗も多いよ)

 

 

以上!!!

今日はそんな感じです。「最近は勉強やってて、モチベ維持が大変だけど、なんとかやってるよ」という話でした。このところはだいたいそんな感じです。

途中でも書いたけど、特に社会人になっての勉強は、大学院と違って「一緒にやる人を見つけづらい」というのが悩みです。というよりむしろ、「一緒に議論できる相手を見つけられる」というのが大学院のメリットなんでしょうね。現在大学にいる方々は是非是非頑張ってください。

というわけで、次回はまた読書記録を再開する予定です。多分、山本圭『嫉妬論』になるかと思います。真面目な諸兄はぜひ予習してきてください。それでは!!

 

 

 

 

 

おまけ


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このところ、Laura day romanceがたくさん新曲を出してますが、どれもよいですね。エンディングソングとしておいておきます。

 

 

 

真に対等な存在とは......:読書記録#4 小西一禎『妻に稼がれる夫のジレンマ』(2024,ちくま新書)*ベルセルクも読んでます

 

しばらくサボっててすみませんでした。

 

というわけで、読書記録やっていきます。5月、初夏ですね、皆さん!! 生きることって素晴らしいんだなと感じさせる天気が続いています。そんなことないですか? 外でフリスビーでも投げて遊んでいたい季節ですが、読書記録、頑張っていきます。

今回は2ヶ月振りの更新となりました。本自体は3月に読み終わっていたもので、ずばり、小西一禎『妻に稼がれる夫のジレンマ ─共働き夫婦の性別役割意識をめぐって』となります。内容の紹介や、読んだ感想を軽く書いていきます。

 

読んだきっかけ

本書は京都の某後輩氏からご紹介いただきました。ありがとうございます。いつも大変お世話になっております。

その某後輩がたまに言っていることで、あと大学時代の同期なども度々言っていたことですが、ヒモになりたいという男性側の願望をたまに耳にします。皆さん、ヒモ、なりたいですか??

僕はこれが(冗談というのは分かりつつも)正直よくわからず、ヒモは自分の力で生活を立てられないからかなり不安定じゃないか? と思ったりします。働かずに生きていけるのが魅力的、ということかもしれないけれど、生殺与奪の権を誰かに握られているようで落ち着かないな〜〜と思ってしまいます。まあ25歳まで親のスネかじりしていた人間のセリフではないかもしれませんが......

反面、自分の稼ぎがそんなに多くないので、もし誰かと一緒に暮らすとなったら、共働きであってくれたら嬉しいなと感じます。二人分の生活を支えるような財力は無いため..... そんなわけで今は、「できるだけ相手の稼ぎに依存したくない」という気持ちと、「自分の稼ぎがそこまで多くないので、『収入については俺に任せておけよ』とも言えない」という両方の気持ちがあり、これがある意味ジレンマを形成しています。その前に一緒に暮らせる相手がいねえんだからジレンマも何もないだろというツッコミはありますが......

で、何が言いたいかというと、今回取り上げる「妻に稼がれる夫のジレンマ」というのは、僕のような状況の人間だと結構感じる可能性があるんじゃないか? ということです。この世界の僕が感じていなくても、パラレルワールドで既婚者となった自分ならもしかしたら感じるかもしれないという問題意識を持って臨みました。マルチバース万歳!!!

 

内容紹介

本書は著者の修士論文をベースに、それを書籍化したものとなっております。著者は元々政治記者をしていたそうですが、妻の海外赴任に伴い、キャリアを中断して妻と一緒にアメリカへ行ったとのこと。その際に、現地で「駐妻」ならぬ「駐夫」、つまり専業主夫を経験し、「妻に稼がれる夫」の立場を経験したとのことです。

で、現状の日本社会には「男はバリバリ働いて家庭を支えるべし」「妻に稼いでもらってるなんて恥ずかしい」「ヒモみてえなもんじゃねえか」という価値観がまだまだ存在しています(なんてこった)。そういった日本の労働観やジェンダー観のもとで、「妻に稼がれる夫の立場」というものに、どのようなジレンマや苦境があるのか、それを明らかにしたのが本書です。インタビュー調査やその分析を通して、当事者たちの生の声をできるだけ拾っているところが特徴と思います。

一箇所、冒頭から本書の目指しているところを引用しておくと、

本書では、妻の海外赴任に同行した駐夫経験者一〇人のインタビューから、彼らの意識変容や就業行動、キャリア設計に向けた道筋を浮き彫りにする。ここから男性優位が指摘される企業文化が根強く残る日本社会で、男性がキャリアを一時的にセーブして女性を支えるという新たな夫婦像やキャリア形成観を示したい。さらに、「男は仕事、女は仕事と家事・育児」という硬直的な性別役割を交換した、多様な家族形態を紹介する。
小西一禎. 妻に稼がれる夫のジレンマ 共働き夫婦の性別役割意識をめぐって (ちくま新書) (Kindle の位置No.163-167). Kindle 版. 

という形で、「新たな夫婦像やキャリア形成観」を示すのが本書の狙いとなっています。単に当事者の声を載せるだけではなく、そこから在るべき社会像まで論じているのも、本書の大きな特徴かと思います。

 

読んだ感想

当事者男性へのインタビューパートが、特に読んでいて面白かったです。

本書の前半は、主に「男性の生きづらさ」に焦点を当てたものとなっています。今となっては結構見慣れた議論ですが、フェミニズムが「女性の生きづらさ」を訴えたときに、特にここ5年ぐらい? で「男にも男の大変さ・生きづらさがある」ということが盛んに言われるようになりました。従来のジェンダー論を引き継いで、「女性の生きづらさと男性の生きづらさ、どちらも根本の問題は一緒だから、ともに『らしさ』から解法される社会を目指そう」という路線もあれば、「いや、女性よりも男性の方が優位に大変で、フェミはこんなにも嘘つきだ」という敵対路線も存在していると思います(後者はTwitterで盛んでしたが、今もそうなんでしょうか)

本書はこのうち、完全に前者の立場です(安心した)。例えば、多賀太『男らしさの社会学』が引用され、次のようなことが言われています。すなわち、「稼得能力」なるものが男性らしさを構成しており、稼ぐことをやめた人間は「男から降りた」と見做され、それが生きづらさに繋がっているといったことですKindle版 p46)。これは男性学系のものではよく見かける見解と思います。で、前述の通り、本書では男性にとっても女性にとっても生きやすい社会を目指していくので、この点は読んでいて安心感があります。単に男側の怨嗟を振り撒くものではないんだなと。

ただ、逆に言えば、安心感があるということは「聞き慣れた話だなあ」ともなるわけで、序盤はかなり知っている話を聞かされている感があります。既存の学説への批判もそんなになく、まあ男性学ではそういうことが言われてるよね〜という感じです(逆に、今まであまりジェンダー論に触れたことの無い人にとっては、いい入門になるかもしれません)。ので、個人的には、この辺のジェンダー論や社会分析よりも、実際に当事者の声を拾ったインタビューパートが見どころだと感じました。

 

インタビューパートの見どころ

個人的に面白かったのが、「妻に稼がれている」という状況に対して、男性側が感じるモヤモヤとそこへの付き合い方についてです。今の日本社会には「男の方こそ稼ぐべき」という価値観があると、本書では繰り返し主張されます。

「男は稼いでナンボ」
こうした価値観が、日本社会には根深く残っている。男の力の源泉は経済力であって、稼得能力の高さこそ、男の象徴だという見方だ。Kindle版 p159)

こうした風潮の中で、稼得能力が妻に劣る男性は、どのような気持ちを抱えているのか? 本書で紹介されているものとして、「卑屈に感じた」「おんぶに抱っこだ」Kindle版 p78)といった意見のほか、「格好悪いじゃないですか、シンプルに妻との関係で世間体とかじゃないんです」Kindle版 p128)といった声も挙がっています。この意見、かっこいいなと思いました。そしてやはり、何らかの劣等感を挙げている人が多いです。

で、その劣等感とどう折り合いを付けるか、という問題ですが、一つ面白かったのが、妻が稼ぐことで、結局は自分も経済的恩恵を受けているという考えですKindle版 p118)。普通に考えれば、妻が稼げば世帯の収入が増えるわけで、夫が悲しむ理由はないんですよね(そりゃそうだ)。こういう、ある意味合理的というか、思い込みやプライドからいったん離れて、客観的に自分の得を考えるというのは面白い対処法だなと感じました。

もうひとつ面白かったのが(これが今日の本題となりますが)、逆に燃えるというパターンです。先ほどの経済的恩恵とは別に、妻が頑張っている姿を目にすることで、むしろ「自分ももっと頑張らねば」と対抗意識が芽生えるというもの。以下のような声が挙げられています。

良い焦りですよね。自分も頑張らなければいけないというか。うかうかしていると、しっかり努力しないと、置いていかれるというか。(Kindle版 p127)

このように、妻を「緊張感のあるライバル」としてする見方、個人的に非常によいなと感じます。単に相手を庇護しようとか家庭に閉じ込めようとするのではなく、むしろ自分に刺激を与えてくれるような、同じ一社会人としてよい焦りをくれる存在として捉えるのは、なんというか、フェチです。いいな〜〜と思います。欲を言うなら僕もこういうパートナーが欲しいですね。「相手が夢に向かって頑張っていることで、自分も頑張れるんだ」とか、そういう...... なんか....... いいよね......

 

真に対等な友とは......

すみません、めちゃくちゃ唐突なんですが、ベルセルクの話をします。

www.famitsu.com

実は本書を読んでいた3月、ベルセルクが公式で14巻まで無料で読めまして、めちゃくちゃ面白かったです。今は30巻ぐらいまで読んだ。個人的にはピーカフの話が結構好きですね。まだ読んでいないという人は、ぜひ快活に行って13巻まで読んでみて...... あるいはNetflixにあるアニメ版だけでもよいと思います。

で、ベルセルクの大きなテーマとしては、1つに男の生き様とは何かということと、もうひとつに真に対等な友とは何かというのがあるように思います。ちょっとこれについて語ります。

一つ目については作中でグリフィスも語っていました。「男は何かを守るために剣を振るう。ただ、その守るべきものというのは他人だとは限らない。何よりも男は、誰のためでもない夢のために、自分が自身のために成す夢のために戦うのだ」と(手元にないので曖昧引用)。男は夢という神への殉教者なのだと、そういうことも言っていたと思います。僕は「夢を持つこと」フェチなので、この辺は痺れました。男は夢という理想のために戦います。

もうひとつ、真の友とは何か? ということも、ここで同時に語られています。グリフィスにとって真の友とは、「己の夢のためなら、自分に刃向かうことも厭わない、そんな対等な存在」として語られています。グリフィスは作中で超人気者なので、皆グリフィスに付いていくぜ〜〜というノリであり、仲間内では誰も彼に刃向かったりしません。ので、グリフィスが自身の夢を語っても、皆それに乗っかるばかりで、「いや、俺には俺の夢がある、俺はお前とは別の道を往くぜ」となるような、対等な存在がいないのです。グリフィスにとって真の友とは、単に自分に追従するのではなく、むしろ時に自分に反抗し、ライバルのようにしのぎを削れる存在として描かれています。

この話をこっそり聞いていたガッツが、「俺は誰の夢にもぶら下がらない」と決意を固めていくの、よいですよね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。対等な友であるために、相手の夢に縋るのではなく、自分自身の夢を抱いて、あえて別の道を進んでいくわけです。この、他人が掲げた夢に追従しない姿勢が、夢フェチとしてはかなり好きなところです。僕もそのような姿を目指している。

はい、ベルセルク全然知らんという人を置き去りにしていて本当にすみません........

 

話戻って(今後の夫婦像とは)

大脱線してすみませんでした、、、話を本書に戻しますが、このベルセルクの姿勢こそ、今後の夫婦やカップルに求められるような気がします。どういうこと???

本書では冒頭で、「今後はますます女性の社会進出が進むはずだから、妻に稼がれる夫というのも増えていくのでは」ということが指摘されています。一応引用。

女性の社会進出が一段と進むことによって、妻が収入や社会的地位で夫を上回るカップルは、ますます増えていくと考えるのが自然だろう。こうした状況に苦しむ二人の姿は、この先の日本人男性を取り巻く状況の未来予想図になるのではないだろうか。Kindle版 p14)

まあ実際のところは厳然たる男女間の賃金格差がまだまだ存在してるわけですが.......

そうした中で、「相手より自分が稼いでいなきゃならない」という見方を保持し続けることには、早々に無理が生じるように思います。更に言えば、そこで自分がもっと稼ごうとするのであればまだしも、相手に仕事をさせなかったり、家に閉じ込めようとするのはもはや論外ということで、ベルセルク理論で言うと(言わなくても)「全く対等ではない」ということになると思います。

で、本書では「妻の海外赴任に、キャリアを中断してまで同伴した夫」の姿が紹介されておりました。もちろんそこで提示されているのは、ただ単に妻に付いていき、ヒモのように養ってもらう存在ではなく、家事や育児を担当し、キャリア中断に葛藤を抱えるような男性たちです。こういった「相手の夢と対等に向き合う」というところに、これからの夫婦像があるのかもしれません。一方が会社で稼ぎ、もう一方が家で家事育児をするような従来のモデルを離れて、お互いが自己実現を果たしつつも、相手の夢に対しても「対等に」向き合うような...... そんな社会が訪れたらよいなと思いますなぜなら夢フェチだから)。 

その点で言うと、本書では「夫婦同姓・育休が、女性にばかり負担を負わせている」という問題も指摘されており、そこも個人的にはよかったです。しかも、その点を実際に育児を経験した男性(妻に稼がれた男性)側が指摘しているというのも印象的でした。以下、本書で挙げられてた声を2点引用。

名字というものに対する、女性の気持ちが痛いほどよく分かりました。やっぱりね、屈辱感があったんですよ、自分の名字を変えるっていうことが。名字を変えなければならないということは、アイデンティティーを失うなど、本人の気持ちだけの問題ではありません。そうではなくて、これをほぼ女性のみに強いているこの社会がおかしいと思います。Kindle版 p147)

ずるいですよね。育休を女性に取らせて、自分だけバリバリ働き続ける人って、ずるいと思う。そうじゃないですか。育児にかかわる社会的コストを、その女性がいる企業だけに負わせるわけですよね。その一方で、男性のキャリアばかりがうまくいくというのは、すごくずるいと思います。Kindle版 p132)

これも本当に、全く対等じゃなくてよくないよなと感じます。こうした社会的な不公正が、「稼がれる男性」というマイノリティー側に陥った立場からの、リアルな声として発せられているというのは、本書の大きなポイントだと思います。興味を持った方は是非読んでみてください!!!

最後にちょっと批判的なことも述べると....... 本書は3・4・5章で男性へのインタビューを紹介しており、続く6・7章は、それを受けての社会への提言という感じなんですが、この6・7章については正直微妙....... という感じです。これからの社会はこうあるべきだと言うことが論じられるわけですが、全体的にふわっとした理想論が並べられている印象があり、「まあその辺のことはみんな既に言ってるよな〜〜」と感じました。序盤のジェンダー論についても同じ印象だったので、やはり本書は、インタビュー調査をまとめた3・4・5章のあたりが面白いなという感じです。

あと、著者の小西氏は、海外駐在から戻ったあとに大学院に進み、修論として本書の骨格部分を執筆したというのだから、その辺は本当にすごいなと思いました。僕も社会人2年目となりましたが、このように「新しいスタートを切る」ということには本当に憧れます(そのテーマでも近々書くつもり)。僕も僕自身の夢のために、時に刃向かう者を切り捨てながら頑張っていこうと思います、、、

*でも逆に言うと、夫婦間は「何千の味方、何万の敵の中で、唯一夢を忘れさせるような」関係であってもいいのかもしれないですね。書いた後で思いました。どうでしょう??

 

 

以上!!!

と言うわけで、今回は読書記録第4弾でした。いかがだったでしょうか。微妙だったらすみません。

本当は読書記録、もっとコンパクトに書きたいと思っています(今回6500字近くある)。でもオチをどうしようとか展開をどうしようとか考えているとどうしてもこれぐらいの長さに、、、次回以降は何かしら工夫をしたいとは考えています。

最後に、次回の案内ですが、皆さんは「正義」と「嫉妬」はどのような関係にあると考えているでしょうか? そんな本を扱う予定です。乞うご期待!!!

 

 

 

 

 

大学院生→社会人になって1年目の感想

ども!! 令和5年度も最終日となる3月31日、皆さんいかがお過ごしでしょうか。元気ですか!! 明日から新年度ですよ。準備はいいですか。明日はエイプリルフールでもありますね。嘘の準備はできてますか。エイプリルフールって嘘をついて仕事を休んだりしてもいいんでしょうか。多分ダメですよね。

 

今日は皇居のあたりに散歩に行きました。このビル群、ちょっと『500日のサマー』でサマーがトムの腕に描いていたやつに似ていると思いましたが、改めて見ると全然そんなことはなかった。

 

この頃、暖かい春の訪れを感じつつ、東京で働き始めてもう1年が経つんだなあという感慨に浸っています。正直めちゃくちゃあっという間でした。もう明日からは社会人「2年目」の人間になります。1年目だから・新人だから、という特権を使えなくなるとよく言われますが、別に自分の部署に後輩が来るというわけではなくまだまだ最年少なので、この特権を振り回していこうと思っています。

で、最近日記的な投稿をしていなかったこともあり、今日はこの1年の振り返り的な投稿です。この頃は1年間働いてみて、大学院時代の暮らしとの違いなんかに思いを馳せています。大学院→社会人になってどうだったかとか、そういうことを書いていきます。

 

大学院時代との一番の違い

3月末現在、年度末ということで仕事が繁忙期に入っており、なかなか慌ただしい日々を送っています。残業も日に一時間以上はするようになってきました(基本的に職場が白凰ホワイト様なので、平均的な月残業時間は15時間ぐらいなのだが、今月は30時間行った)。家事とかもだんだんおざなりになってきました。

で、そんな折に、大学院時代のことを思い出すことがあります。あのときはどんな生活を送っていただろうかと。そこで思うのが、大学院時代と今の生活を比較すると、今の生活のほうが圧倒的に、

苦しさがない

というのがあります。このことを最近実感しています。

大学院時代は、毎晩眠りに付く前に「明日はこれをやらなきゃ」というタスク一覧を頭に思い浮かべていました。午前中は授業で扱う論文を読んで、午後には今日見つけた自分の研究用の論文を読んで、夜は院ゼミ用の翻訳を作って...... と常に「次にやること」に追われていた実感があります。それで「どう考えても時間が足りない」「でもやるしかないんだよ」と焦りばかりが生じ、ひたすら眠れないという日も多かったです。特に就活をやっていた時期はヤバかった。。。毎日が不安の塊でした。

で、最近は仕事がハンボーキ・ハンボーキですが、この「寝る前に明日のタスク一覧を思い浮かべる」という作業はマジでないです。本当になくなったなーと感じるこの頃。

仕事が日常生活を圧迫するほど多忙ではないということもありますが、それ以上に「仕事のことは仕事のときに考えればよい」というメンタルが身についていることが大きいです。大学院にいたときは、いわゆる「定時」の概念が自分の中にありませんでした。24時間、どこかしら、心の片隅でやるべきことを考え続けていたと思う(あの本読まなきゃ.....とか、本当はこんなことしてる場合じゃない...... とか)。そんなフルタイム体制の焦燥感が今はなくなり、仕事のことを考え始めるのは出勤打刻をしてからで、退勤打刻をしてからはもう仕事のことは全く考えなくなっています。では何を考えているのかというと、またγGTPの数値悪くなってたらどうしよ〜〜〜とかそんなことばかり。

大学院生のときは、「曜日」の概念もあまりなかったです。平日と土日の区別がほとんどなく、せいぜい図書館が早く閉まるかどうかぐらいの違いしかなかった。だから今日も明日も同じような日という感覚なのに、「本当はもっとあれをしなきゃ、これをしなきゃ」という焦りばかりやたらと詰まっていた日々でした。

で、しばしば大学院進学はモラトリアムと呼ばれます。僕もそういうふうに考えておりました。ただ、この頃思うのは、この1年を振り返ってみると、必ずしも「学生時代=楽、社会人=苦」というわけではなく、むしろ自分にとっては大学院時代のほうがよっぽど苦しさが多かったなということです。ゆえに1年を振り返ってみても、「仕事が始まってツライ。大学院生のときは良かったな〜〜」といった気持ちは全然沸かないです。この一年は、気持ち的にはだいぶ楽で、なんと不眠症もかなり改善されました。

このように大学院生時代の方がだいぶしんどかったというのは、結構意外性がある話というか、あまり言われることがないように思うので、書いておこうと思った次第です。

ちなみに、じゃあ仕事がめちゃ楽しいのかと言うと、別にそんなことはなく、普通に楽しくはないです。ただ、お仕事は今のところ、「やることをやっていればよい」というのがあります。それに対し大学院時代は「常に自分から何かを探しに行かなければ」という、自分が試されているという感覚がありました。特に、自分が研究者に向いている・向いていないということにずっと悩んでいたし、その意味ではそもそもあまり適応できていなかったのかもしれないですね。

betweeeeeen.hateblo.jp

↑大学院生活の振り返り記事。キングダムの趙王のように暗い。

 

将来の見通しについて

この頃の悩みについです。先ほど、仕事にはあまり苦しみがないということを書きましたが、「悩み」はあります。その悩みは(ありきたりですが)キャリアや将来性についてのものですね。

僕は現在大学職員をやっているわけですが、どのような仕事に携わるかというのは、そこまで自分では選べないです。それは主に人事課に掌握されております。今は財務系の仕事をしているけど、入試課に行けと言われれば入試課に行くし、学生支援に行けと言われれば学生支援に行きます。ある程度希望は出せるけど、叶うかどうかは結構運次第なところがあります。

で、そうすると「自分が数年後にどういう人間になっているか?」というのが、結構想像しづらいです。自分がこれから何者になっていくのかというのを、主体的に形成するのが難しく、将来像や見通しを持ちにくいという悩みがあります。ちなみにこれは大学職員にあるあるの悩みらしいです倉部史記『大学職員のリアル』にも書かれていました)

この点、また大学院との比較になりますが、研究者を目指すルートとは対照的なところがあると感じています。というのも、今の仕事は安定性がありますが、「将来的にどういう人間になっているのか」のイメージは正直掴みにくいです。対して研究者になるルートでは、まず修士号・博士号を取得し、非常勤の職の獲得、博士論文の書籍化、そしてテニュアトラックの獲得など、 細かい達成ポイントがいくつかあり「これから何を目指していくべきか」というのがある程度わかりやすいように思います。もちろんその一つ一つが簡単ではなく、むしろ見通しは暗闇の中ということもありますが、それでも「徐々に何者かになっていく」という感覚がありそうで、そこは少しいいなあと思います。自分の場合は、終身雇用という安定性と引き換えに「この先自分は何者になるのか」という将来像が持ちづらいのが悩みですね。ただただ定年までサラリーを稼ぐだけなのかと......

皆さんはどうですか? 社会人1年目が終わったとき、「自分はこれから何者になっていくんだろう?」という不安、感じていませんでしたでしょうか。まだ社会人じゃないよという方は、多分これから感じるので覚悟しておいてください。この僕が感じさせます。

 

大学院復帰、リスキリングなどについて

そういったキャリアのことで言うと最近は、いずれ大学院に行くこともありっちゃありなのかなと感じています。といっても以前やっていた法哲学の分野で戻るのではなく、もっと実務的なことを学びに行く感じで。最近は、仕事をしていて研究倫理の研究などに興味が出てきているので、そういったより実務に通じたことを学びにいくのもありやなと考えています。キャリアプランとしては自ら専門性を高めに行くルートですね。

これも働き始めてから感じたことですが、僕が自分の専門として法哲学を選んだのは大学1年生冬のことで、かなり早いなと思います(我が大学の法学部はゼミ決定が早かった)。年齢で言うと19歳。そこから25歳まで法哲学を専攻していたわけですが、今思うと明らかに若いですよね。これでもし研究者ルートに進むとしたら、19歳のときに決めたことを軸にずっと邁進していく、ということになっていたかと思います。

ただ、働き始めてみて、少し視野が広がったと言うか、前よりもっといろいろと問題が見えてくるということもありました。学生時代は「法と道徳」というのを研究テーマにしていたけれど、今となっては、あまり自分の問題意識にクリティカルに根差していなかったかな〜〜〜とも思います。あくまで21歳ぐらいに決めたテーマだし、言ってしまえば、まだあまり世間も見えていなかったというか、、、(じゃあ今は見えてるんですか!!!! というのは置いといて.....)。

それで最近は、社会人→大学院生コースの方が、むしろ自分の問題関心が固まってそうでよいかもなとか考えています。お仕事をしていると、自分の問題意識がよりはっきり見えてきたり、「自分はもっとこういうことを解決していきたいんだな」というのが明確になる瞬間があります。ので、学部→大学院のストレートコースが必ずしも理想とは限らず、むしろ社会人→大学院のほうが本当にやりたいこと出来そうだななどと考えています。

まあそんなことを考えるのも、自分の大学院時代がかなり「焦り」に支配されていたところが大きいからですね。学部時代に早めにテーマや専攻を決めて、大学院を選んで、何かをしなきゃ何かをしなきゃと焦っていたというか...... 今は安定した仕事について、そうした焦燥感がなくなりました。で、だからこそ、「このまま自分は老いていくだけなのか」ということを考えるし、もしもう一度大学院に行くのなら、本当に自分がやりたいことってなんだろうなといったことも考えています。

最近はリスキリングというのも流行っているので、自分がこれから何に挑戦していけるのかというのを、令和6年度はもっと考えていこうと思います。前向きで素晴らしいな!!

 

 

そんなわけで、

今日は単なるお気持ち表明でした。そんな感じです。これから先も40年ほど(40年!!?)仕事人生は続いていきますが、毎年度、こうやって自分の位置を確かめながらやっていくのが大事なのかもしれません。

あまり締めの言葉が見つかりませんが、まあ本年度もがんばりますよ!!!! ということで。今後とも弊ブログをどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 


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間違いながら成長していく:読書記録#3 今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』(2023,中公新書)

読書記録の3回目になります。おしゃーーーー!!!! この頃、仕事が繁忙期に入り、あまり読書もブログ更新もできていないのですが、頑張っていこうと思います。

今回読んだのは中公新書『言語の本質』です。この本、ご存じの方も多いかと思います。2023年で一番話題となった新書ではないでしょうか。中央公論の2024年新書大賞も受賞しています。要チェック!!

chuokoron.jp

 

読んだきっかけ

まあ、売れてるからですね言語学に特段強い興味があるわけではないのですが、ここまで世間で売れてるのはなぜ.....? と思って手に取りました。

ちなみに、このごろ言語学がブーム的な感じありますよね? ありません? さしもの僕も、一時期「ゆる言語学ラジオ」は視聴していました。言語の話はやはりウケがいいのでしょうか。僕も語源の雑学が好きなので、よく飲み会で披露したりはしています。ただ、そんな新書をちゃんと買って読むほど好きかというとそうでもないです。これだけブームになっているの、なぜなのか誰か考察してほしいですね。

 

#今日の語源コーナー:パウンドケーキ篇

皆はパウンドケーキの「パウンド」って何か知ってるかな? これは実は「ポンド」のことで、1ポンドずつの卵・バター・小麦粉・砂糖を混ぜて作るからパウンドケーキなんだって! じゃあ1ポンドってどれぐらいの重さなのかな? 答えは453グラムだよ!結構だな! 453 ×4で1812グラムだからめっちゃ多いね。今日の雑学終わり。飲み会で披露していいよ(参考)。

 

内容紹介

本書はオノマトペ研究」の一冊です。皆さん、オノマトペ、ご存知でしょうか。ザラザラとかフワフワとか、そういうやつですね。本書の構成としては、このオノマトペの特徴に注目し、果たしてオノマトペは「言語」と呼べるのか? という疑問から入り、そこからどんどん発展して「そもそも言語とは何なのか??」という世界に入っていくというものとなっています。

本書はかなり、硬派です。さすがは岩波新書...... と思いました。言語学について優しく教えていくというよりは、しっかりと学術研究に基づいて、専門用語も使いながら著者の自説を展開していくものとなっています。ので、僕の方で内容紹介するのが難しくもあります(人に説明できるほどがっちり理解できたかといえば怪しいので、、、)

本当にざっくりと解説すると、オノマトペを言語じゃねえと言う輩もいるが、オノマトペは言語が言語たる特徴を備えているし、なんならオノマトペがあることで人間の言語習得がかなり助かっているのでは? という感じになります。詳しくは本書をお読みください。というか、この本は人気なので、多分ユーチューブとかにも解説が溢れているはず、、、 解説系ユーチューバーってやっぱ儲かってるんですかね? 知っている人いたら教えて下さい。

 

読んだ感想

シンプルに面白かったです。自分が新書を読むときは、だいたい知識は多少アバウトでもいいので、著者の伝えたいことや全体のストーリー性を楽しむということが多いのですが、本書はそうではなかったです。そうした面白さよりは、単純に知識欲が刺激される面白さがありました。硬派なんだけれど、専門知識がなくてもちゃんと付いていけるところがよかったですね。漫画で例えると『デスノート』的な硬派な面白さですね(最近読み返したので.....)

感想として、一箇所、特に印象に残った点を挙げると「ブートストラッピング・サイクル」という言語の習得過程についての議論があります。ブート・ストラップなので、語源的にはブーツについているストラップのことらしいです(履き口のかかと側についているつまみのことで、ここを持ち上げることでブーツが履きやすくなる)。転じて、「自分の力で、自分をより良くしていく」という意味を持っており、言語習得に関して言えば、単に外部から知識を与えられるだけでなく、それを自分自身で・自分の力で活用していくことで、その習得が可能になる、という話となっています。記号接地問題とかとも繋がるところですね。

で、我々人間は、こうして言語を「使いながら学んでいく」ということになりますが、その時、過剰な一般化を行っているらしいです。

ここでちょっと話変わって、今度は「対称性推論」の話になります。対称性推論というのは、例えば「XはAである」という知識を得た際に、その逆側、つまり対称の観点から「AはXである」と推論することを指しています。例えば、「欧米の人は遺伝的に鼻が高い」という話を聞いた後に、「マイクさんは鼻が高い。つまりあの人は欧米の人だ」と推論することなどがあります。

当然これは論理的には真ではないです(鼻が高い=欧米人とは限らない)。論理的には真ではない推論として、他にも相互排他性推論なども挙げられていて、本書ではそれらをひっくるめて「アブダクション推論」として紹介されていますアブダクション推論についての詳しい説明はここでは割愛。ともかく「論理的には真とは限らない推論」という理解でOKと思う)。ここで面白いのが、こうしたアブダクション推論を行うのは、動物の中でも人間に特徴的であるらしいということです。人間と人間以外の動物を比較した際、アブダクション推論を行うかどうかに大きく違いが表れるそうです。

例えば人間の幼児は、丸くて赤い果物を渡されて「これはアップル」と説明されれば、その後に「アップルを取って」と言われても、問題なく丸くて赤い果物を渡せるらしいです。これは「丸くて赤い果物→アップル」を学習すると同時に、「アップル→丸くて赤い果物」と対称的にも学習していることを表します。ただ、これをチンパンジーなどで実験するとそうではなく、「X→A」を学習させたとしても、「A→X」で反応するとは限らないらしいです。一部引用。

チンパンジーの]アイが「黄色い積み木は△、赤い積み木は◇」と学習しても、「△は黄色い積み木、◇は赤い積み木」と選べないのは、論理的にはまったく正しいのである。対象→記号の対応づけを学習したら、記号→対象の対応づけも同時に学習する。人間が言語を学ぶときに当然だと思われるこの想定は、論理的には正しくない過剰一般化なのである

今井むつみ,秋田喜美. 言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか (中公新書) (pp.227-228). Kindle 版. 太字と[]は引用者。

このように我々は、全く論理的には真ではない推論をしばしば活用します。そして筆者の主張は、このような「論理的には真ではない推論」によって、我々の言語習得が可能になっているのではないかということです。また引用します。

人間は、アブダクションという、非論理的で誤りを犯すリスクがある推論をことばの意味の学習を始めるずっと以前からしている。それによって人間は子どもの頃から、そして成人になっても論理的な過ちを犯すことをし続ける。しかし、この推論こそが言語の習得を可能にし、科学の発展を可能にしたのである。Kindle版p224、太字は引用者)

「我々はどのように言語を習得するのか?」ということについて「間違った推論をしながらも、それを修正しつつ、とにかく活用していくことで学んでいくのだ」というのが面白かったです。誤りを犯しながらも進んでいく...... この、完璧じゃなくていいんだというのが、個人的には印象に残ったところでした。

全然関係ない話ですが、この頃の我々の社会は、どんどん「なろう化」しているのではないかと思います。『なろう化する日本社会』という新書が出てもおかしくないのではないか。ここで僕が「なろう化」という言葉で表したいのは、最初から最強でなければ我慢ならないというメンタルのことです。失敗したり挫折したりしながらちょっとずつ、というのがあまり好かれず、初期ステータスとして「センスがある」「才能がある」「器である」ということが、この頃やたら重視されすぎな気がします(天才を題材とした作品も供給過多なぐらいだし......)

ので、本書を読んで、「我々の言語習得プロセスの根幹に、そもそも誤った形の推論がある」というのは、非常に興味深いことでした。最初から間違えない人間なんていないのだと。というより、間違えるからこそ我々はこうして言語という武器を手に入れて、他人とコミュニケーションが取れているのだと。そういう話、好きです(フェチ)。間違えるからこそ学べるのだ、という話まで広げていいか分かりませんが、ともかくこの点は印象に残りました。筆者も次のように本書を締めくくっています。

アブダクション推論は新たな知を生み出す推論である。知の創造に失敗と誤りはつきものである。その意味で、筆者たちの探究は、これからも続く。山登りの頂上がゴールではない。本書で展開した論考を拡張し、精緻にし、誤りを修正しながら、言語という宇宙の旅をこれからも続けていく。Kindle版p252)

というわけで、抗おう、なろう化!! でした。なんの話だったっけ。今日は本当に、脱線ばかりですみません。

 

 

以上

本書の感想のまとめとしては、「新書としてはかなり硬派で、しっかりした姿勢で読んでいく必要があるが、言語研究の深みをどんどん味わえて面白い」となります。

去年の千葉雅也『現代思想入門』もそうだったけれど、新書といえどもしっかり硬派なものが好まれる傾向があるのでしょうか。僕自身は、もう学術書を読む体力がないので、こうして趣味として新書を読んでいますが、もう少しどっしりと腰を据えて読んでいくのがよいのかもしれません。新書だからといって侮るなかれということですね。

とはいえ、本書はそこまで上級者向けということもなく、普通に通勤時間に電車で読む分にもちょうどよいと思います。売れている新書だし、「言語」という誰にとっても身近な話題なので、「最近読書してなくて読書筋が凝ってきたな〜〜」という人にもおすすめです。

 

.......と言いつつ、次回の読書記録は、もう少しライトな本を扱う予定です。皆さん、妻に稼がれる夫の気持ち、考えたことありますか? 次回はそういう本を扱う予定です。お楽しみに。

 

 

 

 

 

 

 

 

ナルトがやっぱり面白い。:読書記録#2 廣野由美子『シンデレラはどこへ行ったのか 少女小説と『ジェイン・エア』』(2023,岩波書店)

 

 

ども! 今日は前回に引き続き、最近読んだ本の感想となります。今回は第2回。こうして無事2回目を迎えられたことについて、神と自分自身に深く感謝しています。「シリーズとしてやっていく」と言いつつ一回しかやってないの、山程あるからな。これからも頑張ります。

今回は岩波新書『シンデレラはどこへ行ったのか 少女小説と『ジェイン・エア』』の読書感想記録です。みなさんはこの新書、ご存知でしょうか? 僕はあまり知らなかったです。僕も人におすすめされていなければ読んでなかったと思われる。でも面白かったので、ちゃんと感想を書いていきます。

 

読んだきっかけ

「次に読む新書を探している」という話をしているときに、後輩からおすすめされた一冊です。ありがとうございます。僕は割と、おすすめされたものは何でも読んだり聴いたり試してみたりするので、いつでもおすすめがあれば教えて下さい(大昔に、おすすめの小説を教えてもらったことがあったが、それもまだ読みきれてないのでちゃんと読みます)

もう一つ、本書は英文学についての本になりますが、実は大学院生の時にちょろっと英文学の授業を取っていたということもあります。そのときはプーさんを読んだりしていた。で、それ以降英文学とかに触れることはなかったので、久々にあのときの講義の気分が味わえるかなという期待もありました(実際味わえました)。

 

内容紹介

本書のタイトルは「シンデレラはどこに行ったのか 少女小説と『ジェイン・エア』」となっていますが、正直このタイトルでは何の話かよくわからないと思います。シンデレラはどこに行ったんですか!? これではシンデレラが行方不明になったというか、ゴーン・ガール的なものかと身構えますが(あの映画めちゃ怖いですよね)、これはあくまで「シンデレラ・ストーリー」のことになります。いわゆる、清く正しく生きていれば、いつか魔法使いが迎えに来てくれて王子様と結ばれるというストーリーですね。

この「シンデレラ・ストーリー」については、ジェンダー的な研究が数多く存在します。例えば、こうした寓話の存在が、女性の自立を内的に阻む心理的壁になっているのだとか、そういう話です(「シンデレラ・コンプレックス」と呼ばれる)。かく言う僕も、学部生時代にゼミ合宿で『シンデレラ』を読んだことがありました。ジェンダー的な問題を考えようという内容だったと思います。実際ゼミでも、こういう話を子どもの頃から聞かされることで、女性の内的心理に「結婚するのが幸せなんだ」という価値観が植え付けられるのでは、という議論が出ていたような。

で、「シンデレラはどこに行ったのか」とある通り、本書はシンデレラ・ストーリーというよりは、「その後」を追うものとなっています。その後というのは、シンデレラ以降に出た英米少女小説のこととなります。

確かに、シンデレラは今でも少女たちに読み継がれているけれど、そうじゃない少女小説もあったのではないか。シンデレラのように、ただ王子様がいつかやってくるのを待つだけではなく、むしろ自分から己の運命を切り開いていくような少女小説もあったのではないか。そしてそれがシャーロット・ブロンテ著『ジェイン・エア』(1847年)となります。

その『ジェイン・エア』がどのような話かと言うと、一言で言えば「少女の試練の物語」ですKindle版 p12)。ここはまるっと本書から引用しておきます。

それは、孤児もしくは孤児同然の恵まれない境遇に生まれ、美人でなくとも、自分の能力や人格的な強みによって道を切り開き、とりわけ学力によって頭角を現し、自己実現しながら、自分と対等な男性と互いに認め合い、よき友人となるか、もしくは結婚し、その後もライフワークを持ちながら生きる、という形のストーリーである。つまり、試練を乗り越えて自力で幸せを獲得するという新しいタイプの女性像を描いた物語である。

廣野 由美子. シンデレラはどこへ行ったのか 少女小説と『ジェイン・エア』 (岩波新書) (p.12). Kindle 版. 

シンデレラとの違いとしては、まず主人公のジェインが美人ではないですKindle版 p30)。かつ、シンデレラのように「おとなしく従順」ということはなく、むしろ自分を理不尽に虐げてくる大人に対してしっかり反発し立ち向かっていきます。そしてジェインは、「いつか王子様が迎えに来るのを待つ」のではなく、自ら学業に励み、首席レベルの成績を修めることで、自分の力量で職も手にしていきます。ジェインは孤児で生まれの境遇は悪いですが、こうして「自分の努力によって道を切り開いていく女性像」となっているところが、シンデレラとの違いです(本書第1章)

ので、本書の構成としては、まず「シンデレラ(シンデレラ・ストーリー)」を紹介しつつも、その後に出てきた「脱・シンデレラ」な物語の行方を追いかけることで、英文学における少女小説の変遷を辿るといったものとなっています。扱われる作品としては、『ジェイン・エア』『若草物語』『あしながおじさん』『赤毛のアン』などなど。正直なところ、僕は一つも読んだことがなかったのですが、本書では各作品についてラストの展開まで書かれているので、ネタバレ厳禁派は気をつけた方が良いです。赤毛のアン」「あしながおじさん」ぐらいは読んでおけばよかったなと思いました(でも未読でも全然楽しめます)。

そんなこんなで、数々の作品の読解を通して、少女小説にシンデレラ・ストーリー以外の物語もあること、むしろ「少女が気高く立ち向かう物語」があることを示していったのが本書の特徴かと思います(本書ではそれが「ジェイン・エア・シンドローム」と名付けられている)。かつ、そこにどのようなジェンダー論的な意味合いがあるかについても触れられているので、そういう観点からの関心にも応えていると思います。

 

読んだ感想

感想は大きく分けて3つぐらい書こうと思います。

素人目にも無理のない読解

まず本書の感想の1つ目として、著者による作品解釈の仕方がかなり読者に優しいというか、丁寧だな〜〜と感じました。というのも、「この作品からは〇〇ということが読み取れる」ということの説明が、毎回しっかり根拠を提示したうえで行われており、非常に無理がないというか、すんなり納得できるものでした。

冒頭で、大学院生のときに英文学の講義を取っていたと書きましたが、そのときはなんというか、講義中「その読み方は納得いかね〜〜〜」と思うことが多々ありました。皆さんは『くまのプーさん』の冒頭を読んだことがありますでしょうか。くまのプーさんは一番最初、主人公のクリストファー・ロビンがプーのぬいぐるみを持って階段を降りてくるところから始まります。で、その講義では、「ここで階段を降りてくるという行為には、『これから夢物語に入っていく』というメタファーが込められている」という説明がされていて、正直初っ端から「ほんとか〜〜〜??」と思っていました。もちろん、そういう読解は全然あるというか、むしろこれは定説だという説明をされたわけですが、なんか腑に落ちなさはすごかったです。そんなに、小説内の一つ一つの行為や場面に特定の意味が込められてるんだろうか......というか。

ただ、本書においては、そのように「細かいメタファーを発見していく」というよりは、「客観的に見て明らかな、はっきりしているテーマを確認していく」という要素が強かったように思います。例えばですが、第1章で『ジェイン・エア』を紹介した後、第2章では舞台をアメリカに移して、「『ジェイン・エア』の影響を受けたアメリカ児童文学」の紹介に入っていきます。で、この「ジェイン・エアの影響を受けている」という点について、どのようにそれを判断するのか? という問題があるかと思いますが、本書においては、該当作品内で『ジェイン・エア』が言及されている箇所を徹底的に洗い出して、「こんだけジェイン・エアが作品内で引き合いに出されているんだから、影響を受けてないわけがないだろ」というのを客観的に示してくれています(『赤毛のアン』などでは、作中で主人公が『ジェイン・エア』を読んで感動している場面がちゃんと描かれている)

そんなわけで、素人目にも納得の行く読解というのが、個人的には本書のよかったところです。難しい専門知識や、精神分析の知識などがなくても、「確かにこの作品からは、そうしたメッセージが読み取れるな」というのがすんなり入ってきました。文学批評系の本を読むとき、ここにどれだけ強引さが無いかが個人的に大事なので、その点本書は非常に素人に優しかったです。研究者内でどういう評価かも気になるけど、まあ新書だしライト層向けというのはあると思います。

 

孤児の物語といえばNARUTO

次の感想。『ジェイン・エア』とその後継作品(『赤毛のアン』など)の共通点として、主人公が孤児というのがあります。で、主人公は孤児で、周りも嫌な大人ばかりで、基本的には孤独なんだけれど、そこから自分の力で周囲に自分の力を認めさせ、やがて周りを味方にしていく...... という共通点が見られています。ここが、小鳥ぐらいしか友達のいなかったシンデレラの違いとしても挙げられていますKindle版p73)。しっかり人間の輪を広げていくのだと。

僕はこれを読んで、NARUTOだなと思いました。完全にNARUTOだなと。NARUTO好きなのでナルトの話します。

shonenjumpplus.com

漫画『NARUTO』の主人公ナルトも孤児で、親や三親等どころか、血の繋がりを持つ人間が一人もいないんですよね。自分が子供の頃はスルーしがちだったけど、あれだけ血縁やら一族が重視されている里で、一人も肉親がいないというのは、想像を絶する孤独だったと思います。かつ、ナルトの中には、かつて里を襲った化け狐が封印されているということで、里中の人間が忌み嫌われています。しかも忍術の才能があるわけでもなく、普通に落ちこぼれ。問題を起こしたときには「どのみちろくな奴じゃねーんだ 見つけ次第殺るぞ!!」同級生であるチョウジのお父さんに言われたり、家族もいないのに里中から嫌われているという、壮絶な生い立ちを背負っています。

ただナルトは、そんな中でも己の努力と不屈の精神によって、周囲の人間に自分を認めさせつつ、やがては里を背負う忍者になっていくわけです。最初はナルトを化け狐としか思ってなかった里の人達も、やがてナルトを英雄としてい認めていく。まあ九尾のバフなり父方・母方の血筋もあり、最終的には「落ちこぼれどころかむしろめちゃくちゃ恵まれてね?」ともなるわけですが、まあそれでは見合わないような孤独な少年時代を送っているので、そこはよしとしましょう。

なぜNARUTOの話をしているかというと、『ジェイン・エア』『赤毛のアン』などと構図が似ていると感じたからですね。どちらも、嫌われ者だった孤児の子が、己の力で周囲の信頼を手にし、努力で成り上がっていく物語だと思います。

ちなみに、『ハリー・ポッター』と『スター・ウォーズルーク・スカイウォーカーについても、主人公の実父・実母がすでに故人なんですよね。ハリーの場合は、屋根裏部屋で虐げられていたところにハグリットがやってきてくれたので、どっちかというとシンデレラ的かもしれないですね。ルークは..... 出しておいてなんだけどよくわかんないのでやめます。

ともかく、本書は少女小説の系譜を追うものだったけれど、少年漫画でも『NARUTO』は似た構図があるなと感じたところです。ここで最近の少年漫画を見ていくと、『鬼滅の刃』では、家族が皆殺しにされつつも妹はしっかり生き残ってます。『チェンソーマン』のデンジくんも、かなり孤独の中で生きてきたけど、生まれついての孤児ではなくて、実は...... という話だし。最近は親との確執を描くのもトレンドなので、全くの孤児の主人公というのは減ってきているかもしれません。そんなわけで、「ここまで孤独を背負った主人公と、そこから道を切り開いていく姿を描いているNARUTOって、やっぱり偉大だなあ」と思った次第でした。何の話??

 

人生の支えになる物語

とはいえ、ここでもう一回話をひっくり返しますが、じゃあNARUTOを『ジェイン・エア』のような少女小説と同列に位置づけられるかと言うと、ちょっと違うかなとも感じています。これが今日最後の感想になりますが、それが「自分の人生を支える物語」となるかどうかいう観点です。

シンデレラにしろジェイン・エアにしろ、それが少女小説として影響力を持った背景としては、何かしら、物語そのものが自分の人生の支えとなってくれるという要素があったのではないかと思います。例えば、シンデレラであれば、「今がツライ状態でも、清く生きていればいつか苦境を抜け出せる」ということの支えになってくれるかもしれないし、ジェイン・エアであれば、「誰かの助けを待つのではなく、自分から積極的に動くんだ」という指針を与えてくれるかもしれません。著者の廣野さんも、こうした読書体験が、少女にとっては「一生を推進する起爆剤」になりうると書いています。一応引用しておく。

少女が試練を乗り越えて自分の世界を切り開くという物語は、子どものころから女性たちに大きな影響を与え、根強いシンデレラ・コンプレックスから脱却するための助けともなる。とりわけ潜在的能力の高い少女にとっては、そうした物語との出会いがもたらす効力は計り知れなく、一生を推進する「起爆剤」にもなりうる。したがって、ジェイン・エア・シンドロームは、決して軽視することのできない、注目すべき文学的現象であると言えるだろう。(Kindle版p176)

子供の頃に読む物語だからこそ、そこに見られる勇敢な姿勢や幸運な結末に、自分の未来予想も影響されるということは、大いにあると思います。

で、一転、NARUTOはどうなのかというと、別にそういうメッセージを受け取るほどではないかな〜〜という感じです(*個人の感想です)。あくまで作品として面白い・感動できるというのはありますが、少年時代を振り返っても、苦境を乗り越えたナルトのことを思い出して自分も頑張ろうと感じたことはついになかったと思います(螺旋丸の練習とかはしたが......)。岸影様には申し訳ないですが、少年漫画としての楽しみ方としては、あくまでバトルシーンの面白さやストーリー展開だったかなと思います。大人になって読み返してみて初めて、ナルトの生き様ってすげぇなってなってるけど......

だいぶ個人的な感想になりましたが、こういったところに「少女小説らしさ」というのが宿っているのかなとも思います。単に物語が面白いだけでなく、読んだ者に、自身の生き様の指針とできるようなものが宿っているというか、「少女」や「女性」の生き方に影響を与えるというか、そういうものがあるのかもしれないと思いました。もちろん著者も、小説の子供向け・大人向け・少女向けといった区別がそこまで自明ではないことを触れているのですが、ただ、何かしら作品同士の比較を行うときに、そういう視点を取り入れるのもありだなと感じたところです。

ちなみに、僕の人生の支えとなっている文学としては、なにげに高校生のときに読んだ太宰の『斜陽』かなと思っています。高校生の時はいろいろと苦境にあったので、「けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。」というメッセージにはだいぶ力をもらいました。完全な余談でした。逆に少年時代に読んだもので今も影響を受けているものはあんまり思いつかないな..... 怪談レストランとかしか読んでなかったからかもしれない。

 

 

懐かしいですね。

 

 

 

 

以上!!

というわけで、本日は読書感想第二弾でした。

普段、こういう文学論的な本は読まないので、結構新鮮な体験でした。そして非常に面白かったです。途中の感想でも書いたけど、解釈にほとんど無理を感じず、むしろ納得感が強かったのが大きかったです。

 

次回は、2023年に最も話題だった、あの「言語にまつわる新書」を扱いたいと思います。どうぞ次回もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

俺も社会貢献を頑張る:読書記録#1 小宮位之『「無料塾」という生き方』(2023)

どもども。寒い日が続きますが皆さまいかがお過ごしでしょうか。

この間、2024年のブログ目標として、一冊一冊の読書記録をちゃんと作成するということを掲げました。詳しくは↓の記事を参照。公式から謎にピックアップされたのでたくさん星が付いている......

betweeeeeen.hateblo.jp

ので、この度は読書記録、頑張っていきたいと思います。

第一弾ということもあり、今回はあまり気合いを入れすぎずに、サクッと書きます。

 

読んだ本

小宮 位之『「無料塾」という生き方』(2023、ソシム社)

 

読んだきっかけ

以前、2023年の振り返り記事を書いたときに、「今後はもっと、ボランティア等の社会貢献活動にも関わっていきたい」ということをぼやきました。ただ、ボランティアと言っても、どのようなものがあるだろうかと考えていた時に、Twitterで流れてきた「無料塾」というワードが目に止まりました。僕の職場は副業が禁止されておりますが、同期でも無償ボランティアとして塾を手伝っている人がおり、この無料塾というものに興味を持ちました。で、Kindleで検索して、この本を買って読んでみたという流れ。

本当はちくま新書の『ルポ 無料塾』の方が先に目に止まっていたのだが、あまり確認せずにこっちを買ってしまっていたというのは内緒。

 

内容紹介(ごく簡単に)

この本の著者は、八王子つばめ塾という無料塾を実際に立ち上げ運営している人。2012年のスタート以来、かれこれ10年以上教室を続けている。著者の小宮さんは、研究者や教育専門家というわけではなく、普通にサラリーマン(映像制作の仕事)をやっていたのを退職して無料塾の運営に携わっている。すごすぎる。

本書は4つの章から成っていて、ざっくりと内容を書くと、

  1. 無料塾とは何なのか??
  2. なぜ著者の小宮さんは無料塾を立ち上げたのか?
  3. 社会支援活動の重要性
  4. 無料塾を始めたい人へのノウハウ

という形になっています。全体的に、無料塾を10年続けてきた著者がこれまでの歩みを振り返りつつ、貧困・格差といったものへの社会的な支援がいかに重要かを語ると言った内容となっています。

 

感想

ここからは、内容紹介も少し兼ねつつ、本書を読んだ感想を書いていきます。

支援の対象者は「やる気を持っている」中高生

第1章「学習支援ボランティア『無料塾』とは」の冒頭にて、著者は自身の塾への入塾要件について、次のように書いています。

八王子つばめ塾に生徒が入塾するには、次に掲げる3つの条件があります。

・ご家庭が経済的に困難であること

・ほかの有料塾、家庭教師に習っていないこと

・本人に勉強をする気があること

この3つの条件をすべて満たさないと、入塾はできません。

小宮位之. 「無料塾」という生き方  教えているのは、希望。 (pp.13-14). Kindle 版. (太字は引用者以下同じ)

で、この箇所は読んでいて早速「おぉっ」と思いました。1つ目、2つ目は当然分かるとして、3つ目に生徒のやる気も求めるのだなと。続く文章でも「やる気のない生徒は来てくれるな」ということがはっきりと書かれています。

実は僕も以前、学部生の時に4年間塾講師をしていたことがありました。個別指導塾で、大抵こういうのは生徒2、先生1で教えるものなのに、たまに生徒4、先生1で教えたりしていた。で、この塾というのは、頑張って進学校を目指そうと言うものでは全くなく、小学生なら、なんとか夏休みの宿題を自分でやりきるようにしよう、中高生なら、頑張って定期テストで平均点を取ろうといった感じでした(月謝も安めだったらしい)。で、逆に言えば、「宿題もまともにやらない」「勉強が嫌いで嫌いで仕方ない」「やる気なんて一ミリも無い」系の顧客生徒が集まってくるわけです。

そんな中で、我々アルバイター講師が社員から言われたことは、「とにかく生徒のやる気を引き出すこと」「話を聞いてあげること」でした。やる気が沸かない・勉強ができない・宿題をやってこないというのはある程度当然として、まあそれでも最低限はできるように頑張りましょうという感じです。

......全然関係ない話ですが、この塾バイトにて、本当に勉強が嫌いな中学1年生男児を受け持ったことがありました。そのとき数学の「場合の数」を教えようとして、「トランプって4つのマークがあって、それが13枚ずつあるわけだから、全部で何通りある?」という質問を出したところ、「トランプって何?」という回答が返ってきました。いやいやそういうボケはいいからと切れ気味で返したところ、割とガチで分からなかったらしく、お互いに「どうすんだこの空気......」となりました。ちなみにこの生徒はサイコロの場合の数を聞いたときも9と答えた。脱線終わり。

話戻って、無料塾の入塾要件に「生徒のやる気」を求めるのはちょっと意外でした。ただこれは、僕の方で勝手に、無料塾に「学習援助」的なイメージを持っていたからだと気付きました。ここでの学習援助とは、例えば学校に通えない生徒に無償で勉強を教える的なもの。ただ、この本でも説明されているとおり、八王子つばめ塾においては公立高校への入学が生徒の目標として掲げられます。つまり「学校の勉強について行ければそれでよい」というものではなく、「未来に繋がる選択肢を自分の手で掴み取ること」が目指されているというわけです。

この点について、「やる気すら抱けない人間もいる」という点は議論になるかなと思いました。自己責任論などへの反論の一種で、例えば「落ちぶれる人間は頑張ろうとすらしないことが悪い」という意見に対して、「そもそも頑張れる心を持っているかどうかについても、ある程度才能が関わっている」という見解はあると思います。僕はこの見解に対して「それは事実本当にそう」と思うところもありますが、同時に「それを言っちゃったらなあ......」と感じるところもあります。

で、本書でも自己責任論自体への反論は強く展開されています。ただ、それはあくまで、家庭の貧困などで「機会の平等」(塾に行く機会)が損なわれているという文脈で展開されており、意欲にすら不平等が生じるという話にはあまり及んでいません。本書の無料塾においては生徒のやる気を明確に求めるので、「自分の力で頑張れない人への支援」というのがどうあるべきか、本書からは離れますが少し考えました。

(ちなみに本書には次のような記述があります。まず著者が生徒にかける言葉として「君たちに『勉強したい』という熱意があるから、私や大勢の講師がここにいるのであって、君たちが勉強しないのであれば、今すぐこの塾をやめてもらってかまわない。」続けて、「八王子つばめ塾は『やる気』だけが、生徒からもらうもの、いわば『月謝』です。やる気という『月謝』を持ってこない生徒は来てくれるな、とはっきり言えるのです」(Kindle版 p16)。このあたりから「生徒が頑張れるからボランティア講師も頑張れる」とするなら、確かに勉強する気すら持てない子への支援とかはボランティアでも辛いだろうなと思いました)

 

貧困・格差への支援を誰が行うのか?

もう一点、本書で印象に残ったこととして、「個人も社会貢献活動に関わるべき」という主張があります。何か社会的な不公正・不平等が生じている時に、個人もその解決に向けて活動するべきなのだと。一箇所を引用してみます。

経済格差や教育格差をどう埋めていくべきかについては、さまざまな角度から意見があります。...(中略)...いわゆる「富の再分配」は政府にしかできないことですから、これは大いにやってもらいたいと思います。

けれども、政府にすべて任せておいて民間の私たちは何もしなくていいということでは、もちろんないと思うのです。子どもたちに勉強を無料で教えてあげることであれば、民間の私たちでも十分できることです。Kindle版 p114)

この点は僕自身、結構反省を迫られたところでした。というのも、一方で自己責任論があり「その人の苦境はその人の努力が足りなかったせい」との見解が根強い中で、もう一方で「どうにもならない苦境というものはあり、それは社会全体で解決するべきものだ」という見解もあり、僕自身は後者の方にシンパを覚えます。ただ、この後者の見解を採るときに、自然と「社会全体の問題=政府が解決するべき」という発想になっていました。つまり、誰にも責任を問えない問題だからこそ、個人に責を問うのではなく、我々の代表たる政府や行政が取り組むべきだということです。

ただ本書では、上の引用の通り、「政府にすべて任せておいて民間の私たちは何もしなくていいということでは、もちろんない」と述べられていて、確かにな〜〜〜〜〜〜〜と思いました。社会全体の課題と見なすことで、自分は特に何もしなくてよいと考える癖が自分に根付いていたなと思います。

本書では続けて、生まれながらの不平等への社会的支援の必要性について、次のように述べられています。これもよかったので本日最後の引用。

(社会的支援の必要性について)それは決して難しい理論でも理屈でもありません。学術的なデータによる検証を待つ必要もありません。効果が期待されるからやるとか、期待されないからやらないという話でもありません。『困っている人がいたら、手を差し伸べる』。ただそれだけの話ですし、それは『特定の誰かがやればいい』という話でもありません。『みんな』の話なのです。Kindle版 p153)

繰り返しになりますが、「社会全体で取り組むべき事」=「俺自身も取り組むべき事」という発想が抜けておりました。というより、こうした発想を断固として持ち、無料塾という存在を維持できている著者の小宮さんが本当にすごいな〜〜〜〜と思いました。僕も自分にできることを頑張っていきたいと思います。

 

その他、小宮さん自身の幼少期の話や、映像撮影の仕事をしていたときの衝撃の話など、印象に残ったところは多々ありますが、ここでは割愛。とりあえず本ブログでは、本書の感想として「やる気すら抱けない子どももいるとして、その者たちへの支援の形はどうなるか」「人任せにするのではなく、自分自身も関わっていくことが大事だ」といったことを挙げました。皆さんもぜひ読んでみてください!!!!

 

 

終わりに

読書感想第一弾となりましたが、意外と長くなってしまいました。

今年はこんな感じで、①読んだきっかけ、②簡単に内容紹介、③感想、という構成で、読書記録を残して行ければと思っています。

あと、本来読もうと思っていた『ルポ 無料塾』についても、いずれ読みたいと思っています。ただ話が重複しそうなんだよな......

次回は、とある少女小説の系譜を辿った新書を扱いたいと思っています。乞うご期待!!

 

 

 

 

 

 

 

2024年の目標:読書記録を頑張って残していきたい

ども!! 2024年が始まりしばらく経ちましたが、皆さんお元気でしょうか。僕はこの間、なんと26歳になりました。僕おめでとう!!! 26歳いうのは何かと中途半端で、25歳だと四半世紀、27歳だと27クラブといった言葉もありますが、26歳は何も無いね。語呂合わせでフロ(26)になるぐらい。中途半端な時間を生きております(*最近、フロの照明にタオルをかけることで、擬似的に明るさを調整出来ることを発見しました。皆さんも試してみてください)

さて本日ですが、そんな2024年の抱負、26歳の目標についてとなります。1月ももう下旬にさしかかっていますが、今年頑張りたいこと、皆さんはしっかりお持ちでしょうか。僕は今日決めます。そして決めたからには頑張っていきたいと思います。

 

2024年、ブログで頑張りたいこと

当ブログもおかげさまで、4年目に差し掛かりました。世の中には20年ぐらいブログを続けている怪人人々もおり、そういう方々には到底及びませんが、折角始めたことなのでしっかり継続していきたいと思います。

で、はてなブログを始めた当初は「インターネットのデブリを増やしていきたい」ということをどっかで書いていたと思います。こう、読んでも時間の無駄にしかならないものをたくさん残していきたい的な...... この頃はそうした初心を忘れ、書くことにだいぶ臆病になっているように思います。今年はそうした姿勢を打破したいですね。

そうしたことを踏まえた上で、ひとまずの2024年のブログ目標は、

 

読書記録を一冊一冊ちゃんと残す

 

となります。今年はこれを頑張っていきます。

昨年、自分でも驚いたこととして、社会人になってから読書量が増えたというのがありました。お風呂Kindleで毎日40分ぐらいの読書となりますが、1週間あれば新書の一冊は読み終わるし、寝る前も寝る前でなんか別の本を読んだりしています。で、たくさん読むのはいいけれど、読んでは次、読んでは次とやっていると、過去に読んだものがあまり記憶に残らなくなります。特にKindleで読んでいると、本棚に飾られて見返した理だとかが無いし、装丁への思い入れなどがセットで残ったりもしないので、読んだ傍から忘れがち。そういうわけで、一冊一冊、しっかり記録を残していくというのを今年は頑張りたいと思います。

ブログを続けるモチベ

で、そうは言いつつも、この時点で、3月ぐらいにはもうやらなくなってそうだな〜〜という気持ちも、本当に正直なところあります。2023年も後半は全然更新できておらず、その理由としては、パソコンに向かってカタカタするというこの作業自体が、普段の仕事と同じすぎて億劫になったというのがありました。仕事で毎日7時間向き合ってるパソコンに、休日や仕事終わりにも向き合う気がどうしても起きなかった。

ただ、本当にモチベゼロなら、そもそもこの記事自体書こうとしていないわけで、若干ながらも更新を支えているモチベが、現時点で2点ほどあります。2024年の終わりまでこれが続いているか分かりませんが、一応それも書いておこうと思います。

① なんだかんだ特技の一つ? だから

一つ目は大して面白くもない理由ですが、結局のところそれぐらいしかやれることがないからというのはあります。なぜ読書記録を投稿するの?? と誰かに聞かれたら、そのことに何かしら意味がありそうだから、と答えるかと思います。本を読むことは好きだし、文章を書くこともまあまあ好きだから、「自分にできる意味のあること」ってこのぐらいかな〜〜と思います。

最近の個人的な悩みとして、「どこにも向かっていない感」「向かっている先がどこにもない感」というのがあります。24歳まで大学院にいて、それなりに色々頑張ってきたわけですが、そこで得たものが日に日に死んでいくのを最近は感じています(暗い話だ.....)。法とか道徳とか強制とか色々学んだけど、それを何かに活かせるわけではなくて、活かせるとしても、それは今も学び続けている学部生や院生には到底敵わないものだなと。単に「かつてやっていた」だけの人間に出る幕は無いなあなどと考えています(最新の知識を取り入れているわけもなく、日に日に衰えていくだけだし......)。そういうことを考えていたら、やろうと思っていたゆっくり動画制作もできなくなってしまいました。老兵は死なずというやつですね(たぶん)。

ただ、そうは言いつつも、本を読んで感想を書く、それぐらいのことは頑張れるぞとも思います。読書の習慣は奇跡的に続いているわけだし、その記録を残すことぐらいはどうにかこうにか..... という感じ。それすらもやらなくなったら、本当に自分のやってきたことが消えるなという気持ちもあります。だから頑張る。

あと、ブログに読書記録を残すことには、大なり小なり意味があるとも感じています。2023年も、ブログに読書記録を書いたところ、Twitterで著者の方から「あざす〜〜」と言われたことがありました。こういうのは嬉しいし、よい効果だと思います。そんなこんなで今年は、頑張れることの最小限を、なんとか紡いでいきたいと考えています。2000字ぐらいでよいので書いていくつもりです。

 

② 頑張っている姿勢を残しておきたい

もうひとつ、こっちはやたら大袈裟な理由となりますが、頑張っている姿を見せておきたいというのがあります。誰に?? と聞かれたら、全世界にですね。何かを習慣として続けることで、俺は頑張って生きているぞ!!!! というのをこの世界にアピールしていきたいと思います。

これは僕だけではないと思いたいですが、何かを変わらずに継続している人を見ると、勇気づけられるというのがあります。特に年齢や境遇の近い人だとそうですね。毎日何かを更新している人がいるとして、普段はその一つ一つをスルーすることがあっても、自分がなにか落ち込むことがあったときは、やたらとそれを見に行きたくなったりします。で、変わらない何かを目にすると安心できるということですね。「この人も頑張っているんだなあ」と。中島みゆきの「世情」もそんなことを歌っていたような。

で、僕も社会貢献の一環というわけでは無いですが、できるだけ「頑張っている姿」は残していきたいと思っています。暗い海に浮かぶ灯台の灯りのように、それが見えると安心できるような存在になりたいですね。そういう思いが、今年は読書記録をがんばろうということのモチベの一つとなっています。変わらない何かを残していきたい。

 

ブログ以外で頑張ること

以上はブログの話でしたが、2024年の全体的な目標は3つあります。

  1. 運動すること
  2. 寄付やボランティア等、社会貢献活動に関わること
  3. 量的インプレッション主義を打破すること

の3つです。

1つ目は単純で、この頃は運動不足がヤバいことになってきたので、2024年は何より運動します。週2~3ぐらいでジムに通いたい。たとえランニングマシーンで走るだけであったとしても、ちゃんと週間としてやっていきたい。

個人的に、筋トレというものが非常に苦手で、続いたことが無いんですよね。なんというか、これは大変な偏った見方なんですが、70年後には何もかも老いさらばえていると思うと筋肉を付けることって虚しくないですか? という気持ちがあります。自分を苦しめることで本当に刹那的な自己肯定感を得るというのがどうにも性に合わず..... こうやっていちいち喧嘩を売ってしまっています。

ただ、今年はあくまで健康のために運動をしたいと思っています。体を鍛えたいとか筋肉を付けたいとか男性ホルモンを活性化させたいとかテストステロン云々ではなくではなく、飽くまで健康のために運動をしたい。というかそろそろしないとまずい。そんなわけで、今まで何かと偏見のあった「ジム通い」も今年は頑張りたいと思います。

2つ目ですが、最近ボランティア関連の本を読んだこともあり、2024年、何かしらの社会貢献活動に関わりたいと思っています。無理だったら最低限寄付だとか...... このあたりは、第一回の読書記録回で詳しく触れようと思います。ともかく、職場以外に「他者」と関わる機会を作りたい、というのが現時点で考えていることです。最近は何もかも「自分の生活」以外に目を向けることがなかったので、そういう気持ちを改めたいです。

3つ目は変な言い方をしたけれど、要は閲覧数とか再生数とか他人のいいねとか気にし過ぎないようにするぞということです。自分がやりたいと思ったことをやる、これが大事。この頃は、何をするにしても、他人の視点を気にしていたような気がするので、そういうところを改めていきたいと思っています。ちなみにこれは完全に漫画『アタックシンドローム類』の影響です。映画「ファイトクラブ」の初っ端で、見栄を張った家具とか片っ端から捨てろ的な考え方がありましたが、あれと似たようなものと思ってください。

 

 

 

というわけで、

なにげに新年最初の更新となりましたが、いかがだったでしょうか。今年はここで宣言したとおり、読書記録の作成を頑張っていきたいと思います。目標は20冊です。ただ実際は6冊とかになるかもしれません。そうなったら本当にごめん。

1月21日現在、すでに2冊の新書を読み終わっており、随時それらで書いていきたいと思っています。乞うご期待!!

そしてこんなブログですが、4年も頑張っていきますので、たまに見ていただければ幸いです。皆さんもぜひ、コメント欄に2024年の目標を書いていってください。よろしくお願いします。

 

 

 

さらば2023年!! 今年のあれこれを振り返る。

ども!! 2023年も残り数時間となった今日、皆さまいかがお過ごしでしょうか。私は実家に帰省して親や姉やその他諸々と過ごしています。そんな中、急遽今年の振り返りを一切していないことを思い出し、自室に閉じこもってMacBookを叩いています。皆さんはこの大晦日、どのように過ごされていますでしょうか。少なくともこんなブログ読んでる場合ではないぞ。

↑地元の実家付近の風景。田舎です。

 

今日はごく簡単に、2023年を振り返ります。今年は一体どんなことがあり、来年に向けて僕らは何を頑張るべきなのでしょうか。1年、あっという間でしたが、総決算を行いたいと思います。

 

 

ブログの話

最初に、この頃サボり気味なブログの話をすると、今年のはてなブログの更新回数は18本でした(これを含めると19になる)。1ヶ月に2本は書いてない計算になるので、今年はだいぶサボりました。ちなみに(ひっそりとやっている)noteの更新数は6です。これは面白くないので見に行かなくていいです。noteとはてブロ、2つ合わせてギリギリ「月2本」という感じですね。

働き始めたら、もっと色々書きたいことが生まれるのではないかと、働く前は思っておりました。例えば、職場では全く読書とか映画の話をできる人がいないけど、ブログでは自由にできるから更新しまくる、とか、仕事では見せられない顔をブログの方で発散しまくる、とか.......

実際のところは全然そんなことはなく、ほとんどブログを書かなくなってしまいました。自分にとってその原因は明白なんですが、それはまた今日の記事の最後に触れたいと思います。ともかくここで言いたかったのは、2023年、ブログを全然更新せずすみませんでした、ということです。もっと書きたかったですね。

 

仕事の話

2023年は、お仕事のスタートイヤーでした。やっぱりこれが今年のザ・ビッグェスト・イベントです。おそらく僕が定年を迎える頃には、定年は80歳ぐらいにまで引き上げられているはずなので、あと55年続くお仕事ライフの最初の1年です。さすがに長すぎて目の前が真っ暗になりかけた(普通に定年を65とするとあと35年)

京都で大学院にいた頃、しばしば他の大学院生から聞いた話で、「誰それは就職してからつまんなくなった」「話題が自分の仕事の話ばっかりになった」というのがありました。大学にいた頃は一緒に読書会とかをやっていたけど、社会に出てからは〜〜というやつですね。

そういうことは、確かにこの1年、我が身を持って実感したように思います(もとから面白かったかどうかは置いといて)。色んなことにある程度多角的な視点を持てていた学生時代と違って、今は何にしても「仕事をしている自分」の視点が真っ先に来るようになりました。貧困や格差の問題を考えるときは、まずは自分の給料に思いを馳せるし、AIの話なんかもまずは自分の仕事にどのような影響が出そうか考えて、政治の話は「今の自分の生活をもっとよくしてくれるのか」に最初に考えが及びます。社会とか、自分以外の人のことはどんどん鈍感になっております。だからこそ、週一でボランティアに行くとか、職場・家族・友人以外の関わりをちゃんと持っておくのが大事なんだろうなと思います。

そんなわけで、仕事をし始めた実感としては、つまんなくなったかもなというのがあります。

とはいえ、仕事自体は結構面白いです。毎度申しているとおり、大学で財務の仕事をしているわけですが、この間日商簿記3級を取りました。簿記というのは、組織のお金の流れを「原因」と「結果」、そして「権利」と「義務」の関係で記録するものですが、この考えが結構面白いです。複式簿記の考え方を採るわけですが、どんなことにも必ず「原因」「結果」の二つの側面から記述します。給料日に預金が増えたら、「給料」が払われた結果として「預金」が増えたと考えるし、借金を返すためにお金を下ろしたら、「借金」を払った結果として「預金」が減ったと考えるし、ともかく何でも双方向から考えます。

そして最後に決算があります。決算では、今年はどれだけ借金をしたか、お金を払ったか、資産を獲得したか、利益を生み出したかを計算して、当期の「純利益」というものを出します。この純利益が大きいほど会社としては成功ですね(いやキャッシュフローこそ大事だという見方もあるかもしれないが)

で、最近は、これがもっと人間の生き方にも適応できるのではないかと考えています。我々は、おいしいものを食べたら嬉しいし、嫌なことがあったらムカつくけど、それももっと、双方向的に考えるべきなのではなかろうかと。おいしいものを食べている裏では、「健康」という資本を失っているかもしれないし、何らかの「負債」を払っているかもしれません。逆に嫌なことがあったときは、その結果として何らかの資産を得ているかもしれません。そして単にその時々を生きるのではなく、「決算」をしてみたら、以外と当期純利益当期純損失が多かったという、、、 こういう「ものごとを双方向的に捉える」「最後にそれらを精算する」という考えは、色んなことに応用できて面白いのではないかと思いますが、これこそがまさに「仕事し始めてつまんなくなった人間の浅知恵」かもしれません(悲しい)。

大学の財務という仕事も、まあまあ面白いです。ちょっとだけ触れると、僕は研究に関わる物品を購入する仕事なんかをしているわけですが(あんまり書くと身バレ等々が本当に怖い)、仕事上、切っても切れない「敵」がいます。その敵こそ、研究不正です。もう少し言うと「研究費不正使用」とか「研究倫理違反」とか。

文科省のHPでは、我が国の研究費不正使用の例が掲載されています。ここで取り上げられている例はそんなに多くはないですが、一件一件の金額が結構大きいです。興味ある方は下記サイトをご覧ください。

www.mext.go.jp

学生時代には見えてなかった世界で、そこは面白いところです。ただ、インボイス制度の始まりとか、世間のよくわからないものに振り回されることが多かったので、そこが大変ですね(あと普通に教授から怒られたりするよ)。まだまだ働き始めのぺーぺーなので、これからも頑張って参ります。

 

読書の話

今年はたくさん本を読みました。主に新書になりますが、「働き始めてから読書量が増える」といのは、個人的には意外な体験でした。

いずれちゃんと2023年度読んだ本としてまとめを作りたいですが、取り急ぎ、印象に残っている本だけ紹介すると、

 

1.学術コミュニケーション入門

この本は本当に面白かったです。働き始めてから、読書はしても「勉強」はしなくなってしまったのですが、こういう本はもっと読んでいくべきだと思いました。大学で研究に関わっている方はぜひご一読してみてください。

 

2.教養としての建築入門

この本、最近読んだばかりで、ブログとかでも紹介してなかったのですが、本当に面白かったです。今年の新書の中ではベストかもしれない。ただ「建築の教養本を読む」という行為がジジイすぎて嫌なんだよな〜〜

以前、今年の4月に更新した記事の中で僕は、「世界をもっと好きになるために読書をしている」という話をしました。皆さんはこの話、覚えておいででしょうか。僕の今年の名台詞ナンバーワンかもしれません。

betweeeeeen.hateblo.jp

その気持ちは今も変わっておらず、やはり2023年の読書は、もっと世界を知るためという意味合いが強かったです。結構、色んなジャンルの本を読みました。今まで読んでいた法学・政治学倫理学の本はそれほど読まず、基礎的な教養系を読むことが増えたと思います。

こちらの『教養としての建築入門』はその最たる例でした。こういう、自分の考えや主張を伝えるというよりは、「自分の専門分野ではこんなことがされてますよ」というのを客観的に伝える本の方が、最近は好みですね。月並みな言い方ですが、日々の日常の中で見かける寺・神社・博物館・官公庁社・企業の建物に対して色んな見方ができるようになって、面白いです。こういう風に、「自分の考えをどう持つか」ということのための読書よりフェミニズムの本を読むときはそういう考えだった)、「もっと世界をどんな風に見られるか」ということのための読書が、最近は増えてきたし、それはある意味でいい傾向のように思います。

 

3.帳簿の世界史

3つ目は『帳簿の世界史』です。この本もバリ面白かったです。

この本は、自分的には「社会人として生きていく方針」を与えてくれた一冊でもありました。というのも、この本に何か思想的に影響を受けたという話ではありません。そうではなく、急に3月に「お前は来月から財務の部署や!!!」と言われ、4月から全く未体験のゾーンにぶち込まれたとしても、なんとか自分で関連書籍を探し、読書体験とともにその未知を乗り越える力が身についた、という話ですね。

大学院時代までの蓄積が生きた瞬間かなと思っています。これからも色んな未知にぶつかるかと思いますが、そのたびに、名著を見つけて乗りこなしていきたいと思います。この本は本当に面白かったですが、ちょっとでも簿記とかやってないと難しいかもしれません。

 

4.アタックシンドローム

『アタックシンドローム類』、今年のベスト漫画です。12.27発売の第4巻で堂々完結となりました。『夏目アラタの結婚』とどっちがベストか迷ったけど、今年完結を迎えたこっちが僅差で勝利ですね(ビッグコミックが強い)。

3巻で一気に展開が変わり、正直不安でしかなかったけど、4巻も最高でした。内容的にはやっぱりファイトクラブが近いんですが、かなりリアルに、令和の日本の問題を扱っているように思います。特に、秒で億を稼ぐようなインフルエンサーをレコメンドで見せられつつも、何とか自分の人生を生きるとか、最悪な親の元に生まれても、そこから頑張って自分の運命を勝ち取るとか、そういう前向きさを持っているところがよかったです(まあそれも一筋縄ではいかないわけだが.......)

僕も量的インプレッション主義を拳で破壊するようになりたいです。

ちなみに、こういう漫画を読んでいたことも含みますが、Kindleでは33週連続の読書記録を更新し続けています。約8ヶ月。社会人としてはまあまあ頑張っているのではないでしょうか。これからも頑張りたいと思います。

 

今年の総まとめ

今年の総まとめとしては、結構バランスよく頑張った1年だと思っています。東京に引っ越し、仕事を始め、人間関係も変わりましたが、まあまあ上手く頑張れているように思います(逆に京都には最低なことを残してしまったが、、、)

で、最後にブログをあんまり頑張れなかった言い訳ですが、あまりにも普段の仕事とやっていることが似すぎているというのがあります。普段僕は、毎日約7時間パソコンに向き合ってるわけですが、流石に家に帰ってまでパソコンに向き合って更新をする気力が起きませんでした。それが一番のブログ更新できなかった理由です。

もうひとつ、Twitterが死に向かっているというのがあります。TwitterがXになったというのは、2023年のインターネットイベントでは最も大きい出来事だったかもしれませんね。Twitterから離れた人もそれなりに多いはずで、僕自身、ブログへの反応をあんまりもらえなくなったな〜〜と感じています(それは単に僕がつまらなくなっただけか??)。その辺も、更新のモチベに影響を与えたところでした。

最後に、Twitterが死んだことで、読者層がよく分からなくなったという問題もありました。僕がモノを書くときのポリシーとして、「読み手のことを考える」というのがあるんですが、最近は誰に向けて書けばいいのか、完全に見失ってしまっています。これはまたいずれ触れるかも。今書くには時間がなさ過ぎる話題でした。

逆に、Twitterとかでリツイートしていただいたり、何らかの反応をしてくれている方々、毎度本当にありがとうございます!!!! 2024年はどうなるか分かりませんが、これからも頑張りたいと思います。

 

今年の音楽

今年、もっとも聴いたアルバムは、

The Marshmallow Kissesの I Wonder Why My Favorite Boy Leaves Meでした。だいぶ前のアルバムですが、これ、本当によかったです。短いので皆さんも聴いてみてください。

今年もたくさん聴きました。ありがとう、Spotify!!。

 

 

以上!!

今年ももう終わってしまうので、今日の更新はこの辺で、、、、

取り急ぎの内容となりましたが、ギリギリ年内に書き終えてよかったです。

2024年、というより、これから先の目標の一つに、「面白い社会人であり続ける」ということがあります。つまらない仕事人ではなく、尖った人間でありたいな〜〜と思ってます。そのためにこれからも、たくさんの読書を続けていきたいところ!!

皆さんはこの1年、どのように過ごし、来年はどのような抱負を持つでしょうか。AIのレコメンドとインプレッション至上主義により己の感性が潰れてしまう前に、ぜひ一度振り返ってみてはいかがでしょうか!?

今年の更新はそんな感じです。重ね重ね、あんまり書けなくて済みませんでした、、、、 よいお年をお過ごしください!! それでは!!

 

2023 東京で秋の心を感じる頃

秋..... みなさん楽しんでいますでしょうか、あるいは楽しみましたでしょうか。

秋はいいですよね。少しずつ生命の終わりが近づいているようで...... 秋は憂愁の季節と言いますが、憂愁の””の字は「秋の心」と書いて「もの寂しい」「思い悩む」という意味があるそうです。いいですね。いいと思います。

11月も終わりを迎えるので、今日は今年の秋を振り返ります。たまにはこういうなんでもない更新があってもよいと思う。

 

秋、全然なかった?

思い返すと、今年の秋は非常に短かったように感じます。9月はまだまだ全然暑く、10月も暑い日と涼しい日を繰り返して、11月になってようやく「秋」感が出てきた、そんな気がしています。

試しに今年の東京の9、10、11月の気温を調べ、折れ線グラフにしてみました(参考:気象庁の統計

してみたけど、よくわかんないですね。普段グラフとか作らないので、全然わからなかったです。ただ、11/6まで、最高25℃を越える日が続いていたのは、結構なことだと思います。
昨今は夏が殺人的に暑く、その余波が9月まで及び、「9月はまだまだ全然夏」という年が続いていますね。グラフを見れば分かるとおり、今年の9月は基本的に最高30℃を越えています。狂ってますね。

そんなわけで、9月はほぼ夏というわけですが、不思議なことに、「後ろ倒しで12月が秋になる」ということは無いように思います。12月といえば忘年会だし、クリスマスだし、年末だしで、冬っぽいイベントが詰まっているんですよね。北の方では11月末あたりから雪も降り始めるし、12月はもう完全に「冬」です。これは譲ることができない。譲るといえば、羽生弓弦の離婚の件は残念でしたね(何の話?)。

そんなこんなで、秋が短くなっていのではないかと感じているこの頃。ただ、今年の秋に関しては、割と色んなところに出かけてみたりしました。初の「東京で迎える秋」ということで、ちゃんと紅葉を観に行ったりしたということ。折角なので備忘録代わりに書いておきます。

 

10/28 高尾山

10月末に高尾山に行ってきました。この日も暑かったです。先ほど調べた統計によると、この日の最高気温は21.4℃。暑いですな〜〜。全然紅葉はしてないです。ただ、豊かな自然を感じられたのでよかったです。

皆さんは、ゲゲゲの女房という朝ドラを覚えていますでしょうか。僕が中学生ぐらいの時だったと思います。学校に行く前にちょこちょこ観ていたのですが、そこで水木しげる役の向井理「高尾山行こうや!!」と言っていたのをよく覚えています。「家族みんなで高尾山に行こうや!!」と(こんなテンションだったかは曖昧)。で、子どもながらに、そのときは「東京に山ってあるの??」と思ったものでした。それ以来、なんとなく高尾山には憧れがあったのです。

今回は一番登りやすいルートから山頂に行っただけでしたが、なかなか楽しかったです。いつかその奥の山にも登ってみたいですね。山登りという趣味、50代ぐらいから始める人もそれなりにいるようなので、年をとってからも楽しめるのがよいところだと思います。ただ、常に死と隣り合わせでもあるので、そこが怖いですね。

ja.wikipedia.org

↑怖いです。

 

ちなみに、途中にあったタコの置物もちゃんとnadenadeしてきました。恥ずかしいので写真は貼りませんが.......

 

 

11/3 旧古河庭園

11/3の文化の日は、旧古河庭園に遊びに行ってきました。北区にある庭園で、コンドルセの建てた洋館と、バラ園・日本庭園が有名です。この日は薔薇を観に行きました。ちなみに最高気温は24.3℃。めちゃくちゃ暑かったです。

紅葉はまだまだですが、旧古河庭園では薔薇がほぼ満開でした。薔薇というものは、春と秋に見頃を迎えるそうですが、皆さんはその理由をご存じでしょうか。なぜ薔薇は春と秋、1年に二度楽しめるのか?

その理由は、薔薇が「四季咲き」であること、つまり「頑張ればどの季節でも咲けること」に由来しています。試しに、解説サイトから引用すると、

「四季咲きばら」とは、生育期間中にある一定の気温以上であれば伸長した枝先に必ず開花が起こる性質を言います。「一定の気温」とは、一般的に夜温15度以上と言われています。ばらは基本的には落葉低木植物なので、日本の気候では冬になると落葉して休眠し、開花はしません。ですが、四季咲きばらの場合は、冬の間でも加温させることにより安定して開花を得ることができます。
四季咲きばらの種類 – 年中咲くばらの性質と系統

つまり、なぜ春と秋に見頃を迎えるかというと、人間がそのように操作してるかららしいです。すなわち我々のエゴ。「春と秋が見頃」という本質が薔薇の中に内在しているわけではなく、人為によってそうなっているという話でした。そんなことってあるんですね。

綺麗、ですな、、、

薔薇は色んな種類があり、どれもカッコイイ名前が付いてたりしたので、結構楽しかったです。皆さんも人間のエゴを観に行ってみましょう。

 

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11/3 六義園

11/3は、旧古河庭園に行った勢いで、文京区の六義園にも行ってきました。ここは旧古河庭園から歩いて15分ぐらいなんですよね。ご近所です。そして完全に日本庭園です。

実は東京には、都立庭園「紅葉めぐりスタンプラリー」というものが存在します。都内の庭園を巡って、紅葉を楽しみながらスタンプラリーを集めようという企画ですね。旧古河庭園六義園も、このスタンプラリーの会場であり、この日だけでスタンプを2個集めたりしました。クラスの友達に自慢したいと思います。

www.tokyo-park.or.jp

六義園も、紅葉はまだまだでしたが、文化の日ということで三味線を弾いてる人などがいて、初めて生の三味線を聴いてきました。意外とロックだった。自然も豊かでいい場所でした。

これは六義園にあったススキですね。モミジとかはまだ真緑だけど、ススキを見ると「秋だなあ」と感じられます。

突然ですが、秋の七草、皆さんご存じでしょうか。秋の七草には覚え方があります。「お好きな服は?」。僕はこれに関して、若干トラウマを持っています。これまた中学時代の話になりますが、当時の僕は文学少年で、辻村深月とかを結構読んでいました。その中で『子どもたちは夜と遊ぶ』という、上下巻の結構長いのがあるんですが、これに「秋の七草」が出てくるんですよね。「お好きな服」というのが暗号で、なんと次に殺されるのは...... という話です。昔読んだのに、今でも結構覚えている。怖かったから。

最近は全然小説を読まなくなったので、またたくさん読んでみたいものですね。

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11/18 国立昭和記念公園

11月18日には、立川市の国立昭和記念公園に行ってきました。この日の最高気温は17.6℃。ようやく秋らしくなってきたように思います。ちらほらと紅い葉っぱたちが綺麗ですね。

東京の一番の紅葉スポットといえば、ここなのではないかと思います。「東京 紅葉」で検索した時も、最初におすすめされることの多かった場所でした。手こぎボートに乗れる池があったり、めちゃくちゃ広い原っぱがあったり、隈研吾が関わってるオシャレカフェがあったりと、行けば1日潰せるいいところです。

ところで皆さん、好きな秋ソングはありますでしょうか? 僕個人の話をすれば、フジファブリックの「赤黄色の金木犀」は鉄板中の鉄板として、もうひとつ毎秋聴いてる曲として、スピッツの「コスモス」があります(アルバム『花鳥風月』収録)。この曲は、まさに”愁”(秋の心)な一曲で、物寂しい雰囲気がたまりません。で、秋にコスモスを見かけると、テンションが上がったり下がったりしています。「真昼の月」も探してしまう。

ちゃっかりボートにも乗ったよ。

 

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11/29 東京大学 本郷キャンパス

最後は東京大学@本郷キャンパスです。訳あって立ち寄る機会がありましたが、イチョウの黄葉がかなり綺麗でした。おそらくこの落ち葉は”わざと”こうしていて、あまり積極的には片付けて折らず、エモい雰囲気を出しています。それに釣られて、毎日写真を撮ったり絵を描きに来る人であふれているようです(キャンバスを立てかけて絵を描いている人もちらほらいた。どうでもいいがキャンパスとキャンバスはよくごっちゃになる)

真っ黄っ黄です。ちなみに、写真を撮っている人の中には、フリーペーパーのモデルでもやってるのかな? という人もいました。結構ガチの写真を撮りにいっている感じです(表紙とかで使えそうな)。

もしかしたら、こういう場所でマッチングアプリ用の写真を撮ることで、「学歴匂わせ」ができるのかもしれません。オシャレなので普通に写真としても映えるけど、見る人が見れば「こいつ東大生か......?」と分かる的な。誰が分かるんだ。今の話はなかったことにしてください。

僕は学部時代を名古屋大学、大学院時代を京都大学で過ごしましたが、その2つの大学にはない美しさが東大にはあるように思いました。秋を楽しめるキャンパスというのは、いいですね。いいと思います。今度は私大の紅葉も観に行ってみたいと思います。「紅葉の美しい大学ランキング」とかあってもよいかもしれないですね(名大はメタセコイアが綺麗だけど、京大はかなり低いんじゃないか?)

 

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東京は意外と楽しい

以上、この秋に訪れた、自然豊かなスポットを振り返りました。紅葉に関係してるのは後半2つだけだけど、許してください。薔薇も綺麗だよ。

東京はよく「コンクリートジャングル」なんかと揶揄されますが、実際のところ、結構自然豊かなように思います。でっかい公園やお寺なんかもそれなりにある。特に国立昭和記念公園なんかは、あの規模の公園を持つ都道府県の方が少ないんじゃないかと思ってしまいます(ちなみに、昭和記念公園の大きさは、全国の国営公園の中で5番目らしい。十刃で言うならノイトラと同じ)。

ちなみに、最近は東京についての小説なんかも読みましたが、これも結構面白かったです。

山内マリコ『東京23話』です。山内マリコは『あの娘は貴族』でも東京の話を書いていましたが、東京について造詣が深いのかもしれません。『東京23話』については、小説というよりは雑学集という匂いも強いですが、それでも多種多様な東京事情が知られて非常によかったです。おすすめ。

これを読んで、もっと東京の色んな場所に行ってみたいと思うようになりました。

 

 

 

以上

......以上、本日は「2023年 秋」の振り返りでした。

特にオチとかはないです。皆さんはこの秋を楽しみましたか? よければこの秋の想い出をコメント欄に書いていってくださいね。あともしオススメの小説や秋ソングがあったら、それも書いていってください。楽しみにしています。