浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

さらば京都!! 3年間の大学院生活

ども!! まだまだ「冬」感が抜けきらないこの頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。京都は唐突に雪が降ったりしています。今朝も晴れてると思いきや、なんか小粒のあられっぽいのがたくさん降ってました。人類が異常気象に滅ぼされる日も近いかもしれません。

 

↑2月中旬の鴨川

 

さて、そんな寒い2月中旬ですが、僕は今日引っ越しが完了して、2020年春から住んでいた京都をついに離れることになりました。今現在、東京行きの新幹線にてこのエントリを書いています(そして新居でテザリングしながらアップロードを試みている。Wi-Fiがないのがつらい)。そんなわけでですね、今の正直な心境を言うと、侘しさと不安でいっぱいです3年間住んでいた土地と、そこで出会った人々から離れることの侘しさ、それに「新生活うまくやっていけるんだろうか…….」という不安に満ち満ちています。特に「侘しさ」の気持ちが強く、今も実は涙で視界がぼやけて画面が見えていないんですが、ブラインドタッチを完璧にマスターしているおかげで問題なく書けています。

そんな本日は、大学院生活の振り返り、とりわけ「京都に院進してきて何がよかったか」的な話になります。僕の場合、学部は名古屋の大学でしたが、院に進む段階でわざわざ京都にやってきました。その辺りの体験を振り返ろうと思います。

で、学部→院進で大学を変えることはそんなに珍しくはないのだけれど、大抵はどちらかが地元であることが多い気がします(例えば、学部は実家から通ってたけど、院から地元を離れたとか)。そんなわけで、一人暮らし to 一人暮らしの院進は、わりかしレアなようにも感じるので、今日は「一回地元を出たくせに、そこからさらに別の場所に行って何がよかったか?」的な話です。名古屋から京都に来て何がよかったか。もしくは何もいいことなんてなかったか。そんな感じです。

 

なぜ名古屋を出たか?

まずは3年前、なぜ名古屋を出たのか。名古屋、味噌とモーニングとトヨタ自動車の国…… 個人的に、地元を離れて初めて一人で暮らした場所というのもあって、名古屋はかなり思い入れのある場所です。全体的に過ごしやすくていい場所でした。

名古屋を出た理由はいろいろあるけれど、一番は環境を変えたかったからでした。4年間同じ場所で過ごしていると、院進を前にしたとき、「もうあと2年間もここにいるんかいな!!」となります(なりました)。で、なんとなく「変化がないな〜」ということを強く感じました。色々とマンネリ化してきたというか……

特に、当時所属していた法学部がそうでした。名古屋大学法学部では、2年次の初期からゼミが始まるんですが、そこから基本的には3年間、ずっと同じ先生にご指導賜ることになります。3年というのは結構長い。もし途中から院のゼミにも顔を出せば、週2回は先生&院生たちに会うことになり、議論のメンツがほぼ同じようになりがちです。そもそも名大法は院進者がそんなに多くないので、学部時代から既に、院の人もだいたい見知った感じになりがちでした。たまに留学生が増えたりはするぐらいですね。

で、そういうところにいると、段々と「ここで院進してもあと2年間、今までの日々の延長みたいな毎日が続くんやな......」という感慨が生まれてきます。実際はそんなことないかも知れないけど、当時はそうした諦観?が強く、もっと「新しい環境で己を試したい!!!」という気持ちが強まりました。つまり、4年かけて名古屋で耕してきた土壌で、この先もダラダラやっていくのではなく、ゼロから全く新しい関係を作って、そこでも己が通用するか確かめたいの!! となったわけです。当時の僕、意識高いな。

そうやって、○○の院に進みたいとかではなく、先に「名古屋を出たい」という気持ちで院進先を探したら、最終的に京大人環になったという流れでした。そのときはなんか、専門分野の偉い先生の退官とかあって、割と選択肢が狭かったです。まあでも、人環なら学際系で文理融合だから、全く新しい環境で楽しいやろな!!! と当時は思っていました。その先はね、色々あったね!!

 

京都に来てどうだったか?

で、京都に来てからの大学院生活ですが、これは過去に何回か書いている気がするので、ここでは割と割愛します。ただ簡潔に言えば、コロナ・就活・修論の三重苦で吐くほどキツかったですな。

betweeeeeen.hateblo.jp

↑こういうところに書いた気がする。あんまり覚えてない。

 

まあ特にコロナが大変で、外出できない友達できないオンライン授業慣れないなんかもう色々よくわからないと、ひでえ大変な目に遭いました。その中でも、友達を作りにくかったのが一番しんどかったですね!! 研究室にしろバイトにしろ、集まったり会話したりが憚られる風潮があったので、新規コミュニティに参入しづらかったです。それになんとなく、自分は「余所者なんだ」という感じもあって、うまく人間関係を構築できませんでした。あんまり、「こいつこのタイミングで京都来たから大変だろうな〜〜」的な配慮をしてくれる人は周囲におらず、どちらかというと、自分から「友達になろうぜ!!!」と働きかけたけど、それがぶるんと空回りしてました。悲しいな。

それと、これはもう京都を出ていくからついでに書くけど、京都シティが思った以上に住みづらかったのもしんどかったです。何度も言うようだけど、とにかく自転車が走りにくい!! かつ、便利なお店が近くにあんまりない! 今思うと、名古屋にはスーパーとホームセンターが合体したような便利お店が多かったです(See. マックスバリュ川原店、西友御器所店)。京都には、そういう「ここに行けば大抵揃う」系のお店が少なく、あるとしてもめんどくさい立地にあったりして、色んなやる気が削がれました。洛北阪急スクエアぐらいかな? あれも家からだと微妙に遠いんだよな。京都にも、名古屋と同じようにマックスバリュカーマホームセンター的なの作ってくれ。ライフじゃまだしょぼいよ。

 

じゃあ京都に来ない方がよかった?

振り返ると、京都への不満は平安神宮の砂利の数より出てくるんですが、「じゃあ京都に来ない方がよかったの?」となると、全然そんなことはないですね。これが今日の本題です。なんだかんだ、名古屋を出たときに考えていたように「環境を変えて、新天地で再スタート」させてみてよかったと思います。

理由は色々あるけれど、やっぱり一番は人との出会いですね。もしあのまま名古屋に住み続けたら、新しい人との出会いというのは、せいぜい研究室に後輩が入ってくるぐらいだったと思います。どこも長く滞在してればそういうものになっていくだろうけど、自ら環境を変えたことで、出会う人の幅がたくさん広がりました。人との出会いは、まあたまにはムカつくこともあるけれど、基本的には善い刺激になってくれると思います。皆も人との出会いを大切にしよう!! 別れるときは寂しいけどな!!

もうひとつよかったのは、色々と経験を積めたことです。どんな経験かというと、主に初対面でのコミュニケーションの場数ですね。出会う人すべてが初対面の中でも、緊張し過ぎずにいい感じに立ち回るコツとか、むしろ一歩踏み込んで仲良くなるコツとか、そういうのを身につけられたと思います。それだけ、新環境では試される場が増えるので。

昔はガチのコミュ障で、初対面の人と話す時は何も言えないか大スベりするかの二択だったけど、最近はそういうことも少なくなりました(少なくなっただけで無くなったわけではない)。ともかく、初めて接する人にも臆さなくなったというのは、こうして新天地で経験を積んだからこそだと思ってます。この初対面スキル結構、自分のアピールポイントになってます。

さらに経験の話で言えば、もうひとつよかったのが、それが次への自信になっていることですね!! 京都に来て3年間、いろいろと大変な目には遭ったけど、でもそのおかげで、「自分はきっと、次も新しい地でやっていけるぞ」という自信が付きました。だってあのコロナ禍を突破したんやで? 大抵のことはなんとか乗り越えられるだろうと。

最初に言ったように、実は今現在も、新生活への不安は多々あります。「東京で新生活、社会人、やっていけるのか? お、俺に? お? 本当にやっていけるの???」という気持ちが、当然無くは無いのだけれど、それでもまあ、「一回は乗り越えた経験があるから、多分イケる」とは思えます。そんなわけで、経験を積んだことで、ある種の自信が生まれたというのが、この京都での3年間の最もよい成果だったと思います。

あとはまあ、なんだかんだ「京都」という地を過ごせたのも、よかったことの一つだと思います。僕は正直、京都あんまり好きになれなかったし、だからこそ出て行くというのもあるんだけれど、でもやっぱり愛着のある場所の一つです。

Netflixの離婚をテーマにした映画で(ネタバレを避けるためにタイトルを隠す)、ラストのセリフにて、「矛盾していることだが、生涯彼を愛し続けるだろう(I’ll never stop loving him, even though it doesn’t make sense anymore)」というのがあります。で、僕が京都に抱く気持ちも似たようなものかも知れません。別れるけどずっと好きだよ、、、的な。すみません、嘘です。やっぱり京都は住みにくいので嫌いです。映画みたいな高尚な感情はありませんでした。でも、たくさんの思い入れがあるのは確かですよ!

 

3年間の総括!!

上にも書いた通り、元々は、「新天地で人間関係をリセットして、己の力で頑張っていく」ための京都院進でした。そのために名古屋を出たとも言えると思います。

ただ、コロナでの色々も相まって、実際のところは、これまでの名古屋の人々に大きく助けられた3年間でした。特に最初の1年はそう。京都で知り合いができない分、名古屋の人々にめちゃ愚痴も聞いてもらったし、病めるときも健やかなるときもスプラトゥーーーンに付き合ってもらったりしてました。そんなわけで、当初の「一人でも頑張るもん」計画は、あんまり上手くいってなかったところが多かったと思います…….

ただ、それは別に悪いことではなくて、むしろこれからも、何か大変なことがあったときには今までできた関係性によって支え合えるということでもあると思います。特に、新しい土地に行ってそこで頼れる人がいないときなどは、これまで出会ってきた人たちが助けになってくれるのだと、そのことを誇っていこうと思います。そんなわけで、一人で頑張れたところ、そうでないところ、色々あるけれど、総合的に「まあ、よかった」3年間だったと思います。

あと、今までにも何回か書いてるけど、こういうブログとかの新しいことにチャレンジできたのも、この3年間のよいことでした。ブログは「京都にいながら名古屋の人に向けて書く」的な趣旨から始まったものなので、これも京都に来てこその挑戦だったと思います。他にも色々なものに手を出したけど、今後もたゆまぬ探究心を持って、色んなことをやっていきたいと思います。ブログももちろん続けるよ!!

 

 

以上!!

新しい場所での新生活、新社会人ももちろん頑張ります。ぜひ応援していてくださいと言いつつ、3月中は暇なので、わりかしダラダラ過ごしていると思います。

ちなみに、今の僕の心境は完全に、スピッツの「チェリー」ですな。スピッツが好きなので何でもスピッツにこじつける男。実のところ、脱京都、寂しさや不安や戸惑いや虚しさなど色々あるけれど、でも「想像した以上に騒がしい未来が僕を待ってる」と思うようにしています。想像いた以上に騒がしい未来ですよ!! みんなもスピッツ聴こうな。

 


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