浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

修士に進んで何がよかったか?:大学院生活振り返り

ども!! 世間はすっかり卒業シーズン。かくいう僕も、先日の3/24、無事に2年間の修業を終え、晴れて大学院を卒業(修了)することができました。ありがとう、ありがとう。進学する予定はないので、これで学部2年時から頑張ってきた僕の研究生活も、一旦は終わりです。そう考えるとだいぶエモくなってしまう。まあしばらくは「院生に準ず」という立場で大学には残るんですが……

そんなわけで今日はこの修士2年間の反省会です。院に進学して何がよかったか、2年間を振り返っていろいろ書こう、というつもりでしたが、思ったより書くことなかったです。というか暗い話ばっかりになりました。あんまり僕の修士生活、「楽しかった」想い出はないので、陰惨な感じですが、まあよろしくお願いします。

 

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↑学位記。無事に「京大卒」となれた。

 

 

院に進んで何がよかった?

先に断っておくと、「よかった」と実感できることは少ないです。この2年間を一言で表すなら「挫折」。挫けて折れて辛酸を嘗めた二年間でした。楽しかったことより、普通にツラいことの方が多かったと思います。

そのあたりは詳細に書くと暗〜〜〜い内容になっていくので、ざっと振り返りるだけに。キーワードは「コロナ」「就活」「修論」の3つとなります。

 

コロナ禍での入学

僕は2020年3月に学部を卒業、そして4月から院に入学した組です。そしてこれはちょうどコロナの出現のタイミングと被っている。憎き、コロナウイルス。未だにこのウイルスは収束していないし、僕の大学院生活は「コロナとともにあった」と言っても過言でありません。最悪な同期だよ本当に。

当然入学式はなかったし、新生活のスタートも大変でした。京都に引っ越したばかりのとき、トイレットペーパーがどこにも売ってなくてめちゃ困った思い出があります。授業も4月いっぱいは見送りとなり、5月からオンラインで開始。このときは「自粛」がめちゃくちゃに叫ばれており、「家から出るな」という風潮が今の数億倍強かったと思います。大学には一切行くことができなかったし、行ったところで研究室もなく図書館も開いてなかった。

そしてこの時点で、「研究」のモチベがかなり削がれていたというのはあります。大学院というのは我々、自分の「研究」をやるために行くわけですが、この次点で一切その気力が湧いてきませんでした。一日中家に引きこもって、慣れないオンライン授業を淡々とこなしていき、「自分って何のために京都に来たんだっけ?」などと考える日々。別に友達とかもできないし(コロナ「それは俺だけのせいじゃないぞ」)、新しく「大学院に入学した」という実感は全く得られず、履修システムとかも分からないことだらけで、はっきり言ってストレスばかりが溜まる日々でした。

確か4月の終わりごろ、事務から「GWが明けるまでに、研究計画書を提出しろ」とのお達しがあり。研究計画書というのは今期の研究目標について、「○○をやって、××を達成します」的なことを1300字程度で書くもの。学期末にその達成度等の振り返りをする、というシステムになっている。

僕はこれ、この時期、情けないことに一文字も書けなかった記憶があります。PCに向かっても、本当に何も出てこなかった。自分が何したいのかよくわからなくなっていたし、それ以上に、「こんなことをして何の意味があるのか?」という感覚が強かったです。なんというか、一日中家に籠もっていたせいか、だいぶ腐っていた時期でありました。相変わらずコロナは猛威を振るい、メディアもデマやらなんやらで騒がしい時期だったので、「結局世の中を動かすのはウイルスとマスメディアで、じゃあ自分がやっていることって何なんだろうな?」とか考えてました。

そんなわけで、コロナ禍での入学ということもあり、研究生活の出鼻を挫かれたというのが一つ目の挫折です。とはいえこの時期でも頑張っていた人は頑張っていたので、コロナに全部押しつけるのはよくないんですが。まあ、新天地に来て、もう少し華々しい日々の始まりを期待していたけれど、そんなことはなかったね。家から出られないのもあり、夜が明けるまでスプラトゥーンしてたりしてました。

 

就活ぅ、、、

この2年間を「挫折」たらしめているのが、この就活です。だいたいこいつが悪いよ。これには散々苦しめられた挙げ句、ついに勝利することができませんでした。そしてまだ戦いは続いているのである、、、

これは何度か書いているけれど、修士で出て行く者にとって最大の難関になるのが、就活と研究の両立だと思います。何が大変かと言えば、基本的に、就活でやることは研究に一切活きないし、研究でやることも就活にはほとんど活きないということ。個人差はあるだろうけど、特に文系修士で民間就職となれば、研究内容は就活で全く役に立たないと言っても過言ではないと思います。もちろん、「何の役にも立たない」わけではなく、就活でも研究内容とかは聞かれるため、そこはちゃんと答えられないといけないのだが、それでも「研究を頑張れば頑張るほど、それが就活にも活きる」ということはマジでないと思います。

就活と研究、このバランスをいい感じにとることが、僕にとってはかなり大変でした。就活を頑張りすぎると、そもそも何のために院に入ったのかがわからなくなるし、研究に熱を入れすぎると、「今後どうやって生きていくんだ」というのが問題として立ち塞がる。そのバランスが適度に取れればいいのだけれど、それがまあ難しいですねという話。

あとは就活で語るエピソードにも苦労しました。例えば「今まで頑張ってきたことは何ですか」とか「これまで経験した苦労と、それをどう乗り越えたか教えて」とかの質問について、どうしても僕は「卒論を頑張りました」とか「ゼミの運営を頑張りました」とか、勉強面の話を出しがちでありました。それはまあ、自分が院に進んでまで学問なり研究なりをしているということを、一種のアイデンティティとして捉えていたからなわけだけれど、そういう「研究者気質」な雰囲気を持つことは、就活をやっていく上ではマイナスだったかもしれません。どうもこの辺の話をしても、「勉強を頑張ったんだね」となるだけで、あまり面白がってもらえないといのはありました(たぶん共感が得られにくい)。とはいえ、自分がどういう人間かというと、やっぱり研究なり学問なりをしてきた人間というわけで、そこをうまくアピールするのが個人的に難しかったです。

そんなわけで、「院生」であることと就活を両立させるのがだいぶ大変だったし、なんならうまくいかなかったよという話。この挫折の経験が一番大きいかな。これのせいで色んなことを素直に受け止められなくなっているところはある。

 

修論ぅ、、、

修論、ないし研究も挫折の連続でした。何度か「研究って楽しい!!」ってなった時期もあったけど(M2の夏頃とか)、今はマジで「もうやりたくない」という気持ちの方が強いです。まあなんか、研究って大変だな、、、というのをしみじみ実感しました。大変だと思います、本当に。

どういった折れ方をしたかといえば、先人たちの研究を読んでいると「自分は絶対にここには行けないな」というのが実感としてズシーンと来るし、周囲の院生・学部生を見ていても、自分より意欲的な「ガチ勢」がわんさかしのぎを削っているので、ここに自分の居場所は無いなという気持ちになりました。居場所が無いというか、居場所を作っていくほどの努力をしていく気概が何かもう無かったです。

特に、修論を書いたことで自分の限界がはっきり見に見えてわかったという感じがありました。修論、本当に、書いているときは全然出口が見えず、最終的には行き止まりにぶち当たったところで「ここが俺のゴールだ」って開き直った感じになっています。そんなわけで、書き切ったときも特に達成感とかはなく、むしろ「これが僕の墓標です、ハハ」という感じでした。今日の内容マジで暗いな??

誰しも、研究やっていればいくつも「壁」にぶつかるのだとは思うけれど、なんかもうそれを乗り越えていく気力がなくなってしまいました。そんなんでいいんだろうか、これから大丈夫だろうかとも思うけれど、そんな感じで自信がなくなったのもこの2年間の特徴です。熱中してた研究という活動についても、己の力量の限界を感じたのでありました。いや暗いな??

 

それでも何がよかったか?

とはいえ、じゃあ悪いことばっかりで、いいことなんて一つもなかったのか? というと、そうでもないとは思っています。あえて院に進んだからこそ、体験できたこと経験できたことも多かった。全体的には苦しい2年間だったけれど、「進まない方が良かった」というものではないことは確か。じゃあ何がよかったのかという話ですね。

 

その1  新しい出会いあり

院に進んでよかったと思うことの一つ目は、いろいろと新しい出会いがあったということです。特にこれは、学部時代とは違う大学の院に進学したことのメリットですね。この2年間、京都に移り住んで、実に色んな人と知り合うことができました。それは非常に貴重な経験だったと思います。

そもそも、院進時に大学を変えた一番の理由は環境を変えたかったことにあり。学部時代から既に院の授業にちょくちょく顔を出していたこともあって、このまま大学院に進んでも、何の変化もないなという気持ちがありました。で、どうせなら色んなところに行ってみたい、今の人間関係をリセットして、新しく一から始めてみたいぜ〜〜〜〜という、そんな気持ちで京都に移ったけれど、その企みは成功したと思います。

「友達」と呼べる人間はあまりできず、その大多数が「知り合い」「同期」「同僚」程度の関係性だったけれど、それでも色んな話ができたのは、貴重な体験でありました。特に、学部時代よりも価値観的に合うな〜〜と感じる人が多かったため、学問的な話とかはいつも楽しくできました。研究科を変えたことも、色んな人に会ってみるという意味ではかなりプラスだったと思います。そういう新しい出会いがあったことで、新しく摂取できたことも多かったし、これはよかったことの一つです。

 

その2  たぶん何かを「マスター」した

もうひとつは、なんだかんだこの2年間、色んなことを学べたであろうということ。修士というのは、英語で言うと Master's degree。何かを「マスター」(習得)しに行く場所で、そして僕も何かをマスターしたような、そんな実感は抱いています。

例えば学問的なあれこれについて、確実に学部生のときより多くのことが分かるようになったし、論じ方や話の引き出しも増えました。丁寧に分かりやすく説明する能力とかも、この2年間で磨かれたと思う。英語文献も以前よりすらすら読めるようになった。

そんなわけで、学問的な技能等については、新しく何かを「修める」ことに成功したと思います。このブログもね、多分ね、学部卒のまんまだったらこんな風に書けてないですよ。「自分の考えを表明する」ということについて、自信を身につけられた2年間であったとも思う(発表の機会とか多かったし)。それに人の報告を聞く機械も増えたため、そのことで「自分はもっとこうしよう」とか「こうやった方がよりよくなるだろうな」とかいったことも改善していけるようにもなったはず。はっきり何とは言えずとも、そういった「技能」「スキル」面で、身につけたことはそれなりにあるんじゃないかと思います。

そんなわけで、明示するのは難しいけれど、たぶん何かをマスターしたというのが、2つ目のよかったことです。まあそのことが逆に、以前より自分の意見に固執するようになったとか、意固地になったとか、そういうマイナス面にも繋がっているのかもしれないけど、それは今後の人生で修正していきたいところです。

 

この2年間の総括

という感じで、この2年間の総括としては、個人的には「どっちつかずで中途半端」というのが一番しっくりきます(辛辣だけど)。就活も研究も、ガチ勢というよりは「エンジョイ勢」で、研究者になるわけでもなければ就活エリートになるわけでもなし。大学に残るわけでもなければ、社会に出られたわけでもない。論文や研究内容はズタボロだけれど、内定が得られたわけでもない。そんなわけで、明確に「これを成し遂げた」という実感に乏しい2年間でした(ちなみにこれ書いててめちゃ悲しい気持ちになっています)

ただ、色んな人と出会えたのは面白かったし、それが今後の人生の糧になることもあるだろう、とは思っています。学位授与式で研究科長の先生も、「君たちは、入学と同時にコロナ直撃であった。そのことで、思うように研究ができないなどあっただろうけど、逆にそうした逆境を乗り越えた経験が、今後の人生で糧になる」といった話をしていました。僕も、そうであったらいいなと思います。この2年間は大変だったけれど、これからも人生は続くので、どこかのタイミングで「あの経験が活きた」「あれを修めてよかった」と明確に感じられる日がくれば、めっちゃいいなと思います。

 

そういえば、ブログをやってたことは明確によかったことの一つです。もしこれを見ている修士・学部生の後輩たちがいれば、僕が先輩として言えることは一つで、ブログ、やろう、ということです。理由は楽しいから。修士行くと、話し相手が壊滅的にいなくなったりするので(僕がそうであった)、そういうとき、ブログはいい感じの趣味になってくれるはずです。

 

 

以上

 

そんな感じです。あとは指導教員の変更とかも大変なことではあったけれど、それはまあ、結局は自分次第だったなって思います。

ちなみに、来年度は、研究科を変えて「聴講生」をやりつつ(文学部の倫理学研究科に行くよ)、去年とは別方面での就活をやっていく予定です。それらもぼちぼち報告する日があるかもしれません。

そうそう、ここでAcknowledgementになりますが、普段から弊ブログを読んでくださっている方にも多大な感謝の念を抱いています。僕がドロップアウトせず、無事今回修了を迎えられたのも、皆さんのおかげだと思っています。これは本当に、そう。

院はこれで卒業になるけれど、今後ともよろしくお願いしますー。