浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

間違いながら成長していく:読書記録#3 今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』(2023,中公新書)

読書記録の3回目になります。おしゃーーーー!!!! この頃、仕事が繁忙期に入り、あまり読書もブログ更新もできていないのですが、頑張っていこうと思います。

今回読んだのは中公新書『言語の本質』です。この本、ご存じの方も多いかと思います。2023年で一番話題となった新書ではないでしょうか。中央公論の2024年新書大賞も受賞しています。要チェック!!

chuokoron.jp

 

読んだきっかけ

まあ、売れてるからですね言語学に特段強い興味があるわけではないのですが、ここまで世間で売れてるのはなぜ.....? と思って手に取りました。

ちなみに、このごろ言語学がブーム的な感じありますよね? ありません? さしもの僕も、一時期「ゆる言語学ラジオ」は視聴していました。言語の話はやはりウケがいいのでしょうか。僕も語源の雑学が好きなので、よく飲み会で披露したりはしています。ただ、そんな新書をちゃんと買って読むほど好きかというとそうでもないです。これだけブームになっているの、なぜなのか誰か考察してほしいですね。

 

#今日の語源コーナー:パウンドケーキ篇

皆はパウンドケーキの「パウンド」って何か知ってるかな? これは実は「ポンド」のことで、1ポンドずつの卵・バター・小麦粉・砂糖を混ぜて作るからパウンドケーキなんだって! じゃあ1ポンドってどれぐらいの重さなのかな? 答えは453グラムだよ!結構だな! 453 ×4で1812グラムだからめっちゃ多いね。今日の雑学終わり。飲み会で披露していいよ(参考)。

 

内容紹介

本書はオノマトペ研究」の一冊です。皆さん、オノマトペ、ご存知でしょうか。ザラザラとかフワフワとか、そういうやつですね。本書の構成としては、このオノマトペの特徴に注目し、果たしてオノマトペは「言語」と呼べるのか? という疑問から入り、そこからどんどん発展して「そもそも言語とは何なのか??」という世界に入っていくというものとなっています。

本書はかなり、硬派です。さすがは岩波新書...... と思いました。言語学について優しく教えていくというよりは、しっかりと学術研究に基づいて、専門用語も使いながら著者の自説を展開していくものとなっています。ので、僕の方で内容紹介するのが難しくもあります(人に説明できるほどがっちり理解できたかといえば怪しいので、、、)

本当にざっくりと解説すると、オノマトペを言語じゃねえと言う輩もいるが、オノマトペは言語が言語たる特徴を備えているし、なんならオノマトペがあることで人間の言語習得がかなり助かっているのでは? という感じになります。詳しくは本書をお読みください。というか、この本は人気なので、多分ユーチューブとかにも解説が溢れているはず、、、 解説系ユーチューバーってやっぱ儲かってるんですかね? 知っている人いたら教えて下さい。

 

読んだ感想

シンプルに面白かったです。自分が新書を読むときは、だいたい知識は多少アバウトでもいいので、著者の伝えたいことや全体のストーリー性を楽しむということが多いのですが、本書はそうではなかったです。そうした面白さよりは、単純に知識欲が刺激される面白さがありました。硬派なんだけれど、専門知識がなくてもちゃんと付いていけるところがよかったですね。漫画で例えると『デスノート』的な硬派な面白さですね(最近読み返したので.....)

感想として、一箇所、特に印象に残った点を挙げると「ブートストラッピング・サイクル」という言語の習得過程についての議論があります。ブート・ストラップなので、語源的にはブーツについているストラップのことらしいです(履き口のかかと側についているつまみのことで、ここを持ち上げることでブーツが履きやすくなる)。転じて、「自分の力で、自分をより良くしていく」という意味を持っており、言語習得に関して言えば、単に外部から知識を与えられるだけでなく、それを自分自身で・自分の力で活用していくことで、その習得が可能になる、という話となっています。記号接地問題とかとも繋がるところですね。

で、我々人間は、こうして言語を「使いながら学んでいく」ということになりますが、その時、過剰な一般化を行っているらしいです。

ここでちょっと話変わって、今度は「対称性推論」の話になります。対称性推論というのは、例えば「XはAである」という知識を得た際に、その逆側、つまり対称の観点から「AはXである」と推論することを指しています。例えば、「欧米の人は遺伝的に鼻が高い」という話を聞いた後に、「マイクさんは鼻が高い。つまりあの人は欧米の人だ」と推論することなどがあります。

当然これは論理的には真ではないです(鼻が高い=欧米人とは限らない)。論理的には真ではない推論として、他にも相互排他性推論なども挙げられていて、本書ではそれらをひっくるめて「アブダクション推論」として紹介されていますアブダクション推論についての詳しい説明はここでは割愛。ともかく「論理的には真とは限らない推論」という理解でOKと思う)。ここで面白いのが、こうしたアブダクション推論を行うのは、動物の中でも人間に特徴的であるらしいということです。人間と人間以外の動物を比較した際、アブダクション推論を行うかどうかに大きく違いが表れるそうです。

例えば人間の幼児は、丸くて赤い果物を渡されて「これはアップル」と説明されれば、その後に「アップルを取って」と言われても、問題なく丸くて赤い果物を渡せるらしいです。これは「丸くて赤い果物→アップル」を学習すると同時に、「アップル→丸くて赤い果物」と対称的にも学習していることを表します。ただ、これをチンパンジーなどで実験するとそうではなく、「X→A」を学習させたとしても、「A→X」で反応するとは限らないらしいです。一部引用。

チンパンジーの]アイが「黄色い積み木は△、赤い積み木は◇」と学習しても、「△は黄色い積み木、◇は赤い積み木」と選べないのは、論理的にはまったく正しいのである。対象→記号の対応づけを学習したら、記号→対象の対応づけも同時に学習する。人間が言語を学ぶときに当然だと思われるこの想定は、論理的には正しくない過剰一般化なのである

今井むつみ,秋田喜美. 言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか (中公新書) (pp.227-228). Kindle 版. 太字と[]は引用者。

このように我々は、全く論理的には真ではない推論をしばしば活用します。そして筆者の主張は、このような「論理的には真ではない推論」によって、我々の言語習得が可能になっているのではないかということです。また引用します。

人間は、アブダクションという、非論理的で誤りを犯すリスクがある推論をことばの意味の学習を始めるずっと以前からしている。それによって人間は子どもの頃から、そして成人になっても論理的な過ちを犯すことをし続ける。しかし、この推論こそが言語の習得を可能にし、科学の発展を可能にしたのである。Kindle版p224、太字は引用者)

「我々はどのように言語を習得するのか?」ということについて「間違った推論をしながらも、それを修正しつつ、とにかく活用していくことで学んでいくのだ」というのが面白かったです。誤りを犯しながらも進んでいく...... この、完璧じゃなくていいんだというのが、個人的には印象に残ったところでした。

全然関係ない話ですが、この頃の我々の社会は、どんどん「なろう化」しているのではないかと思います。『なろう化する日本社会』という新書が出てもおかしくないのではないか。ここで僕が「なろう化」という言葉で表したいのは、最初から最強でなければ我慢ならないというメンタルのことです。失敗したり挫折したりしながらちょっとずつ、というのがあまり好かれず、初期ステータスとして「センスがある」「才能がある」「器である」ということが、この頃やたら重視されすぎな気がします(天才を題材とした作品も供給過多なぐらいだし......)

ので、本書を読んで、「我々の言語習得プロセスの根幹に、そもそも誤った形の推論がある」というのは、非常に興味深いことでした。最初から間違えない人間なんていないのだと。というより、間違えるからこそ我々はこうして言語という武器を手に入れて、他人とコミュニケーションが取れているのだと。そういう話、好きです(フェチ)。間違えるからこそ学べるのだ、という話まで広げていいか分かりませんが、ともかくこの点は印象に残りました。筆者も次のように本書を締めくくっています。

アブダクション推論は新たな知を生み出す推論である。知の創造に失敗と誤りはつきものである。その意味で、筆者たちの探究は、これからも続く。山登りの頂上がゴールではない。本書で展開した論考を拡張し、精緻にし、誤りを修正しながら、言語という宇宙の旅をこれからも続けていく。Kindle版p252)

というわけで、抗おう、なろう化!! でした。なんの話だったっけ。今日は本当に、脱線ばかりですみません。

 

 

以上

本書の感想のまとめとしては、「新書としてはかなり硬派で、しっかりした姿勢で読んでいく必要があるが、言語研究の深みをどんどん味わえて面白い」となります。

去年の千葉雅也『現代思想入門』もそうだったけれど、新書といえどもしっかり硬派なものが好まれる傾向があるのでしょうか。僕自身は、もう学術書を読む体力がないので、こうして趣味として新書を読んでいますが、もう少しどっしりと腰を据えて読んでいくのがよいのかもしれません。新書だからといって侮るなかれということですね。

とはいえ、本書はそこまで上級者向けということもなく、普通に通勤時間に電車で読む分にもちょうどよいと思います。売れている新書だし、「言語」という誰にとっても身近な話題なので、「最近読書してなくて読書筋が凝ってきたな〜〜」という人にもおすすめです。

 

.......と言いつつ、次回の読書記録は、もう少しライトな本を扱う予定です。皆さん、妻に稼がれる夫の気持ち、考えたことありますか? 次回はそういう本を扱う予定です。お楽しみに。