ども! 今日は前回に引き続き、最近読んだ本の感想となります。今回は第2回。こうして無事2回目を迎えられたことについて、神と自分自身に深く感謝しています。「シリーズとしてやっていく」と言いつつ一回しかやってないの、山程あるからな。これからも頑張ります。
今回は岩波新書、『シンデレラはどこへ行ったのか 少女小説と『ジェイン・エア』』の読書感想記録です。みなさんはこの新書、ご存知でしょうか? 僕はあまり知らなかったです。僕も人におすすめされていなければ読んでなかったと思われる。でも面白かったので、ちゃんと感想を書いていきます。
読んだきっかけ
「次に読む新書を探している」という話をしているときに、後輩からおすすめされた一冊です。ありがとうございます。僕は割と、おすすめされたものは何でも読んだり聴いたり試してみたりするので、いつでもおすすめがあれば教えて下さい(大昔に、おすすめの小説を教えてもらったことがあったが、それもまだ読みきれてないのでちゃんと読みます)。
もう一つ、本書は英文学についての本になりますが、実は大学院生の時にちょろっと英文学の授業を取っていたということもあります。そのときはプーさんを読んだりしていた。で、それ以降英文学とかに触れることはなかったので、久々にあのときの講義の気分が味わえるかなという期待もありました(実際味わえました)。
内容紹介
本書のタイトルは「シンデレラはどこに行ったのか 少女小説と『ジェイン・エア』」となっていますが、正直このタイトルでは何の話かよくわからないと思います。シンデレラはどこに行ったんですか!? これではシンデレラが行方不明になったというか、ゴーン・ガール的なものかと身構えますが(あの映画めちゃ怖いですよね)、これはあくまで「シンデレラ・ストーリー」のことになります。いわゆる、清く正しく生きていれば、いつか魔法使いが迎えに来てくれて王子様と結ばれるというストーリーですね。
この「シンデレラ・ストーリー」については、ジェンダー的な研究が数多く存在します。例えば、こうした寓話の存在が、女性の自立を内的に阻む心理的壁になっているのだとか、そういう話です(「シンデレラ・コンプレックス」と呼ばれる)。かく言う僕も、学部生時代にゼミ合宿で『シンデレラ』を読んだことがありました。ジェンダー的な問題を考えようという内容だったと思います。実際ゼミでも、こういう話を子どもの頃から聞かされることで、女性の内的心理に「結婚するのが幸せなんだ」という価値観が植え付けられるのでは、という議論が出ていたような。
で、「シンデレラはどこに行ったのか」とある通り、本書はシンデレラ・ストーリーというよりは、「その後」を追うものとなっています。その後というのは、シンデレラ以降に出た英米の少女小説のこととなります。
確かに、シンデレラは今でも少女たちに読み継がれているけれど、そうじゃない少女小説もあったのではないか。シンデレラのように、ただ王子様がいつかやってくるのを待つだけではなく、むしろ自分から己の運命を切り開いていくような少女小説もあったのではないか。そしてそれがシャーロット・ブロンテ著『ジェイン・エア』(1847年)となります。
その『ジェイン・エア』がどのような話かと言うと、一言で言えば「少女の試練の物語」です(Kindle版 p12)。ここはまるっと本書から引用しておきます。
それは、孤児もしくは孤児同然の恵まれない境遇に生まれ、美人でなくとも、自分の能力や人格的な強みによって道を切り開き、とりわけ学力によって頭角を現し、自己実現しながら、自分と対等な男性と互いに認め合い、よき友人となるか、もしくは結婚し、その後もライフワークを持ちながら生きる、という形のストーリーである。つまり、試練を乗り越えて自力で幸せを獲得するという新しいタイプの女性像を描いた物語である。
廣野 由美子. シンデレラはどこへ行ったのか 少女小説と『ジェイン・エア』 (岩波新書) (p.12). Kindle 版.
シンデレラとの違いとしては、まず主人公のジェインが美人ではないです(Kindle版 p30)。かつ、シンデレラのように「おとなしく従順」ということはなく、むしろ自分を理不尽に虐げてくる大人に対してしっかり反発し立ち向かっていきます。そしてジェインは、「いつか王子様が迎えに来るのを待つ」のではなく、自ら学業に励み、首席レベルの成績を修めることで、自分の力量で職も手にしていきます。ジェインは孤児で生まれの境遇は悪いですが、こうして「自分の努力によって道を切り開いていく女性像」となっているところが、シンデレラとの違いです(本書第1章)。
ので、本書の構成としては、まず「シンデレラ(シンデレラ・ストーリー)」を紹介しつつも、その後に出てきた「脱・シンデレラ」な物語の行方を追いかけることで、英文学における少女小説の変遷を辿るといったものとなっています。扱われる作品としては、『ジェイン・エア』『若草物語』『あしながおじさん』『赤毛のアン』などなど。正直なところ、僕は一つも読んだことがなかったのですが、本書では各作品についてラストの展開まで書かれているので、ネタバレ厳禁派は気をつけた方が良いです。「赤毛のアン」「あしながおじさん」ぐらいは読んでおけばよかったなと思いました(でも未読でも全然楽しめます)。
そんなこんなで、数々の作品の読解を通して、少女小説にシンデレラ・ストーリー以外の物語もあること、むしろ「少女が気高く立ち向かう物語」があることを示していったのが本書の特徴かと思います(本書ではそれが「ジェイン・エア・シンドローム」と名付けられている)。かつ、そこにどのようなジェンダー論的な意味合いがあるかについても触れられているので、そういう観点からの関心にも応えていると思います。
読んだ感想
感想は大きく分けて3つぐらい書こうと思います。
素人目にも無理のない読解
まず本書の感想の1つ目として、著者による作品解釈の仕方がかなり読者に優しいというか、丁寧だな〜〜と感じました。というのも、「この作品からは〇〇ということが読み取れる」ということの説明が、毎回しっかり根拠を提示したうえで行われており、非常に無理がないというか、すんなり納得できるものでした。
冒頭で、大学院生のときに英文学の講義を取っていたと書きましたが、そのときはなんというか、講義中「その読み方は納得いかね〜〜〜」と思うことが多々ありました。皆さんは『くまのプーさん』の冒頭を読んだことがありますでしょうか。くまのプーさんは一番最初、主人公のクリストファー・ロビンがプーのぬいぐるみを持って階段を降りてくるところから始まります。で、その講義では、「ここで階段を降りてくるという行為には、『これから夢物語に入っていく』というメタファーが込められている」という説明がされていて、正直初っ端から「ほんとか〜〜〜??」と思っていました。もちろん、そういう読解は全然あるというか、むしろこれは定説だという説明をされたわけですが、なんか腑に落ちなさはすごかったです。そんなに、小説内の一つ一つの行為や場面に特定の意味が込められてるんだろうか......というか。
ただ、本書においては、そのように「細かいメタファーを発見していく」というよりは、「客観的に見て明らかな、はっきりしているテーマを確認していく」という要素が強かったように思います。例えばですが、第1章で『ジェイン・エア』を紹介した後、第2章では舞台をアメリカに移して、「『ジェイン・エア』の影響を受けたアメリカ児童文学」の紹介に入っていきます。で、この「ジェイン・エアの影響を受けている」という点について、どのようにそれを判断するのか? という問題があるかと思いますが、本書においては、該当作品内で『ジェイン・エア』が言及されている箇所を徹底的に洗い出して、「こんだけジェイン・エアが作品内で引き合いに出されているんだから、影響を受けてないわけがないだろ」というのを客観的に示してくれています(『赤毛のアン』などでは、作中で主人公が『ジェイン・エア』を読んで感動している場面がちゃんと描かれている)。
そんなわけで、素人目にも納得の行く読解というのが、個人的には本書のよかったところです。難しい専門知識や、精神分析の知識などがなくても、「確かにこの作品からは、そうしたメッセージが読み取れるな」というのがすんなり入ってきました。文学批評系の本を読むとき、ここにどれだけ強引さが無いかが個人的に大事なので、その点本書は非常に素人に優しかったです。研究者内でどういう評価かも気になるけど、まあ新書だしライト層向けというのはあると思います。
孤児の物語といえばNARUTO
次の感想。『ジェイン・エア』とその後継作品(『赤毛のアン』など)の共通点として、主人公が孤児というのがあります。で、主人公は孤児で、周りも嫌な大人ばかりで、基本的には孤独なんだけれど、そこから自分の力で周囲に自分の力を認めさせ、やがて周りを味方にしていく...... という共通点が見られています。ここが、小鳥ぐらいしか友達のいなかったシンデレラの違いとしても挙げられています(Kindle版p73)。しっかり人間の輪を広げていくのだと。
僕はこれを読んで、NARUTOだなと思いました。完全にNARUTOだなと。NARUTO好きなのでナルトの話します。
漫画『NARUTO』の主人公ナルトも孤児で、親や三親等どころか、血の繋がりを持つ人間が一人もいないんですよね。自分が子供の頃はスルーしがちだったけど、あれだけ血縁やら一族が重視されている里で、一人も肉親がいないというのは、想像を絶する孤独だったと思います。かつ、ナルトの中には、かつて里を襲った化け狐が封印されているということで、里中の人間が忌み嫌われています。しかも忍術の才能があるわけでもなく、普通に落ちこぼれ。問題を起こしたときには「どのみちろくな奴じゃねーんだ 見つけ次第殺るぞ!!」と同級生であるチョウジのお父さんに言われたり、家族もいないのに里中から嫌われているという、壮絶な生い立ちを背負っています。
ただナルトは、そんな中でも己の努力と不屈の精神によって、周囲の人間に自分を認めさせつつ、やがては里を背負う忍者になっていくわけです。最初はナルトを化け狐としか思ってなかった里の人達も、やがてナルトを英雄としてい認めていく。まあ九尾のバフなり父方・母方の血筋もあり、最終的には「落ちこぼれどころかむしろめちゃくちゃ恵まれてね?」ともなるわけですが、まあそれでは見合わないような孤独な少年時代を送っているので、そこはよしとしましょう。
なぜNARUTOの話をしているかというと、『ジェイン・エア』『赤毛のアン』などと構図が似ていると感じたからですね。どちらも、嫌われ者だった孤児の子が、己の力で周囲の信頼を手にし、努力で成り上がっていく物語だと思います。
ちなみに、『ハリー・ポッター』と『スター・ウォーズ』(ルーク・スカイウォーカー)についても、主人公の実父・実母がすでに故人なんですよね。ハリーの場合は、屋根裏部屋で虐げられていたところにハグリットがやってきてくれたので、どっちかというとシンデレラ的かもしれないですね。ルークは..... 出しておいてなんだけどよくわかんないのでやめます。
ともかく、本書は少女小説の系譜を追うものだったけれど、少年漫画でも『NARUTO』は似た構図があるなと感じたところです。ここで最近の少年漫画を見ていくと、『鬼滅の刃』では、家族が皆殺しにされつつも妹はしっかり生き残ってます。『チェンソーマン』のデンジくんも、かなり孤独の中で生きてきたけど、生まれついての孤児ではなくて、実は...... という話だし。最近は親との確執を描くのもトレンドなので、全くの孤児の主人公というのは減ってきているかもしれません。そんなわけで、「ここまで孤独を背負った主人公と、そこから道を切り開いていく姿を描いているNARUTOって、やっぱり偉大だなあ」と思った次第でした。何の話??
人生の支えになる物語
とはいえ、ここでもう一回話をひっくり返しますが、じゃあNARUTOを『ジェイン・エア』のような少女小説と同列に位置づけられるかと言うと、ちょっと違うかなとも感じています。これが今日最後の感想になりますが、それが「自分の人生を支える物語」となるかどうかいう観点です。
シンデレラにしろジェイン・エアにしろ、それが少女小説として影響力を持った背景としては、何かしら、物語そのものが自分の人生の支えとなってくれるという要素があったのではないかと思います。例えば、シンデレラであれば、「今がツライ状態でも、清く生きていればいつか苦境を抜け出せる」ということの支えになってくれるかもしれないし、ジェイン・エアであれば、「誰かの助けを待つのではなく、自分から積極的に動くんだ」という指針を与えてくれるかもしれません。著者の廣野さんも、こうした読書体験が、少女にとっては「一生を推進する起爆剤」になりうると書いています。一応引用しておく。
少女が試練を乗り越えて自分の世界を切り開くという物語は、子どものころから女性たちに大きな影響を与え、根強いシンデレラ・コンプレックスから脱却するための助けともなる。とりわけ潜在的能力の高い少女にとっては、そうした物語との出会いがもたらす効力は計り知れなく、一生を推進する「起爆剤」にもなりうる。したがって、ジェイン・エア・シンドロームは、決して軽視することのできない、注目すべき文学的現象であると言えるだろう。(Kindle版p176)
子供の頃に読む物語だからこそ、そこに見られる勇敢な姿勢や幸運な結末に、自分の未来予想も影響されるということは、大いにあると思います。
で、一転、NARUTOはどうなのかというと、別にそういうメッセージを受け取るほどではないかな〜〜という感じです(*個人の感想です)。あくまで作品として面白い・感動できるというのはありますが、少年時代を振り返っても、苦境を乗り越えたナルトのことを思い出して自分も頑張ろうと感じたことはついになかったと思います(螺旋丸の練習とかはしたが......)。岸影様には申し訳ないですが、少年漫画としての楽しみ方としては、あくまでバトルシーンの面白さやストーリー展開だったかなと思います。大人になって読み返してみて初めて、ナルトの生き様ってすげぇなってなってるけど......
だいぶ個人的な感想になりましたが、こういったところに「少女小説らしさ」というのが宿っているのかなとも思います。単に物語が面白いだけでなく、読んだ者に、自身の生き様の指針とできるようなものが宿っているというか、「少女」や「女性」の生き方に影響を与えるというか、そういうものがあるのかもしれないと思いました。もちろん著者も、小説の子供向け・大人向け・少女向けといった区別がそこまで自明ではないことを触れているのですが、ただ、何かしら作品同士の比較を行うときに、そういう視点を取り入れるのもありだなと感じたところです。
ちなみに、僕の人生の支えとなっている文学としては、なにげに高校生のときに読んだ太宰の『斜陽』かなと思っています。高校生の時はいろいろと苦境にあったので、「けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。」というメッセージにはだいぶ力をもらいました。完全な余談でした。逆に少年時代に読んだもので今も影響を受けているものはあんまり思いつかないな..... 怪談レストランとかしか読んでなかったからかもしれない。
懐かしいですね。
以上!!
というわけで、本日は読書感想第二弾でした。
普段、こういう文学論的な本は読まないので、結構新鮮な体験でした。そして非常に面白かったです。途中の感想でも書いたけど、解釈にほとんど無理を感じず、むしろ納得感が強かったのが大きかったです。
次回は、2023年に最も話題だった、あの「言語にまつわる新書」を扱いたいと思います。どうぞ次回もよろしくお願いいたします。
書きました。第二弾です。今後もこの調子で頑張ります。
— あいだた (@dadadada_tatata) February 18, 2024
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ナルトがやっぱり面白い。:読書記録#2 廣野由美子『シンデレラはどこへ行ったのか 少女小説と『ジェイン・エア』』(2023,岩波書店) - 浅瀬でぱちゃぱちゃ日和 https://t.co/vMYq5xi9o7#はてなブログ