浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

大学は迷走し、崩壊し、もう死んでいるのか......?(新書3冊読みました)

ども!! 今年度も残すところ1ヶ月となった今日、みなさまいかがお過ごしでしょうか。春めいてくるとなんだかそわそわしますよね。しません? 3月4月はずっとそわそわしがちなのは僕だけでしょうか。

はい。時候の挨拶はそんなところで、本日は読書感想回です。

 

大学関連の新書を読んだよ!!

3冊読みました。

このところ、家にWi-Fiが通ってないこともあり、かつてないほどに読書欲が高まっています。動画も見れないしゲームもできないから、本を読むことぐらいしかすることがない。めちゃくちゃ本を読み、そして買い足している。なんて素晴らしい環境!! ちなみに、こうやってブログを更新するときなどは、近所のフレッシュネスバーガーに立て籠もっているよ! Wi-Fiも電源もあるし、コーヒーもビールも飲めるので、めちゃくちゃいいところです(モーニングもあるよ!!)

で、自分が来年度からは大学職員になるということもあり、最近は「大学問題」への関心が高まっています。この頃は大学について論じているお手頃な新書等が増えているようで、先月も新刊が出ているので、しっかりチェックしておこうという感じです(おそらく、日本学術会議の任命拒否の問題以降、世間的にも多少関心が高まり、本が出やすくなったのかも)。で、これらに目を通してくおくことで、近年の日本の大学がどんな意味で危機に瀕しているのかを把握しておこうという試みです。

ちなみに、当ブログの読者層としては、おそらく現役の大学関係者が多いはず。ので、大学問題について、一応は当事者意識を持てる人がまあまあいると思います。ただ、もちろん中には「大学とか、もう卒業して4年経とうとしているんだが?」という人もいるはず(僕の学部時代の同期ですね!!)。そういう人からすれば、大学問題というのは、ほとんど興味の湧かないことかもしれません。むしろ知識人ぶってる連中が痛い目に遭ってm9(^Д^)プギャーという人もいるぐらい? わからん。大学って割と嫌われ者になりがちなので......

ただ、既に社会人だという人にとっても、意外と大学って身近な存在であり続けるとも思います。将来自分の子どもや親戚が通うかもしれないし、仕事の後輩や部下も、大学経由で輩出されてくるパターンが多いはず。で、しばらくは大学も次世代の人間が出てくる機関としてあり続けると思うので、ここの問題になんらかの関心を持っておいて損は無い、はず。あと我々の税金も結構な額投入されているというのもあります(国立大学に対して、年間約1兆円使われているらしい)

そんなわけで、一緒に大学の危機について知りに行きましょうよ!! 今回取り上げる本の書名によると、大学は今、迷走し、崩壊し、なんならもう死んでいるかもしれないらしいです。そんな悲しいことある? どんな意味でそういう事態が起こっているか、それを知りに行こうということですね。

で、3冊取り上げてやっていくわけですが、一冊一冊を丁寧に紹介するというよりは(簡単には紹介します)、全体の共通項、あるいは違いを探ってく感じになると思います。先に言うと1万2千字ぐらいになりました。目次を置いておくので、忙しい人は「総括」だけ読んでもらえればOKです。いや本当に忙しい人はここまでも読んでねえか.......

 

 

それではやっていきます。

 

1冊目:田中圭太郎『ルポ 大学崩壊』

最初に紹介するのは、先月出た田中圭太郎『ルポ 大学崩壊』。2023年の2月に出てるので、まだ出版から1ヶ月経ってないです。でももう各地で評判になってる一冊です。

この本、他の2冊と違い、著者がジャーナリストというのが大きな特徴です。田中氏はフリーの記者で、2016年頃から大学の問題に着目し、既に100本以上の記事を書いているとのこと。「ルポ」とあるように、本書は政策の分析や大学論をやるというよりは、どちらかというと、現に大学で苦しんでいる者たちの当事者の声に焦点が当てられています(ただ、政策や法改正の分析もそれなりに行われています)

本書の内容を一言で表すなら、「大学におけるハラスメント特集」だと思います。もう少し言うと、大学で理不尽な目に遭っている人たちの特集ですね。近年の法改正以降、どうも大学への政府や学外者の介入が強まっており、そこでまかり通っている「独裁」やハラスメントを明らかにしています。

 

大学におけるハラスメント

ここでのハラスメントというのは、要は「理不尽な権力行使」のことですね。その例として、パワハラを捏造され解任された北大総長や、某私立大の退職強要研修のほか、京大吉田寮の裁判の問題などが扱われています。どれも、大学の執行部に当たる機関が、理不尽な権力行使をしてきた事例です。それぞれの事案については、↓のネット記事などから読めるので、詳細を追っておくべし。

hre-net.com

president.jp

↑このプレジデントの記事は、本書の抜粋的になっています。

gendai.media

↑これも本書の著者が現代ビジネスで書いた記事。

これらの例の他に本書では、労働法改正に伴う大量の大学教員雇い止め問題や、一部の私立大学が完全に謎ベンチャー化している事例などが取り上げられています。その詳細はここでは省略するけども(ぜひ本書を確認すべし)、この本ね、一冊読み切るとね、かなり暗い気持ちになれますよ!! 実に、暗〜〜い雲が大学に漂っている感じが伝わってきます。特に、一人退職させるごとにコンサルに100万円支払われていた「退職強要研修」とか、ひぇっ......て感じです。

 

なぜそんなことが起きているのか?

で、大学でこうしたハラスメントの嵐が巻き起こっているが明らかにされるわけですが、問題はなぜそういうことが起こっているのかですね。

著者がここで注目しているのが、まず2004年の国立大学法人化と私立学校法の改正、そして2014年の学校教育法改正と国立大学法人法改正です。急に漢字が増えて読む気が失せたかもしれませんが、ごく簡単に言うと、まず2004年の法人化によって、国から大学に渡されるお金が減りました。その結果、大学は自ら資金調達に走らなければならなくなり、いわゆる「運営から経営へ」というやつですが、「稼げる大学」を目指していくわけです。ただ、急にそんなことをするのは当然難しくもあります。そこで2014年の改正で行われたのが、トップの権限の強化でした。トップダウン的に、どんどん施策を進められるようにしようということですね。

例えば、2014年の改正時の「趣旨」として、次のようなことが書かれています。

大学(短期大学を含む。以下同じ。)が,人材育成・イノベーションの拠点として,教育研究機能を最大限に発揮していくためには,学長のリーダーシップの下で,戦略的に大学を運営できるガバナンス体制を構築することが重要である。今回の改正は,大学の組織及び運営体制を整備するため,副学長の職務内容を改めるとともに,教授会の役割を明確化するほか,国立大学法人の学長又は大学共同利用機関法人の機構長の選考に係る規定の整備を行う等の所要の改正を行ったものである。

文科省「学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律及び学校教育法施行規則及び国立大学法人法施行規則の一部を改正する省令について」より  (太字は引用者による)

そんなわけで、「戦略的に大学を運営できるガバナンス体制を構築するために」なんだこのわかりにくい日本語トップの権限を強めたわけですが、その結果として、大学で「独裁」や「私物化」がはびこりやすくなってしまったというのが本書の見方です(10-12頁)。例えば、上の引用では、「教授会の役割を明確化するほか」とありますが、これによって教授会は、今まで「重大な事項を審議する」という位置づけだったのが、単に「求めに応じて学長に意見を述べる」という、学長の諮問機関に格下げされたらしいです。これ「教授たちが大学運営の雑務から解放された」と言えば聞こえはいいけれど、教育の現場に立つ教授たちが運営から閉め出され、学長や執行部が謎の施策をしてきたとしても、「お前らは口出しすんな」と排除された面も大きいようです。例えば、教授たちに何の確認もなしに、謎の新学部が創設されたり研究科の名称変更が行われるなど。

そうやって、法改正によりトップの権限が強まったことで、混沌を極めた大学が増えているらしいです。例えば、「生きている限り学長を続けることが可能になった」という国立TKB大学などがそうですね。この学長も、本来は「学長選考・監察会議」というのによって監視されるはずなんだけれど、この委員のメンバーは学長が自ら選ぶことができるし、あと学外者がやたら入っていたり、文科省の介入も強かったりで、逆に独裁を強める働きをしているらしいです(63頁)。ヤバない?

 

田中本のまとめ

本書の内容については、ざっくりそんな感じ。詳しくは皆さんも読んでみるべし。

本書の特徴は、やはりジャーナリストによるルポ形式を取っていることだと思います。ので、当事者の声というのが豊富に取り上げられていて、「大学でこんな理不尽が起きているのか.......」というのが非常に実感しやすいです。

ただその反面、実際に起こっている紛争について、両者の言い分を公平に聞くというスタンスは薄いように感じました。一つ一つの事案で、「どっちが悪い奴か」というのを、読者が容易に判断できるようになっていると思います。そういう意味では大変読みやすいのだけれど、現状を公平に分析する上では、「おそらく大学側にもこういう言い分があって......」というのがもう少しあるとよいかな〜〜と、個人的には感じました。ちょっと立場が一方に寄りすぎなきらいはあると思います。「大学側が回答を拒否しているから自然とそうなる」というのはあるかもしれないけど.......

とはいえ、非常に豊富な事例が取り上げられているし、「どういう人が、どういう問題で苦しんでいるのか」というのがしっかり伝わってきて、そこが非常によかったです。僕も来年度から職員として働く身として、「ちゃんと労働法勉強しよ......」という気持ちになれました。水町勇一郎『労働法入門』なども購入したので、現在勉強中です。

 

......というわけで、一冊目の『大学崩壊』に関してはこんな感じです。これがあと2冊分続きます。大丈夫か??

 

www.webchikuma.jp

↑ちなみに、Webちくまで「はじめに」が読めます。興味ある人はGO!!

 

 

2冊目:佐藤郁也『大学改革の迷走』

2冊目は、佐藤郁也『大学改革の迷走』です。2019年に出た本で、今回紹介する中では一番古いですね。とはいえ4年前です。

本書の一番の特徴は、何よりもその分厚さと思います。 だいたい470ページあるよ!! 470ページ.......? ちなみに他の2冊はだいたい230ページぐらいです。本当にこれ新書の分量か? 

この本を読み切るのが大変すぎて、しばらくブログ更新が遅れたまであります。でもちゃんと最後まで読み切った上でブログ書いているの、偉くないですか。偉いよな。

本書の内容的な特徴は、主に文科省の政策の検討によって成り立っていることですね。田中本(『崩壊』)がルポ形式だったのに対し、こちらは政策文書の分析をメインとしています。『大学改革の迷走』とあるように、改革、つまり政策への検討を行っています。

ただ、改革政策の費用対効果とか理論的な効用というよりは、どちらかというと、それらの政策文書に見られる稚拙さ・意味不明な表現に焦点が当てられています。つまり、どれだけ曖昧な観念によってこれまで大学改革が進められてきたのか、それを暴く内容になってます。

著者の佐藤郁也氏は、最近は大学関連の本を多く書いていますが、専門は社会調査方法論とのこと。著書に『社会調査の考え方』といった本もあります。本書もその流れで、文科省や大学の作ってる文書を扱って、それがいろいろ混乱していることを指摘するものとなっています。

ちなみに、まえがきから一箇所引用すると、こんな感じ。

実際、この三〇年ほどのあいだに各種の審議会や文部省・文科省から示されてきた改革案の中には、どうみても筋が通らない不可解なものが少なくありません。たとえば、中央教育審議会の答申には、委員として名を連ねている著名な学識経験者や財界人・文化人の顔からすればとういて信じられないほどに稚拙で意味不明な文章が大量に見つけられます

(中略)

事実、それらの政策や指示あるいは評価基準は、政策文書にうたわれているような「改革」を成就させるどころか、むしろ逆に大学における教育と研究の基盤を脆弱なものにし、また大学現場の業務を停滞させてきたのでした(15頁、太字は引用者による)

こんな感じで、「大学改革」を主導するはずの概念が、稚拙だったり意味不明だったりすることを暴いていく感じです。

ただ、こういった「表現の指摘」に留まらず、内部の関係者に聞いた話なども紹介しているので、大学問題に多面的に迫ったものになっていると思います。

 

稚拙・意味不明な用語たち

というわけで、どんなことが書かれているかの紹介です。本書では大学改革関連で出てくる、数多くの稚拙or意味不明な用語や、本来の用法から外れ混乱した概念たちが紹介されるわけですが、それらの筆頭として挙げられているのが、PDCA、KPI、NPM、選択と集中、などなどです。特にPDCAの話に分量が割かれていますね。僕も高校時代から、ことある毎に聞かされているPDCAサイクルですが、大学改革関連の文書ではそれが本当に大量に見られるらしいです。皆がPDCAを回せ廻せと言っているらしい。ただ、これは完全に和製の概念で、しかも本来の用法・使用場面からはだいぶ外れているらしいです。それなのに、狂ったように「PDCAサイクル」のポンチ絵が挿入されてるから、何なの?? という話がされてます(第2章がその話題)。

で、本署の流れとしては、政策文書で何度も繰り返されるこうした表現を指摘して、「こういうよくわからん借り物の言葉使って、『改革ごっこ』してるから、大学は疲弊しているんじゃないですか!!」と主張する感じです。実際、PDCAとか、なんとなく言葉の響きがいいし、「図」もいい感じのを挿入できるので、「改革してる風」を演出するのに持ってこいだと思うんですよね。PDCAだけでなく、上述のKPIや「選択と集中」にも似たようなところがあり、そういう、ビジネス界隈で流行ってる言葉を表層的に取り入れて、改革をした気になってるのが問題だと論じています。しかも本来の用法からは外れているらしいので......

ちなみに、ビジネス界隈からの用語の輸入だけでなく、「海外の大学で流行っていること」を取り入れるのも、文科省や大学がやりがちなことらしいです。その典型例として挙げられているのが「シラバス」です(第1章)。僕は2016年に名古屋大学に入学した当時、電話帳みたいな分厚いシラバスを配られましたが(今もあるのかな?)、ああいうのがまさに「悪しき例」として論じられてます。そもそもアメリカの大学の「sylllabus」は、教授それぞれが自由なフォーマットで作成するものなのに、なぜか日本の「シラバス」はやたらと画一的なフォーマットで電話帳みたいに作成するものになっており、あれで「改革」した気になってるならヤバいといったことが書かれています。

 

なぜそんなことに......?

本書は分厚い分、「問題」もその「原因」も多く書かれているのですが、個人的に気になったのは、大学に対する公的財政支出の乏しさですね。

例えば、OECDの2018年データを参照して本書が言うには、「GDPに対する比率で見た場合、日本の高等教育への公財政支出は、OECD加盟国の平均からすれば半分以下でしかない〇・四%程度という最低水準にある」らしいです(248頁、太字は引用者による)GDPの話は正直よくわからないけど、でもOECD加盟国の平均値は1%らしいので、まあ低いんだろうなというのはわかります。2004年の国立大学法人化以降、国からの予算はどんどん減らされているので......

で、そんな感じに財政支出は少ないくせに、世界大学ランキングからの転落などを受けて、「いやお前らも海外の大学に追いつけよ?」と言ってきているわけなので、これは無理ゲーでは......? と思います。で、低予算の中でなんとか頑張らないといけないので、ビジネス界で流行っている言葉などを取り入れて、「改革している風」の演出が進んでいるのかなと思います。

実際、本書では何度か、「改革の自己目的化」ということが指摘されます(キーワードの一つだと思います)。例えば、大学改革のために何らかの小道具シラバスなど)が必要だとして、本来ならそれを導入して「改革を達成する」ことが目的になるはずが、いつの間にか「その小道具を導入すること」それ自体が目的となってしまったなどです。よくツイッタで先生たちが愚痴っているように、「シラバス」の作成は、授業をうまく運営するどころか、むしろ先生方の事務作業を増やす方向に働いているようです。

シラバスに限らず、こういった「改革の自己目的化」(本書では「小道具偏重主義」とも呼ばれる)が蔓延した結果、大学改革は迷走しているというのが本書の主張です。一箇所引用すると、本書では次のように書かれています。

.......この自己目的化という傾向は、シラバスだけでなく、個別の手法や「小道具」を含む大学改革に関わる政策それ自体についても指摘できます。つまり、日本では往々にして「大学改革何か(国際化、イノベーション、学生たちの人間としての成長等)を実現する」というよりは、「大学改革実現する」ないし「改革をおこなっているという体裁を整える」ことそれ自体が目的になってしまっているのです。(86頁、強調は原文)

そんなわけで本書では、よくわからん外来の言葉を用いて、「改革のまねごと」「経営ごっこ」をしているのが問題だと説かれています。ただ、それは何も、主導者である文科省がすべての元凶というわけではなくて、それに有耶無耶ながらも従ってきた大学や、やたらと大学をサゲる政治家、よくわからん改革を導入するコンサルなども、原因の一端とされています。そんな感じで、大学改革について「単純な悪者探しはやめよう!」と主張しているのも、本書の特徴の一つかなと思います。

 

佐藤本のまとめ

もうだいぶ長くなってしまっているけど、最後に佐藤本の総評を付け加えると、面白いけど、本当に話が長いとなります。わかりやすく面白く書いてくれているのはわかるけど、いかんせん、たとえ話や小噺が長いところが多いです。ただこれブーメランですか??

あと、もうひとつ本書で面白いなと思ったのは、単に「大学」関連の話に限らず、日本の行政全体のぐだぐだ感も伝わってくることです。PDCAとかKPIとか、ビジネス界隈の流行が大学に適用されているわけですが、これは何もいきなり大学にやってきたわけではなく、先に「行政」の方で実践されていたりします(NPM:新公共経営など)。で、行政で行われたモデルがそのまま大学にも降りてきがちなので、大学改革の迷走というよりは、行政の迷走でもあるように感じました。

この辺の、日本の行政全体がビジネス化の流れや、「経営コンサル」に振り回されているところは興味深いなと思いました。佐藤本でも田中本でも、近年の大学へのコンサル介入の問題が指摘されていて、これは今後ますます加速しそうなので、それがどうなるか注目したいところですね。

総括として、佐藤本は大変分量が多いけど、文章が平易で読みやすいし、現状の問題点や、改革の歴史を捉える上では最適なようにも思います(読んだ中では)。2019年の本なので、最近話題の「国際卓越研究大学」とか「大学ファンド」への言及はないけど、それは他の本で補おうという感じですね。

 

↑これがその辺を論じていたりする。

 

3冊目:苅谷剛彦・吉見俊也『大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起』

最後は、苅谷剛彦・吉見俊也『大学はもう死んでいる?』です。2020年の本ですね。近所の本屋にふらっと立ち寄ったらあったので、ついでに買いました。佐藤本を読み切るのがつらすぎて、息抜きに読んでた感じです。これも紹介しておきます。

本書の特徴は、2人の先生による対談形式ということにあると思います。苅谷氏は、先の佐藤氏と共著で『50年目の「大学解体」 20年後の大学再生』という本を書いているし、吉見氏の方は『大学とは何か』『大学という理念: 絶望のその先へ』といった本を書いているので、どちらも大学論に精通した先生ということになります。あと二人とも社会学者ですね。ここ割と大事です。

苅谷先生は東大とオックスフォードの両方に在籍したことがあり(現在はオックスフォード大学の教授)、吉見先生は東大に所属しながらハーバードでも教員の経験があるということで、そうした国内外を知っている人たちによる問題提起ですね。対談なので、田中本のようにルポに基づいたり、佐藤本のように政策文書を分析するのではなく、基本的に現場からの経験・実感ベースで語っているところが多いです。

そんなわけで、「内部」からの視点が多いのが特徴と思います。とりわけ、学生の教育の在り方大学職員の在り方について論じているのが、他2冊には無い点だと思いました。ので、その辺りを紹介したいと思います。

 

大学は「死んでいる」のか......?

本書では「死」という言葉を使って大学の問題を指摘しているわけですが、基本的な路線としては、『大学改革の迷走』と似ていたりします。シラバス、GPA、アクティブラーニングやらの「小道具」をやたらと導入して改革を進めようとする姿勢や、ぐだぐだになってる「スーパーグローバル大学創成支援事業」を批判する点は、佐藤本と共通しております。*ちなみに、「スーパーグローバル大学(SGU)」事業の問題点については、日経の有料会員だとこちらなどから読めます。あとは上の佐藤本の165-172頁あたりなど。ので、政策や改革の問題点を知る上では、佐藤本と重複が多いようにも思います。

ただ、本書はそうした大学改革政策だけでなく、どうすれば優秀な学生(問題発見型の学生)が育つかといった、大学教育の在り方も検討しているのが面白いところでした。真に「グローバル」に活躍できるのはどういう人材で、そうした人材を生むために何が必要か、という感じです。

例えば、具体的提言として、一つの講義で取得できる単位数を2→4に増やして(それにより学生が取るべき講義の総数が減り、一つ一つの講義に集中できる)、かつTAを主体としたディスカッションクラスなどを増やしていけば、まず教授が楽をできるし(TAに任せられるから)、学生はディスカッションが鍛えられるし、TAはお金も指導経験も得られるしで、いいこと尽くしだといったことが論じられています(同時に、これは意欲のある学生と先生が揃ってこそ可能という、ある種のエリーティズムなことも指摘されている(80頁))。他にも、ICU国際教養大学における英語教育の取り組みや、東大のグローバルリーダー育成プログラムなどが、具体的な成功例として言及されています(205-212頁)

もう一点、大学職員の在り方について書かれているのもよいところだなと思いました。本書で言っているのは、大学職員ももっと専門化すべしということです。今の大学(特に国立大学)は、事務のことも何でも教員主導になりがちで、そのせいで教授会も途方もなく長引いているから、もっと職員が決定権を持って決めていってよいということですね。

吉見:(中略)要するに、日本の大学、とりわけ国立大学は分業化ができていないのです。この教員の決定領域と職員の決定領域の境界線を引き直すこと、それによって一方では職員の専門職化を勧め、他方では教員の管理業務を大幅に減らすことがとても重要ですね。大学自治とは、けっして何でもかんでも教員たちが決めていくことではないんです。(113頁、強調は引用者)

↑の引用にあるとおり、教員がやるべきことと職員がやるべきことの分業化が大事とされています。

大学改革系の議論、文科省や教授たちが登場することは多々あっても、「職員」がアクターとして登場することは少ないように感じます。とりわけ、これからの大学職員はどうあるべきかについては、大学論の中で書かれていることはあんまりないと思います。ただ、本書ではこの点も拾ってくれていたので、そこはポイントだなと思いました。

そんなわけで、教授たちを雑務から解放しつつ、いかにより質の高い学生(問題発見やアーギュメントのできる学生)を育てていくか、というのが、本書の主要な問題関心であったと思います。他にも、文系/理系論について書かれていたり、オックスフォードの教育システムについて書かれていたりと、内容的にも色々豊富でした。で、本書のタイトルは、「大学はもう死んでいる?」と疑問形なわけですが、本当に「死んでいる」のかどうかは、ぜひ読んでみて確かめていただくということで........ 

 

苅谷・吉見本のまとめ

一応、本書の気になった点も言っておくと、対談形式ということもあり、なんかお偉い先生方がごちゃごちゃ言ってんなと感じるところもなくはないです。純粋に大学問題について知りたいという人より、苅谷ファン、吉見ファンの方々の方が、本書は楽しめるかもしれません。ところどころ、社会学の知見を何の説明もなしに出してくるというか、「初心者に優しくねえな!!」と感じるところもありました(163頁など)。『崩壊』や『迷走』と違い、どういう読者層を想定しているんだろう? というのが微妙に分からなかったです。

あとはまあ、長いこと大学にいる人々からの提言となっているので、もう少し若手からの視点も紹介されていると、バランスはよいかな〜と感じました。既に「大学人」としてポジションを確立している人からの問題提起なので、もう少し違う世代からは、違う問題提起もされるだろうなという感じです。あんまうまく言えんけども。

ただ、大学の内部にいて、何人もの学生を見ている立場からすると、こういう実感が湧いてくるんだなというのが分かる点で、本書は大変面白かったです。田中本も佐藤本も、どちらかというと「外部」からの分析であったため、この点は他の本にない特徴だなと思いました。

 

 

総括!!

ここまで長々と書いてきたけど、現在の大学の問題をまとめると、だいたい次のようになると思います。

  • シンプルに予算がない!! ので「稼げる大学を目指しつつ、海外の大学の研究水準に追いつけ」と言われても根本的にキツい。
  • 「稼げる大学」「グローバルな大学」を目指して、ビジネス界隈の用語を取り入れたり、海外の大学が行っている取り組みを導入したりしているけど、単純に中身が伴っていない。その結果、小道具を導入することそれ自体が目的になったり、「改革のための改革」に終始している。
  • 教授も雑務で忙しい!! 大学運営のための職員/教員の分業化が進んでいない。
  • と思ったら、今度は学長や執行部の権限を強くしすぎて、大学の独裁・私物化が進んでしまった。ハラスメントも止まらないよ......

という感じ。たぶん。あと、学外者や政府による干渉が強まっていることも挙げられるかもしれません。

思ったのは、現状の大学問題というのは、世界大学ランキングから転落するなど、「海外の大学に差を付けられている」ということそれ自体にあるのではなく、そこを何とか脱しようと謎の改革を連発して、大学全体が疲弊していることにありそうだ、ということです。少なくとも、上記3冊の論調は全部そんな感じでありました。

それで言えば、最近ホットな「国際卓越研究大学」の問題点も同様かもしれません(今回は扱えなかったけど)。あれも「いかにして海外の大学に追いつくか」ということよりは、むしろ「この政策によって、余計に国内の大学がぶっ壊れていかないか」が懸念されているように思います。というわけで、現在の大学問題というのは、そうした改革の迷走にあるんだな〜〜という感じです。

あとは、最後に一つ大きな問いを出すとすると、結局大学の役割って何? というのがあります。

今回読んだ本の中でも、しばしば「大学本来の良さや役割が失われている」という記述がありました。例を出すと、佐藤本(『迷走』)では、大学で進むビジネス化について、「これは、(中略)ある種の『会社』が持っている好ましくない面を安易に模倣し、その結果として大学が『学校』として持っていたはずの本来の良さを自ら放棄しているとしか思えないでしょう」(161頁、太字は引用者)といったことが書かれています。田中本(『崩壊』)でも、初っ端で「大学は研究と教育の場であり、社会の規範となるべき存在だ(9頁)というのが言われ、その後もこうした表現が度々出てきます。

ただ、大学が「ビジネス化」するべきではなく、その本来の良さを守り、社会の規範としてやっていくべきだとしたら、それは具体的にどんなものになるのか? というのは、結構難しい問いだと思います。とりわけ、「稼げる大学」に反対して、それに対抗するビジョンを出すとしたら、どういう「良さ」を推していくのか? というのは、僕もよくわかってないところです。

この点、苅谷・吉見本でも、「大学の価値とは何か、大学は何をプリンシプルに、あるいはどこを目指してお互いにどう手を結んでいくかということがすごく重要です」(36頁、太字は引用者)と述べられていて、僕もその通りだな〜〜と思いました。現状の改革や政策を批判するなら、「では、大学は本来どこを目指すべきなのか?」ということについて、ちゃんと明らかにしておくのが大事やなと感じます。というわけで、これからもそこを頑張って考えていきたいというところですね(雑なまとめ)。

 

 

 

以上!!

めちゃくちゃ長くなりましたが、今日はこんな感じです。全部読んだ人おる? もう少し読んでて楽しい感じにしたかったんですが、普通に難しかったです。すみません。

最初に書いたとおり、最近はWi-Fiがない影響で、めっちゃ本を読んでます。ので、こういう読書感想会を立て続けにやるかもしれません。次はもっと短めにするので、何卒よろしくお願いします。

今日はそんな感じですね。3月、始まったばかりですが、頑張っていきましょう。