浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

財務のお仕事と、読書の日々の振り返り:4月はもう去った......

ども!! 熱いのか寒いのかよくわからないこの頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。服、何着ればいいのか謎ですよね。僕はもうさすがにヒートテックはしまいましたよ。皆さんはどうですか?

 

↑4月半ば、横浜に行ったときの写真。雲がいい感じですね。

 

さて、本当にあっという間ですが、4月が終わってしまいましたよ!! 皆さん!! 人生史上、一番短く感じた1ヶ月だったかもしれません。働き始めて、多くの人と新たに知り合い、色んなことがありました。だからこそ、振り返りが大事だと心得ます。

この4月を一言で振り返ると、意外と仕事はいい感じで、読書も結構がんばれた、となると思います。前回の記事でも書いたけど、現状はそれなりに、仕事の面は余裕のある生活を送れています。

そしてこの4月は、読書についても、これまでにない新たな楽しみ方を見つけられたように思います。その辺りについても振り返っていきます。お待ちかね、プレイリストの紹介もあるよ!!

 

 

 

仕事!!

皆さん、正直なところ僕の仕事生活、本当に興味ありますか? ない? 無かったらごめんだけど、まあ簡単に振り返っていきます。

何をしているのかだいたい分かってきた

betweeeeeen.hateblo.jp

前回の記事では、「OJTという名の現場ぶちこみ投入で、自分が何してるか本当は全然理解してない」という話をしました。その続きになりますが、この頃、自分が何をしているのかだいたい分かってきました! 1ヶ月かけてようやくですね。ちなみにこれって普通なんですかね? どうなんでしょう。

で、それを一言で言うと、自分の場合は「監査との闘い」になると思います。監査って皆さん、ご存じですか? お金の記録をちゃんと付けてるか、なんか知らん連中が調べに来るイベントなんですけど......(詳しくは僕も知らない)。その知らん連中との闘いが、僕の仕事内容の中核になっていると思います。

で、もちろん「闘い」と言っても物理攻撃でボコボコにするわけではないですよ。要は、監査に耐えられるだけの書類をちゃんと作ろう、という感じです。当然、不正を見抜かれないようになんとか誤魔化そうという話ではなく、「監査が来ても何も困らないぐらい、公正で誠実な会計処理をして、この社会に対する責任をしっかり果たすんだ」という感じです。そう書くとめちゃくちゃ立派だな!!

僕は某国立大学で財務系のお仕事をしているわけですが(最近、こういうのはあんまり明かさない方がいいんだろうなと感じるけど、でもやっぱりブログは自由に書きたいので、怒られるまではこんな感じで行きます)、前提として、国立大学法人って国から結構な額のお金をもらってるんですよね。国民の血税によって、研究なり教育なりをしているとも言えるわけです。勿論、税金以外の予算もたくさんあるけど、それはいったん置いておいて...... ともかく、税金が投入されている以上、そのお金がどんな風に使われたのかをしっかり記録して、公正な用途で使われていることをしっかり示していかなければならないわけです。

で、そのときに例えば、もし教授とかが「実験に必要だから」と言いつつ、実はその金で盛大に飲み会してた(実験は行ってなかった)とかだと、「いやそれ税金だからな!!」となるわけです。
あるいは教授が、年間300万の予算を付けて、研究室に秘書を雇います...... と言いつつ、実はその秘書が教授のお母さんで、しかも何の業務もさせずにお金だけ受け取ってたりしたら、「お前...... 税金を私物化すな!!」となるわけです。だからこそ、実験器具を買ったというなら、その研究室に出向いて、ちゃんと納入しているかを確かめたり(あるいはもう、こっちでその器具を発注しちゃうとかもある)、秘書を雇うと言うなら、派遣会社とかに連絡を取って、こちら側でその人材を調達したりだとか、そういうことをするわけです。僕の仕事は大まかに言えばそんな感じですな。

こういうの、研究者からすれば「いちいちめんどくせよ!!」という感じかもしれませんが、まあ仕方ないっすよね......  税金が投入されていて、何より監査があるんですよ、監査が。僕はまだ「監査」というものが何なのかよくわかってないけど、我々にとって最も恐ろしいもので、恐怖の象徴ということは、この1ヶ月でなんとなく理解しました。

仕事については、そんな感じです。

あと、財務の仕事として、未払金の計上とかしています。皆さん、「未払金の計上」ってどんなことか分かりますか?

試しに検索してみると、次のような説明が出てきます。

 

support.yayoi-kk.co.jp

商品の購入やサービスの提供を受けた月の翌月に代金が支払われるケースで、普段代金が支払われた月で経費の仕訳をしている場合、決算月の処理には注意が必要です。
決算月に商品の購入やサービスの提供を受けたものは、その会計期間の経費として計上すべきですが、代金が支払われた月で経費の仕訳を行うと翌年度(翌期)の経費となります。
そのため、決算月に商品の購入やサービスの提供を受けたものは、経費の未払計上をします。
具体的には、以下のように仕訳します。

【例】
12月の電気代12,567円が、翌年1月に普通預金から支払われる

【仕訳】
・12月に電気代を未払計上するときの仕訳

借方勘定科目 借方金額 貸方勘定科目 貸方金額 摘要
水道光熱費 12,567円 未払金 12,567円 12月電気代


・1月に電気代を支払ったときの仕訳

借方勘定科目  借方金額 貸方勘定科目 貸方金額 摘要
未払金 12,567円 普通預金 12,567円 12月電気代

 

 

こういうのね、一月前ならちんぷんかんぷんだっただろうけど、今は何言ってるかだいたいわかるようになってきました。「そうだよね〜」という感じです。それがこの1ヶ月の成果ですね!!

 

読書について

この4月、意外と読書を頑張れました。今は定時で絶対帰るマンをやっていて、平日夜が結構暇です。ので、よく図書館に行ったりしています。

あと、Kindle paperwhiteを買い直しました。以前は、2021年に買ったモデルを使ってたんですが、これが本当にゴミカスOSでして、ストレスの塊だったんですが、新モデルは結構いい感じです! 動作のもっさり感がだいぶ減りました。で、これで毎日、お風呂読書を継続しています。

↑結構いい感じです。先代が酷すぎたのもあるが......

そんなわけで、4月に読み終えた本を、本当に簡単に紹介します。まあたった2冊なんですけどね。

 

1.ジェイコブ・ソール著、村井章子訳『帳簿の世界史』(2015,文春文庫)

前回の記事でも紹介したこちらの本、ちゃんと読み切りました。全13章で370ページぐらいあるので、読み切るのが大変でした。でもめちゃくちゃ面白かったです。

『帳簿の世界史』という邦題の通り、帳簿を付けること、すなわち「会計」によって、歴史がどのように動いてきたかを追う内容になっています。全13章のうち、第11章でようやく「アメリカで鉄道開通」(1860年頃)なので、だいぶ中近世の話が多めです。11章までは本当に、高校で世界史やってたからギリ分かるな〜という感じで、メディチ家とかネッケルとかコルベールとかが出てきて懐かしいです(ちなみにセンターは日本史と世界史で受けたよ)

12章が、20世紀頃の「会計」がフィクションでどう描かれていたかについてで、『クリスマス・キャロル』のスクルージの話とか出てくるので、結構読みやすいです。13章は、リーマンショックがなぜ防げなかったかとかの話で、これも現代に通じるところがあるので、面白く読めます。ので、そんなに世界史好きじゃないよという人は、この12・13章だけ読むのでもいいかもしれません

内容的には、前回も紹介した通り、会計と倫理、そして政治との繋がりとなっています。会計を行う上では、強い職業倫理が求められて、その倫理観が文化的に根付いている体制ほど、歴史を見ると政治的に安定していた、という感じ。この、職業倫理→政治の安定という話は、今までにあんまり見たことのない切り口だったので、とても面白かったです。
あともう一つ面白かったのが、人々は「会計士」に対して、ある種の憧れやかっこよさを抱くと同時に、信用できなさもしっかり感じてるんだ、という話です。お金を緻密に管理する人間は、勤勉・節約家と讃えられることもあれば、守銭奴・拝金主義と罵られることもあるはず。そのあたりの二面性や矛盾を、絵画や小説を題材に読み解いているのも「はわ〜〜〜」という感じでした。

特に印象に残っているのが、会計士に向けられた批判の一つで、「もはや会計士は公平な審判者としての役割を忘れ、法律すれすれのリスキーな会計技術を駆使するだけの人間になってるよ」というものです(350頁)。会計をする上で、法の趣旨や精神を果たそうとするのではなく、ギリギリ違法にならないラインを見つけて力業でなんとかしようとするっていうのは、僕も仕事上、「なんかわかるな.....」という感じです。なんというか、違法じゃないからセーフっていう感覚がね、段々とよく分かるようになってきてます。

その点、本書ではアメリカの超著名な会計士アーサー・アンダーセンを紹介した箇所で、次のように書かれています。

アンダーセンは職業倫理を重んじ、監査人が考えなければならないのは何よりもまず投資家のニーズに応えることだとし、「会計士は財務報告の公正性を保つために、判断と行動に絶対的な独立性を確保しなければならない」と主張する。そして、「シカゴ中の金を積んだところで」自分が不正確あるいは不正だと感じた帳簿にサインさせることはできない、たとえそれで大手顧客を失うことになっても、と断言した。(343頁、太字は引用者)

絶対に公正な審判者であり続けようという姿勢、これね、カッコイイですよね。僕もこういう、職業倫理を身につけたいと思いました。social justiceの人間でありたいですね!!

 

 

2.椎名美智『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』(2022,角川新書)

2冊目。こちら、お風呂Kindle読書で読みました。読みやすかったし、内容的にも大変面白かったです。

その名の通り、敬語研究(「させていただく」研究)の本ですね。探究する問いとして、次の3つが挙げられています。

(1)人々はなぜ「させていただく」を便利だと感じるのか?
(2)人々はなぜ「させていただく」に違和感を覚えるのか?
(3)日本語の敬語の変化の中で、どのような流れがあったから、「させていただく」が好まれるに至ったのか?

椎名 美智. 「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ (Japanese Edition) (p.77). Kindle 版. 

「させていただく」についての便利さ、違和感、そして変遷の3つですね。「正しい敬語の使い方を教えるよ」的な内容ではなくて、「私たちはこの『させていただく』を多用することによって、その実何をしようとしてるのか?」的な話となってます。

僕も最近、仕事でメールを書く機会が増えました。で、「させていただこうと思います」とかの回りくどい表現をよく使っちゃってます。だからこそ、こんなに敬語を飾りまくって、俺たちは結局何をしようとしてるんだ?? という話は、大変面白く読めました。

で、本書で紹介されているのが、言語による「遠隔化」と「近接化」という効果です。例えば敬語を使うと、相手との関係性や心の距離が遠くなり、「遠隔化」が起こる。逆にタメ語を使うと、相手との距離感が近くなり、「近接化」が起こる。そのように、敬語というのは、相手との心の距離感の調整のために使われるんだという話がされています。

そもそも敬語とは、尊い相手に触れないように距離をとるために使う言葉です。つまり、私たちは相手に対する敬意を距離感で示しているわけです。敬意が大きければ大きいほど距離を大きくとることになります。遠ざかることを「遠隔化」というので、敬語には遠隔化作用があると言えます。

椎名 美智. 「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ (Japanese Edition) (p.84). Kindle 版. 太字は引用者による。

私たちはこのように、敬語を遠隔化の道具として、タメ語を近接化の道具として使っています。これまで敬語を使っていたのに、急に使わないで話すと相対的に近づくことになり、馴れ馴れしい感じがします。逆に、これまでタメ語を使っていたのに敬語を使うと、距離ができてよそよそしく水臭い感じがします。敬語とタメ語を相手や場面に応じて臨機応変に使い分けることによって、私たちは相手との距離を調節しているのです。

椎名 美智. 「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ (Japanese Edition) (p.84). Kindle 版. 太字は引用者による。

この「距離感の調整」というのが、個人的にかなり納得でした。これは「させていただく」に限らず、色んなところで使っていると思います。例えば、「〜〜なんすよ」という言い方は、ちょっと馴れ感を出しつつも、他方で丁寧感も出していて、絶妙に相手との距離を測る言葉だなあと思います。4月から社会人始めて、色んな人と会う機会が増えたので、確かにそこでこういうことやってるなというのを感じました。

もうひとつ、印象的だったのが、現代の敬語は必ずしも、相手に対して敬意を示していないという話です。これが本書の核心的な内容になるんですが、じゃあ我々は敬語を使って何をしているのかと言えば、それによって自らの丁寧さ・慎ましさをアピールしているんだという話です。

用法が変化している「させていただく」の使用状況を観察するには、敬語全体の時代的変化も関連づける必要があると思います。第五章で調査結果を総括する際に考察していきますが、私たちの敬語使用が動作主や動作の向かう相手に対して敬意を示す従来の伝統的な敬語から、コミュニケーションの相手、つまり聞き手を意識して、自分が丁寧に話していることを示すタイプの敬語へと傾いてきているのではないかということです。

椎名 美智. 「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ (Japanese Edition) (p.84). Kindle 版. 太字は引用者による。

こんな感じで、実際のデータとかを参照しながら、「させていただく」が相手への敬意を示すというよりは、むしろ自身の丁寧さを示すために使われていることが論じられます。詳しい分析については本書を読むべし。

この「自身の丁寧さのアピール」というのも、かなり納得のいく話でした。僕もコテコテの敬語を使うとき、相手のことを考えるというよりは、「自分がどう見られるか?」という方向に意識が行っているように思います。で、あまりにも相手がこういう用法を使っている時には、確かに「させていただく」に対して違和感みたいなのも生じるなあと思いました。お前、自己防衛のためだけに敬語を使ってるやろ的な......

そしてまあ、当ブログでも基本的に、敬語(丁寧語)を使って書いているわけです。これも本当に、距離感の調整と自身の丁寧さのアピール、両方やってるなと思いました。丁寧語を使うことで、読者に対して一定の距離感を保ちつつ、かつ「俺は独りよがりな文章を書いてるんじゃなくて、ちゃんと読んでる人のことを考えてるんだぜ」というアピールも行ってるなあと、そう思います。
個人的に、「だ・である」系の日記が苦手なんですが、あれってなんとなく、断定口調で、読者のことを全く気にしない感じが出ている気がするんですよね。お前らがいてもいなくても、俺の文章には関係ないぜ的な。で、そういうことを避けるために、僕自身は、読み手をどこかで想定しているような、「です・ます」系の文章を使っているなあと思います。この「思います」もどこかそういう感じですよね。

そんなわけで、言葉の使い方に目を向けるっていうのは、結構面白いなと思った話でした。

村田和代『優しいコミュニケーション 「思いやり」の言語学』(2023,岩波新書

今は↑のような、社会言語学という分野の本も読んでいるので、これも読み終わったら感想を書きたいところです。

 

読書の新しい楽しみ方?

最後にちょっとだけ、最近の読書観について。働き始めてから、以前より、本を読むのが楽しくなったように思います。というより、本を読むときの「楽しみ方」が変わりました。これは最近気付いた変化で、うまく文章化できるかわからんし、だいぶポエミーになってしまってますが、一応書いておこうと思います。

以前より、読書の楽しみ方が変わりまして、この世界を好きになるために本を読むようになったと思います。どういうこと?? どういうことなんですか??

社会人になってから思うのは、(これは知り合いの多くが同じことを言っていたけど)今後の人生のあらましが、なんとなく定まったものように見えてくる、ということです。学生の時は、これからの自分の人生がどうなるか分からず、色んな可能性が見えてました。ただ社会人になると、「だいたいこうだな」というのが分かってくるという話です。もちろん、実際は色んなことが起きて、予想も期待も日々裏切られるのだろうけど、でもやっぱり「だいたいこうなんだろうな〜」という未来予想図は持ってしまいます。

そうすると、次に思うのが、何のために生きるのか? ということで、未来がだいたい(朧気でも)見えてしまうと、「じゃあ、その人生を生きる意味ってあるのかな?」と感じてしまいます。生きる意味、意義、ですね。誰しも、色んなフェーズでこれを真剣に考えると思うけど、社会人になった瞬間、その瞬間は特に、これを悶々と考える契機になると思います。だいたい「60過ぎまで働いてその後死ぬんだな」というビジョンが見えてくるし、「分かりきった未来を生きる意味ある?」ともなります。

で、そこで僕が思う「生きる意味」ですが、、、 この世界は不思議に満ちていて、知れば知るほど面白いから、全然死んでる場合じゃねえ!! と、このところは考えています。「死んでる場合じゃないから生きる」っていう、どこかで聞いたことのあるセリフですね。「この世界が好きだから生きる」と言ってもいいですよ!! おめでたい奴ですか? まあそうかもね!!

当然、面白いことと同時に、理不尽や糞みたいな、というか不条理で不条理を煮た地獄汁みたいなのを飲まされること多いけれど...... でもこの世界って、本当に、知れば知るほど不思議が増えて、そこは最高に面白いと思います。

で、話が一周して戻ってきて、そういう世界の面白さを知るために、読書ってイイよね、、、という着地です。気になる本を読むと、この世界の不思議の解明に、一歩近づけると思います。そうした読書の楽しみ方を、この頃感じているところです。

これが「以前と違う」というのは、院生をやっているときは、もっとこう、読書を何かに役立てようと気持ちが滾っていたように思います。研究に役立てようとか、必要な知識を身につけようとか、そんな具合で。あのときも読書は楽しんでいたけど、もっとこう、常に頭の中に「論敵」がいて、そいつと戦うために本を読んでいた感じです。その「論敵」は、先行研究だったり、身近な教授・院生だったりしたけども、ともかく、どこか切羽詰まった読書をしていたように思います。

そういうのが今はなくなって、もっとこう、「世界を好きになるために」本を読んでいるんだと、少しはそう言えるようになってきています。これがどういうことかというと皆さん、身近な読書量の半端ない院生を思い浮かべてもらって、その人が、「俺はこの世界を好きになるために本を読んでいるんだ」と言うかというと、おそらく、絶対に言わないですよ、たぶん。どちらかというと誰かを殺すために本を読んでるような奴等だからな。あるいはこの世界をぶっ壊すために。それも大事だけど、お仕事を始めてからは、なんかそういう破壊感情がなくなったように思います。

そんなわけで、最近はもうちょっと、違う角度から読書を楽しめるようになってきているという話でした。ポエミーな時間終わり!! ご静聴あざました!!

 

 

4月のプレイリスト

毎月恒例、その月のプレイリストとなります。ただ、今月はあんまりよい感じじゃなかったね。13曲、36分です。

このサムネの場所がどこか分かったらすごい。

通勤をチャリにしていると、あまり音楽を聴く時間がありません。そういうことも相俟って、今月はいい感じの曲をdigれませんでした。

印象に残っているのを一つ挙げるなら、susquachというバンドの「spin the words」かな。

open.spotify.com

susquatch、全然知らなかったけど、めちゃいいですね。これを期に聞こうと思います。ちなみに日本のバンドですよ!!

もうひとつ、このプレイリストにはないですが、4月にリピートしていた曲で、the marshmallow kisses「The Best Days We Used To Have」です。


www.youtube.com

marshmallow kissesというバンド、覚えてますか? 実は先月の記事でも紹介してますよ!! これ、アルバム全体がめっちゃいいんですよね。

この曲の歌詞で、「Don't let our chances turn to regret」というのがあって、意味は「私たちのチャンスを後悔に変えないで」というシンプルなものなんですが、そのシンプルさがめっちゃいいな〜〜と思います。シンプルなのが、結局響く、時もある...... 今がそのときなんだ。

 

 

 

以上!!!

です。月のまとめにしては長くなりましたが、こんな感じです。

読書欲が高まっているので、また近々、2週間に1回ぐらいは、更新したいなと思っています。色んな新書を読んでいきたいところ。そんな感じで、当ブログも頑張らさせていただくので、これからもどうか何卒よろしくお願いいたします。もうかつてのような深夜更新はしないけどな!!

 

 

あいだた on Twitter: "4月の振り返りです。結構たくさん書いてます。 財務のお仕事と、読書の日々の振り返り:4月はもう去った...... - 浅瀬でぱちゃぱちゃ日和 https://t.co/1C8qDLPKsY" / Twitter