浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

大学院生→社会人になって1年目の感想

ども!! 令和5年度も最終日となる3月31日、皆さんいかがお過ごしでしょうか。元気ですか!! 明日から新年度ですよ。準備はいいですか。明日はエイプリルフールでもありますね。嘘の準備はできてますか。エイプリルフールって嘘をついて仕事を休んだりしてもいいんでしょうか。多分ダメですよね。

 

今日は皇居のあたりに散歩に行きました。このビル群、ちょっと『500日のサマー』でサマーがトムの腕に描いていたやつに似ていると思いましたが、改めて見ると全然そんなことはなかった。

 

この頃、暖かい春の訪れを感じつつ、東京で働き始めてもう1年が経つんだなあという感慨に浸っています。正直めちゃくちゃあっという間でした。もう明日からは社会人「2年目」の人間になります。1年目だから・新人だから、という特権を使えなくなるとよく言われますが、別に自分の部署に後輩が来るというわけではなくまだまだ最年少なので、この特権を振り回していこうと思っています。

で、最近日記的な投稿をしていなかったこともあり、今日はこの1年の振り返り的な投稿です。この頃は1年間働いてみて、大学院時代の暮らしとの違いなんかに思いを馳せています。大学院→社会人になってどうだったかとか、そういうことを書いていきます。

 

大学院時代との一番の違い

3月末現在、年度末ということで仕事が繁忙期に入っており、なかなか慌ただしい日々を送っています。残業も日に一時間以上はするようになってきました(基本的に職場が白凰ホワイト様なので、平均的な月残業時間は15時間ぐらいなのだが、今月は30時間行った)。家事とかもだんだんおざなりになってきました。

で、そんな折に、大学院時代のことを思い出すことがあります。あのときはどんな生活を送っていただろうかと。そこで思うのが、大学院時代と今の生活を比較すると、今の生活のほうが圧倒的に、

苦しさがない

というのがあります。このことを最近実感しています。

大学院時代は、毎晩眠りに付く前に「明日はこれをやらなきゃ」というタスク一覧を頭に思い浮かべていました。午前中は授業で扱う論文を読んで、午後には今日見つけた自分の研究用の論文を読んで、夜は院ゼミ用の翻訳を作って...... と常に「次にやること」に追われていた実感があります。それで「どう考えても時間が足りない」「でもやるしかないんだよ」と焦りばかりが生じ、ひたすら眠れないという日も多かったです。特に就活をやっていた時期はヤバかった。。。毎日が不安の塊でした。

で、最近は仕事がハンボーキ・ハンボーキですが、この「寝る前に明日のタスク一覧を思い浮かべる」という作業はマジでないです。本当になくなったなーと感じるこの頃。

仕事が日常生活を圧迫するほど多忙ではないということもありますが、それ以上に「仕事のことは仕事のときに考えればよい」というメンタルが身についていることが大きいです。大学院にいたときは、いわゆる「定時」の概念が自分の中にありませんでした。24時間、どこかしら、心の片隅でやるべきことを考え続けていたと思う(あの本読まなきゃ.....とか、本当はこんなことしてる場合じゃない...... とか)。そんなフルタイム体制の焦燥感が今はなくなり、仕事のことを考え始めるのは出勤打刻をしてからで、退勤打刻をしてからはもう仕事のことは全く考えなくなっています。では何を考えているのかというと、またγGTPの数値悪くなってたらどうしよ〜〜〜とかそんなことばかり。

大学院生のときは、「曜日」の概念もあまりなかったです。平日と土日の区別がほとんどなく、せいぜい図書館が早く閉まるかどうかぐらいの違いしかなかった。だから今日も明日も同じような日という感覚なのに、「本当はもっとあれをしなきゃ、これをしなきゃ」という焦りばかりやたらと詰まっていた日々でした。

で、しばしば大学院進学はモラトリアムと呼ばれます。僕もそういうふうに考えておりました。ただ、この頃思うのは、この1年を振り返ってみると、必ずしも「学生時代=楽、社会人=苦」というわけではなく、むしろ自分にとっては大学院時代のほうがよっぽど苦しさが多かったなということです。ゆえに1年を振り返ってみても、「仕事が始まってツライ。大学院生のときは良かったな〜〜」といった気持ちは全然沸かないです。この一年は、気持ち的にはだいぶ楽で、なんと不眠症もかなり改善されました。

このように大学院生時代の方がだいぶしんどかったというのは、結構意外性がある話というか、あまり言われることがないように思うので、書いておこうと思った次第です。

ちなみに、じゃあ仕事がめちゃ楽しいのかと言うと、別にそんなことはなく、普通に楽しくはないです。ただ、お仕事は今のところ、「やることをやっていればよい」というのがあります。それに対し大学院時代は「常に自分から何かを探しに行かなければ」という、自分が試されているという感覚がありました。特に、自分が研究者に向いている・向いていないということにずっと悩んでいたし、その意味ではそもそもあまり適応できていなかったのかもしれないですね。

betweeeeeen.hateblo.jp

↑大学院生活の振り返り記事。キングダムの趙王のように暗い。

 

将来の見通しについて

この頃の悩みについです。先ほど、仕事にはあまり苦しみがないということを書きましたが、「悩み」はあります。その悩みは(ありきたりですが)キャリアや将来性についてのものですね。

僕は現在大学職員をやっているわけですが、どのような仕事に携わるかというのは、そこまで自分では選べないです。それは主に人事課に掌握されております。今は財務系の仕事をしているけど、入試課に行けと言われれば入試課に行くし、学生支援に行けと言われれば学生支援に行きます。ある程度希望は出せるけど、叶うかどうかは結構運次第なところがあります。

で、そうすると「自分が数年後にどういう人間になっているか?」というのが、結構想像しづらいです。自分がこれから何者になっていくのかというのを、主体的に形成するのが難しく、将来像や見通しを持ちにくいという悩みがあります。ちなみにこれは大学職員にあるあるの悩みらしいです倉部史記『大学職員のリアル』にも書かれていました)

この点、また大学院との比較になりますが、研究者を目指すルートとは対照的なところがあると感じています。というのも、今の仕事は安定性がありますが、「将来的にどういう人間になっているのか」のイメージは正直掴みにくいです。対して研究者になるルートでは、まず修士号・博士号を取得し、非常勤の職の獲得、博士論文の書籍化、そしてテニュアトラックの獲得など、 細かい達成ポイントがいくつかあり「これから何を目指していくべきか」というのがある程度わかりやすいように思います。もちろんその一つ一つが簡単ではなく、むしろ見通しは暗闇の中ということもありますが、それでも「徐々に何者かになっていく」という感覚がありそうで、そこは少しいいなあと思います。自分の場合は、終身雇用という安定性と引き換えに「この先自分は何者になるのか」という将来像が持ちづらいのが悩みですね。ただただ定年までサラリーを稼ぐだけなのかと......

皆さんはどうですか? 社会人1年目が終わったとき、「自分はこれから何者になっていくんだろう?」という不安、感じていませんでしたでしょうか。まだ社会人じゃないよという方は、多分これから感じるので覚悟しておいてください。この僕が感じさせます。

 

大学院復帰、リスキリングなどについて

そういったキャリアのことで言うと最近は、いずれ大学院に行くこともありっちゃありなのかなと感じています。といっても以前やっていた法哲学の分野で戻るのではなく、もっと実務的なことを学びに行く感じで。最近は、仕事をしていて研究倫理の研究などに興味が出てきているので、そういったより実務に通じたことを学びにいくのもありやなと考えています。キャリアプランとしては自ら専門性を高めに行くルートですね。

これも働き始めてから感じたことですが、僕が自分の専門として法哲学を選んだのは大学1年生冬のことで、かなり早いなと思います(我が大学の法学部はゼミ決定が早かった)。年齢で言うと19歳。そこから25歳まで法哲学を専攻していたわけですが、今思うと明らかに若いですよね。これでもし研究者ルートに進むとしたら、19歳のときに決めたことを軸にずっと邁進していく、ということになっていたかと思います。

ただ、働き始めてみて、少し視野が広がったと言うか、前よりもっといろいろと問題が見えてくるということもありました。学生時代は「法と道徳」というのを研究テーマにしていたけれど、今となっては、あまり自分の問題意識にクリティカルに根差していなかったかな〜〜〜とも思います。あくまで21歳ぐらいに決めたテーマだし、言ってしまえば、まだあまり世間も見えていなかったというか、、、(じゃあ今は見えてるんですか!!!! というのは置いといて.....)。

それで最近は、社会人→大学院生コースの方が、むしろ自分の問題関心が固まってそうでよいかもなとか考えています。お仕事をしていると、自分の問題意識がよりはっきり見えてきたり、「自分はもっとこういうことを解決していきたいんだな」というのが明確になる瞬間があります。ので、学部→大学院のストレートコースが必ずしも理想とは限らず、むしろ社会人→大学院のほうが本当にやりたいこと出来そうだななどと考えています。

まあそんなことを考えるのも、自分の大学院時代がかなり「焦り」に支配されていたところが大きいからですね。学部時代に早めにテーマや専攻を決めて、大学院を選んで、何かをしなきゃ何かをしなきゃと焦っていたというか...... 今は安定した仕事について、そうした焦燥感がなくなりました。で、だからこそ、「このまま自分は老いていくだけなのか」ということを考えるし、もしもう一度大学院に行くのなら、本当に自分がやりたいことってなんだろうなといったことも考えています。

最近はリスキリングというのも流行っているので、自分がこれから何に挑戦していけるのかというのを、令和6年度はもっと考えていこうと思います。前向きで素晴らしいな!!

 

 

そんなわけで、

今日は単なるお気持ち表明でした。そんな感じです。これから先も40年ほど(40年!!?)仕事人生は続いていきますが、毎年度、こうやって自分の位置を確かめながらやっていくのが大事なのかもしれません。

あまり締めの言葉が見つかりませんが、まあ本年度もがんばりますよ!!!! ということで。今後とも弊ブログをどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 


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間違いながら成長していく:読書記録#3 今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』(2023,中公新書)

読書記録の3回目になります。おしゃーーーー!!!! この頃、仕事が繁忙期に入り、あまり読書もブログ更新もできていないのですが、頑張っていこうと思います。

今回読んだのは中公新書『言語の本質』です。この本、ご存じの方も多いかと思います。2023年で一番話題となった新書ではないでしょうか。中央公論の2024年新書大賞も受賞しています。要チェック!!

chuokoron.jp

 

読んだきっかけ

まあ、売れてるからですね言語学に特段強い興味があるわけではないのですが、ここまで世間で売れてるのはなぜ.....? と思って手に取りました。

ちなみに、このごろ言語学がブーム的な感じありますよね? ありません? さしもの僕も、一時期「ゆる言語学ラジオ」は視聴していました。言語の話はやはりウケがいいのでしょうか。僕も語源の雑学が好きなので、よく飲み会で披露したりはしています。ただ、そんな新書をちゃんと買って読むほど好きかというとそうでもないです。これだけブームになっているの、なぜなのか誰か考察してほしいですね。

 

#今日の語源コーナー:パウンドケーキ篇

皆はパウンドケーキの「パウンド」って何か知ってるかな? これは実は「ポンド」のことで、1ポンドずつの卵・バター・小麦粉・砂糖を混ぜて作るからパウンドケーキなんだって! じゃあ1ポンドってどれぐらいの重さなのかな? 答えは453グラムだよ!結構だな! 453 ×4で1812グラムだからめっちゃ多いね。今日の雑学終わり。飲み会で披露していいよ(参考)。

 

内容紹介

本書はオノマトペ研究」の一冊です。皆さん、オノマトペ、ご存知でしょうか。ザラザラとかフワフワとか、そういうやつですね。本書の構成としては、このオノマトペの特徴に注目し、果たしてオノマトペは「言語」と呼べるのか? という疑問から入り、そこからどんどん発展して「そもそも言語とは何なのか??」という世界に入っていくというものとなっています。

本書はかなり、硬派です。さすがは岩波新書...... と思いました。言語学について優しく教えていくというよりは、しっかりと学術研究に基づいて、専門用語も使いながら著者の自説を展開していくものとなっています。ので、僕の方で内容紹介するのが難しくもあります(人に説明できるほどがっちり理解できたかといえば怪しいので、、、)

本当にざっくりと解説すると、オノマトペを言語じゃねえと言う輩もいるが、オノマトペは言語が言語たる特徴を備えているし、なんならオノマトペがあることで人間の言語習得がかなり助かっているのでは? という感じになります。詳しくは本書をお読みください。というか、この本は人気なので、多分ユーチューブとかにも解説が溢れているはず、、、 解説系ユーチューバーってやっぱ儲かってるんですかね? 知っている人いたら教えて下さい。

 

読んだ感想

シンプルに面白かったです。自分が新書を読むときは、だいたい知識は多少アバウトでもいいので、著者の伝えたいことや全体のストーリー性を楽しむということが多いのですが、本書はそうではなかったです。そうした面白さよりは、単純に知識欲が刺激される面白さがありました。硬派なんだけれど、専門知識がなくてもちゃんと付いていけるところがよかったですね。漫画で例えると『デスノート』的な硬派な面白さですね(最近読み返したので.....)

感想として、一箇所、特に印象に残った点を挙げると「ブートストラッピング・サイクル」という言語の習得過程についての議論があります。ブート・ストラップなので、語源的にはブーツについているストラップのことらしいです(履き口のかかと側についているつまみのことで、ここを持ち上げることでブーツが履きやすくなる)。転じて、「自分の力で、自分をより良くしていく」という意味を持っており、言語習得に関して言えば、単に外部から知識を与えられるだけでなく、それを自分自身で・自分の力で活用していくことで、その習得が可能になる、という話となっています。記号接地問題とかとも繋がるところですね。

で、我々人間は、こうして言語を「使いながら学んでいく」ということになりますが、その時、過剰な一般化を行っているらしいです。

ここでちょっと話変わって、今度は「対称性推論」の話になります。対称性推論というのは、例えば「XはAである」という知識を得た際に、その逆側、つまり対称の観点から「AはXである」と推論することを指しています。例えば、「欧米の人は遺伝的に鼻が高い」という話を聞いた後に、「マイクさんは鼻が高い。つまりあの人は欧米の人だ」と推論することなどがあります。

当然これは論理的には真ではないです(鼻が高い=欧米人とは限らない)。論理的には真ではない推論として、他にも相互排他性推論なども挙げられていて、本書ではそれらをひっくるめて「アブダクション推論」として紹介されていますアブダクション推論についての詳しい説明はここでは割愛。ともかく「論理的には真とは限らない推論」という理解でOKと思う)。ここで面白いのが、こうしたアブダクション推論を行うのは、動物の中でも人間に特徴的であるらしいということです。人間と人間以外の動物を比較した際、アブダクション推論を行うかどうかに大きく違いが表れるそうです。

例えば人間の幼児は、丸くて赤い果物を渡されて「これはアップル」と説明されれば、その後に「アップルを取って」と言われても、問題なく丸くて赤い果物を渡せるらしいです。これは「丸くて赤い果物→アップル」を学習すると同時に、「アップル→丸くて赤い果物」と対称的にも学習していることを表します。ただ、これをチンパンジーなどで実験するとそうではなく、「X→A」を学習させたとしても、「A→X」で反応するとは限らないらしいです。一部引用。

チンパンジーの]アイが「黄色い積み木は△、赤い積み木は◇」と学習しても、「△は黄色い積み木、◇は赤い積み木」と選べないのは、論理的にはまったく正しいのである。対象→記号の対応づけを学習したら、記号→対象の対応づけも同時に学習する。人間が言語を学ぶときに当然だと思われるこの想定は、論理的には正しくない過剰一般化なのである

今井むつみ,秋田喜美. 言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか (中公新書) (pp.227-228). Kindle 版. 太字と[]は引用者。

このように我々は、全く論理的には真ではない推論をしばしば活用します。そして筆者の主張は、このような「論理的には真ではない推論」によって、我々の言語習得が可能になっているのではないかということです。また引用します。

人間は、アブダクションという、非論理的で誤りを犯すリスクがある推論をことばの意味の学習を始めるずっと以前からしている。それによって人間は子どもの頃から、そして成人になっても論理的な過ちを犯すことをし続ける。しかし、この推論こそが言語の習得を可能にし、科学の発展を可能にしたのである。Kindle版p224、太字は引用者)

「我々はどのように言語を習得するのか?」ということについて「間違った推論をしながらも、それを修正しつつ、とにかく活用していくことで学んでいくのだ」というのが面白かったです。誤りを犯しながらも進んでいく...... この、完璧じゃなくていいんだというのが、個人的には印象に残ったところでした。

全然関係ない話ですが、この頃の我々の社会は、どんどん「なろう化」しているのではないかと思います。『なろう化する日本社会』という新書が出てもおかしくないのではないか。ここで僕が「なろう化」という言葉で表したいのは、最初から最強でなければ我慢ならないというメンタルのことです。失敗したり挫折したりしながらちょっとずつ、というのがあまり好かれず、初期ステータスとして「センスがある」「才能がある」「器である」ということが、この頃やたら重視されすぎな気がします(天才を題材とした作品も供給過多なぐらいだし......)

ので、本書を読んで、「我々の言語習得プロセスの根幹に、そもそも誤った形の推論がある」というのは、非常に興味深いことでした。最初から間違えない人間なんていないのだと。というより、間違えるからこそ我々はこうして言語という武器を手に入れて、他人とコミュニケーションが取れているのだと。そういう話、好きです(フェチ)。間違えるからこそ学べるのだ、という話まで広げていいか分かりませんが、ともかくこの点は印象に残りました。筆者も次のように本書を締めくくっています。

アブダクション推論は新たな知を生み出す推論である。知の創造に失敗と誤りはつきものである。その意味で、筆者たちの探究は、これからも続く。山登りの頂上がゴールではない。本書で展開した論考を拡張し、精緻にし、誤りを修正しながら、言語という宇宙の旅をこれからも続けていく。Kindle版p252)

というわけで、抗おう、なろう化!! でした。なんの話だったっけ。今日は本当に、脱線ばかりですみません。

 

 

以上

本書の感想のまとめとしては、「新書としてはかなり硬派で、しっかりした姿勢で読んでいく必要があるが、言語研究の深みをどんどん味わえて面白い」となります。

去年の千葉雅也『現代思想入門』もそうだったけれど、新書といえどもしっかり硬派なものが好まれる傾向があるのでしょうか。僕自身は、もう学術書を読む体力がないので、こうして趣味として新書を読んでいますが、もう少しどっしりと腰を据えて読んでいくのがよいのかもしれません。新書だからといって侮るなかれということですね。

とはいえ、本書はそこまで上級者向けということもなく、普通に通勤時間に電車で読む分にもちょうどよいと思います。売れている新書だし、「言語」という誰にとっても身近な話題なので、「最近読書してなくて読書筋が凝ってきたな〜〜」という人にもおすすめです。

 

.......と言いつつ、次回の読書記録は、もう少しライトな本を扱う予定です。皆さん、妻に稼がれる夫の気持ち、考えたことありますか? 次回はそういう本を扱う予定です。お楽しみに。

 

 

 

 

 

 

 

 

ナルトがやっぱり面白い。:読書記録#2 廣野由美子『シンデレラはどこへ行ったのか 少女小説と『ジェイン・エア』』(2023,岩波書店)

 

 

ども! 今日は前回に引き続き、最近読んだ本の感想となります。今回は第2回。こうして無事2回目を迎えられたことについて、神と自分自身に深く感謝しています。「シリーズとしてやっていく」と言いつつ一回しかやってないの、山程あるからな。これからも頑張ります。

今回は岩波新書『シンデレラはどこへ行ったのか 少女小説と『ジェイン・エア』』の読書感想記録です。みなさんはこの新書、ご存知でしょうか? 僕はあまり知らなかったです。僕も人におすすめされていなければ読んでなかったと思われる。でも面白かったので、ちゃんと感想を書いていきます。

 

読んだきっかけ

「次に読む新書を探している」という話をしているときに、後輩からおすすめされた一冊です。ありがとうございます。僕は割と、おすすめされたものは何でも読んだり聴いたり試してみたりするので、いつでもおすすめがあれば教えて下さい(大昔に、おすすめの小説を教えてもらったことがあったが、それもまだ読みきれてないのでちゃんと読みます)

もう一つ、本書は英文学についての本になりますが、実は大学院生の時にちょろっと英文学の授業を取っていたということもあります。そのときはプーさんを読んだりしていた。で、それ以降英文学とかに触れることはなかったので、久々にあのときの講義の気分が味わえるかなという期待もありました(実際味わえました)。

 

内容紹介

本書のタイトルは「シンデレラはどこに行ったのか 少女小説と『ジェイン・エア』」となっていますが、正直このタイトルでは何の話かよくわからないと思います。シンデレラはどこに行ったんですか!? これではシンデレラが行方不明になったというか、ゴーン・ガール的なものかと身構えますが(あの映画めちゃ怖いですよね)、これはあくまで「シンデレラ・ストーリー」のことになります。いわゆる、清く正しく生きていれば、いつか魔法使いが迎えに来てくれて王子様と結ばれるというストーリーですね。

この「シンデレラ・ストーリー」については、ジェンダー的な研究が数多く存在します。例えば、こうした寓話の存在が、女性の自立を内的に阻む心理的壁になっているのだとか、そういう話です(「シンデレラ・コンプレックス」と呼ばれる)。かく言う僕も、学部生時代にゼミ合宿で『シンデレラ』を読んだことがありました。ジェンダー的な問題を考えようという内容だったと思います。実際ゼミでも、こういう話を子どもの頃から聞かされることで、女性の内的心理に「結婚するのが幸せなんだ」という価値観が植え付けられるのでは、という議論が出ていたような。

で、「シンデレラはどこに行ったのか」とある通り、本書はシンデレラ・ストーリーというよりは、「その後」を追うものとなっています。その後というのは、シンデレラ以降に出た英米少女小説のこととなります。

確かに、シンデレラは今でも少女たちに読み継がれているけれど、そうじゃない少女小説もあったのではないか。シンデレラのように、ただ王子様がいつかやってくるのを待つだけではなく、むしろ自分から己の運命を切り開いていくような少女小説もあったのではないか。そしてそれがシャーロット・ブロンテ著『ジェイン・エア』(1847年)となります。

その『ジェイン・エア』がどのような話かと言うと、一言で言えば「少女の試練の物語」ですKindle版 p12)。ここはまるっと本書から引用しておきます。

それは、孤児もしくは孤児同然の恵まれない境遇に生まれ、美人でなくとも、自分の能力や人格的な強みによって道を切り開き、とりわけ学力によって頭角を現し、自己実現しながら、自分と対等な男性と互いに認め合い、よき友人となるか、もしくは結婚し、その後もライフワークを持ちながら生きる、という形のストーリーである。つまり、試練を乗り越えて自力で幸せを獲得するという新しいタイプの女性像を描いた物語である。

廣野 由美子. シンデレラはどこへ行ったのか 少女小説と『ジェイン・エア』 (岩波新書) (p.12). Kindle 版. 

シンデレラとの違いとしては、まず主人公のジェインが美人ではないですKindle版 p30)。かつ、シンデレラのように「おとなしく従順」ということはなく、むしろ自分を理不尽に虐げてくる大人に対してしっかり反発し立ち向かっていきます。そしてジェインは、「いつか王子様が迎えに来るのを待つ」のではなく、自ら学業に励み、首席レベルの成績を修めることで、自分の力量で職も手にしていきます。ジェインは孤児で生まれの境遇は悪いですが、こうして「自分の努力によって道を切り開いていく女性像」となっているところが、シンデレラとの違いです(本書第1章)

ので、本書の構成としては、まず「シンデレラ(シンデレラ・ストーリー)」を紹介しつつも、その後に出てきた「脱・シンデレラ」な物語の行方を追いかけることで、英文学における少女小説の変遷を辿るといったものとなっています。扱われる作品としては、『ジェイン・エア』『若草物語』『あしながおじさん』『赤毛のアン』などなど。正直なところ、僕は一つも読んだことがなかったのですが、本書では各作品についてラストの展開まで書かれているので、ネタバレ厳禁派は気をつけた方が良いです。赤毛のアン」「あしながおじさん」ぐらいは読んでおけばよかったなと思いました(でも未読でも全然楽しめます)。

そんなこんなで、数々の作品の読解を通して、少女小説にシンデレラ・ストーリー以外の物語もあること、むしろ「少女が気高く立ち向かう物語」があることを示していったのが本書の特徴かと思います(本書ではそれが「ジェイン・エア・シンドローム」と名付けられている)。かつ、そこにどのようなジェンダー論的な意味合いがあるかについても触れられているので、そういう観点からの関心にも応えていると思います。

 

読んだ感想

感想は大きく分けて3つぐらい書こうと思います。

素人目にも無理のない読解

まず本書の感想の1つ目として、著者による作品解釈の仕方がかなり読者に優しいというか、丁寧だな〜〜と感じました。というのも、「この作品からは〇〇ということが読み取れる」ということの説明が、毎回しっかり根拠を提示したうえで行われており、非常に無理がないというか、すんなり納得できるものでした。

冒頭で、大学院生のときに英文学の講義を取っていたと書きましたが、そのときはなんというか、講義中「その読み方は納得いかね〜〜〜」と思うことが多々ありました。皆さんは『くまのプーさん』の冒頭を読んだことがありますでしょうか。くまのプーさんは一番最初、主人公のクリストファー・ロビンがプーのぬいぐるみを持って階段を降りてくるところから始まります。で、その講義では、「ここで階段を降りてくるという行為には、『これから夢物語に入っていく』というメタファーが込められている」という説明がされていて、正直初っ端から「ほんとか〜〜〜??」と思っていました。もちろん、そういう読解は全然あるというか、むしろこれは定説だという説明をされたわけですが、なんか腑に落ちなさはすごかったです。そんなに、小説内の一つ一つの行為や場面に特定の意味が込められてるんだろうか......というか。

ただ、本書においては、そのように「細かいメタファーを発見していく」というよりは、「客観的に見て明らかな、はっきりしているテーマを確認していく」という要素が強かったように思います。例えばですが、第1章で『ジェイン・エア』を紹介した後、第2章では舞台をアメリカに移して、「『ジェイン・エア』の影響を受けたアメリカ児童文学」の紹介に入っていきます。で、この「ジェイン・エアの影響を受けている」という点について、どのようにそれを判断するのか? という問題があるかと思いますが、本書においては、該当作品内で『ジェイン・エア』が言及されている箇所を徹底的に洗い出して、「こんだけジェイン・エアが作品内で引き合いに出されているんだから、影響を受けてないわけがないだろ」というのを客観的に示してくれています(『赤毛のアン』などでは、作中で主人公が『ジェイン・エア』を読んで感動している場面がちゃんと描かれている)

そんなわけで、素人目にも納得の行く読解というのが、個人的には本書のよかったところです。難しい専門知識や、精神分析の知識などがなくても、「確かにこの作品からは、そうしたメッセージが読み取れるな」というのがすんなり入ってきました。文学批評系の本を読むとき、ここにどれだけ強引さが無いかが個人的に大事なので、その点本書は非常に素人に優しかったです。研究者内でどういう評価かも気になるけど、まあ新書だしライト層向けというのはあると思います。

 

孤児の物語といえばNARUTO

次の感想。『ジェイン・エア』とその後継作品(『赤毛のアン』など)の共通点として、主人公が孤児というのがあります。で、主人公は孤児で、周りも嫌な大人ばかりで、基本的には孤独なんだけれど、そこから自分の力で周囲に自分の力を認めさせ、やがて周りを味方にしていく...... という共通点が見られています。ここが、小鳥ぐらいしか友達のいなかったシンデレラの違いとしても挙げられていますKindle版p73)。しっかり人間の輪を広げていくのだと。

僕はこれを読んで、NARUTOだなと思いました。完全にNARUTOだなと。NARUTO好きなのでナルトの話します。

shonenjumpplus.com

漫画『NARUTO』の主人公ナルトも孤児で、親や三親等どころか、血の繋がりを持つ人間が一人もいないんですよね。自分が子供の頃はスルーしがちだったけど、あれだけ血縁やら一族が重視されている里で、一人も肉親がいないというのは、想像を絶する孤独だったと思います。かつ、ナルトの中には、かつて里を襲った化け狐が封印されているということで、里中の人間が忌み嫌われています。しかも忍術の才能があるわけでもなく、普通に落ちこぼれ。問題を起こしたときには「どのみちろくな奴じゃねーんだ 見つけ次第殺るぞ!!」同級生であるチョウジのお父さんに言われたり、家族もいないのに里中から嫌われているという、壮絶な生い立ちを背負っています。

ただナルトは、そんな中でも己の努力と不屈の精神によって、周囲の人間に自分を認めさせつつ、やがては里を背負う忍者になっていくわけです。最初はナルトを化け狐としか思ってなかった里の人達も、やがてナルトを英雄としてい認めていく。まあ九尾のバフなり父方・母方の血筋もあり、最終的には「落ちこぼれどころかむしろめちゃくちゃ恵まれてね?」ともなるわけですが、まあそれでは見合わないような孤独な少年時代を送っているので、そこはよしとしましょう。

なぜNARUTOの話をしているかというと、『ジェイン・エア』『赤毛のアン』などと構図が似ていると感じたからですね。どちらも、嫌われ者だった孤児の子が、己の力で周囲の信頼を手にし、努力で成り上がっていく物語だと思います。

ちなみに、『ハリー・ポッター』と『スター・ウォーズルーク・スカイウォーカーについても、主人公の実父・実母がすでに故人なんですよね。ハリーの場合は、屋根裏部屋で虐げられていたところにハグリットがやってきてくれたので、どっちかというとシンデレラ的かもしれないですね。ルークは..... 出しておいてなんだけどよくわかんないのでやめます。

ともかく、本書は少女小説の系譜を追うものだったけれど、少年漫画でも『NARUTO』は似た構図があるなと感じたところです。ここで最近の少年漫画を見ていくと、『鬼滅の刃』では、家族が皆殺しにされつつも妹はしっかり生き残ってます。『チェンソーマン』のデンジくんも、かなり孤独の中で生きてきたけど、生まれついての孤児ではなくて、実は...... という話だし。最近は親との確執を描くのもトレンドなので、全くの孤児の主人公というのは減ってきているかもしれません。そんなわけで、「ここまで孤独を背負った主人公と、そこから道を切り開いていく姿を描いているNARUTOって、やっぱり偉大だなあ」と思った次第でした。何の話??

 

人生の支えになる物語

とはいえ、ここでもう一回話をひっくり返しますが、じゃあNARUTOを『ジェイン・エア』のような少女小説と同列に位置づけられるかと言うと、ちょっと違うかなとも感じています。これが今日最後の感想になりますが、それが「自分の人生を支える物語」となるかどうかいう観点です。

シンデレラにしろジェイン・エアにしろ、それが少女小説として影響力を持った背景としては、何かしら、物語そのものが自分の人生の支えとなってくれるという要素があったのではないかと思います。例えば、シンデレラであれば、「今がツライ状態でも、清く生きていればいつか苦境を抜け出せる」ということの支えになってくれるかもしれないし、ジェイン・エアであれば、「誰かの助けを待つのではなく、自分から積極的に動くんだ」という指針を与えてくれるかもしれません。著者の廣野さんも、こうした読書体験が、少女にとっては「一生を推進する起爆剤」になりうると書いています。一応引用しておく。

少女が試練を乗り越えて自分の世界を切り開くという物語は、子どものころから女性たちに大きな影響を与え、根強いシンデレラ・コンプレックスから脱却するための助けともなる。とりわけ潜在的能力の高い少女にとっては、そうした物語との出会いがもたらす効力は計り知れなく、一生を推進する「起爆剤」にもなりうる。したがって、ジェイン・エア・シンドロームは、決して軽視することのできない、注目すべき文学的現象であると言えるだろう。(Kindle版p176)

子供の頃に読む物語だからこそ、そこに見られる勇敢な姿勢や幸運な結末に、自分の未来予想も影響されるということは、大いにあると思います。

で、一転、NARUTOはどうなのかというと、別にそういうメッセージを受け取るほどではないかな〜〜という感じです(*個人の感想です)。あくまで作品として面白い・感動できるというのはありますが、少年時代を振り返っても、苦境を乗り越えたナルトのことを思い出して自分も頑張ろうと感じたことはついになかったと思います(螺旋丸の練習とかはしたが......)。岸影様には申し訳ないですが、少年漫画としての楽しみ方としては、あくまでバトルシーンの面白さやストーリー展開だったかなと思います。大人になって読み返してみて初めて、ナルトの生き様ってすげぇなってなってるけど......

だいぶ個人的な感想になりましたが、こういったところに「少女小説らしさ」というのが宿っているのかなとも思います。単に物語が面白いだけでなく、読んだ者に、自身の生き様の指針とできるようなものが宿っているというか、「少女」や「女性」の生き方に影響を与えるというか、そういうものがあるのかもしれないと思いました。もちろん著者も、小説の子供向け・大人向け・少女向けといった区別がそこまで自明ではないことを触れているのですが、ただ、何かしら作品同士の比較を行うときに、そういう視点を取り入れるのもありだなと感じたところです。

ちなみに、僕の人生の支えとなっている文学としては、なにげに高校生のときに読んだ太宰の『斜陽』かなと思っています。高校生の時はいろいろと苦境にあったので、「けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。」というメッセージにはだいぶ力をもらいました。完全な余談でした。逆に少年時代に読んだもので今も影響を受けているものはあんまり思いつかないな..... 怪談レストランとかしか読んでなかったからかもしれない。

 

 

懐かしいですね。

 

 

 

 

以上!!

というわけで、本日は読書感想第二弾でした。

普段、こういう文学論的な本は読まないので、結構新鮮な体験でした。そして非常に面白かったです。途中の感想でも書いたけど、解釈にほとんど無理を感じず、むしろ納得感が強かったのが大きかったです。

 

次回は、2023年に最も話題だった、あの「言語にまつわる新書」を扱いたいと思います。どうぞ次回もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

俺も社会貢献を頑張る:読書記録#1 小宮位之『「無料塾」という生き方』(2023)

どもども。寒い日が続きますが皆さまいかがお過ごしでしょうか。

この間、2024年のブログ目標として、一冊一冊の読書記録をちゃんと作成するということを掲げました。詳しくは↓の記事を参照。公式から謎にピックアップされたのでたくさん星が付いている......

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ので、この度は読書記録、頑張っていきたいと思います。

第一弾ということもあり、今回はあまり気合いを入れすぎずに、サクッと書きます。

 

読んだ本

小宮 位之『「無料塾」という生き方』(2023、ソシム社)

 

読んだきっかけ

以前、2023年の振り返り記事を書いたときに、「今後はもっと、ボランティア等の社会貢献活動にも関わっていきたい」ということをぼやきました。ただ、ボランティアと言っても、どのようなものがあるだろうかと考えていた時に、Twitterで流れてきた「無料塾」というワードが目に止まりました。僕の職場は副業が禁止されておりますが、同期でも無償ボランティアとして塾を手伝っている人がおり、この無料塾というものに興味を持ちました。で、Kindleで検索して、この本を買って読んでみたという流れ。

本当はちくま新書の『ルポ 無料塾』の方が先に目に止まっていたのだが、あまり確認せずにこっちを買ってしまっていたというのは内緒。

 

内容紹介(ごく簡単に)

この本の著者は、八王子つばめ塾という無料塾を実際に立ち上げ運営している人。2012年のスタート以来、かれこれ10年以上教室を続けている。著者の小宮さんは、研究者や教育専門家というわけではなく、普通にサラリーマン(映像制作の仕事)をやっていたのを退職して無料塾の運営に携わっている。すごすぎる。

本書は4つの章から成っていて、ざっくりと内容を書くと、

  1. 無料塾とは何なのか??
  2. なぜ著者の小宮さんは無料塾を立ち上げたのか?
  3. 社会支援活動の重要性
  4. 無料塾を始めたい人へのノウハウ

という形になっています。全体的に、無料塾を10年続けてきた著者がこれまでの歩みを振り返りつつ、貧困・格差といったものへの社会的な支援がいかに重要かを語ると言った内容となっています。

 

感想

ここからは、内容紹介も少し兼ねつつ、本書を読んだ感想を書いていきます。

支援の対象者は「やる気を持っている」中高生

第1章「学習支援ボランティア『無料塾』とは」の冒頭にて、著者は自身の塾への入塾要件について、次のように書いています。

八王子つばめ塾に生徒が入塾するには、次に掲げる3つの条件があります。

・ご家庭が経済的に困難であること

・ほかの有料塾、家庭教師に習っていないこと

・本人に勉強をする気があること

この3つの条件をすべて満たさないと、入塾はできません。

小宮位之. 「無料塾」という生き方  教えているのは、希望。 (pp.13-14). Kindle 版. (太字は引用者以下同じ)

で、この箇所は読んでいて早速「おぉっ」と思いました。1つ目、2つ目は当然分かるとして、3つ目に生徒のやる気も求めるのだなと。続く文章でも「やる気のない生徒は来てくれるな」ということがはっきりと書かれています。

実は僕も以前、学部生の時に4年間塾講師をしていたことがありました。個別指導塾で、大抵こういうのは生徒2、先生1で教えるものなのに、たまに生徒4、先生1で教えたりしていた。で、この塾というのは、頑張って進学校を目指そうと言うものでは全くなく、小学生なら、なんとか夏休みの宿題を自分でやりきるようにしよう、中高生なら、頑張って定期テストで平均点を取ろうといった感じでした(月謝も安めだったらしい)。で、逆に言えば、「宿題もまともにやらない」「勉強が嫌いで嫌いで仕方ない」「やる気なんて一ミリも無い」系の顧客生徒が集まってくるわけです。

そんな中で、我々アルバイター講師が社員から言われたことは、「とにかく生徒のやる気を引き出すこと」「話を聞いてあげること」でした。やる気が沸かない・勉強ができない・宿題をやってこないというのはある程度当然として、まあそれでも最低限はできるように頑張りましょうという感じです。

......全然関係ない話ですが、この塾バイトにて、本当に勉強が嫌いな中学1年生男児を受け持ったことがありました。そのとき数学の「場合の数」を教えようとして、「トランプって4つのマークがあって、それが13枚ずつあるわけだから、全部で何通りある?」という質問を出したところ、「トランプって何?」という回答が返ってきました。いやいやそういうボケはいいからと切れ気味で返したところ、割とガチで分からなかったらしく、お互いに「どうすんだこの空気......」となりました。ちなみにこの生徒はサイコロの場合の数を聞いたときも9と答えた。脱線終わり。

話戻って、無料塾の入塾要件に「生徒のやる気」を求めるのはちょっと意外でした。ただこれは、僕の方で勝手に、無料塾に「学習援助」的なイメージを持っていたからだと気付きました。ここでの学習援助とは、例えば学校に通えない生徒に無償で勉強を教える的なもの。ただ、この本でも説明されているとおり、八王子つばめ塾においては公立高校への入学が生徒の目標として掲げられます。つまり「学校の勉強について行ければそれでよい」というものではなく、「未来に繋がる選択肢を自分の手で掴み取ること」が目指されているというわけです。

この点について、「やる気すら抱けない人間もいる」という点は議論になるかなと思いました。自己責任論などへの反論の一種で、例えば「落ちぶれる人間は頑張ろうとすらしないことが悪い」という意見に対して、「そもそも頑張れる心を持っているかどうかについても、ある程度才能が関わっている」という見解はあると思います。僕はこの見解に対して「それは事実本当にそう」と思うところもありますが、同時に「それを言っちゃったらなあ......」と感じるところもあります。

で、本書でも自己責任論自体への反論は強く展開されています。ただ、それはあくまで、家庭の貧困などで「機会の平等」(塾に行く機会)が損なわれているという文脈で展開されており、意欲にすら不平等が生じるという話にはあまり及んでいません。本書の無料塾においては生徒のやる気を明確に求めるので、「自分の力で頑張れない人への支援」というのがどうあるべきか、本書からは離れますが少し考えました。

(ちなみに本書には次のような記述があります。まず著者が生徒にかける言葉として「君たちに『勉強したい』という熱意があるから、私や大勢の講師がここにいるのであって、君たちが勉強しないのであれば、今すぐこの塾をやめてもらってかまわない。」続けて、「八王子つばめ塾は『やる気』だけが、生徒からもらうもの、いわば『月謝』です。やる気という『月謝』を持ってこない生徒は来てくれるな、とはっきり言えるのです」(Kindle版 p16)。このあたりから「生徒が頑張れるからボランティア講師も頑張れる」とするなら、確かに勉強する気すら持てない子への支援とかはボランティアでも辛いだろうなと思いました)

 

貧困・格差への支援を誰が行うのか?

もう一点、本書で印象に残ったこととして、「個人も社会貢献活動に関わるべき」という主張があります。何か社会的な不公正・不平等が生じている時に、個人もその解決に向けて活動するべきなのだと。一箇所を引用してみます。

経済格差や教育格差をどう埋めていくべきかについては、さまざまな角度から意見があります。...(中略)...いわゆる「富の再分配」は政府にしかできないことですから、これは大いにやってもらいたいと思います。

けれども、政府にすべて任せておいて民間の私たちは何もしなくていいということでは、もちろんないと思うのです。子どもたちに勉強を無料で教えてあげることであれば、民間の私たちでも十分できることです。Kindle版 p114)

この点は僕自身、結構反省を迫られたところでした。というのも、一方で自己責任論があり「その人の苦境はその人の努力が足りなかったせい」との見解が根強い中で、もう一方で「どうにもならない苦境というものはあり、それは社会全体で解決するべきものだ」という見解もあり、僕自身は後者の方にシンパを覚えます。ただ、この後者の見解を採るときに、自然と「社会全体の問題=政府が解決するべき」という発想になっていました。つまり、誰にも責任を問えない問題だからこそ、個人に責を問うのではなく、我々の代表たる政府や行政が取り組むべきだということです。

ただ本書では、上の引用の通り、「政府にすべて任せておいて民間の私たちは何もしなくていいということでは、もちろんない」と述べられていて、確かにな〜〜〜〜〜〜〜と思いました。社会全体の課題と見なすことで、自分は特に何もしなくてよいと考える癖が自分に根付いていたなと思います。

本書では続けて、生まれながらの不平等への社会的支援の必要性について、次のように述べられています。これもよかったので本日最後の引用。

(社会的支援の必要性について)それは決して難しい理論でも理屈でもありません。学術的なデータによる検証を待つ必要もありません。効果が期待されるからやるとか、期待されないからやらないという話でもありません。『困っている人がいたら、手を差し伸べる』。ただそれだけの話ですし、それは『特定の誰かがやればいい』という話でもありません。『みんな』の話なのです。Kindle版 p153)

繰り返しになりますが、「社会全体で取り組むべき事」=「俺自身も取り組むべき事」という発想が抜けておりました。というより、こうした発想を断固として持ち、無料塾という存在を維持できている著者の小宮さんが本当にすごいな〜〜〜〜と思いました。僕も自分にできることを頑張っていきたいと思います。

 

その他、小宮さん自身の幼少期の話や、映像撮影の仕事をしていたときの衝撃の話など、印象に残ったところは多々ありますが、ここでは割愛。とりあえず本ブログでは、本書の感想として「やる気すら抱けない子どももいるとして、その者たちへの支援の形はどうなるか」「人任せにするのではなく、自分自身も関わっていくことが大事だ」といったことを挙げました。皆さんもぜひ読んでみてください!!!!

 

 

終わりに

読書感想第一弾となりましたが、意外と長くなってしまいました。

今年はこんな感じで、①読んだきっかけ、②簡単に内容紹介、③感想、という構成で、読書記録を残して行ければと思っています。

あと、本来読もうと思っていた『ルポ 無料塾』についても、いずれ読みたいと思っています。ただ話が重複しそうなんだよな......

次回は、とある少女小説の系譜を辿った新書を扱いたいと思っています。乞うご期待!!

 

 

 

 

 

 

 

2024年の目標:読書記録を頑張って残していきたい

ども!! 2024年が始まりしばらく経ちましたが、皆さんお元気でしょうか。僕はこの間、なんと26歳になりました。僕おめでとう!!! 26歳いうのは何かと中途半端で、25歳だと四半世紀、27歳だと27クラブといった言葉もありますが、26歳は何も無いね。語呂合わせでフロ(26)になるぐらい。中途半端な時間を生きております(*最近、フロの照明にタオルをかけることで、擬似的に明るさを調整出来ることを発見しました。皆さんも試してみてください)

さて本日ですが、そんな2024年の抱負、26歳の目標についてとなります。1月ももう下旬にさしかかっていますが、今年頑張りたいこと、皆さんはしっかりお持ちでしょうか。僕は今日決めます。そして決めたからには頑張っていきたいと思います。

 

2024年、ブログで頑張りたいこと

当ブログもおかげさまで、4年目に差し掛かりました。世の中には20年ぐらいブログを続けている怪人人々もおり、そういう方々には到底及びませんが、折角始めたことなのでしっかり継続していきたいと思います。

で、はてなブログを始めた当初は「インターネットのデブリを増やしていきたい」ということをどっかで書いていたと思います。こう、読んでも時間の無駄にしかならないものをたくさん残していきたい的な...... この頃はそうした初心を忘れ、書くことにだいぶ臆病になっているように思います。今年はそうした姿勢を打破したいですね。

そうしたことを踏まえた上で、ひとまずの2024年のブログ目標は、

 

読書記録を一冊一冊ちゃんと残す

 

となります。今年はこれを頑張っていきます。

昨年、自分でも驚いたこととして、社会人になってから読書量が増えたというのがありました。お風呂Kindleで毎日40分ぐらいの読書となりますが、1週間あれば新書の一冊は読み終わるし、寝る前も寝る前でなんか別の本を読んだりしています。で、たくさん読むのはいいけれど、読んでは次、読んでは次とやっていると、過去に読んだものがあまり記憶に残らなくなります。特にKindleで読んでいると、本棚に飾られて見返した理だとかが無いし、装丁への思い入れなどがセットで残ったりもしないので、読んだ傍から忘れがち。そういうわけで、一冊一冊、しっかり記録を残していくというのを今年は頑張りたいと思います。

ブログを続けるモチベ

で、そうは言いつつも、この時点で、3月ぐらいにはもうやらなくなってそうだな〜〜という気持ちも、本当に正直なところあります。2023年も後半は全然更新できておらず、その理由としては、パソコンに向かってカタカタするというこの作業自体が、普段の仕事と同じすぎて億劫になったというのがありました。仕事で毎日7時間向き合ってるパソコンに、休日や仕事終わりにも向き合う気がどうしても起きなかった。

ただ、本当にモチベゼロなら、そもそもこの記事自体書こうとしていないわけで、若干ながらも更新を支えているモチベが、現時点で2点ほどあります。2024年の終わりまでこれが続いているか分かりませんが、一応それも書いておこうと思います。

① なんだかんだ特技の一つ? だから

一つ目は大して面白くもない理由ですが、結局のところそれぐらいしかやれることがないからというのはあります。なぜ読書記録を投稿するの?? と誰かに聞かれたら、そのことに何かしら意味がありそうだから、と答えるかと思います。本を読むことは好きだし、文章を書くこともまあまあ好きだから、「自分にできる意味のあること」ってこのぐらいかな〜〜と思います。

最近の個人的な悩みとして、「どこにも向かっていない感」「向かっている先がどこにもない感」というのがあります。24歳まで大学院にいて、それなりに色々頑張ってきたわけですが、そこで得たものが日に日に死んでいくのを最近は感じています(暗い話だ.....)。法とか道徳とか強制とか色々学んだけど、それを何かに活かせるわけではなくて、活かせるとしても、それは今も学び続けている学部生や院生には到底敵わないものだなと。単に「かつてやっていた」だけの人間に出る幕は無いなあなどと考えています(最新の知識を取り入れているわけもなく、日に日に衰えていくだけだし......)。そういうことを考えていたら、やろうと思っていたゆっくり動画制作もできなくなってしまいました。老兵は死なずというやつですね(たぶん)。

ただ、そうは言いつつも、本を読んで感想を書く、それぐらいのことは頑張れるぞとも思います。読書の習慣は奇跡的に続いているわけだし、その記録を残すことぐらいはどうにかこうにか..... という感じ。それすらもやらなくなったら、本当に自分のやってきたことが消えるなという気持ちもあります。だから頑張る。

あと、ブログに読書記録を残すことには、大なり小なり意味があるとも感じています。2023年も、ブログに読書記録を書いたところ、Twitterで著者の方から「あざす〜〜」と言われたことがありました。こういうのは嬉しいし、よい効果だと思います。そんなこんなで今年は、頑張れることの最小限を、なんとか紡いでいきたいと考えています。2000字ぐらいでよいので書いていくつもりです。

 

② 頑張っている姿勢を残しておきたい

もうひとつ、こっちはやたら大袈裟な理由となりますが、頑張っている姿を見せておきたいというのがあります。誰に?? と聞かれたら、全世界にですね。何かを習慣として続けることで、俺は頑張って生きているぞ!!!! というのをこの世界にアピールしていきたいと思います。

これは僕だけではないと思いたいですが、何かを変わらずに継続している人を見ると、勇気づけられるというのがあります。特に年齢や境遇の近い人だとそうですね。毎日何かを更新している人がいるとして、普段はその一つ一つをスルーすることがあっても、自分がなにか落ち込むことがあったときは、やたらとそれを見に行きたくなったりします。で、変わらない何かを目にすると安心できるということですね。「この人も頑張っているんだなあ」と。中島みゆきの「世情」もそんなことを歌っていたような。

で、僕も社会貢献の一環というわけでは無いですが、できるだけ「頑張っている姿」は残していきたいと思っています。暗い海に浮かぶ灯台の灯りのように、それが見えると安心できるような存在になりたいですね。そういう思いが、今年は読書記録をがんばろうということのモチベの一つとなっています。変わらない何かを残していきたい。

 

ブログ以外で頑張ること

以上はブログの話でしたが、2024年の全体的な目標は3つあります。

  1. 運動すること
  2. 寄付やボランティア等、社会貢献活動に関わること
  3. 量的インプレッション主義を打破すること

の3つです。

1つ目は単純で、この頃は運動不足がヤバいことになってきたので、2024年は何より運動します。週2~3ぐらいでジムに通いたい。たとえランニングマシーンで走るだけであったとしても、ちゃんと週間としてやっていきたい。

個人的に、筋トレというものが非常に苦手で、続いたことが無いんですよね。なんというか、これは大変な偏った見方なんですが、70年後には何もかも老いさらばえていると思うと筋肉を付けることって虚しくないですか? という気持ちがあります。自分を苦しめることで本当に刹那的な自己肯定感を得るというのがどうにも性に合わず..... こうやっていちいち喧嘩を売ってしまっています。

ただ、今年はあくまで健康のために運動をしたいと思っています。体を鍛えたいとか筋肉を付けたいとか男性ホルモンを活性化させたいとかテストステロン云々ではなくではなく、飽くまで健康のために運動をしたい。というかそろそろしないとまずい。そんなわけで、今まで何かと偏見のあった「ジム通い」も今年は頑張りたいと思います。

2つ目ですが、最近ボランティア関連の本を読んだこともあり、2024年、何かしらの社会貢献活動に関わりたいと思っています。無理だったら最低限寄付だとか...... このあたりは、第一回の読書記録回で詳しく触れようと思います。ともかく、職場以外に「他者」と関わる機会を作りたい、というのが現時点で考えていることです。最近は何もかも「自分の生活」以外に目を向けることがなかったので、そういう気持ちを改めたいです。

3つ目は変な言い方をしたけれど、要は閲覧数とか再生数とか他人のいいねとか気にし過ぎないようにするぞということです。自分がやりたいと思ったことをやる、これが大事。この頃は、何をするにしても、他人の視点を気にしていたような気がするので、そういうところを改めていきたいと思っています。ちなみにこれは完全に漫画『アタックシンドローム類』の影響です。映画「ファイトクラブ」の初っ端で、見栄を張った家具とか片っ端から捨てろ的な考え方がありましたが、あれと似たようなものと思ってください。

 

 

 

というわけで、

なにげに新年最初の更新となりましたが、いかがだったでしょうか。今年はここで宣言したとおり、読書記録の作成を頑張っていきたいと思います。目標は20冊です。ただ実際は6冊とかになるかもしれません。そうなったら本当にごめん。

1月21日現在、すでに2冊の新書を読み終わっており、随時それらで書いていきたいと思っています。乞うご期待!!

そしてこんなブログですが、4年も頑張っていきますので、たまに見ていただければ幸いです。皆さんもぜひ、コメント欄に2024年の目標を書いていってください。よろしくお願いします。

 

 

 

さらば2023年!! 今年のあれこれを振り返る。

ども!! 2023年も残り数時間となった今日、皆さまいかがお過ごしでしょうか。私は実家に帰省して親や姉やその他諸々と過ごしています。そんな中、急遽今年の振り返りを一切していないことを思い出し、自室に閉じこもってMacBookを叩いています。皆さんはこの大晦日、どのように過ごされていますでしょうか。少なくともこんなブログ読んでる場合ではないぞ。

↑地元の実家付近の風景。田舎です。

 

今日はごく簡単に、2023年を振り返ります。今年は一体どんなことがあり、来年に向けて僕らは何を頑張るべきなのでしょうか。1年、あっという間でしたが、総決算を行いたいと思います。

 

 

ブログの話

最初に、この頃サボり気味なブログの話をすると、今年のはてなブログの更新回数は18本でした(これを含めると19になる)。1ヶ月に2本は書いてない計算になるので、今年はだいぶサボりました。ちなみに(ひっそりとやっている)noteの更新数は6です。これは面白くないので見に行かなくていいです。noteとはてブロ、2つ合わせてギリギリ「月2本」という感じですね。

働き始めたら、もっと色々書きたいことが生まれるのではないかと、働く前は思っておりました。例えば、職場では全く読書とか映画の話をできる人がいないけど、ブログでは自由にできるから更新しまくる、とか、仕事では見せられない顔をブログの方で発散しまくる、とか.......

実際のところは全然そんなことはなく、ほとんどブログを書かなくなってしまいました。自分にとってその原因は明白なんですが、それはまた今日の記事の最後に触れたいと思います。ともかくここで言いたかったのは、2023年、ブログを全然更新せずすみませんでした、ということです。もっと書きたかったですね。

 

仕事の話

2023年は、お仕事のスタートイヤーでした。やっぱりこれが今年のザ・ビッグェスト・イベントです。おそらく僕が定年を迎える頃には、定年は80歳ぐらいにまで引き上げられているはずなので、あと55年続くお仕事ライフの最初の1年です。さすがに長すぎて目の前が真っ暗になりかけた(普通に定年を65とするとあと35年)

京都で大学院にいた頃、しばしば他の大学院生から聞いた話で、「誰それは就職してからつまんなくなった」「話題が自分の仕事の話ばっかりになった」というのがありました。大学にいた頃は一緒に読書会とかをやっていたけど、社会に出てからは〜〜というやつですね。

そういうことは、確かにこの1年、我が身を持って実感したように思います(もとから面白かったかどうかは置いといて)。色んなことにある程度多角的な視点を持てていた学生時代と違って、今は何にしても「仕事をしている自分」の視点が真っ先に来るようになりました。貧困や格差の問題を考えるときは、まずは自分の給料に思いを馳せるし、AIの話なんかもまずは自分の仕事にどのような影響が出そうか考えて、政治の話は「今の自分の生活をもっとよくしてくれるのか」に最初に考えが及びます。社会とか、自分以外の人のことはどんどん鈍感になっております。だからこそ、週一でボランティアに行くとか、職場・家族・友人以外の関わりをちゃんと持っておくのが大事なんだろうなと思います。

そんなわけで、仕事をし始めた実感としては、つまんなくなったかもなというのがあります。

とはいえ、仕事自体は結構面白いです。毎度申しているとおり、大学で財務の仕事をしているわけですが、この間日商簿記3級を取りました。簿記というのは、組織のお金の流れを「原因」と「結果」、そして「権利」と「義務」の関係で記録するものですが、この考えが結構面白いです。複式簿記の考え方を採るわけですが、どんなことにも必ず「原因」「結果」の二つの側面から記述します。給料日に預金が増えたら、「給料」が払われた結果として「預金」が増えたと考えるし、借金を返すためにお金を下ろしたら、「借金」を払った結果として「預金」が減ったと考えるし、ともかく何でも双方向から考えます。

そして最後に決算があります。決算では、今年はどれだけ借金をしたか、お金を払ったか、資産を獲得したか、利益を生み出したかを計算して、当期の「純利益」というものを出します。この純利益が大きいほど会社としては成功ですね(いやキャッシュフローこそ大事だという見方もあるかもしれないが)

で、最近は、これがもっと人間の生き方にも適応できるのではないかと考えています。我々は、おいしいものを食べたら嬉しいし、嫌なことがあったらムカつくけど、それももっと、双方向的に考えるべきなのではなかろうかと。おいしいものを食べている裏では、「健康」という資本を失っているかもしれないし、何らかの「負債」を払っているかもしれません。逆に嫌なことがあったときは、その結果として何らかの資産を得ているかもしれません。そして単にその時々を生きるのではなく、「決算」をしてみたら、以外と当期純利益当期純損失が多かったという、、、 こういう「ものごとを双方向的に捉える」「最後にそれらを精算する」という考えは、色んなことに応用できて面白いのではないかと思いますが、これこそがまさに「仕事し始めてつまんなくなった人間の浅知恵」かもしれません(悲しい)。

大学の財務という仕事も、まあまあ面白いです。ちょっとだけ触れると、僕は研究に関わる物品を購入する仕事なんかをしているわけですが(あんまり書くと身バレ等々が本当に怖い)、仕事上、切っても切れない「敵」がいます。その敵こそ、研究不正です。もう少し言うと「研究費不正使用」とか「研究倫理違反」とか。

文科省のHPでは、我が国の研究費不正使用の例が掲載されています。ここで取り上げられている例はそんなに多くはないですが、一件一件の金額が結構大きいです。興味ある方は下記サイトをご覧ください。

www.mext.go.jp

学生時代には見えてなかった世界で、そこは面白いところです。ただ、インボイス制度の始まりとか、世間のよくわからないものに振り回されることが多かったので、そこが大変ですね(あと普通に教授から怒られたりするよ)。まだまだ働き始めのぺーぺーなので、これからも頑張って参ります。

 

読書の話

今年はたくさん本を読みました。主に新書になりますが、「働き始めてから読書量が増える」といのは、個人的には意外な体験でした。

いずれちゃんと2023年度読んだ本としてまとめを作りたいですが、取り急ぎ、印象に残っている本だけ紹介すると、

 

1.学術コミュニケーション入門

この本は本当に面白かったです。働き始めてから、読書はしても「勉強」はしなくなってしまったのですが、こういう本はもっと読んでいくべきだと思いました。大学で研究に関わっている方はぜひご一読してみてください。

 

2.教養としての建築入門

この本、最近読んだばかりで、ブログとかでも紹介してなかったのですが、本当に面白かったです。今年の新書の中ではベストかもしれない。ただ「建築の教養本を読む」という行為がジジイすぎて嫌なんだよな〜〜

以前、今年の4月に更新した記事の中で僕は、「世界をもっと好きになるために読書をしている」という話をしました。皆さんはこの話、覚えておいででしょうか。僕の今年の名台詞ナンバーワンかもしれません。

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その気持ちは今も変わっておらず、やはり2023年の読書は、もっと世界を知るためという意味合いが強かったです。結構、色んなジャンルの本を読みました。今まで読んでいた法学・政治学倫理学の本はそれほど読まず、基礎的な教養系を読むことが増えたと思います。

こちらの『教養としての建築入門』はその最たる例でした。こういう、自分の考えや主張を伝えるというよりは、「自分の専門分野ではこんなことがされてますよ」というのを客観的に伝える本の方が、最近は好みですね。月並みな言い方ですが、日々の日常の中で見かける寺・神社・博物館・官公庁社・企業の建物に対して色んな見方ができるようになって、面白いです。こういう風に、「自分の考えをどう持つか」ということのための読書よりフェミニズムの本を読むときはそういう考えだった)、「もっと世界をどんな風に見られるか」ということのための読書が、最近は増えてきたし、それはある意味でいい傾向のように思います。

 

3.帳簿の世界史

3つ目は『帳簿の世界史』です。この本もバリ面白かったです。

この本は、自分的には「社会人として生きていく方針」を与えてくれた一冊でもありました。というのも、この本に何か思想的に影響を受けたという話ではありません。そうではなく、急に3月に「お前は来月から財務の部署や!!!」と言われ、4月から全く未体験のゾーンにぶち込まれたとしても、なんとか自分で関連書籍を探し、読書体験とともにその未知を乗り越える力が身についた、という話ですね。

大学院時代までの蓄積が生きた瞬間かなと思っています。これからも色んな未知にぶつかるかと思いますが、そのたびに、名著を見つけて乗りこなしていきたいと思います。この本は本当に面白かったですが、ちょっとでも簿記とかやってないと難しいかもしれません。

 

4.アタックシンドローム

『アタックシンドローム類』、今年のベスト漫画です。12.27発売の第4巻で堂々完結となりました。『夏目アラタの結婚』とどっちがベストか迷ったけど、今年完結を迎えたこっちが僅差で勝利ですね(ビッグコミックが強い)。

3巻で一気に展開が変わり、正直不安でしかなかったけど、4巻も最高でした。内容的にはやっぱりファイトクラブが近いんですが、かなりリアルに、令和の日本の問題を扱っているように思います。特に、秒で億を稼ぐようなインフルエンサーをレコメンドで見せられつつも、何とか自分の人生を生きるとか、最悪な親の元に生まれても、そこから頑張って自分の運命を勝ち取るとか、そういう前向きさを持っているところがよかったです(まあそれも一筋縄ではいかないわけだが.......)

僕も量的インプレッション主義を拳で破壊するようになりたいです。

ちなみに、こういう漫画を読んでいたことも含みますが、Kindleでは33週連続の読書記録を更新し続けています。約8ヶ月。社会人としてはまあまあ頑張っているのではないでしょうか。これからも頑張りたいと思います。

 

今年の総まとめ

今年の総まとめとしては、結構バランスよく頑張った1年だと思っています。東京に引っ越し、仕事を始め、人間関係も変わりましたが、まあまあ上手く頑張れているように思います(逆に京都には最低なことを残してしまったが、、、)

で、最後にブログをあんまり頑張れなかった言い訳ですが、あまりにも普段の仕事とやっていることが似すぎているというのがあります。普段僕は、毎日約7時間パソコンに向き合ってるわけですが、流石に家に帰ってまでパソコンに向き合って更新をする気力が起きませんでした。それが一番のブログ更新できなかった理由です。

もうひとつ、Twitterが死に向かっているというのがあります。TwitterがXになったというのは、2023年のインターネットイベントでは最も大きい出来事だったかもしれませんね。Twitterから離れた人もそれなりに多いはずで、僕自身、ブログへの反応をあんまりもらえなくなったな〜〜と感じています(それは単に僕がつまらなくなっただけか??)。その辺も、更新のモチベに影響を与えたところでした。

最後に、Twitterが死んだことで、読者層がよく分からなくなったという問題もありました。僕がモノを書くときのポリシーとして、「読み手のことを考える」というのがあるんですが、最近は誰に向けて書けばいいのか、完全に見失ってしまっています。これはまたいずれ触れるかも。今書くには時間がなさ過ぎる話題でした。

逆に、Twitterとかでリツイートしていただいたり、何らかの反応をしてくれている方々、毎度本当にありがとうございます!!!! 2024年はどうなるか分かりませんが、これからも頑張りたいと思います。

 

今年の音楽

今年、もっとも聴いたアルバムは、

The Marshmallow Kissesの I Wonder Why My Favorite Boy Leaves Meでした。だいぶ前のアルバムですが、これ、本当によかったです。短いので皆さんも聴いてみてください。

今年もたくさん聴きました。ありがとう、Spotify!!。

 

 

以上!!

今年ももう終わってしまうので、今日の更新はこの辺で、、、、

取り急ぎの内容となりましたが、ギリギリ年内に書き終えてよかったです。

2024年、というより、これから先の目標の一つに、「面白い社会人であり続ける」ということがあります。つまらない仕事人ではなく、尖った人間でありたいな〜〜と思ってます。そのためにこれからも、たくさんの読書を続けていきたいところ!!

皆さんはこの1年、どのように過ごし、来年はどのような抱負を持つでしょうか。AIのレコメンドとインプレッション至上主義により己の感性が潰れてしまう前に、ぜひ一度振り返ってみてはいかがでしょうか!?

今年の更新はそんな感じです。重ね重ね、あんまり書けなくて済みませんでした、、、、 よいお年をお過ごしください!! それでは!!

 

2023 東京で秋の心を感じる頃

秋..... みなさん楽しんでいますでしょうか、あるいは楽しみましたでしょうか。

秋はいいですよね。少しずつ生命の終わりが近づいているようで...... 秋は憂愁の季節と言いますが、憂愁の””の字は「秋の心」と書いて「もの寂しい」「思い悩む」という意味があるそうです。いいですね。いいと思います。

11月も終わりを迎えるので、今日は今年の秋を振り返ります。たまにはこういうなんでもない更新があってもよいと思う。

 

秋、全然なかった?

思い返すと、今年の秋は非常に短かったように感じます。9月はまだまだ全然暑く、10月も暑い日と涼しい日を繰り返して、11月になってようやく「秋」感が出てきた、そんな気がしています。

試しに今年の東京の9、10、11月の気温を調べ、折れ線グラフにしてみました(参考:気象庁の統計

してみたけど、よくわかんないですね。普段グラフとか作らないので、全然わからなかったです。ただ、11/6まで、最高25℃を越える日が続いていたのは、結構なことだと思います。
昨今は夏が殺人的に暑く、その余波が9月まで及び、「9月はまだまだ全然夏」という年が続いていますね。グラフを見れば分かるとおり、今年の9月は基本的に最高30℃を越えています。狂ってますね。

そんなわけで、9月はほぼ夏というわけですが、不思議なことに、「後ろ倒しで12月が秋になる」ということは無いように思います。12月といえば忘年会だし、クリスマスだし、年末だしで、冬っぽいイベントが詰まっているんですよね。北の方では11月末あたりから雪も降り始めるし、12月はもう完全に「冬」です。これは譲ることができない。譲るといえば、羽生弓弦の離婚の件は残念でしたね(何の話?)。

そんなこんなで、秋が短くなっていのではないかと感じているこの頃。ただ、今年の秋に関しては、割と色んなところに出かけてみたりしました。初の「東京で迎える秋」ということで、ちゃんと紅葉を観に行ったりしたということ。折角なので備忘録代わりに書いておきます。

 

10/28 高尾山

10月末に高尾山に行ってきました。この日も暑かったです。先ほど調べた統計によると、この日の最高気温は21.4℃。暑いですな〜〜。全然紅葉はしてないです。ただ、豊かな自然を感じられたのでよかったです。

皆さんは、ゲゲゲの女房という朝ドラを覚えていますでしょうか。僕が中学生ぐらいの時だったと思います。学校に行く前にちょこちょこ観ていたのですが、そこで水木しげる役の向井理「高尾山行こうや!!」と言っていたのをよく覚えています。「家族みんなで高尾山に行こうや!!」と(こんなテンションだったかは曖昧)。で、子どもながらに、そのときは「東京に山ってあるの??」と思ったものでした。それ以来、なんとなく高尾山には憧れがあったのです。

今回は一番登りやすいルートから山頂に行っただけでしたが、なかなか楽しかったです。いつかその奥の山にも登ってみたいですね。山登りという趣味、50代ぐらいから始める人もそれなりにいるようなので、年をとってからも楽しめるのがよいところだと思います。ただ、常に死と隣り合わせでもあるので、そこが怖いですね。

ja.wikipedia.org

↑怖いです。

 

ちなみに、途中にあったタコの置物もちゃんとnadenadeしてきました。恥ずかしいので写真は貼りませんが.......

 

 

11/3 旧古河庭園

11/3の文化の日は、旧古河庭園に遊びに行ってきました。北区にある庭園で、コンドルセの建てた洋館と、バラ園・日本庭園が有名です。この日は薔薇を観に行きました。ちなみに最高気温は24.3℃。めちゃくちゃ暑かったです。

紅葉はまだまだですが、旧古河庭園では薔薇がほぼ満開でした。薔薇というものは、春と秋に見頃を迎えるそうですが、皆さんはその理由をご存じでしょうか。なぜ薔薇は春と秋、1年に二度楽しめるのか?

その理由は、薔薇が「四季咲き」であること、つまり「頑張ればどの季節でも咲けること」に由来しています。試しに、解説サイトから引用すると、

「四季咲きばら」とは、生育期間中にある一定の気温以上であれば伸長した枝先に必ず開花が起こる性質を言います。「一定の気温」とは、一般的に夜温15度以上と言われています。ばらは基本的には落葉低木植物なので、日本の気候では冬になると落葉して休眠し、開花はしません。ですが、四季咲きばらの場合は、冬の間でも加温させることにより安定して開花を得ることができます。
四季咲きばらの種類 – 年中咲くばらの性質と系統

つまり、なぜ春と秋に見頃を迎えるかというと、人間がそのように操作してるかららしいです。すなわち我々のエゴ。「春と秋が見頃」という本質が薔薇の中に内在しているわけではなく、人為によってそうなっているという話でした。そんなことってあるんですね。

綺麗、ですな、、、

薔薇は色んな種類があり、どれもカッコイイ名前が付いてたりしたので、結構楽しかったです。皆さんも人間のエゴを観に行ってみましょう。

 

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11/3 六義園

11/3は、旧古河庭園に行った勢いで、文京区の六義園にも行ってきました。ここは旧古河庭園から歩いて15分ぐらいなんですよね。ご近所です。そして完全に日本庭園です。

実は東京には、都立庭園「紅葉めぐりスタンプラリー」というものが存在します。都内の庭園を巡って、紅葉を楽しみながらスタンプラリーを集めようという企画ですね。旧古河庭園六義園も、このスタンプラリーの会場であり、この日だけでスタンプを2個集めたりしました。クラスの友達に自慢したいと思います。

www.tokyo-park.or.jp

六義園も、紅葉はまだまだでしたが、文化の日ということで三味線を弾いてる人などがいて、初めて生の三味線を聴いてきました。意外とロックだった。自然も豊かでいい場所でした。

これは六義園にあったススキですね。モミジとかはまだ真緑だけど、ススキを見ると「秋だなあ」と感じられます。

突然ですが、秋の七草、皆さんご存じでしょうか。秋の七草には覚え方があります。「お好きな服は?」。僕はこれに関して、若干トラウマを持っています。これまた中学時代の話になりますが、当時の僕は文学少年で、辻村深月とかを結構読んでいました。その中で『子どもたちは夜と遊ぶ』という、上下巻の結構長いのがあるんですが、これに「秋の七草」が出てくるんですよね。「お好きな服」というのが暗号で、なんと次に殺されるのは...... という話です。昔読んだのに、今でも結構覚えている。怖かったから。

最近は全然小説を読まなくなったので、またたくさん読んでみたいものですね。

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11/18 国立昭和記念公園

11月18日には、立川市の国立昭和記念公園に行ってきました。この日の最高気温は17.6℃。ようやく秋らしくなってきたように思います。ちらほらと紅い葉っぱたちが綺麗ですね。

東京の一番の紅葉スポットといえば、ここなのではないかと思います。「東京 紅葉」で検索した時も、最初におすすめされることの多かった場所でした。手こぎボートに乗れる池があったり、めちゃくちゃ広い原っぱがあったり、隈研吾が関わってるオシャレカフェがあったりと、行けば1日潰せるいいところです。

ところで皆さん、好きな秋ソングはありますでしょうか? 僕個人の話をすれば、フジファブリックの「赤黄色の金木犀」は鉄板中の鉄板として、もうひとつ毎秋聴いてる曲として、スピッツの「コスモス」があります(アルバム『花鳥風月』収録)。この曲は、まさに”愁”(秋の心)な一曲で、物寂しい雰囲気がたまりません。で、秋にコスモスを見かけると、テンションが上がったり下がったりしています。「真昼の月」も探してしまう。

ちゃっかりボートにも乗ったよ。

 

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11/29 東京大学 本郷キャンパス

最後は東京大学@本郷キャンパスです。訳あって立ち寄る機会がありましたが、イチョウの黄葉がかなり綺麗でした。おそらくこの落ち葉は”わざと”こうしていて、あまり積極的には片付けて折らず、エモい雰囲気を出しています。それに釣られて、毎日写真を撮ったり絵を描きに来る人であふれているようです(キャンバスを立てかけて絵を描いている人もちらほらいた。どうでもいいがキャンパスとキャンバスはよくごっちゃになる)

真っ黄っ黄です。ちなみに、写真を撮っている人の中には、フリーペーパーのモデルでもやってるのかな? という人もいました。結構ガチの写真を撮りにいっている感じです(表紙とかで使えそうな)。

もしかしたら、こういう場所でマッチングアプリ用の写真を撮ることで、「学歴匂わせ」ができるのかもしれません。オシャレなので普通に写真としても映えるけど、見る人が見れば「こいつ東大生か......?」と分かる的な。誰が分かるんだ。今の話はなかったことにしてください。

僕は学部時代を名古屋大学、大学院時代を京都大学で過ごしましたが、その2つの大学にはない美しさが東大にはあるように思いました。秋を楽しめるキャンパスというのは、いいですね。いいと思います。今度は私大の紅葉も観に行ってみたいと思います。「紅葉の美しい大学ランキング」とかあってもよいかもしれないですね(名大はメタセコイアが綺麗だけど、京大はかなり低いんじゃないか?)

 

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東京は意外と楽しい

以上、この秋に訪れた、自然豊かなスポットを振り返りました。紅葉に関係してるのは後半2つだけだけど、許してください。薔薇も綺麗だよ。

東京はよく「コンクリートジャングル」なんかと揶揄されますが、実際のところ、結構自然豊かなように思います。でっかい公園やお寺なんかもそれなりにある。特に国立昭和記念公園なんかは、あの規模の公園を持つ都道府県の方が少ないんじゃないかと思ってしまいます(ちなみに、昭和記念公園の大きさは、全国の国営公園の中で5番目らしい。十刃で言うならノイトラと同じ)。

ちなみに、最近は東京についての小説なんかも読みましたが、これも結構面白かったです。

山内マリコ『東京23話』です。山内マリコは『あの娘は貴族』でも東京の話を書いていましたが、東京について造詣が深いのかもしれません。『東京23話』については、小説というよりは雑学集という匂いも強いですが、それでも多種多様な東京事情が知られて非常によかったです。おすすめ。

これを読んで、もっと東京の色んな場所に行ってみたいと思うようになりました。

 

 

 

以上

......以上、本日は「2023年 秋」の振り返りでした。

特にオチとかはないです。皆さんはこの秋を楽しみましたか? よければこの秋の想い出をコメント欄に書いていってくださいね。あともしオススメの小説や秋ソングがあったら、それも書いていってください。楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

 

売れてる新書を読んでもの申す老害修士卒の会②:レジー『ファスト教養』(集英社新書)

 

~~~ズンチャカズンチャ♪  ズンチャカズンチャ♪  ズンチャカズンズンズン チャッチャッチャ♫~~~

 

a:日本語話者のみなさぁん、Hello、Bonjour안녕하세요、寒くなってきたけど元気にしてるか〜〜〜い?

 

\ヒューヒューーー ワーワーーー(フリー音源の音)/

 

a:毎週この時間はお楽しみ、「売れてる新書を読んでもの申す老害修士卒の会」だ。パーソナリティはこの私、発音できないことでお馴染みのaaehksが務めさせていただきます。こんな雑なアナグラムがあっていいのか〜〜?

 

\パチパチパチパチパチ/

 

a:今日はぁ、こんなゲロ以下のカスラジオを聴いているクレイジーリスナーたちに朗報だ!! なんとなんと、今日はあの"今を輝く超新星"に大接近! 巨星同士の衝突で月ができないか心配だ。ゲストをお招きしているぜ。ibklo氏だぁーー!!

 

i:胃袋で生まれた女傑、ibkloですー。どうもーーー。

 

a:さっそくですが、ibklo氏。

 

i:はい。

 

a:ibklo氏は、●●●●●●●が※※※※※※※※※※(コンプラにより放送中止)

 

i:そうですね、最近は、はい、比較的そうです。

 

a:今日はですね、いつも通り修士卒の我々老害が「売れてる新書」を読んでいくわけですが、最近はどんな本を読みました?

 

i:××××××××××コンプラにより放送中止)

 

a:トホホ~~。そうですかぁ。それではさっそく、今日紹介する本に入っていきたいと思いまーす。

 

i:今日はどんな本を紹介してくれるんですか?

 

a:今日はですね、こちら、drrrrrrrrrr(ドラムロール)ドンッ、2022年9月発売、ジーさんの『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』を扱っていきたいと、思いますー。

今ね、下にね、Amazonのリンクが投射されると思いますよ。リスナーの皆さんも、何のことか分からないかもしれませんが、肌で感じ取って下さいね。

 

\不審な広告を見つけたときは、悪質ECサイトホットラインに通報を。電話をかけるだけ、荷物を運ぶだけで10万円、そのアルバイト、全て詐欺です。闇バイトの勧誘にご注意を/

 

i:Amazonリンクが貼られる度に、radikoみたいな広告が流れるシステムなの?

 

a:こちらの『ファスト教養』、新書大賞2023(中央公論)で10位に輝いている、まさに売れてる一冊だ。「ファスト教養」という言葉、毎日5chでレスバする以外能が無いリスナーの皆さんでも、ご存じかもしれませーん。ibklo氏はもう読んだかな?

 

i:ファ......... ファス............?

 

a:そのレベルか〜〜〜!! そんじゃまずは、この本の基本的なところから紹介していくぜ。すなわち「ファスト教養」とは何なのか、どんな人たちが追い求めているのか。その後で、この本に対してああでもないこうでもないと言っていきたいと思います!!

 

i:地獄の底に、レッツゴー!!! 

 

ファスト教養とは何なのか?

a:まず「ファスト教養」とは何なのか、というとこれは、他人と会話を合わせる事を目的に、主にビジネスマンにおいて追究される、手軽にYouTubeとかで摂取できる教養のことを指すぜ。

 

i:手軽に摂取できる教養〜〜〜??

 

a:そうさ☆ しかも「他人と会話を合わせることを目的とした」教養だ。例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチを知っておくべし、という言説があったとする。これはファスト教養においては、「知っておくと、何か偉い人と話したときに会話が盛り上がる(ビジネスチャンスが掴める)かもしれないから知っておこう」というものとなる。決して、そういう芸術が何か心をなにか豊かにするとか、そういう話ではないんだ。

 

i:確かに、レオナルド・ダ・ヴィンチよりも、ナガノのちいかわの方が心を豊かにする。

 

a:そういう話でもない。筆者は自身が用いる「ファスト教養」という言葉について、次のように説明しているぜ。

この箇所、リスナー諸君にも聞こえるよう、大声で読み上げるぜ。オーディオブックだ。著作権大丈夫か?

 

「楽しいから」「気分転換できるから」ではなく「ビジネスに役立てられるから(つまり、お金儲けに役立つから)」という動機でいろいろな文化に触れる。その際自分自身がそれを好きかどうかは大事ではないし、だからこそ何かに深く没入するよりは大雑把に「全体」を知ればよい。そうやって手広い知識を持ってビジネスシーンをうまく渡り歩く人こそ、「現代における教養あるビジネスパーソン」である。着実に勢力を広げつつあるそんな考え方を、筆者は「ファスト教養」という言葉で定義する。

ジー. ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち (Japanese Edition) (p.21). Kindle 版. 太字は引用者(以下同様)。

 

a: こういうわけで、現代のファスト教養の正体は「お金儲けしたいビジネスマンの焦り」に求められる。ビジネスマンは、自分がより上のステージに立つために、うわべだけでもいいから教養が求められている、という話になってくるんだ。著者はこのことを今の「教養」がとくに色濃く帯びているもの。それは、ビジネスパーソンの「焦り」であるKindle版 p7)」と述べているぜ。

 

i:ここで視聴者者からのお便りコ〜〜〜ナ〜〜〜〜〜

 

a:ゲストが勝手に始めないでくれよな。ちなみに、ここで言う、ビジネスパーソンたちがチェックしているコンテンツとして挙げられているのは、中田アツヒコの「YouTube大学」だったり、ホリエモンひろゆきYouTubeチャンネルだったりするぜ。

リスナーのみんなは、あっちゃんやひろゆきの動画、観てるかい〜〜〜〜?

突然だがここで視聴者からのお便りコーナーだ。

 

i:結局やるのかよ。

 

a:ラジオネーム、”ろけっとポッポ焼き”さんからのお便りです。

「aaehksさん、こんにちは。私はこの前、█████████で、[削除済み]していたところ、地元の婦人警官に補導されてしまいました。でも、正直なところ、婦警という呼び方自体が不敬でですよね(なんちゃって☆)。ゲヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ.........

ところで、aaehksさんは、普段の休日、何をして過ごされていますか?

というお便りをいただきましたー。ありがとうございます。

私はですね、暇な休日はですねー、YouTubeの関連動画に出てくる、ひろゆきとか岡田斗司夫の切り抜き動画チャンネルを、ひたすら「二度と表示しない」にぶち込んでいく作業を行っています。これで一日を消化できますよー。

 

i:悲しすぎる。

 

a:そんなわけでですね、我々「老害修士卒の会」の会員からしたら、ひろゆきYouTube大学にはある種の忌避感があるかもしれませんが、実際は両者ともチャンネル登録者数がえげつなく、バリバリのインフルエンサーとなっております。で、どういう人がインフルエンスされているのかというと、先ほどもあったように「ワンランク上を目指す、焦りに駆られたビジネスマンたち」となるわけですねー(まあ中高生とか大学生の視聴者も普通に多いとは思うけど)

 

i:でも、どうしてビジネスマンたちは、そうやって「教養」を追い求めるようになったのかしら.......?

 

a:その話題については、番組後半、CMのあとで!!

 

 

~~~デケデンデケデケデデデデン♪  ドゥッチャドゥッチャ チャラ~~~ン♫ (フリー音源のジングル)~~~

 

↑これ、最近食べてるけど、おいしいです。つまみにちょうどよい。

 

 

福山雅治デス。毎週土曜日 午後2時カラ2時55分マデ、『福のラジオ』放送中デス。秋ダケド、福山雅"ハル"。本人ハ多分ソンナコト言ワナイ。ファンノ皆サマニハ失礼イタシマシタ/

 

なぜファスト教養が台頭したのか?

a:CM明けはこちらの話題、なぜビジネスパーソンたちは「手軽な教養」を求めているのか。その問題に迫りたいと思います。

 

i:よろしくお願いします。

 

a:まず著者は、ここで教養が「ビジネスの場で使える小ネタ」と化していることを指摘しているぜ(Kindle版 p14)。ビジネスの場っていうのは、主に偉い人たちと会話する機会のことを指しているぜ。なんかお偉いさんと話したときに、そのお偉いさんの話について行けたら、「キミ! 面白いね!!」とビジネスチャンスが広がるかもしれない。そういう道具として、教養が扱われているわけだな。

 

i:ジャン・リュック・ゴダールを観てるなんて、おもしれー男...... ってなるわけね。

 

a:とにかく、教養を持っていることが、「ビジネス的に成功するチャンス」と考えられているわけだ。ただ、ここで重要なのは、別に深く知っていなくてもいいってことだぜ。理解することではなくて、会話を合わせることが目的だから、なんとなく知ってればそれで十分ってわけだ。

 

i:Wow!! それで教養って言っていいの?

 

a:だからこその「ファスト教養」ってわけ☆ 教養がファストフードのごとく消費されるから、ファスト教養。ちなみに、本書の序盤では、光文社新書の『映画を早送りで観る人たち』も紹介されていて、この本との関連性はかなり高いぜ。

映画を早送りで観たり、結末を先にネタバレサイトで調べるように、教養も「手軽にサクッと」摂る時代になったと言えそうだ。

↑ちなみに今日読み終わったので、いずれこいつらが紹介するかも。

 

\あなたもサンタさんになりませんか? NPO法人チャリティーサンタは、サンタさんを募集しています。子どもに、夢を。世界に平和を。健康にヤクルトを/

 

i:結局のところ、なんでそんな風になっちゃったの?

 

a:本書でも色々言われてるけど、昨今の自己責任の風潮とKindle版 p64)新自由主義の影響じゃないかって話だKindle版 p111)。特にこの新自由主義ってのは、後半でキーワードになっていそうだぜ。新自由主義の風潮の下、現代のビジネスマンは常に「成長」を求められていて、その手段としてファスト教養が選ばれているって感じだな。

彼らの行動の裏側にあるのは、個人として培った上昇志向だけではないように思える。そこに潜んでいるのは、ビジネスパーソンの中に「新自由主義」が内面化され、絶えずSNSなどで周囲との比較を強いられて、なおかつ社会の中で生き残るために「うまくやる」ことが求められた結果として、終わりなき成長に駆り立てられる……という時代精神ではないだろうかKindle版 pp110-111)

 

i:ここで視聴者から質問が届いています。「新自由主義って何ですか?」とのことです。これ書いたの私だわ。

 

a:自作自演なの? だが難しい質問だ。新自由主義って一体なんなんだろうな? これは俺も実はよくわかってない。ただ最近は、何かと「新自由主義のせい」ってする言説を見かけるし、かと思えば逆に「新自由主義批判をしてる奴は、実態のないものを叩いているだけ」って意見もよく出ているなと思うぜ。

すげーざっくり言うと、新自由主義は、「もっと競争させましょう」っていう考えだな。例えば福祉サービスとかは、国が主導するよりも、民間に任せた方がよりよくなるかもしれない。なぜかといえば、色んな企業が参入するようになることで、お互いに競争し合い、より「安価でかつ質のよい」サービスが生まれてくる(選ばれるようになる)かもしれないからだな。

競争って言うんだからもちろん、強い者が勝って弱い者は負けるし、その渦中にいる人間はより「成長」して勝ち残らなきゃならなくなるって話だな。そんなわけで、弱者が見捨てられるとか、自己責任論や個人の能力主義を強めるとか、色んな批判がされているんだぜ。段々しゃべり方が魔理沙っぽくなってきたかもな。

 

i:なるほどというか、まあ分からないでもないというか。確かに「選択と集中」とか、昨今そういう風潮はあるかもね。

逆にこれに懐疑的な人はどんなこと言ってるの?

 

a:正直詳しくは調べてないんだが(たまにはてなブログでバズってたりするので存在は知っている)、たとえ新自由主義の風潮があるとしても、ある問題を論じるときに「それが本当に新自由主義のせいなのか?」「相手を批判するのに何か都合の良い概念を持ち出してるだけなんじゃないか?」という批判は、まーあると思うぜ。ぶっちゃけ「新自由主義のせい」って言葉が便利すぎるというか、たいした検証もなく用いられている傾向はあると思うのぜ。

例えば、「今○○が起こっているのは、フェミニズムのせいだ」と言えば、必ずフェミニストからの反論には遭うだろうけど、これが「新自由主義のせいだ」となれば、特に文句を言ってくる人間がいない(新自由主義を標榜している人間・実態がない)、だから気持ちよく言えるんだ、という批判は見たことがあるな。

 

i:なるほど〜〜? 

 

a:まあそんなわけで、賛否両論ある「新自由主義」についての話題だが、著者的にはこういう風潮が流行った影響で、ビジネスパーソンが焦りを抱き、コスパ重視の教養に飛びついてるという見方だな。

そんなわけで著者は、ファスト教養を追う人間を批判したいというわけではなくて、そこに一定の理解を示しつつ、「じゃあどうするか?」というのを考えているぜ。

 

i:どうするんですか?

 

a:それは読んでのお楽しみということで...... ただ、この辺の解決策の検討よりかは、「現代のビジネスパーソンが、どんな焦りに追われているか」を紹介した前半パートの方が面白かったとは言えるぜ。『映画を早送りで観る人たち』にも言えることだが、「どんな人たちがそんなことを.......」というところに関心がある人におすすめだ!!

 

i:ここでいったん、休憩入りまーす。

 

a:休憩時には、視聴者からのリクエストソングを流しています。ラジオネーム"がまずみ"さんからのリクエスト。今月リクエストを送ってくれたのはこの人だけでした。100通送ってくれています。

それではお聴きください。The Curesで、Boys Don't Cry

 


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ファスト教養の問題点・本書の問題点

i:Boys Don't Cry、やっぱりいい曲ですね〜〜〜。生まれる前のことを思い出します。

 

a:さて、番組もいよいよ終盤になってきました。最後に気になるところを解消したいと思います。ibkloさん、何か質問とかはありますでしょうかー?

 

i:やっぱり気になるのは、ファスト教養の何が問題かというところでしょうか。会話の足がかりやビジネスの小ネタとして教養が消費されている、手軽に摂取できる教養が好まれている、そのことってやはり問題なのでしょうか?

教養の本質が疎かにされているって言うかもしれないけど、むしろ「教養の本質」って何? ってことも気になります。

 

a:いい着眼点ですね〜〜。本書でもいろいろ言われていて、それこそ第一章でも「教養の定義」の話があるんですが、個人的に気になったのは、ファスト教養を学ぶ者は自分の成長のことしか気に掛けていないという指摘です。つまりは、教養を深めることの効果として、自分の知らない世界を知ったり、他者への想像力を培ったり、社会問題への貢献といったものがあってよいはずなのに、彼らにはそれがない。ひたすらに自分のことしか考えられない。そういう批判はあるように思います。

著者も中田アツヒコを批判して、「『自身の学びを社会に還元しよう』といった発想を彼の発信から読み取るのは難しい」(Kindle版 p59)と言っていたりしますな。ファスト教養の問題点として、社会や他人への想像力を培うどころか、むしろ自己責任・新自由主義の風潮を強める方に働いてしまっているということは言えるかもしれませんな(第3章末、第6章終盤にそういった問題意識が見られる)

 

i:視聴者からも「せやね」との声が届いています。もうひとつ気になるのが、aaehks殿による本書の評価です。ぶっちゃけどんな感じでしたか?

 

a:個人的には、さっきの話にも戻るんですが、新自由主義批判にあんまり乗れないというところはあります。具体的に言うと、ファスト教養の原因として「新自由主義」が出てくるわけですが、じゃあなんで新自由主義って出てきたの? という話がほとんどないんですよねー。

新自由主義については、「二〇〇〇年代初頭からの小泉改革で醸成されつつあった新自由主義的な価値観」Kindle版 p134)って形で、わりかし急に「新自由主義の価値観」の話が出てくるんですよね。で、それ以上の説明がないというか、そこにどういう背景があったとか、どういった問題意識があったのかとか、もう少し欲しいなとは思いました。それによっては、単に新自由主義を目の敵にするだけではダメで、より根本の問題を解決しなきゃなんだ......という話にも持って行けたのかもと思います。

この辺が、終盤の微妙さにも繋がっていて、著者は最後の方で「ファスト教養への処方箋」を考えているわけですが、「おわりに」で次のようなことを述べています。

ファスト教養の時代に持つべき考え方は、「お金儲けの役に立たない情報は無駄」というスタンスからひたすら距離を取ることである。Kindle版 p181)

ファスト教養の時代だからこそもっと無駄を愛そう、という話が出てくるわけですが、ここは逆というか、「そういう考えを持てないからこそ、ファスト教養の時代になったのではないか?」とも言えるんじゃないかと思います。つまりは、一時期日本でもゆとり教育などと言われ、競争から離れることが大事とされたけれど、それではうまくいかないから「新自由主義的な」風潮が生まれ、ファスト教養が流行っているのではないかと....... そこでもう一度「無駄を愛するようにしよう」と言っても、それが出来ないから現状に至っているわけで、、、という形で、循環してしまいそうな気がします。

だからこそ、もう少し「新自由主義の背景」についても具体的に触れて欲しかったなと思います。そこを「風潮」とだけしてしまうと、ファスト教養から離れられない根本の原因を見過ごしてしまうのではないかと感じました。

 

i:なるほどぉ。まあでも言うて新書だしそこまではキツいかな? どうかな?

 

a:あとはやはり、分析にもちょっと物足りないところが残りましたが(○○年生まれというだけで、その人の立場を決めるような箇所が多く見られたりなど)、全体としては世の中の動向が見えてきて非常に面白かったです。あと、こんな感じでクレイジーラジオをやる身としても、「ファスト教養的なコンテンツになってないか」と自省するところは多かったですね〜〜〜。手軽にサクッと知識が得られる、的なラジオにはならないように頑張ります。

 

i:ビジネスマンがこんなラジオ聴きに来るわけでねーーだろ!! バーーーーーカ!!!!!

 

a:すみませんでした。

 

\ピーンポーンパーンポーン ⤴⤴⤴⤴/

 

お別れの時間

a:今日もお別れの時間がやってきました。楽しい時間はあっという間ですね!! 最初の方からキャラ変わってない? という指摘は御法度ですよ〜〜〜(人間は常に進化している)。

ibklo氏は、今日の放送はどうでしたか?

 

i:そうですね、流行の本の内容を、非常にコスパ悪く知ることが出来たと思います。まさに.......

 

a:スロー教養ってわけですか!!

 

\ワッハッハッハッハ (アメリカのホームドラマ「フレンズ」の観客の声)/

 

a:それでは皆さんお元気で!! 来週もまた、この時間にお会いしましょぉおおおおおおう。ibklo氏もお元気で。

 

i:はい。最後にエンディングソングを指定して、帰りたいと思います。

 

a:何かおすすめの一曲がありますか?

 

i:それでは今日はこの曲でお別れです。The Smithsで、Panic。

 

~~~エンディングテーマ~~~~

 


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DJを吊し上げろ

DJを吊し上げろ

DJを吊し上げろ

DJを吊し上げろ

DJを吊し上げろ

DJを吊し上げろ

DJを吊し上げろ

DJを吊し上げろ

 

 

 

 

インボイス制度の大変さと、人間の弱さを認めよう月間:10月の簡単な振り返り

みんな~~~、元気~~~!!?

 

あつこお姉さんも、

 

だいすけお兄さんも、

 

 

元気ーー!!!!

 

 

.......「おかあさんといっしょ」のテンションで始めて見ましたが、皆様お元気でしょうか。僕は実はあつこお姉さんの隠れファンです。

小野あつこ – 株式会社ベルキッスコーポレーション

小野あつこ – 株式会社ベルキッスコーポレーション
小野あつこお姉さん。2016年4月から、NHKおかあさんといっしょ」の歌のお姉さん就任。2016年は僕が大学進学し、一人暮らしを始めた年であり、寂しい暮らしをする中、毎朝あつこお姉さんを観るために「おかあさんといっしょ」をチェックするなどしていた。

キモどうでもいい話は置いといて、本日は毎月恒例、その月の振り返り記事となります。秋めいてきたこの頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。ちゃんと秋の味覚、食べてますか。スポーツも読書も楽しんでいますか。フジファブリックの『赤黄色の金木犀』聴いてますか。

 


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さてそんな10月ですが、僕自身はと言うと、インボイス制度が始まった影響で、仕事の方がヤバヤバでした。今日はその話をするつもりです。あの制度、本当にヤバめで、残業時間も過去最高を記録しました。10月はお仕事が忙しかったです。

なお、先月の振り返り記事で、一切仕事の話をしなかったところ、割と悲惨なことになりましたので、今月はお仕事の話多めで行きたいと思います。

 

本日の構成としましては、

  • インボイス制度が大変だ!!
  • 人間の弱さを認めよう月間(読書感想)
  • 10月のプレイリストと来月の抱負

となります。今月も盛りだくさんですね。正直、そんなに面白い話はできませぬが、まあ日記の一環として読んでいただけますと幸いです。

 

 

インボイス制度が大変だ!!

www.nta.go.jp

いきなり今日の本題です。今月一日、10月1日から、インボイス制度が始まりました。

おそらく皆さんこの制度、「なんかヤバいらしいけど、実のところよくわからん」「個人事業のイラストレーターとかが大変らしいね」という認識ではないでしょうか。ぶっちゃけ、僕もそうでした。調べた感じ、免税事業者が大変な思いをするとか、利益よりも損失の方が多いとか、そういう話は聞くけど、実際のところ自分にはそんなに関係ないかな〜〜と思っておりました(浅はかな......)

僕は現在、大学で財務の仕事をしております。どんな仕事かというと、主に伝票の処理となります。研究室で買い物したときの請求書やら領収書が送られてくるので、それを処理して、ちゃんと支払えるようにしましょうね~~という仕事です。で、そういう経理の仕事をしていると、このインボイス制度、次から次へと厄介な事例が出てきて、正直今日も元気に発狂寸前です!! この制度を作った岸田政権を僕は絶対に忘れない。

ただ、実際のところ、「何がそんなに大変なの?」と思っている方も、多いのではないかと思います。ので、今日はその辺ざっくりと書いていきます。もちろん、インボイスの専門家というわけではないので、インボイス制度そのものを詳細に解説するわけではないです。ただ、「世間を賑わせているインボイスで、こんな罪のない無垢な青年が責め苦を受けているのだな......」という様子が伝われば幸いです。

僕のお仕事自体は、国立大学の財務・会計的なことですが、世の経理担当の方々も似たような思いをしているのではないかと思います。そのうえで、大学会計独特の問題もありそうなため、若干その辺も触れます。

 

何がそんなに大変なの??

「そもそもインボイス制度とは何か?」という話ですが、僕は専門家ではないので、ざっくりと一言で言いきります。一言で言うと、請求書の様式が変わりましたインボイス前とインボイス後では、請求書に書くべき事柄が変わっています(インボイス後は書くべき内容が増えました)。で、様式が変わったわけですが、新しいものに変えないと何が起こるかというと、「請求書をもらった側が、多めに消費税を払うことになる」ということになります。すごいざっくりだけど、そこまで間違ってはいないはず。

---------------------ここから先は、細かい話をしているので読み飛ばしてもOKです---------------------

その前に、一応「請求書って何?」という話もしておきます。請求書とは、モノを買ったときに渡される、「君は○○を買ったんだから、××円払ってね」ということが書かれた書類となります(当たり前だ)。ただ、コンビニでガムを買ったときなどは、別に請求書を渡されないと思います。それはなぜかというと、当然ですが、請求書は「これからお金払ってね」ということを要求するための書類だからです。もう払い終わってるならあとは領収書(レシート)をもらうだけですね。

さてさて、我々がコンビニでお買い物をしたとき、単に商品分のお金を払って終わり、では済みません。もう一つ払うべきものがあります。それが消費税ですね。もちろん、ここで消費税を払ったからといって、それがお店の収益になるわけではありません。コンビニは客からの消費税を「もらう」のではなく、単に「預かる」のみとなります。じゃあ預かってどうするのかというと、後でまとめて税務署に支払うことになります。この辺は中学の公民の授業でやるところですね(もう公民ってないんだっけ?)

ただ、コンビニの話を続けると、コンビニは単にモノを売るだけではありません。コンビニもモノを買う必要があります。何を買うのかといえば「商品」ですね。いわゆる仕入というやつです。メロンパンを買ったりファミチキのフライヤーを買ったりします。で、当然、ここで商品を仕入れる際にも、代金には消費税が上乗せされます。ので、ここでコンビニは、「もらう(預かる)」消費税もあれば、「払う(預ける)」消費税もあるということになります。今このブログ史上最もマジメな話をしているかもしれません。

で、結論ですが、払う消費税もあればもらう消費税もある中で、全部をいちいち一回一回納めていたら、めちゃくちゃ大変です。なので、「払った消費税」から「もらった消費税」を差し引いて、その差額だけを、税務署に納めるようにします。なんて効率的な解決策!! こうしてコンビニは、毎度どっかのタイミングで、定期的に税務署に消費税を納めるのでした。

コンビニだけでなく、僕が働いている大学も、同じような感じです。まず、ちょっと話を戻して「請求書」についてですが、これは「後で払ってね」というものでした。大学は例えば生協とやり取りすることが多いですが、その際、毎回モノを買うごとに支払いをしていたら大変です。なので、買ったときは「請求書」をもらうに止め、後でそれを一括で支払うようにしています。なんて便利。だいたい、請求書をもらってから1か月以内に支払いを履行する感じになっているはずです。

そんなわけで、モノを買うたびに「請求書」をもらいつつ、相手から預かった分の消費税を差し引いて、税金を税務署に納めるわけですが...... ここでインボイス制度の出番です!!

最初に書いた通り、インボイス制度では、請求書の様式が変わります。では、旧来の請求書、つまり新形式に対応していない請求書を使われるとどうなるのかというと、「消費税の差し引き」が起こりません。

どういうこと??

これすなわち、相手から「預かる」分の消費税が、消えます(なんで??)。今までは、自分が払う分の消費税と、相手から預かった分の消費税を相殺させていたのに、インボイス未対応の請求書をもらったときには、相手から消費税を「預かっていない扱い」になるという感じですこの説明、正直正確性に欠けているんじゃないかと自信がないですが、指摘されるまではこれで行きます。みんなも自分で調べてみよう!!

-----------------------------ここまで読み飛ばしてOK!!-----------------------------

以上、長々と書きましたが、結局何が言いたいかというと、インボイス対応の請求書かそうでないかで、経理の対応はずいぶん変わってくる、ということです。なので、シンプルにチェック項目が増えました。確認すべき項目が激増した。これが一番の結論です。

我々経理の民は、10月以降、出てくる請求書が、インボイスに対応しているかどうかを、事細かにチェックしなければならなくなりました。これがすげーーーー大変です。インボイス制度自体は、「以前の様式に比べて、書くべき項目が3つ増える(「登録番号」「適用税率」及び「消費税額等」)」というだけなんですが、実はかなり例外規定も多くて、それが厄介です。「○○を買っただけなら、別にインボイス対応じゃなくてよい」とか、「請求書の日付は10/1でも、取引の実態が9月以前なら、以前の様式でもよい」とか、ややこしいことが野村萬斎です。まさにややこしや。

 

Q. 一言で言うと、何が大変なの??

 

A. チェックする項目が激増しました。

 

大学特有? の話

もうすでにだいぶ長いですが、あと2つだけ厄介な点を愚痴ります。上に書いたこととは違い、これは割と、大学特有の話なのではないかと思います。

研究室のお買い物

まず一つ目が、「研究室が買い物をする」ということです。研究室は、研究をするために存在しているので、当然経理のプロではありません。インボイスとかもよくわからんと思います。だからこそこうして事務部が存在し、お互いにカバーし合いながらやっていくんだ、という話でもあります。

ただ、研究室と事務部が、仲良しこよしかというと........... えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、まあそうではないですね。あんまり仲良くないと思います。特に経理とかお金が絡むところは、仲良しじゃない方がよいとも言えるので、そこが微妙な関係になってます(一触即発なところもなくはない)。

で、何か研究で必要なものが出たときに、買い物をするのは研究室なので、こちらとしてはなるべく「インボイスに対応しているところ(適格事業者)とやり取りしてね~~」と言いたいところです(もちろんこれは、言いすぎると下請法や独禁法に抵触しかねないので注意)。かつ、研究室がインボイス非対応のところとやり取りしても、別に「研究室が」多めに負担することはないです。先ほども書いたように、これは消費税納税の話なので、結論「大学が」多めに負担するという話になります。だからこそ、事務部としては、適格事業者とやり取りしてね...... と言いたくなるところです。

ただ、研究室からしたら、「は?? そんなんよく分かんねえしお前らの仕事やろ!!」という感じかもしれません。ぶっちゃけ僕も、仕事で扱ってなかったらインボイスのことなんて絶対わからないです。ので、そうやって研究室の負担を増加させることは、よくないことだなあと思います。

ただ、我々経理の仕事としては、どうしても請求書が「出てきてから」の対応になってしまいます。これが難しい。できることなら、「出てきてから」ではなく、「出させない」対応も心掛けたい(それが一番楽だから)。つまり、研究室がモノを買う時点で、できるだけインボイス対応のものにしてほしいわけです。

とはいえ最初に述べた通り、研究室と事務部は仲良しこよしというわけでもなし。そういうところに難しいところがあります。民間とかだったら、営業部に対して経理部から強く要請できるのかもしれないけど、大学においてはそれが微妙なところだ、という話でした。

 

予算の問題

最後にもう一つ大学特有っぽいものを挙げると、科研費の問題があります。皆さん、科研費、使ってますか? 科研費は他の予算より、伝票のチェックがちょい楽なので、どんどん使ってほしいなと思っています。勘定科目がね、少なくて楽なんですよ。

ただ、インボイス後、大変なことが一つあります。それは科研費が、大学会計上「預り金」という扱いであり、不課税であることですね。科研費はあくまで「研究者個人」に給付されるものであって、「大学のお金」とは異なるので、会計上はただ預かっているだけのお金として処理されます。いわゆる預り金です。預り金って何? というと、「これは俺自身のお金じゃなくて、一時的に預かっているだけのお金だよ〜〜」というものです(消費税はまさしくそうですね)。

そしてこの預り金は、会計上、不課税となります。大学のお金じゃなくて預かっているだけのものだから、これで取引しても、大学に消費税は課されないよ〜〜ということです。「????????」という感じかもしれませんが、ともかく、科研費を使うと消費税の問題がクリアされるんだ、と考えてOKです。科研費は不課税なので、消費税云々の問題が生じない。ので、実のところ、科研費を使う限りはインボイス制度もほとんど関係ないものとなります。

ただ、問題は、後から予算を変える場合です。これはよくある話ですが、例えば研究室が、当初は予算Aで買った物を、あとから予算Bでの支払いに変えたいと要請することがあります。予算Aは来年度も使用可能だけれど、予算Bは今年度中に使い切らなきゃならんので、急遽執行予算を変更したいといった話ですね。取引先の業者としては、別にどの予算で支払われようが同じ事なので、あくまで内部手続き的な話になります。「とりあえず予算Aで払っておいて、後から内部手続を申請して、執行予算をBに変える」というのはよくある話です。

で、ここに科研費が絡むと...... これが大変です。科研費で買い物をしたときは、先述したとおり不課税扱いとなるので、インボイスどうこうは関係ないです。別にインボイス非対応の伝票でもOKです(多分)。

ただ、これを後から、「やっぱり別予算での執行に変更したい」と言われると、そっちの予算ではインボイスどうこうが問題になってしまうので、非常にめんどくさいことになります。こういうの、実際どうするんだろうな〜〜と思っているところです。

僕はまだまだ下っ端なので、正直解決策は全然思いつきません。インボイス制度、やばし、と唱え続ける毎日です。ので、ひとまずはインボイスにはこういう大変さがあるよ!!」というのが伝われば幸いです。世間的には、インボイスって免税事業者が大変な思いをしてるんでしょ? という話のみがピックアップされ、それ以外の人にはそんなに関係なさげに思われがちかもしれませんが、全然そんなことはないです。経理の仕事は大変だ!!! 11月以降も大変な日々が続きそうです。

 

人間の弱さを認めよう月間

続いて、全然違う話をします。疲れてきましたか? 休憩してくださいね。ここまでで6000字あるので、休みながら読んでください。

今度は読書感想の話です。2冊紹介します。

 

このごろ減酒を頑張っている

皆さんは、自分が立てた夢、覚えていますか? 「一番最後に見た夢だけを 人は覚えているのだろう」というのは中島みゆき『最後の女神』の一節ですが、その通り、僕は最後に立てた夢だけはしっかり覚えています。

 それすなわち、アルコールの節制です。これが2023の抱負でした。

2023年も残り3か月というところで、この抱負を思い出し、最近はひたすら減酒している次第です。で、なんとこの10月は、アルコール度5%以上のお酒は一切摂取していません5%未満はゼロと同じなので飲んでOKということにしている)。結構、減酒がうまくいっています。

ちなみに、おすすめの微アルは、

こちらの「アサヒ ビアリー 香るクラフト」と、(どうでもいい話ですが、こういうリンク貼るとき今まではアマゾンアソシエイトを使っていたのですが、インボイス制度施行に伴い、アマゾンアソシエイトも辞めました。つくづくインボイスというものは....... リンクはアマゾンですが、別にこれを買ったからといって収益が生まれるとかそういうことはないです)

こちらの「アサヒ ドライクリスタル」となっています。ドライクリスタルは、今月出た新商品で、アルコール3.5%となっております(そしてうまい)。ビアリーもこの香るクラフトはうまい。この2つのおかげで、僕の減酒生活は続いております。

 

① デイヴィッド・J・リンデン『快感回路』(河出書房新社

減酒に伴い、依存症系の本も読んでみました。読んだのはこちら、デイヴィッド・J・リンデン『快感回路』(河出書房新社です。かなり生物学的なアプローチから「依存」のメカニズムを説明した、科学的な一冊となっています。こちら、大変面白かったです。

ごく簡単に感想を書くと、まず本書のスタンスとして、依存症は本人の弱さゆえになるものではないということが繰り返し説かれます。薬物中毒、摂食障害、ギャンブル依存..... 一見、本人の意思が弱いからそうなっているのだと思われがちだけれど、本書では「脳の仕組みが変わってしまうのだ」ということが丁寧に説明されています。あと遺伝の影響もかなり大きいのだとか。そんなわけで、問題を本人に帰責させるのではなく、むしろ法的・社会的対策の網目を広げていくことが大切だ、という話が展開されています。

.......すみません、本当はもっとちゃんと感想を書きたかったのですが、いかんせんkindleがバグで開けない状態となっています。メモを確認できないどころか中身も読めなくなっている有様です。雑な紹介で本当にすみません、、、

 

② 姫野桂『ルポ 高学歴発達障害』(ちくま新書

こちらは、依存症とは関係ないけれど、10月に読んだ本の一冊です。姫野桂『ルポ 高学歴発達障害』(ちくま新書)です。この10月に出たばかりの新刊ですね。

こちら、どういう興味で読んだかというと、自分が大学で事務仕事をしている、というところがあります。上でさんざん書いた通り、研究室から出てきた伝票を処理するのが僕の仕事ですが、先生によっては、この「レシートや伝票の管理」というのがめちゃくちゃ苦手です。「ちょっと苦手」とか「不得意」というレベルではなく、「もうどうにもならない」という方もいらっしゃいます。例えば、海外出張に行って、現地での買いもの全てでレシートを取っておいたけど(研究で使う物品の購入だったり、タクシーの移動費だったりなど)、もうどれがどれだか本当にわからない、、、というケースなどなどです。

こんな感じで、普段の仕事で「高学歴」の方々と接しているので、読んでおこうかなと思った次第です。

ただ、感想としてですが、、、 ここで紹介されている話の例として、有名大学を卒業して学歴はトップクラスなのに就活でつまずいて一切内定をもらえなかったとか、就職先で経理の仕事に就いたけど、どうしても細かい数字が苦手で致命的なミスを連発しまくっているとか、「どこかで聞いたことのある」話がたくさん出てきまして、全然他人事じゃねえじゃねえかと思いました、、、、 まあ僕は、最終なんとかなっているので、なんとかなっているのだなとは思います。

なお、本書では、期待していた通り大学事務の話も出てきまして、「研究者には、発達障害の傾向を持った人が多めだが、事務部には定型発達の人が多いので、そこで齟齬をきたすことがままある」という例も紹介されていました(第3章)。これは本当に、働いていてもよく感じます。この本でも、どうしても仕事や事務作業がうまくできず、周りから「学歴は高いのに」「できるのは勉強だけか?」と煽られる話が出てきますが、こういう反応は大学事務部の中では(悲しいが)ままあるところです(よくないね)。学歴は言ってしまえば、あくまで「18歳時点での勉強の能力」であって、仕事などで求められるコミュニケーション能力や事務処理能力とはだいぶ異なるわけですが、その辺の断絶が日本社会だとうまく調整されてないんだなあという感想を持ちました。

 

2冊合わせて:人間の弱さを認めよう月間

期せずして、2冊とも、「人間の弱さを認めよう」という内容になっていたかと思います。「認めよう」というのは、それを受け入れようとか寛容になろうという意味というよりは、「『普通』が難しい人間なんていくらでもいるんだ」という事実を認識しよう、という意味となります。世間一般で想定されている「普通」の人間なんて、そうそういないんじゃないか、ということですね。

意思の強い弱いに関係なく、依存症になるのが人間だし、いろんな苦手があってこその人間なのだと。そういう理解でどうでしょうか。だから、無理に自分の欠点を気にしすぎるのも、よくないように思います。「苦手」があって当然なのだから。そんな風に考えたりしているところです(でも減酒は頑張ります)

ちょっと駆け足になりましたが、10月の読書感想はこんな感じになります。皆さんもぜひ、自分がどうしようもなく弱い人間だとしても、そこまで悩まずにほどほどでやってみてください。

 

 

10月のプレイリスト

10月は、女性ボーカル月間となっています(spotifyのおすすめが偏った)。特に、1曲目と2曲目のバンド、Heavenlyはよいですね。結構聴いてました。

 

Heavenly / Atta Girl


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I don' to have to be cute right through という歌詞が力強くていいですね。ちょっとクセがありますが、皆さんもぜひ聴いてみてください。

 

 

来月の抱負

減酒を続ける。

振り返り記事以外の更新を2回する。

 

 

 

以上

いかがでしたでしょうか。2023年10月の振り返りは以上となります。

インボイスの話が多めですみませんでした....... 本当はもっと、読書感想の方に分量を割きたかったんですが、kindleのバグのせいでうまくいかず、すみません。来月は頑張ります。

実はこのところ、読書欲が回復していまして、いろんな本を読んでいます。11月は、そういったものをたくさん紹介できるとよいなと思っています。

そんな感じです。雑駁な内容になってすみません。11月もまたよろしくお願いします!!!!!

 

 

 

 

真夏のピークが去った...... 9月の出来事と9月の悩み

も!! 段々と日照時間が短くなっているこの頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。夕方6時頃、もうだいぶ暗くなってしまいましたね。夏の終わりを感じます。夏が去り、木枯らしが吹きすさび、あとは1年が終わっていくだけですよ。哀しくなってきたな!!

そんな今日は、2023年9月の振り返りとなります。この9月、我々は「ちょっとは涼しくなったかな?」という気持ちを何度も裏切られつつ、終わっていく一夏にどう向き合っていたのでしょうか。そんなことを振り返ります。

あと何気に、今月の満了をもって、働き始めて半年を迎えました。この半年ですが、今まで生きてきたどんな半年よりも、あっという間に感じたことです。4月に入職して、右も左もわからない状態から、色々なことがありましたが、昨日のことのように振り返れます。まだまだおこちゃまですが、これからも頑張ってまいります。

ただ、今日はそういった仕事の話はしませんSTOP!! 仕事の話!!  ここ半年、思えばこのブログではずっと仕事のことばかり書いていました。自分でも飽き飽き(秋だけに)。で、たまにはそういう事を忘れて、もっと日常的な次元で、日々どんなことを想っていたか書いてみるのも良いような気がします。もっとプライベートな事柄の話と言いますか。

秋は憂愁の季節ですよ、皆さん。この秋のはじまり、どんなことを感じていたかを振り返っていきます。

 

 


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↑ちなみに今月、季節的には、フジファブリックの「若者のすべて」がピッタリでしたね。BGMとしてかけながら読んでもらって大丈夫ですよ。

 

 

9/2(土) 人生初、合コンに行きました。

今日は、9月で覚えている出来事を、一つずつ振り返っていく感じで行きたいと思います。

いきなり何の話だという感じですが、9月の初っ端、人生で初めて合コンというものに行ってきました(病欠した友人の代打で)。合コンというものの実在性をすっかり疑っていた私ですが、「本当にあるんだな〜〜」と思いました。マジで今まで無縁だったので。

とはいえ、ここには非常に難しい問題があります。合コンに参加してきたとは言いますが、そもそも合コンとは何なのでしょうか? 自分が参加したのは、本当に合コンだったのでしょうか。そこが難しい。合コンというものがもし、「恋人を作るという目的で集まった男女が、食事や歓談を通じて、まさに恋人を得ようとするもの」であるならば、初手で敗北を理解し後は流していただけの人間は、果たして合コンに参加したと言えるのでしょうか。そいつが参加したのは「単なる食事会」ではないのか? とも思います。複雑ですね。

ごちゃごちゃ言っておりますが、今回初めて参加してみて、強く感じたのは、戦う前から勝負は始まっているということでした。これが今日言いたいことになりますね。

少し脱線すると、僕は趣味としてよく将棋を指します。そして将棋というものが好きです(全く強くはないが)。で、将棋の何が魅力かというと、対局の開始の瞬間、つまり、戦いが始まりお互いが向き合った瞬間は、互いの戦力比は全くの同等であるというところだと思います。指し始めれば、段々と実力の差が開いて行きますが、最初の最初の瞬間だけは本当に対等。だからこそ「負けて当然」なんてことはない、というところが魅力だと思います。

これがポケモンとかスマブラとかだったら、最初からキャラ性能や相性があるわけで、「始まった瞬間に不利」ということも往々にしてあるわけです。だいたいのゲームはそうですね。まあ当然、将棋もアマチュアではプロに絶っっ対に勝てないとか、そういう歴然とした差はあるわけです。ただ、ここで言いたいのは、将棋では「始まった瞬間から負けている(巻き返せないほどの不利にある)」ということはなく、自分の差し手次第で、可能性は無限に開けて行くんだということです。

で、合コンはそうじゃないですね。合コンに限らず、出会いの場というのは、始まる前から、だいぶ勝負が決まっていることもままあるように思いました。これは僕の諦めが早いだけでしょうか?? ただ、今から対局が始まるぞ〜〜と思ったら、その時点で既に盤面が死んでいるというか「こっちは飛車角金銀が不在なのに、相手はガッチリ穴熊に組んでいる」ということもあるんだなあと思いました(スペックに差がありすぎて勝つビジョンが全く見えなかったとか、そういう話です)

そうすると考えることは、いかに盤面を汚さずに「投了図」を用意するかということですね。合コンで言えば、いかにご飯が不味くならない程度の会話を続けるかという、そういう感じです。だからこそ、自分は本当に合コンに”参加してきた”と言えるのか、割と難しいラインではあります。もう少し頑張れたら良かったですね。(なぜそこまで負けを確信したのかと言えば、だいたい年収・年齢・経験の3要素で、全く敵わんと感じたためでした。とにかく諦めが早いのだが、それにより心理的ダメージを最小限にしたとも言える)

そんなわけで、このとき思ったことは、我々が考えている以上に、戦う前から勝負は始まっているのではないか、ということでした。人生は将棋では無し。9月は初っ端からそういうことがあり、いまだかつて知らない世界に触れたことにより、「なんか大変だな〜〜」と感じました。

 

9/8(金) 風邪を引いて寝込みました。

上記イベントの割とすぐ後、風邪を引きました。おそらく疲れが溜まったのだと思います。3日ぐらい寝込みました。

このときがちょうど、コロナ第9波と言われていた頃。職場でもちらほら出ていたので、ついに自分もその時が訪れたかと思ったけれど、医者曰く「検査は陰性、普通に風邪っす」とのこと。熱も38℃行かないぐらいだったし、まあ確かに大したことはなかったのであった。ちなみに、この半年で初めて仕事を休みました。

そして1日中、ずっと寝ていた。寝て、起きて、また寝るという、そんな金土日を過ごしました。月曜には頑張って職場復帰した。

このときに思ったのが、やっぱりね、「風邪なんかで寝込んだ時は、側に誰かにいてほしいな」ということですね。率直な感想でそうなります。幸い、徒歩一分のところにクリニックもコンビニもあるので、自分の面倒は自分で見切れるけれど、こういうときはやはり、隣に誰かがいてくれるといいなと思ったりします。これはやはり、僕が人間的に弱いからでしょうか。そんな気がします。

寝込んでいたときに、買い込んでいた肉を腐らせまいと、なんとか作った親子丼的ななにか。

2年ぐらい前から、熱を出して寝込むたびに「このまま40代、50代になっても、誰にも看病されず一人で風邪を乗り切る日々が続くのか.....」と考えるようになりました。怖っ。実際、40代の独身の人とか、高熱出したときどうしてるんでしょう?? ただただ眠ることで療養しているんでしょうか。それとも、そのあたりのある種特殊なサービスを呼んで、看病してもらったり孤独を癒してもらったりしているのでしょうか。海外ドラマとか見てると、おっさんがデリヘル呼んで看病してもらう描写って割とあるけど、あれは現実であり得るんでしょうか? どうなの??

あと、心身共に弱ったときは、自分のどの部分が恋人やらパートナーやらを求めているのか、よくわからなくなりますね。最近は特にそう。孤独に死にたくないという寂しさからなのか、単純に肉欲的な面からなのか、「一人でも私は生きられるけど でも誰かとならば人生は遥かに違う」と感じているのか、あるいは「この人と一緒に過ごしたい」という個別具体的な対象が存在しているのか、またまたそんなものはまやかしなのか、なんだか分からなくなります。パートナーなるものが欲しいと感じるとき、自分が一体何を求めているのか、本当によくわからなくなります。これはまさに人間的な弱さが現れておりますね。

こういう話、画面の前のみなさんはどう思いますか!? 己の感情や欲求の、どの部分が恋人やパートナーを求めるんでしょうか? 分かった人はぜひコメント欄で教えてください。

 

9/16(土) 姉夫婦&母なる者が東京に遊びに来ました。

9月の出来事をできるだけ細かく振り返ってるけど、マジで書くことないですね.....

9月の三連休は、姉夫婦と母が東京に来ました。と言っても、僕に愛に来たわけではないです。母の実家は東京で、そこに姉夫婦が孫の顔を見せに来たという感じでした。祖母の住む家に大集合で、ついでに母親の妹(my叔母)もやって来ました。僕も参加し、久しぶりに血縁者に顔を見せた感じです。

姉は、僕自身のその辺の事情(結婚する気あるのかとか)には一切口出しをしない人で、放任させてくれています。母は昔は「圧」をかけて来ましたが、院に入った辺りからあまり言われなくなり、最近もたまに鎌かけされるぐらいです。とはいえ、まだまだ「期待」は抱いているようで、そういう話が無いとわかると、少し寂しげな感じになっている気がします。

で、祖母と叔母に関しては、がんがんプレッシャーをかけてくるタイプの人です。僕としては、ひさーしぶりにそういった「世間一般的な期待」を受けました。全然、日常会話の範疇なので、嫌だなという感じではないんですが、「本当に何も無い」ということを説明するのが一苦労で、「いやいや、そんな何も無いってことはないでしょ」「何かはあるでしょ」と突っ込まれ続けます。これが多少しんどい。やってないことを証明するのが難しいように、本当に何も無いということを説明するのも一苦労です。あと証明したら証明したでだいぶ変な空気になるので、そこも難しいところですね。

全然違う話になりますが、この間、久しぶりに小説を読みました。2016年に芥川賞を獲った、村田沙耶香コンビニ人間』になります。

このコンビニ人間、さっきも言ったような「世間一般的な期待」に振り回される人間の話となっています。36歳でコンビニバイトやっているのは異常だとか、いい年なんだから結婚してないとヤバいとか、そういうプレッシャーをガンガンかけられる話です。僕自身は、ここまで露骨にプレッシャーをかけられること、そんなにないですが、やはりそれは所属するコミュニティを選んでいるからなんですかね? 世間一般的には、やはり交際経験がないというだけであからさまに「異常者」扱いされるものなんでしょうか。これが単に戯画化されたものなのか、あるいは誰かにとっては現実なのか、その辺はよく分からなかったです。

そんなわけで、世間一般的な期待や圧もあるし、僕自身、祖母や母に心配かけたくない(むしろ喜ばせたい)とは思っておりますが、いかんせん、難しいですね。難しすぎて、いつになったら上手くいくのか、本当に見当がつかないです。毎度毎度、「今度こそ、今度ばかりは上手くいくんじゃないか」と考えつつ、その度に打ち砕かれておりますからね。大変だ。皆さんはいかがでしょうか。現代日本の若者恋愛事情、あまり活発ではないと聞くので、難しい・複雑だと感じている人は増えているのかもしれません。どうすればいいんでしょうね。皆で頑張りましょう。

 

9/24(日) チャリで浦安に行きました。

最後は少しだけ明るい話を。この前の9月24日、非常に気候が穏やかで過ごしやすく、絶好のサイクリング日和でありました。

こんな日にチャリに乗らなかったら嘘だ、と思い、半日ほどチャリ旅に行ってきました。だいたい片道25kmぐらいの距離がよかったので、千葉県の浦安にあるテーマパーク(ディズニーランドって言うんですけど、皆さん知ってますか?)までサイクリングしてきました。これがめちゃくちゃ楽しかったです

夢の島公園。東京川から浦安に入る。

舞浜大橋。これを渡ると夢の国がある(チャリは知らない人のやつ)。

千葉県に入ると同時にディズニーがある。すげえー。

東京と言えども、東京駅より東側(江東区のあたり)は、結構土地の使い方が大胆で、道が広くチャリも走りやすかったです。特に、新木場→葛西臨海公園→ディズニーランドのあたりは、何度も大きな川を越え、橋を渡り、坂を上ったり下ったりしたので、もはやこれがアトラクションみたいなものでした。無料なうえに待ち時間もゼロですよ!! ぜひみなさんもやってみてはいかがでしょうか。

舞浜駅の前のあたり。リゾート感がすごい。

なんか走ってる。シーには行ったことがないのでなんなのかわからない。

ちなみに(当然ですが)、テーマパークの敷地内には、一歩も入らず帰ってきました。汗だくだしね。でも、それはそこまで変わったことではなく、普通に周辺をランニングしている人とかも多かったです。ので、ちょっと都内からサイクリングしてみたいという人や、海沿いをランニングしたいという人は、ぜひディズニーまで行ってみてはいかがでしょうか。本当に楽しかったです。チャリは一人でも楽しめるのが、よいですね。

 

 

以上

9月の振り返りはこんな感じです。

9月はもう一個だけ、恋愛云々について考えさせられる出来事があったのだけれど、それについては割愛。まあ、友人がマッチングアプリで使う用の写真を一緒に撮りに行ったというだけなんですが、それもなんというか、「みんな頑張っているんだなあ」という気持ちになりました。みんな頑張っているんだよと。僕はそのあたり、本当に何も努力をしておらず、だからこそ「始まった瞬間には負けている」という事態にも陥るわけです。それがね、なんというか、思うところ多いですね。ただ、ひとまずは日々を一生懸命に生きたいと思います。前向きでよろしい!!

あと、最後に9月に読んだ漫画でも紹介しておきます。

 

中高一貫!! 笹倉高校コスメ部!!

面白かったです。最初はこういうの、苦手なやつかと思いましたが、ノリがなんだか不思議で、結構ハマりました。途中とか完全にジョジョ。あと、いかにモテるための努力をするかという話と、いやそれはルッキズムを助長してるだけじゃね? という話が両方出てくるので、バランスがいいなあと思いました。今日の話とも関連していますね。おすすめです。

 

② 犬とサンドバッグ

犬とサンドバッグ。上下巻。この漫画、前から面白いなーと思っていたんですが、下巻が出て完結したので、記念に購入しました。面白かったです。結構泣けました。これも、35にもなって独身なのどうなん? という話が出てくるので、今日の内容とも関連しているかもしれません。非常に心強いメッセージも多いので、おすすめです。

 

 

今月のプレイリスト

 

全12曲、43分36秒。画像は新宿御苑に行ったときのものです(マッチングアプリ用の写真撮影会場)。

9月はあんまり、目新しい曲はなかったです。結局のところ、Men I TrustYo La Tengo がいいんだよな〜〜という、100億回言われている結論に落ち着きました。100億は盛ったか。実際は40回ぐらい。

 

Men I Trust "Tree Among Shrubs"


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↑この曲、良すぎません?? みなさんもぜひ聴いてみてください。

 

Yo La Tengo "Madeline"


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Yo La Tengoも、全部ちゃんと聴いてるわけではないけど、好きな曲は好きです。

 

 

 

そんな感じ

です。今回はここまで。

今までと少し毛色を変えて、プライベートな話をしてみましたが、いかがでしたでしょうか。暗い話が多いですね。9月は本当に、自分の人間的弱さを実感する月でした。まあそういうときもありますよね。

10月の目標は、前向きに、好きなことを頑張ろうです。極めてありきたりな目標ですが、今はこういうシンプルなことが、自分の道標になってくれる感じです。来るべき10月は、この言葉を旨に、世間一般の期待などには振り回されず、頑張っていきたいと思います。ぜひ応援していてください。僕も皆さんを応援しています。心から。寒くなっても来ますので、体調に気をつけながら精進していきましょう。