浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

大事なことはだいたい中島みゆきが言っている:昭和ミュージック第二弾

こんばんは。

 

みなさんは、道に倒れて誰かの名を呼び続けたことはありますか?

  

わかれうた

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多くの人にはないだろうし、僕にもありませんが、おそらく中島みゆきにはあるんだろうと思います。

そんなわけで、本日は「麗しの昭和ミュージック」第二弾、中島みゆき特集になります。

前回の記事でも書いたけれど、僕は高校時代、よく昭和ミュージックを聴いていました。主に中森明菜ユーミンなどの女性アーティスを中心に。

その中でも、おそらく一番ヘビロテしていたのが中島みゆきです。 中島みゆきは、とにかく歌詞がいいです。本当にいいこと言ってくれてるなあと思って、何度も何度も聴いていました。世の中の大切なことの8割は、すでに中島みゆきが言ってくれていると思います。たぶん。残り2割はユーミンが言っています。

で、今日は個人的な中島みゆきの魅力のご紹介。現代でみゆきを聴き込んでいる人、そんなに多くないと思うので、これは貴重な記述になるかもしれませんよ。

 

中島みゆきとは?

1975年、「アザミ嬢のララバイ」でデビュー。当時23歳。1953年生まれで、現在69歳。ヒット曲としては、「糸」「地上の星」「銀の龍の背に乗って」などなどなどなど。ドラマの主題歌も多いですね。作詞作曲は基本的に自身で行う、いわゆるシンガーソングライターです。

Wikipedia的な説明は置いといて...... 一番の特徴はなんと言っても、経歴の長さでもヒット曲の多さでもなく、サブスクで聴けないということだと思います。「糸」などのメガヒットソングの存在にも拘わらず、「中島みゆき」はSpotifyには登録されていないし、おそらくAppleミュージックにもなし。かといって、YouTubeにたくさん公式動画があるわけでもない(少しならある)。唯一、Amazonプライムミュージックでは何曲か聴けますが、それでもかなり部分的です。

 


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地上の星」ならYouTubeにある。でも他は少ない。「糸」すらない。

 

つまり彼女の第一にして最大の特徴は、この時代においてネットでは聴けないということです。ちゃんと聴きたければ、CDを買うか、GEOでレンタルするか、iTunesで購入するかしかない。現代におけるレンタルCDショップの価値は、「中島みゆきの曲が聴ける」というその一点によって支えられていると言っても過言ではありません(過言でした)。

そんなわけで、段々と視聴人口が減っているのではないかと心配になる中島みゆき。ただ、個人的には、本当にイイことを歌っていると思います。特に人間の孤独や寂しさについて。僕は振り返ると、人生でトップレベルでツラかったときに中島みゆきを聴いておりました。彼女を知る者が「みんな何処へ行った」となる前に、少しでもその魅力を書き残しておこうと思います。

 

大吟醸(仮)

Q.大吟醸とは?
A.とりあえずこれだけ聴いとけばおkというアルバムだよ!

中島みゆきは、非常にたくさんの楽曲を出しています。アルバムだけでも40個以上出ていて、全曲なら400とか500ぐらいあるんじゃなかろうか。たとえGEO大好きゲオリストでも、全部の楽曲をレンタルするのは大変だと思います。

 

大吟醸

大吟醸

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ので、僕としてはベストアルバム『大吟醸をひとまず聴いておけば、まあ大丈夫だと思っています。こちらは1996年に出されたもので、オリコンチャートで1位も記録(今更だけどオリコンチャートって何?)。界隈でも中島みゆきの「入門」として勧められていて、傑作ぞろいでおすすめです。

 

大吟醸(仮)

 

そしてこの『大吟醸』、アマプラに散っていたシングルをかき集めることにより、擬似的な再現に成功しました。それが↑の埋め込みになります。「大吟醸」の復元なんて、界隈ではノーベル賞に匹敵するほどの功績です。アマプラ加入してる人は、ぜひ聴いてみるべし。加入してない人も、再生ボタン押すとちょっとだけ聴けます。

 

で、今日はせっかくなので、これをベースにみゆきの曲をいくつかご紹介。個人的に好きな曲だったり、「イイこと言ってるなあ」と思う曲について書きます。

 

 

収録曲

空と君のあいだに

空と君とのあいだには 今日も冷たい雨が降る
君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる

1994年リリース、ドラマ『家なき子』の主題歌であったこの曲(よく考えたら昭和ミュージックじゃない)。『家なき子』といえば、「同情するなら金をくれ」というセリフが有名です。僕もこの前、面接官から「君のその就活観で、就活うまくいってる?」と心配されて、同情するなら内定をくれと思いました。まあそんなことはどうでもいいですね。「大吟醸」の一曲目なので、記念に紹介しておきます。

家なき子』のドラマには、主人公に寄り添う存在として犬が登場します。みゆきは主題歌を依頼された際、番組から「とりあえず犬が出てくる」としか知らされてなかったらしいです。で、この「犬」の視点から作ったのがこちらの曲。犬からすれば、「君」であろうと「空」であろうと、ただ見上げるしかない存在。ただ、その間には冷たい雨が降っていて、どうにか君をそんな「雨」から守りたいと、そんな想いを歌った曲なんだと思います。

君の心が分かると たやすく誓える男に
なぜ 女はついて行くのだろう 
そして 泣くのだろう

どうでもいいけど、これはマジで、そう。

 

悪女

悪女になるなら 裸足で夜明けの電車で泣いてから
涙ぽろぽろぽろぽろ 流れて涸れてから

2曲目は、1981年リリース「悪女」。この曲、僕の中でmy favorite 中島みゆきソングです。

みゆきって結構、語るように歌うんですよ。曲によっては、それもう歌じゃなくて、単なる語りじゃない? っていうのもあったり(「ファイト」の歌い出しとかまさにそんな感じですね)。

ただ、この曲「悪女」に関しては、単純にメロディも歌声もよいです。非常に聴きやすくて、入門者向けだと思います。

歌詞もかなりみゆきらしいというか...... わざと自分が「悪女」を演じることで、彼が自分に早々に見切りをつけて、本当に愛する人のところに行ってくれるよう仕向けているというものです。女友達のところに電話して、あたかも男と遊んでいるかのように見せかけたりするわけです。でも、その試みは一筋縄ではいかず、

悪女になるなら月夜はおよしよ 素直になりすぎる
隠しておいた 言葉がほろり こぼれてしまう
「行かないで」

というわけです。こういう、本当はツラいけど相手を想って無理をするというのは、みゆき世界観で度々登場する心理描写です。準必修科目よ。

 


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「恩知らず」ほか「愛情物語」などでもこれは出てきます。

 

独特なワードチョイス

あした

何もかも 愛を追い越してく
土砂降りの一車線の人生

他なる中島みゆきの特長の一つに、ワードチョイスのセンスが独特ということがあります。

それがよく表れているのが、3曲目「あした」。これはまあシンプルに、「私が美しさを失ってしまっても、どうか見捨てないでね」という気持ちを歌ったものだと思います。ただ、そこでの表現が非常にユニーク。

もしも明日 私たちが 何もかも失くして
ただの心しか持たない やせた猫になっても
もしも明日 あなたのため何の得もなくても
言えるならそのとき 愛を聞かせて

何かもを失くすことを「ただの心しか持たないやせた猫にな」ると言うの、多分中島みゆきぐらいです。実際、こういう会話をしているカップルがいたら面白いですね。

「ねぇ、たーくん。もしも明日、私たちが何もかもをなくしてただの心しか持たないやせた猫になっても、愛してるって言ってね」

「うん、わかった」

的な。

でもこの曲、歌詞を見るに、おそらく破局が見え始めたカップルの歌。「カーラジオが嵐を告げている」とか、「許し合えば二人は なおわからなくなるみたいだ」とか言ってるので。この辺の歌詞も秀逸だなあ。

 

孤独を知っている

誕生

ひとりでも私は生きられるけど
でも誰かとならば 人生は遙かに違う

次はアルバム6曲目「誕生」から。この曲、歌詞が本当に好き好きでした。

個人的に、中島みゆきの最大の魅力は、「孤独のつらさを知っている」ということにあると思います。だからこそ、ひじょ〜〜〜〜〜〜にツラかったときにも大変励みになりました。

「孤独」には少なくとも、2つの面があると思います。一つは、煩わしい人間関係から解き放たれて、自由を謳歌するような、「幸せな孤独」のイメージ。これはまあ、現代社会の方々で唱えられております。独りでいることは決して不幸ではないよとかね。

ただもう一つ、「選ばざるを得ない」ものとしての孤独もあると思います。一人で過ごしている人間の全員が、好き好んでそうしているとは限らなし。本当は誰かと一緒にいたいのに、誰からも好かれないとかの理由で、どうしても一人になってしまう人間も世にはおると思います。

そして中島みゆきは、後者の孤独のつらさをちゃんと歌っている。そこが本当にいいなあと思います。「誕生」の歌い出し、「ひとりでも私は生きられるけど でも誰かとならば 人生は遙かに違う」とか、本当にその通りだと思っておりました。強気で強気で生きてる人ほど、些細な寂しさでつまづくものっす。

 

わかれうた

好きで別れ唄う 筈もない
他に知らないから 口ずさむ

好きでもないのにいつの間にか独りになってしまうというのは、5thシングル「わかれうた」などでも歌われている心情です。ちなみにこの曲、僕が初めて聴いた中島みゆきソングでした。名曲ドス。

「途にたおれて誰かの名を 呼び続けたことがありますか」という衝撃的なフレーズで始まるこの曲。まさにみゆきを代表する一曲だと思います。去った男へのやりきれない想いを語るというのは、中島みゆき学では第一必修科目です。

この曲はメロディ的にも聴きやすいので、「悪女」「ひとり上手」と併せて、三大初心者向けおすすめソングに数えられます。

 

ひとり上手

ひとり上手と呼ばないで
心だけ連れて行かないで
私を置いていかないで
ひとりが好きなわけじゃないのよ

1980年リリース、9thシングル「ひとり上手」。これまでのみゆき学で学んだ基本を押さえた、教科書に採用したい歌詞です。

中島みゆきと言えば「糸」や「地上の星」、「宙船」的な風潮もありますが、こっちの方がよっぽどみゆきっぽいなあと、個人的には思います。もちろん、ああいう壮大なスケールの歌も好きですけどね。ただ、こういう脆い人間ほど抱えがちな愛に飢えた心を扱っているのが、みゆきの何よりもの魅力なんじゃあないかと思います。

雨のように すなおに
あの人と私は流れて
雨のように 愛して
さよならの海へ流れ着いた

こういう、美しき歌詞も好きです。 

 

楽しみ方いろいろ

ファイト!

私の敵は 私です 

「ファイト!」は中島みゆきの中でも、非常に人気の高い曲。「闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう」という一節は、いろんなところで引用されているのを目にします。

ただ僕、この曲初めて聞いたとき、そんなにいい曲だと思えませんでした。というのも、さっきも書いたけど、これは歌というより「語り」に近かったりするからですね。後半になるとメロディもついてくるけど、前半はほぼみゆきが喋ってるだけです。

でもそれは逆に、みゆきの楽しみ方の多様さにも繋がっていると思います。それすなわち、「聴かなくても楽しめる」という面白さです。

最初に書いたとおり、みゆきの曲はほとんどネットで聴けないわけです。でも、歌詞だけなら、歌詞サイトでいくらでも見ることができる。あんまよくないかもしれないけど。

そして中島みゆきの神髄において、メロディはそんなに大事ではない。「ファイト!」の前半のように、五線譜に乗せるつもりがなさそうな曲も存在するわけです。そうなると、歌というよりもはや「詩」としても楽しめるというか、必ずしもメロディと一緒に聴く必然性もなくなるわけです(聴いた方が楽しめるとは思うけど)。読むだけで楽しめてしまう。

 

蕎麦屋

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その典型が、「蕎麦屋」という曲。これは曲自体が一つのストーリーになっています。

歌詞を読むと、まず主人公が「世界中のだれもかも偉い奴に思えてきて」「まるで自分ひとりだけがいらないような気がする」と悩んでいるところから始まります。そして突然、あいつから電話がかかっくる。

「あのぅ、そばでも食わないかあ」って。

で、今更顔合わせてそば食ってもって思うけど、無視するのもあれなんで、一緒に蕎麦屋に行く。風で暖簾がばたばたしてて、ラジオは大相撲中継を流している。そこで蕎麦を食べながら、あいつの失敗話を聞いてると、突然あいつが、

「あのね、わかんない奴もいるさ」って。

「あのね、わかんない奴もいるさ」って。

あんまり唐突に言ってくるので、思わず泣いてしまったという話。

 

 

よくないですか?

よさが伝わったかわからんけど....... ちなみに歌詞はこちらから。まあ、なんかよいんですよ。

上に紹介した「誕生」とかもそうだけど、歌詞読んでるだけで、なんか心に来るものがあったりするわけですね。だから曲を聴けなくても、中島みゆきの世界は楽しめるという。ぜひ眠れぬ夜の暇つぶしに、人気歌詞ランキングとか調べてくださいまし。ちなみに僕は、「命の別名」とかもすごい好きです。人には笑顔のままで泣いてる時もある...... あとは「タクシードライバー」とかも、名歌詞として名高いです。

 

 

 

そんな感

じです。前回の中森明菜回に続き、今回も「昔好きだった曲特集」でした。いかがだったでしょうか。

ちなみに、中森明菜は、今でも聴いて「歌うま宇宙人だなあ」と感動しています。対して中島みゆきは、一番ハマった高校時代以降、今ではほとんど聴いていません。最後に聴いていたのは大学1年ぐらいのときだろうか。

中島みゆきは歌詞がイイ」と書きましたが、みなさんはここまで読んで、その良さを実感できたでしょうか。正直な話、僕は今日書いてみて、かつてほど感動を感じなくなっている自分に気付きました。昔はもっと、”救われた”という実感があった気がするんですが、今ではそれが薄いです。むしろ「暗いなあ重いなあ」と思うぐらいで。

ただ、それでいいんだと思います。人生の最もツラく苦しく悲しいときに、聴くことによって支えられた。それが大事なんじゃあなかろうかと。音楽とか美術とか文学とかはまさに、そういう心理状態の人間のためにこそあるのであって、健全なときに聴いて感動できなくても、それはそれでよいのだと。まあそういう風にも考えられます。

 

またほんと〜〜〜にツラくなったときには、中島みゆきを再訪するかもしれません。そのときにまた逢えればいいのだと思います...... できればサブスクという形で。急げ、アナログ、デジタルに変われということで。

本日はそんな感じでした。次回は、ユーミンかなあ。ユーミンは一番書くのが難しそうだ。