浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

君はもうスピッツの魅力を知っているか:伏見瞬『スピッツ論』読みました

みんなーーー!!!

スピッツ 聴いてるぅ!!??

 

 

初手ブラウザバックしなかった方ありがとうございます。そしてお久しぶりです...... また1ヶ月ぶりの更新になりました、申し訳ないです。ちょっと実家の方に帰省したり、あとヒスイ地方に行ったり、デュエマシティにも行ったりしてました。ほんとすみません。

少しだけ近況を書くと、この間修士論文関連に完全に決着が付き、今は来年所属の研究室に願書を出したり、あとはまた就活の準備を進めるなりしています。まだ2月なので、そんなに忙しいわけではないですが。

 

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先のことを考えるとどうにも「不安」ばかりがよぎり、気持ちを正直に紙のノートに書きだしてみた


スマブラのエンドクレジットのシューティングゲームみたいになりました。「不安」というマトが動いているみたいで面白かったです。

 

 

今日は言いたかったのはこれだけなので、以上です。

 

 

 

 

 

 

 

 

.....とまあ冗談はさておき、いやさておきというか、近頃、日々不安ばかりで大変だということについては本当です。未来の見通しが持てないというのは、精神的にかなりまいっちゃいます。未来って言っても1年ごとかそこらじゃなくて、2ヶ月3ヶ月後の見通しが持てていないのがやばい。これまじで不安になります。

で、僕は精神的にまいったときは、スピッツを聴くと割と元気が出せます。なので今日はスピッツの話です。

 

↑こういうときは「シャララ」が一番元気出る。

 

近頃スピッツが熱い

「またスピッツか」「おまえいつもその話だな」と思った方も少し聞いてください。この頃、以前に増してスピッツが熱いように思います。特にこの半年ぐらいで色々ありました。

直近だと、WOWOWでの特番「優しいスピッツの放送。北海道で撮られたオリジナルライブです。2月の頭に放送されて、僕も実家で見てきました。めっっつぁっつぁっっっっよかったです。本当に。

www.wowow.co.jp

↓はライブの曲がまとめられているSpotifyプレイリストです。作ってくれた人に感謝。

 

好きな曲ばかりでテンションぶち上がり。特に「ハヤテ」「HOLIDAY」「ガーベラ」「名前を付けてやる」が入っているのが熱い。

「テレビで扱われただけで何がそんなに熱いの?」と思う不届き者方もいるかもしれませんが、スピッツはテレビへの露出がかなり少なく、動いている4人(とキーボードのクジヒロコさん)を見られるだけで割と感動します。感動しました。

あと、昨年11月には、新曲「大好物」がリリース。こちらは映画「きのう何食べた?」の主題歌ですね。一応動画も貼っておきます。

大好物


www.youtube.com

「君の大好きなものなら 多分僕も明日には好き」というシンプルな歌詞がよいと思う。

そしてもうひとつ、昨年12月、スピッツについての音楽批評である伏見瞬『スピッツ論』が出版されました。今日はこれについての話です。

 

伏見瞬『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』(イースト・プレス、2021)

スピッツの特徴や魅力を、音楽批評として読みといた一冊です。買いました。読みました。面白かったです。内容は「分裂」をキーワードとして、彼らの音楽性やスピッツらしさを読みといていく、というものになります。

で、今回はこの本の感想なり、僕が思う「スピッツの魅力」についてです。君はもうスピッツの魅力を知っているか? 別にこの記事を読んでスピッツを好きになったり、彼らの曲を聴くようになってもらわなくても大丈夫です。その代わり、最低限、「スピッツオタクの端くれは、こういうところに魅力を感じているんだよ!!!」というのを知ってもらえれば幸いです。我々はスピッツのどこに惹かれているのか??

 

スピッツの魅力は「分裂」にあり?

というわけで伏見瞬『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』の簡単な紹介。この本はスピッツについて、「彼らの音楽性はこういうところにあるんじゃないか」とか、「○○が彼らのアイデンティティとしてあるんじゃないか」といったことを考察した一冊となっています。その○○に嵌まるワードとして、とりわけ「分裂」に焦点が置かれているわけです。曰く、「スピッツの音楽は『分裂』している」(1頁)

「分裂」の例として挙げられているのが、一つに”有名”と”無名”の分裂。スピッツ自身は、自分たちの音楽を「5万人が聴くような音楽ではない」(スタジアムでやるようなものではない)と称しているのに、その実彼らは国民的に知名度のあるバンドである。そういう、本人達はあくまでマイナー志向であるのに、思いがけずヒットしてメジャーになっているといったことが、ここでは「分裂」の例として挙げられている。他にも、”中心”と”周縁”の分裂なり、”個人”と”社会”の分裂なり、スピッツに見られる色んな「分裂」が取り上げられています。↓はこの本の目次。

第1章 密やかさについて ─ “個人”と“社会”
第2章 コミュニケーションについて ─ “有名”と“無名”
第3章 サウンドについて ─ “とげ”と“まる”
第4章 メロディについて ─ “反復”と“変化”
第5章 国について ─ “日本”と“アメリカ”
第6章 居場所について ─ “中心”と“周縁”
第7章 性について ─ “エロス”と“ノスタルジア
第8章 憧れについて ─ “人間”と“野生”
第9章 揺動(グルーヴ)について ─ “生”と“死”

非常にざっっっくり分けると、1・2章ではその「スタンス」(歌詞や来歴)に、3・4章では「サウンド・メロディ」に、5・6・7章では「社会的背景」に、そして8・9章で再び「歌詞」に焦点を当てるという構成になっていると思います(多分)。特に面白いのが、5・6・7章の「社会的背景」などに着目したパート。歴史や文化、音楽史などに言及しつつ、日本とアメリカの対比などを用いて、スピッツ特有の「情けなさ」がどこから生じているかに迫っています。音楽批評というのは何も、単にメロディーや歌詞だけを分析するだけではなく、社会的・文化的背景なども読み込んでいくものなんだなあと思いました。

で、単に「分裂」がキーワードになってそうなアーティストなら世にごまんといそうだけども、著者曰く、スピッツはどこに着目しても「分裂」が立ち現れるというのが特徴になっています。その辺の話は、↓の現代ビジネスの記事でも読める。同じ著者なので、本買うか迷っている人はこっちから読むといいかもしれない。

 

gendai.ismedia.jp

 

.....で、まあ僕の疑問としては、皆さん、人からお勧めされた曲聴きますか? つまり、こうやって「魅力」を提示されることで、その曲を聴きたいと思うようになったり、あるいは実際に聴くようになったりするだろうか、ということ。我々、他人からおすすめされた曲って、得てしてはまれなかったり、あるいは全く聴かなかったりしないだろうか。まあ僕がそうなんだけど。

ブログを書いていても、音楽の魅力について人に伝えるのって難しいなと感じています。YouTubeの面白動画の次ぐらいには難しい。漫画とか映画は勧めやすいんだけど。そんなわけでこの本も、スピッツの魅力や特徴を明らかにする本ではあるけれど、新たにスピッツリスナーを増やそうとする本ではないことは確かです。本当はもう少し、この本の内容を詳しく紹介しようと思ったけれど、詳細に立ち入ったところで、普通にスピッツ好きじゃないと全くついて行けなさそうなのでやめました。この本、あくまでスピッツの「分析」であり、紹介ではないので、スピッツをかなりの程度知っていることが前提みたいなところあります。特に、著者の好きな曲として「ナイフ」がフューチャーされているのだけれど、これ初期のスピッツがあんま好きじゃないという人には本当に乗りにくさを感じるところかも知れません。僕も『醒めない』がアルバムの中で一番好きな身としては、全然この辺扱われんな〜〜という感じがありました。

で、何が言いたいかというと、「好きな音楽の魅力を人に伝えるのって難しい」ということです。そうでなければ、最初からそれを好きな人に向けて書く解説書になりがち。この本はそのタイプで、決してそれが悪いというわけではないのだけれど、ただこの本を軸にして世の人々にスピッツの魅力を伝えていこうという試みはなかなか難しいように感じました。まあ己の力量不足なのだが。

そんなわけで、魅力を伝えるとかハマってもらうという意味では、実際に聴いてもらうのが一番手っ取り早いのだと思います。

 


www.youtube.com

↑「冷たい頬」。個人的に一番好きな曲。

 

個人的に思うスピッツの魅力

とはいえ「聴いた方が早い」で終わるのもあれなので、個人的に思うスピッツの魅力をちょっと書きます。上記『スピッツ論』の「分裂」に基づいた分析は、スピッツを知っている人にとっては大変面白いのだけれど、知らない人には何が魅力か伝わりにくいと思うので(分析と考察が主眼なのでそれで問題ないのだが)、もう個人的に魅力と思っているところをババっと書いていきます。

一言で言うと、その魅力は「歌詞の曖昧さ」にあり。スピッツの曲は、歌詞がぼんやりしてて何言ってんのかよくわかんねえというのが多いです。でもそこが魅力だと、個人的には思っています。ちなみにこうした「曖昧さ」は、実は『スピッツ論』においても「密やかさ」として触れられている(特に第1章)。スピッツの曲、何が曖昧かというと、訳の分からん意味不明なことを歌っているとかじゃなくて、当事者達にしかわからないことを歌っているから曖昧さが残るのだと思います。

例として公式で聴ける曲挙げながら書いてみると、

ロビンソン


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有名な「ロビンソン」の歌詞では、

同じセリフ 同じ時 思わず口にするような
ありふれたこの魔法で 作り上げたよ

ってあります。我々からしたら、この「セリフ」「魔法」が何なのかはわからないんですよね。だいたいあのセリフかなって予想はつくけど、はっきりと答え合わせされるわけではない。その辺は想像に任されるわけです。

で、このあと、サビでは「誰も触れない ふたりだけの国」と続くことからもわかるように、要するにこれは、二人だけにしかわからない、秘め事の世界を歌っているとも言えるわけです。

スピッツの曲って、強烈な思想とか孤独感を世界に向かってシャウトしたりはせず、実に素朴な恋愛観を語るものが多いです。だから”凄み”みたいなものはあんまりないし、「聴くと間違いなく心揺さぶられるぞ」って人に勧められるものでもないです。あくまで、歌われているのはごく平凡な恋愛感情だったりします。

ただ、「恋愛」ってやっぱり、基本的には当事者達の中で完結するものであって、外部に喧伝するものではないじゃないですか。あくまで内密で、「密やかな」出来事なわけです。だからこそ、本当は二人にしかわからない世界になるし、それを他人にわかるように言う必要もなし。自分たちだけの、思い出や秘密として記憶しておけばいいという話になります。

ただ、「歌」としてやる以上は、聴き手がいる以上、ある程度他人にも開かれていないといけないわけで、全く意味不明なことばかり言っているわけにもいかないわけです。本当は内密で、当事者だけが分かっていればいいことを、他者や外部に開かれた形で示すというこの矛盾。これは今の僕も同じ状態で、本当は好きな曲の魅力なんて自分だけが知っていればそれで十分なことを、こうやって他者にも伝わるように頑張っているわけで、そうすると、手段としては、「すごい」「やばい」「感動した」とかの抽象的なワードを用いるか、あるいはダラダラと文字数並べて具体例を示したりするかのどっちかになると思います。でも「すごい」「やばい」とかのワードで感動が伝わったり、あるいは「愛している」の一言で恋愛のあれこれが伝わっても、あんまり面白くないというか、そもそも本当に具体的な気持ちはそれだけでは伝わらないような気もします。

で、スピッツはその辺を本当にうまくやっているなあと思います。あまり抽象的な便利ワードは使わず、かといって説明的にもならず、「大きな力で空に浮かべたら、宇宙の風に乗る」とかいう、よくわかんねえ言葉で喜びとかを表現しているのがすげえです。つまり、一見「抽象的で」曖昧な言葉なんだけれど、実は当事者のありのままの経験や感情がそのままに反映されていて、むしろ「愛している」とかの便利ワードよりよっぽど「具体的」だという、そういうことが起きているのだと言いたいわけですが、この辺は僕は読み手への伝わりやすさとか一切度外視して自分が書きたいことだけ書いています。つまり、これこそが僕にとってはありのままの言葉な訳です。何言ってんだ?

 

魔法のコトバ


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で、こうした「ふたりの秘め事」的なのは、「魔法のコトバ」という曲にも表れています。この曲、サビで「魔法のコトバ  二人だけにはわかる」って歌われていて、これもこの「魔法のコトバ」が何なのかは結局分からない。

魔法のコトバ  口にすれば短く
だけど効果は  すごいものがあるってことで

でもこの辺の、「効果はすごいものがある」っていうので、だいたいの想像は付くと思います。まあただ、「魔法のコトバ」の歌詞はスピッツの中ではかなりわかりやすい部類だと思います。

こんな感じで、「二人だけの世界の具体性」を保ちつつ、聴く人も一応は想像を巡らせることができるというのが、スピッツの好きなところです。いわゆる大衆音楽って、どうしても「愛」とか「好き」とか「君」とかの抽象ワードを並べてしまうところあると思います。それは『スピッツ論』でも、ポップ・ミュージックの特徴として語られていて、

そもそも、音楽は......主観性の強い表現形態だ。一方でポップ・ミュージックの産業においては、この「主観」が大量にコピーされ、無数に分裂する。個人的なフィーリングがあまたの人々に共有され、”私”と”公”が分裂するのだ。凡百のポップソングは”公”(つまり大衆)を意識するあまり、”私”を軽々と捨て去る。(18頁)

といった具合で、「複製」「大量生産」を土台とするポップ・ミュージックの特徴上、「私」的な体験は切り捨てられやすいことが指摘されています。ただ、スピッツは広く売れている(”公”的に受け入れられている)バンドでありながら、こうして”私”を捨てておらず、そこに「分裂」が存在し、またそれがスピッツの魅力なのだと、僕も本当にそう思います。

 

みなと


www.youtube.com

あと最後に、もうひとつスピッツの魅力として、自分たちが外れ者だという自覚があります。スピッツでは、自分たちがメインストリームに属する人間ではなく、あくまでそこから外れてしまった者、主流になれなかった者という感じがよく歌われています。

例えば「みなと」の歌詞では、「汚れてる 野良猫にも いつしか優しくなるユニヴァース」とあり、こうして自分たちを「野良猫」とかに例える描写はよく出てくる。「ロビンソン」でも、「片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も どこか似ている」と歌われているし。

スピッツ論』では、これが「周縁者」としてのスピッツと表現されています。スピッツではあくまで、自分たちが”中心”に対する”周縁”に位置付けられている。にもかかわらず、朝ドラの主題歌なりを担当するからこそ、そこにまた「分裂」が生まれるのだということが書かれておりました(第6章)。

 

ongakubun.com

↑これ、スピッツについて個人が書いている記事なんですが、そこで草野正宗の過去の発言、「スピッツは何でもありの、でも弱い者いじめだけはなしのロックです!」というのが紹介されています(これは孫引きに当たるので、本当はよくないのだが)。こんな感じで、自分を「野良猫」などの周縁者に重ねながら、決して弱い者いじめなどをせず、でもそこから俺も頑張っていくよと腐らずにやっていく姿勢を見せているのが、スピッツのよいところだなあと感じます。

ちなみにこの辺、『スピッツ論』では、

スピッツは、自分たちがはみ出しものであるという認識を消さなかった(消せなかった)。帰属意識を持つことに、違和感を覚え続けた。……自らが誰なのかを、どこに自分たちがいるかを、固定しなかった。彼らの場所がどこにもないからこそ、彼らの表現はどこにでも行くことが出来た。……誰の心の中にも密かにたたずむ”周縁”者の感覚に、彼らの音楽は柔らかく触れた。(266頁)

という風に書かれています。そしてこの後、「少数派の心を抱いたままポップ・ミュージックの世界で生き続けられることを、スピッツは示した」と続くんですが、これは僕も、スピッツの魅力と特徴の核心を突く一文だと感じます。まあそんなわけで、国民的メジャーバンドでありながら、中心に入れなかった周縁者の気持ちを歌い、ポップ・ミュージックでありながら、個人の「密やかな」感情も歌っているという、そういう「分裂」がスピッツの魅力なわけです。僕としては、「分裂」というよりも、「中道」「中庸」などと呼びたいところですが。「分裂」というと、意図して起こしたり再現できないものになりそうだけど、彼らのメジャーでもドマイナーでもない「中庸」を行くスタイルは、僕自身もできるだけそうしたいと思っています。

 

とりあえず以

上です。本当はまだまだ語り足りなすぎるけど、「自分なりに魅力を伝えよう」と思ったらこんなに長文になってしまいました。結局のところ、「自分なりに」と言いつつ伏見本の助けを何度も借りたので、この本は優れたスピッツ分析本であると感じました。

最後にちょっとだけこの本の感想を書くと、

  • 音楽理論や洋楽との関連がしっかり触れられていて、そこがとても勉強になる(僕は全然詳しくないので)
  • スピッツの「情けなさ」、そして「男らしさ」との関連が触れられていた7・8章は、まさに読みたかったところなので特に面白く読めた
  • 社会や歴史との関連では「そうなのか?」と思うところもちょいある
  • 著者の好きな曲が特にピックアップされている印象があり、初期の曲は扱いが厚いが、『おるたな』以降はちょっと手薄な印象(特に『醒めない』は)

とかです。批判とかも含んでてすみません。

今日実感したのは、音楽の魅力を文字で語るってマジで難しいということです。ぐだぐだになってすみませんでした。素人が語るには限界があるので、やっぱり皆さん、ちゃんとした人が書いた本を読むようにしましょう。ここまで読ませておいて言うことではないのだが、、、、