浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

社会人だが勉強を頑張る 〜『かもめチャンス』の話なども〜

ども!! 梅雨の足音が近づく今日、皆さまいかがお過ごしでしょうか。じわじわと暑い。夏の到来を感じますね。


あじさいが咲いてますよ。

僕は結構梅雨が好きです(唐突な告白)。じめじめして嫌だという人も多いですが、初夏を感じられてよいんですよね。皆さんもスピッツの「あじさい通り」なんかを聴くようにしてください。

さて今日は、この頃頑張っていることなどについてです。この頃、地味に勉強を頑張っています。皆さん、勉強、してますか? 僕は現在社会人2年目ですが、社会人で「勉強」を頑張っている人はそう多くないのではないでしょうか。つまり僕は偉い。

ちなみに勉強というのは、英語やビジネススキルや資格勉強のことではないです。仕事の役に立つからやっていることではなく、もっとこう、単に「知りたいことがあるから学んでいる」ということになります。その意味では、勉強と言うより「探究」と呼んだ方がいいかもしれませんね(恥ずかしいから呼びませんが)。仕事と関係がないわけではないんだけれど、仕事のためにやっているのではなく、あくまで自身の好奇心から調べていることになります。

で、今日はこういった「社会人になってからの勉強」について、諸々考えていることを書きたいなと思います。

 

何を勉強しているの?

何を勉強しているのかといえば、この頃は「研究の社会的責任」というものに興味があります。もう少し言うと、「大学の研究や科学技術は、社会に対してどのような責務を負っているか。また、その責務はどのような形で果たされるのか」ということに関心がある感じです。これだけだとかなり広く漠然としているので、もうちょっと詳しく書きたいのですが、その前に、自分自身の関心の変遷を書いておこうと思います。

 

入職前

仕事に就く前、つまり大学院生の時は、倫理学法哲学という分野をやってました。ただ、そこで↑のように「科学技術の社会的責任」というのを考えていたわけではないです。

当時の自分の関心としては、「倫理や法というものを、『社会感情』とどう折り合いを付けてやっていくか」というのがありました。例えば、夫婦別姓同性婚といったことについて、「倫理学」の立場からはそれが支持されるとしても、「社会的な感情」を見ると、何かしらの忌避感や嫌悪感があったりして(最近はかなり賛成派も増えてそうだが、自分が研究やってた時期にまだ反発が強かったため、癖でこの例を出してしまう)、じゃあ法はそういうときにどっちにどうすべきだろうね? というのが関心でした。分野としてはリーガル・モラリズムとかが該当すると思ってます。人々が一般的に抱いている感情、特に偏見や思い込みを含むような感情について、法はどう向き合うべきかといったことに興味がありました。

で、この時から、何かしら「社会に対する説明責任」というものに興味があったのだと思います。僕の立場としては、社会感情は確かにヤベーものも多いのだが(今の都知事選に関するネットのご意見を見ていると特にそう思う)、ただこの社会に生きている人たちの生の声だし、法や倫理の議論の中でもどこかで拾うべきではないか..... という感じでした。

あと、倫理学法哲学をやっていたことで、「責務」というものへの関心が高まったように思います。義務や責任と言い換えてもいいですね。例えば「○○は××に対してどのような責務を負っているのか?」という文字列が出てきただけで、やったーーー!! 責務の話だーー!!ってワクワクしてしまう。だから「大学が社会に負っている責任」とかの話も、学生時代のうちから受け入れる地盤ができていたのだと思います。

ただし、ここで「大学」を代入させるようになったのは、やはり働き始めてからの関心が強いと思います。

 

入職後

そんなこんなで、大学院を修了して、2023年に大学事務職員になったわけですが、今は大学の財務関係の仕事をしています。主に、研究室が「これ買いたーい」というので「うーん、わかった!」と言う仕事ですね(嘘です。もうちょっと煩雑です)

で、財務の仕事は、とかく書類や手続が多くて面倒なのですが、その面倒さの多くが、社会的な説明責任と関係しているのではないかと感じています。財務は何も、内部のお金をしっかり管理することだけではなくて、その管理の適切さを外部、つまり社会に対しても示さなければならないのだと。

一例を出すと、大学では文房具や書籍などの少額なものは研究室で勝手に購入することが可能です。その際は自分で購入を行った後「この研究費で払いたい」というのを事務部に伝えて、事務部で支払い処理をする流れとなります。

ただ、何百万円もするような高額案件では、研究室が勝手に発注することはできず、「事務部に発注を依頼して、契約手続を行ってもらう」こととなります。ちなみに今の僕のメイン業務がこれですね。そうすると事務部の方で、研究室が使う備品について業者に連絡を取ったり、見積もりを取ったり、入札を実施したりして、契約手続を行うことになります。

で、正直なところ、「なぜこんな面倒なことを???」と最初の頃はずっと思っておりました。ぶっちゃけ意味が分からなかった。我々第三者が間に入るより、研究室が直接業者とやり取りした方が、早いし食い違いとかもないのではないかと。無駄なプロセスを挟んで互いに手間を増やしているだけなのでは? とそう感じておりました。

ただここで、社会的責務というのが関係してきます。まず研究費というのは、その多くが税金を財源としていると。そうである以上、それを適正に使用すること、そしてその適正さを社会的に説明できることが何より重要となります。例えば、研究室に任せっきりにした場合、特定の業者からしか発注せず、本当はもっと安く買えるのにその業者の言い値で買っていたり、あるいは何かしら業者と不穏な関係になっていることがあり得ます(卒業生の会社にばかり発注して、その分何かと融通利かせてもらったりとか......)

かといって、研究室に一般競争入札とかを実施させるのは無理だし、そもそもの話、それは事務部が責任を持ってやるべきことなので、ちゃんと我々が中間に入って適切に買い物をしようと、そういうことなのだと思います。まだ2年目なので勘で書いているところもありますが......(こういうところの説明、ちゃんと受けることないんだよな、、、)

話が大変長くなりました。結論、何が言いたいかというと、今は財務系の仕事をしているけれど、それが大学や研究が持つ「社会的責務」というものと関連していそうだということです。

社会に対して責任を持つというのは、別にどの仕事もそうかもしれません。ただ、殊お金が絡む領域では、社会感情というものが激しくなりがちだと思います。このところ東大の学費値上げ問題なども話題ですね。また研究費という観点では、2009年の民主党事業仕分けも記憶に新しいかと思います。あのときは科学研究費というものがとにかく仕分けの対象とされましたスパコンに対する「二位じゃダメなんですか」 とか懐かしいですね)。そんなわけで、研究についても「金を無駄遣いしている」「適正に使用していない」と思われては、非常に強い社会的反発を喰らうわけで、そもそも税金を使っているのだから、説明責任を背負って当然であるとも言えるわけです。

以前もどこかで書きましたが、会計(account)というのは説明責任(accountability)であるのだと...... これマジで名言ですよね。そんなわけで、今の仕事からは「研究や科学技術の社会的責務」というものを意識することが多く、冒頭で言ったような関心を抱くに至ったという話でした。ちなみに、いつもフェチが刺激されています。

 

 

現在の関心

最初に書いたとおり、「研究や科学技術が、社会に対して負っている責任」というものに興味があります。今までの大学院までの関心が、現在の仕事で素材を得たという感じですね。

ちなみに、僕は元々文系人間ですが、現在理系部署で働いていることで「科学技術」というものへの関心も高まっています(以前は全然そんなことはなかった)。最近は本当に技術が高度化しているので、「この分野にお金をつぎ込むことについて、市民からどのように納得を得るか」という点について、ますます難しくなっているのではないかと思います。

で、そうしたことを踏まえ、現在「勉強」しているわけですが、いくつか本を読んでいます。以下はそれを簡単に紹介していきます。

 

科研費(研究費)

渡邊淳平『大学の研究者が知っておきたい科研費のしくみと研究をめぐる状況』(2016,科学新聞社)

関心の一つ目は科研費です。僕は大学院にいましたが、修士までしかいなかったので、「科研費」というものがよく分かっておりません。あれ本当になんなの?? なんでお金くれるの?? という思いが以前からありました。

そこで上記本を読んでみたのですが、結構わかりやすくて面白かったですamazonレビューは低いですが.....)。世の中に科研費の本は数多くあるのですが、大抵が「獲得の仕方」についての本で、「そもそも科研費って何??」という解説本が珍しいように感じました。上記の本はその辺も丁寧にやってくれていて助かりました。

特に印象的だったのは、科研費ボトムアップ型であるという話です。

先ほど、「この分野にお金をつぎ込むことについて、市民からどのように納得を得るか」ということを書きました。これについて一つの考え方として、いわゆる「選択と集中」があります。これから流行りそうなところに絞ってお金を出すということですね。これはトップダウン型の助成と言われています。

対して科研費は、流行りそうなテーマとかで絞られているわけではなく、むしろ研究者の自由な発想から生まれる「多様性」を重視する形となっている、と本書で解説されています。流行りそうなトップを支援するのではなく、全体的な基盤(ボトム)をアップするというわけですね。一箇所引用します。

ボトムアップ型はトップダウン型に比べて成果が出る確率が低く効率も悪いように感じられるかもしれませんが、その際の成果とは何でしょうか

そもそもボトムアップ型の研究から芽が出にくくなれば、先につながるものが少なくなり、トップダウン型で重点的に支援すべきものも乏しくなってしまいます。さらに、本当に革新的なイノベーションは、思わぬところから生み出されることが多く、なかなか予想できるものではありません。逆に、予想できるようなものであれば、世界各国でも同じように力を入れるので、その中で常に抜きん出た成果を出していくことはできません。いい芽が出た後で重点的に育てることと、重点的に狙っていい芽を出させようとすることはまったく違うということです(p12)

ここは本当に、なるほど〜〜〜と思いました。科研費についての「なぜ」が一つ解消されたように思います。まあそんな感じで、「研究費」についての勉強を行っているという話でした。

 

② ELSI・RRI

 標葉・見上編『入門 科学技術と社会』(2024,ナカニシヤ出版)

2点目に、これが一番力を入れていますが、ELSIやRRIの勉強も進めています。ELSIやRRIとは何ぞやというと、まあ簡単に言えば、「倫理・法・社会実装のことも踏まえた研究を行っていこう」といった形になります。

ELSIというのが、Ethical、Legal、Socialで、倫理・法・社会を意味しています。これが実は僕の関心とかなりハマっているというか、「倫理に法に、そして社会までやっていいの!!?!?!?」となっているのが心境です。

とはいえ、ELSIはこの頃の流行り分野ではあるのですが、胡散臭く見られているところもあるというか、「研究資金を取るための小手先のテクか何かだろ」といった形で、信用されていないところはありそうです。実は僕もよくわかっていない。これについては今もいろいろ勉強中で、今日の段階であまり書けることはないので、ひとまず「こういうところに興味持ってるよ」ということだけ触れておきます。いずれちゃんと書きます。

他にも、「科学コミュニケーション」という観点で、上記の本を読んだり、

倫理的に議論になりそうな科学技術を学ぶために、上記の本を読んだりしています。どっちの本もかなり内容的に平易ですぐ読めました。感想はいずれ書くかもしれないし書かないかもしれないです。

あと、ELSIやRRIといった分野に関心のある方がいましたら、ぜひ一緒に勉強会とかやりたいですね。山月記みたいになりたくないので、同朋を見つけていくことも大事だと感じています、、、

 

③ オープンサイエンス

南山泰之編『オープンサイエンスにまつわる論点』(2023,樹村房)

最後に、オープンサイエンスについても若干勉強しています。現状、科学や研究の社会的責務を考える上で、絶対に外せないのがこの分野だと思います。

↓こちらも以前読みました。非常に面白かったです。

ただ、オープンサイエンス系は情報の展開が速く多く、ちょっとついて行けていない感じがあります。まだまだ分からない用語とかも多いのに、気付いたらどんどん新しい展開が生まれているんだよな...... たまに調べるぐらいではどんどん置いて行かれる感覚があります。

とはいえ、非常に面白い分野であるので、ちょっとずつでも食いついていきたいなト感じています。

 

悩み

そんなわけで、ここまで「社会人だけど、むしろ勉強を頑張っているよ!!」という話をしてきました。我ながら偉すぎてエラスムスだと思いますが、同時に悩みも結構あります。

その中でも大きいのが、自分を引き上げてくれる人がいないということです。大学院で研究室にいたときは、他の人の発表を聞くなどして、「もっと自分も頑張らねば!!」という思いが湧いていました。何もしていないととにかく「焦り」が生まれて、何かに追われるように勉強をしていました。あと、報告の締め切りやレポートの提出があったりして、常に「ここまでをこのペースでやっていこう」という感覚を持てていたと思います。

で、今の悩みとして、そういうのが一切ないですね。自分一人でやっていることなので、今日やってもいいし、明日やってもいいし、なんなら来月までやらなくていい。やったところで、自分の中でまとめるのみでブログで報告しろよとは思う、特に他人に影響を与えるわけでもない。

betweeeeeen.hateblo.jp

↑以前の記事で、「大学院は常に焦燥感に満ちていてツラかった」と書きましたが、今はそれがない分、勉強もほどほどにという感じです。よいことじゃん、と思いますが、同時にどこか時間を無駄にしているような感覚も付きまとっています。難しいですね。

ただ、そこはむしろ、自分で自分を上げるしかないとも感じています。モチベを与えてうれる誰かに頼るのは甘えだってことよ(厳し〜〜)。あくまで、自分が立てた目標に自分で向かっていく。このことが難しくも、今後やっていかなきゃならないことだな〜〜〜と感じています。

 

かもめチャンスの話など

最後に、もうひとつ大きめの悩みがあります。

それというのも、今更これをやって何になるの?? という悩みです。ここまで読んでいた方も薄々感じていたかもしれません。今から勉強を始めて、何になろうとしているの?と。僕もそう思います。

確かに、大学院でやっていたテーマを継続する人なら一定数いるわけです。しばらくしたら大学院に戻ったりだとか。ただ、大学を出て、ドシロートの状態で何かを始めるというのが、一体何になるのか? と。それで生きていくわけではないし、お金に換えられるわけでもないし、趣味と呼ぶにはマニアックだし、ただ中途半端なだけなのではないかと、、、、

話は逸れますが、ここで『かもめチャンス』の話をします。僕のブログはいつも突然漫画の話に飛びます。

最近この漫画を読みました。全20巻、2008年から2013年に連載されていた作品です。快活で読んだよ。

で、この漫画、個人的にすごくよかったです。↑の表紙の通りロードバイクの漫画で、僕はロード好きなので、それもあって非常に楽しめました。

【あらすじ】
28歳のシングルファザーが、仕事と子育てに追われる中でロードバイクに出会い、どんどんその世界にのめり込んでいくよ。

社会人×自転車ということで、かなりリアル路線な漫画です。前半は自転車にハマっていく過程、後半は実際にロードバイクのレースに出たりするんですが、某小野田坂道くんのあれと違って、レースの描写もかなり堅実で面白いです。

そしてこの漫画、まさに「20代後半から新しいことを始める」というのがテーマとなっています。主人公はシングルファザーの社会人で、そんな中で何をやろうにも、結局なんなんだ? 何のためにやってんだ? という気持ちが付きまといます。

で、最終話のネタバレになってしまいますが、主人公は最後に「お前これからも自転車続けるん? どうするん?」と問いかけられます。「子どももおるし仕事もあるし、もうすぐ30なんやろ? 無理では?」と。それに対し主人公は、「確かになぁ」と認めつつも、

「俺は...ゴールを目指すより、スタートを見つける方がいい。いや、俺たちは一生スタートを探し続ける。きっとその方がいい。」

と答えます。この「ゴールを目指すよりスタートを見つける方がいい」というのが、滅茶苦茶いいですね、、、 

確かに、今から何かを始めても、何者かになったりバズったりというのは難しいかもしれません。ただそうやって、「何になれるか」や「どこまでいけるか」ということではなくて、新しいスタートを切れること、それ自体に価値を見出すのが素晴らしいと思いました。心に来ますね。「俺たちは一生スタートを探し続ける」という言葉もかっこいいんだな、、、

そういうわけで僕自身、この頃勉強を頑張ってはいるけれど、あくまで「自分が何かになれるか」ではなくて、「新しいことを今からでもやれること、それ自体がすげえんだ!!」という気持ちでやっています。逆に、何者かになろうとし過ぎるとしんどかったりしますしね。夢を追うことだけでなく、夢を始められることそれ自体の大切さも大事にしていきたいと思っています。

ちなみに「かもめチャンス」は本当に面白いので、ぜひ読んでみてください。皆も休日は快活クラブに閉じこもろう(置いてない店舗も多いよ)

 

 

以上!!!

今日はそんな感じです。「最近は勉強やってて、モチベ維持が大変だけど、なんとかやってるよ」という話でした。このところはだいたいそんな感じです。

途中でも書いたけど、特に社会人になっての勉強は、大学院と違って「一緒にやる人を見つけづらい」というのが悩みです。というよりむしろ、「一緒に議論できる相手を見つけられる」というのが大学院のメリットなんでしょうね。現在大学にいる方々は是非是非頑張ってください。

というわけで、次回はまた読書記録を再開する予定です。多分、山本圭『嫉妬論』になるかと思います。真面目な諸兄はぜひ予習してきてください。それでは!!

 

 

 

 

 

おまけ


www.youtube.com

このところ、Laura day romanceがたくさん新曲を出してますが、どれもよいですね。エンディングソングとしておいておきます。