この度、私事ではございますが、お風呂の読書で使っているKindle PaperWhiteが2台ともぶっ壊れました。
1台は無限に再起動(アップデート?)を繰り返しており、もう一台は木の画面のままピクリとも動きません。1台目がたまにこの状態になるため、2台目を買いつつ両方使っていたわけですが、この度無事にどちらも死亡しました。
防水とはいえ、お風呂でずっと使っているのがよくないらしいです。使った後は浴室にそのまま放置するのではなく、よく拭いたうえで乾かしとかなければなのだとか(当たり前か)。 僕はこれでKindleを3台破壊していますが、ようやく「風呂に放置するのはダメ」と気付きました。遅すぎる。
そんなわけで、最近あまり風呂読書が出来ていないのですが、先日読み終えた本を紹介したいと思います。
今年の2月に出た新書、『嫉妬論』です。ポケモンXYのカロス地方・ミアレシティのジムリーダーは?(それはシトロン)。くだらないことは言ってないで、いつも通りやっていきます。
あと先に断っておくと、タイトル詐欺というか、ハガレンの話は別にしていないです。ほんとすみません(今回マジでタイトルが思い浮かばなくて......)。
読んだきっかけ
あまりちゃんと書いたことはないような気がするんですが、私、名古屋大学を卒業しております。牡丹亭で学生セットを頼むとか、名大おじさんがいなくなってしまったとか、名大生あるあるもちゃんと言えます。専門は法学系だったわけですが、政治学の院ゼミにも顔を出したりしておりました。もう5年ぐらい前になります。
で、本書の著者である山本圭さんも名古屋大学で博士を取っているということで、なんとなく、かねてより一方的に親近感を覚えておりました。政治学や哲学系の授業で名前を聞いたりもしていたので。そしてこの度新書が出たので、読んでみようと思った次第です。
もうひとつ、最近政治哲学の議論から離れがちだったので、この機にもう一回摂取しておこうと思ったのがあります。社会人になってからも読書は続けてるけど、こういう学部時代の専門の分野はあまり読まず、どちらかというと雑学・教養系の本を読みがちです。ので、改めて政治哲学の話に触れることで、どんなノスタルジーが生まれるかというのが気になっていたところでした (3月に読み終えたのでそのときは意識していなかったが、ちょうど今は都知事選がありタイムリーですね)。
内容紹介
早速内容紹介ですが、本書は「嫉妬」について扱った本です。ただし、嫉妬するのをやめようとか、そういう自己啓発系の本ではなく、「我々の嫉妬感情というものが、この社会や政治にどのような影響を与えているか?」についてを論じています。社会学・政治学系の本です。
著者はまず、嫉妬という感情が隠蔽されがちなことを指摘しております。我々は普通、他者に対して「怒っている」とか「許せない」ということは口にしますが、「私は○○さんに嫉妬しています」とはなかなか言いません。言うとしてもよい意味で「羨望」的なニュアンスだろうし、「俺は○○が嫉ましいのでこうやって批判しています」ということを明言する人はいないはず。一応本文から引用。
私たちは嫉妬の存在を容易には認めようとしない。誰かの成功に妬んでいたとしても、「あいつは大したことない」といったように、その価値を否定することで自分を慰めることも多い。そのためこの感情は、たとえば怒りや悲しみといった感情に比べると、ストレートには表に現れにくい。それはたいていの場合、自らを偽装する。
山本 圭. 嫉妬論~民主社会に渦巻く情念を解剖する~ (光文社新書) (pp.37-38). Kindle 版. 太字は引用者。
そんなわけで、嫉妬は表に出されないので、これを主題として扱うことは結構難しいわけです。
ただ、本書はあえてそこに挑んでおります。これも続けて引用します(上の文章の続きです)。
そのためだろうか、現実の政治分析において、嫉妬が主題化されることはあまりない。だとすると、この感情にはどのような特徴があり、それが人々の判断や評価にどれほどの影響を与えているのか、あるいはもっと広く、嫉妬が持つ政治的な意味合いについて、私たちはあまり理解してこなかったのではないだろうか。本書が目指したいのは、この感情の秘密を心の暗部から引きずり出し、そこに光を当てることである――たとえその作業がときに苦痛に満ちたものだとしても。(Kindle版,p38、太字は引用者)
このように、「今まで正面から取り上げられてこなかった『嫉妬』という感情を、政治的な文脈できちんと扱う」というところが、本書の一番の特徴であるかと思います。本書でも言われている通り、我々は嫉妬という感情を、他人に対してだけでなく、自らに対しても隠しがちです。嫉妬していることを自ら認めるのは大変悔しいことであるため(ここはハガレンのエンヴィーの最後みたいですね)。ただ、我々の社会に嫉妬心が渦巻いているのは事実であるため、まず嫉妬とは何なのか、それが現実にどう影響しているか、そして我々はそれとどう付き合っていくべきか..... というのが本書の内容となっています。
もう少し具体的には、第1章が嫉妬の概念分析、第2章が「嫉妬の思想史」、第3章は嫉妬と「誇示・自慢」の関係について、第4章・第5章が嫉妬と民主主義(政治理論)との関係について、となっています。第1章は導入のようなものだけど、第2章はプラトン、プルタルコス、カント、ヒューム、ルソー、福沢諭吉など、過去から現代に至るまでの多様な思想家を扱っていて、まさに「嫉妬思想の系譜図」が見て取れます。第3章ではSNSなどの話もしているため、より今日的な問題を知りたい人にはここが刺さるかも。4章・5章は著者の政治哲学上の見解が現れており、まさに嫉妬と民主主義の関係が論じられます。
著者の結論を大雑把に言えば、「この社会から嫉妬をなくすことはできないし、むしろそれとうまく付き合っていく方法を探す方が有意義だぜ」という感じ。我々は、嫉妬するときは苦しいし、他人から嫉妬を向けられるのも結構嫌です。そのため、嫉妬なんて無い方がよいと思いがちですが、著者の見解はそうではなく、まず、嫉妬をなくすのが「無理」とのこと。その理由というのは、「嫉妬というのは他者との差異に気付くことから生まれるが、この現代民主主義社会で、他者との差異をゼロにすることなどできないから」となります。これも引用しておきます。
嫉妬は等しい者同士のあいだに生じるものだが、同時にそこには最小限の違いが求められることに注意しよう。つまり、嫉妬は平等と差異の絶妙なバランスのうえに成立する感情なのである。そしてほかならぬ平等と差異こそ、私たちの民主主義に不可欠な構成要素であるとすれば、嫉妬が民主的な社会において不可避であることが理解できる。(Kindle版, p221、太字は引用者)
続けて著者はこうも述べます。「嫉妬のない社会とは、人々のあいだに差異のない完全に同質的な社会であるか、絶対的な差異のもとでいっさいの比較を許さない前近代的な社会であるかのいずれかであろう」と(Kindle版, p221)。つまりは、前近代的な社会では、身分差が固定されており、平等というものがまるで無かったが、その分、平民が貴族に「嫉妬」するようなこともなかったわけです。まるで階級が違いすぎると、逆に嫉妬は生じないと。「あいつと俺は同じはずなのに、なぜこうも違うのか......」というのが嫉妬の根本に存在する感情であり、そこでは「ある程度の平等」というものが条件となっています。
で、この「あいつと俺は同じ人間だ」というのを強く打ち出したのが、民主主義というものでした。我々はみんな平等であるからこそ、絶対の支配者というものを置かずに、絶えず自分たちで反省を繰り返しながらやっていこうと。ただ、「平等」と言っても完全に誰しも同じというわけではなく、現実には様々な「差異」が存在しています。この差異というものも、民主主義にとっては重要な要素です。そのため、平等と差異が民主主義の条件である以上、「嫉妬と民主主義は切っても切り離せない」と著者は考えます。逆に、嫉妬を敵視しそれを無くそうとするような政治理論に対しての批判も述べられています(批判対象としてはヌスバウムなど)。
内容紹介としてはだいたいこんな感じです。最後に、じゃあ僕たちは嫉妬とどう付き合っていけばいいの? というところについては、是非本書を読んでご確認をということで....... 嫉妬についての思想的・社会的・政治的分析がたくさん詰まっており、また、ある意味「政治学入門」的な要素も含む一冊で、おすすめです!!
読んだ感想
まず正直なところ、この本、めちゃくちゃ面白かったです。まさに「新書の楽しみここにあり」という感じでした。専門家が自身の研究内容を、ちょっとキャッチーな話題で分かりやすく初学者に伝えるということが、非常に効果的になされていたと思います。文書も読みやすく、内容が専門的な割にはスラスラと読めました。
個人的には、2章・3章辺りの内容が特に面白かったです。2章・3章は、過去→現在という時間軸で嫉妬に関する思想の変遷を追っていて、登場人物やトピックは多いのだけれど、どれも説明が簡潔でよかったです。思想の系譜なんかは、ともすれば学説の列挙になりそうなところを、ちゃんと読みやすい一本の流れを作っているのはすごいなと思いました。
逆に、4章は個人的にはちょっとイマイチでした。内容としてはロールズ批判になっているのですが、ちょっと批判としては弱いかな〜〜と感じたところ。話の筋としては「ロールズは格差を減少することで嫉妬が抑えられる言ってるが、むしろ格差を縮めると、嫉妬が蔓延し手に負えない社会になりかねない」という感じなんですが、個人的には、「格差が縮まることで弱められる嫉妬もあるだろうし(同期のボーナスが自分より20万多いよりは当然5万しか差がない方が我慢できる)、そもそも格差の減少は、嫉妬以上に大切な何かを解決しているのではないか?」などと思ったところです。第1章では「よい嫉妬」「悪い嫉妬」などの話も出てくるのですが、それがここではあまり活かされていないように感じました。この辺は反論もあるかと思いますが、一応感想として書いておく次第です。
「どう見えるか」と「実際にどうであるか」
で、本書の感想はいくつかあるのですが、正直どれもうまくまとまってはおらず、書いても面白くないだろうな〜〜〜と思っているところ。3月に読み終わってたくせにここまで感想書くのが遅れたのはそれが原因ですね、、、ちょっと微妙な感想ばかりになるのですが、一応書いておきます。
本書の感想は諸々あるのですが、一つに個人的に以前から気になっている問題、すなわち、どう見えるかと実際にどうであるかの問題というのがあります。
この記事の最初の方で、「嫉妬の感情は隠されやすい」ということに触れました。本人が実際は嫉妬心を行動原理としていたとしても、それを表立っては言わないし、なんなら自分自身でも認めようとしないので、「本当に嫉妬感情が原因なのか?」というのがよくわからないという話です。
これは裏を返せば、相手の言動に対して、「ただ嫉妬してるだけだろ?」とも言いやすいということだと思います。そういう煽り、よくありますよね。相手がそれを認めたがらなければ「誰だって嫉妬を認めたくはないもんな」と言い返せるし、とりあえずと言っておけばいい感があるので、批判や中傷の手段としてもお手軽です。当然、相手を矮小化した言葉なので、真摯にその人と向き合ってる限りは出てこなさそうですが、まあネットでも現実でもよく目にする論法です。
で、本書でも度々、「これこれの社会制度は、実は人々の嫉妬心に結びついている」ということが言われます。例えば累進課税制など。あれは富める者から多く取る制度なので、人々の嫉妬心をある程度利用していると。また筆者は、古代アテネで取られていた「陶片追放」も、人々の嫉妬心に基づいていたと言います。そうしたところから、民主主義と嫉妬の切り離せ無さを主張したりもしています。他にはコロナ禍の自粛警察なども挙げられています。
ただ、別に本書への批判というわけではないのですが、この点は本当に慎重であるべきだなと感じました。つまりは、一見すると嫉妬が原動力に「見える」ことでも、「実際にどうであるか」という点については、我々はもっと想像力を働かせられるだろうということです。嫉妬も確かに、その行動の原因の一つとしてあるかもしれないが、それ以上に不正を許さない心や憤りがあるかもしれない。その人の感情の一部でしかないものを、まるで「それが全部」であるかのように見なすのは、本当によくないな〜〜と思います。嫉妬してるだけだろ? と言うのがあまりに簡単すぎることもあり、そう「見える」ことと「そうである」ことを混在させてはならないと強く思います。
そんなわけで、感想としては微妙なんですが、ともかく「相手の感情を一方的に決めるのはやめよう」ということを、改めて思った次第でした。
ちなみに、どう見えるか(how it looks)とどうであるか(how it is)は違うというのは、映画『スーパー!』を観たときに出てきたセリフです。この映画、僕は非常に好きなので観るものを探しているという方は是非。
この映画も、「一見嫉妬心に狂っているように見えて、実は正義の心があった」という話かもしれないですね。
ヘイト管理は重要だ!!
もう一つ、本書の感想として、やっぱりヘイト管理は大事だなと思ったのがあります。現代人にとって最も重要なのはこのヘイト管理かもしれませんね。
本書の第三章は、嫉妬と「誇示・自慢」との関係となっています。これがどういう関係かというと、昔の人は、他人から嫉妬されるのを避けるために「誇示・自慢」を控えていた(あるいは上手にやっていた)という話が挙げられています。例えば大昔、狩猟でマンモスを仕留めた若者は、そのことを皆に自慢するのではなく、むしろ謙虚に振る舞うようにしていたとのこと。あまりに功績を上げすぎると、他人の嫉妬によって引きずり下ろされるリスクが高まるので、あえて自身の分け前を少なくしたり、功績自体を隠蔽したりしてリスク管理するということですね。
で、面白いのが、著者の見方によれば、現代のSNS社会ではそうではないとのこと。引用すると、
かつて「持つ者」は「持たざる者」からの嫉妬を恐れ、富や成功を隠す傾向にあったが、ソーシャルメディアの時代にあって人々は自身の幸福をもはや隠そうとはしない。それどころか、自身の幸福を過剰に繕い、実態以上に見せることすらある。(Kindle版, p153)
ここは本当に、「たし蟹」と思ったところでした。特にインスタが顕著かと思いますが(というのは時代遅れおじさんの偏見ですか.....)、我々は自身の充実振りを臆面もなくアピールしたりしていますね。Youtubeでも「セレブの日常」や「ラブラブカップルのいちゃつき」なんかがちゃんとウケているし。まあ本当は皆、チャンスがあれば殺したいと思いながら観ているのかもしれませんが.......
で、結局ウケている人間というのはヘイト管理がうまいんだという話もよく耳にします。僕もブログをやっていて、実は一番怖いのが炎上です(次に身バレ。身バレして炎上したら本当に終わり)。で、炎上回避のコツとして、当然不正や差別に加担しないことがあるけれど、同時に嫉妬をうまく管理するということがあるかと思います。つまりは、人の目を引くコンテンツでありながら、オチとして自虐や失敗を入れるなどして、妬みを向けられないようにうまくコントロールするということですね。
先ほどの話でもあった通り、著者の見解としては「この社会から嫉妬はなくせないし、なくそうとするとさらなる不都合が生じる」というものでした。だからといって当然、嫉妬が奨励されたり全肯定されたりするというわけでもありませんが、ただ嫉妬が不可避なものだとしたら、我々の「ヘイト管理」こそが重要になるのかもしれません(自己防衛)。そんな社会は窮屈で嫌だ!! とは思いますが、一方で、それこそ我々が身につけるべき慎ましさや処世術なのかもしれない、とも感じます。格差というものは確かにこの社会に存在するので、自身の幸せのみを誇示するのではなく、「それを見た人々が何を感じるか」というのを考えるのも大切というか。
今時こんなこと言う人もいないかなとは思います。今はむしろ、「我々には自由に発信する権利があり、そこに嫉妬を覚える人間こそが狭量である」という見解が強いはず。ただ、この点については筆者の「嫉妬のない社会など無理」という意見に僕も同意で、嫉妬がどうしても生じてしまう社会だからこそ、我々は自身の嫉妬を抑える術だけでなく、「相手の嫉妬心を煽らない方法」も模索していくべきなのではないかと感じます。それは炎上回避の自己防衛でありながら、格差や差異に敏感であるという他者への配慮も含んでいるのかもしれません、な!!!
歯切れの悪い微妙な感想でほんと申し訳ないっす!!!! あんまりまとまった感想が浮かんでこなくて、、、、
以上
今回は読書感想第5弾でした。
非常に面白い本だったのですが、なぜか感想をまとめるのが難しかったです。読んでから書くまで3ヶ月もため込んでしまった、、、あとタイトルを考えるのも難しかったです。最初にも言ったけどタイトル詐欺ですみませんでした。
僕の記事は歯切れ悪しでしたが、これぞまさに「新書の楽しみここにあり」な本なので、ぜひ読んでみてください!! 政治哲学に触れてみたいという方は特に。
今回はこんな感じです。
次回。社会人の皆さん、本、読めてますか? 読めてませんか? 読めてないとしたら、最近出たあの新書が気になっているかもしれませんね。近いうちにあれを扱います。それではそれでは。
おまけ
結局、Kindle Oasisを買いました。3万円。高い!! 大事に使います。
地味に2連続で政治の話に......
— あいだた (@dadadada_tatata) June 29, 2024
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人間に嫉妬してるんだ:読書記録#5 山本圭『嫉妬論』(2024,光文社新書) - 浅瀬でぱちゃぱちゃ日和 https://t.co/30af2crM2N#はてなブログ