浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

スクロールで指がもげる

どうも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。

 

 

 

 

 

 

 

 

暖かくなったり、、、

 

 

 

 

 

寒くなったり、、、

 

 

 

 

 

  

 

 

どちらかというと寒いですね。

 

 

 

 

🌟 ♨ ⏰ 🌴 🌟

 

 

 

 

 

 

そんな今日は.......

 

 

 

 

 

 

 

スクロールについて、

書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

みなさん。

 

 

 

 

 

スクロールしてますか?

 

 

 

 

 

 

 

画面を縦に動かす、

 

 

 

 

 

 

 

 

あれです。

 

 

 

 

 

 

 

あれをすると、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

指が鍛えられますね。

 

 

 

 

 

 

冗談はこの辺にして

昨年11月、noteというサービスを使い始めた。で、驚いたことがある。いろんな人の投稿を読んだのだが、いかんせん、改行が多すぎる。1行ごとに改行する人が多く、もはや段落という概念がないように思った。

そういう文章の書き方、学校で教わらないと思うのだが、一体みんなどこで身につけているのか。不思議で仕方なかった。僕は中学生のとき、改行はおよそ3行ごとと習ったが、もしかしたら僕の中学が特殊だったのか。確かに国語の先生のクセはちょっと強かった。

で、最近はてなブログに移行したのだが、こっちでもそういう形式は見られた(noteよりは少ないけど)。別にあれはnote特有というわけではなく、発祥はアメブロらしい。検索してみると、すでに先人たちがいろいろ言っていた。

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一番上の記事とか、僕と全く同じことをしていたので、パクりみたいになってしまった。内容も面白かった。↓の記事。

ch.nicovideo.jp

 

個人的には、改行をたくさんすることそのものに文句を言いたいわけではない。区切りに区切った方が読みやすいとか、そういうのはあると思う。ただ、気になるのは、ページに占める余白の割合が異常に多いときである。

こんな感じで、
書くことは
気にならない。

 

 

 

ただ、

 

こういう風に、

 

 

書かれると、

 

 

指がしんどいね。

 

 

改行自体は別にいいのだが、その間の空白が大きいと腹立つという話。

特に僕は、マウス使わない派の人間であるので。タッチパッドをメインにすると、基本的に人差し指と中指の二本でスクロールすることになる。これはなかなかに中指が疲れる。そしてスマホで閲覧するときは、親指でスクロールすることになるので、この3本だけが異常に鍛わる。そのうち、薬指と小指が退化してしまわないか心配である。
(ちなみに、ノートパソコンでマウス持ち歩いている人、啓蒙が足りてないと思っています。早くタッチパッドの魅力に目覚めましょう)

指が退化する前に、この辺の原因について少し考えてみたい。これだけ改行の風潮があるのは、やはり不思議なものなので。

 

なぜ改行ばかりの記事が出てくるのか?

すこーしだけ考えてみました。

スマホで見るのに適している説

スマホの画面は小さい。その小さい画面が文字でびっしり埋まってしまうと、どうにも読みにくくなってしまう。だから適度に改行して、空白を入れている説。

noteをやっているときは、これはかなり真実だと思った。というのも、noteのスマホ表示はかなり窮屈であるため。左右の余白が圧倒的に少なく、文字だけだと圧迫感が強い。僕もパソコンで書いたあと、スマホで見直して、新しく改行を付け足すということがしばしばあった。

ただ、スマホが普及していない時代から、改行ばかりの記事はあったようである。↓の記事など参照。

selfool.jugem.jp

こちら、2009年の記事。2009年というと、まだ3.11も起こっていないし、エンタの神様も毎週やっていたのであった。そのときから改行だらけのブログはあったようで、「スマホ表示に適応した結果、改行だらけになった」というのは、原因と結果の分析としては誤りのようである(多少の関係はあるかもしれないけど)。

 

② 「ブログはそういうもの」と思って育った説

スマホ以前の改行だらけ記事は、主にPV稼ぎを目的としていたらしい。たくさん改行するとページ数が増え、ページ数が増えると全体のビューも増えるので。

ただ、noteではどれだけ改行を挟んでも、ページ数が増えるということはない。ので、「PV説」は現代では有効性を失っているように思われる。これではnoteの改行の多さを説明できないので。

ここで僕が思うのが、「そういうものとして育った説」である。上の投稿にあるように、「改行だらけのブログ記事」というのは結構昔からあった。そして、我々はそれを見て育ったので、「ブログとはそういうものだ」という価値観を形成したのかもしれない。PVとかなんだとか関係なく、ひとまず改行を挟むのがブログ的書き方なんだということ。これは、結構有力だと思います。

この筆頭と言えるのが、アメブロ芸能人ブログだろう。読者も多かっただろうし、ここで主流スタイルが形成されたのかもしれない。

ameblo.jp

例としての北斗晶。僕は「アメブロ 芸能人」といわれると、北斗晶が真っ先に思い浮かぶ。今でも3000いいねとか付いているみたいで、すごい。

これは「何か知らんけど有名人がやってるし説」などとも名付けられている。が、現代においては、有名人に限らずいろんな人がこれをやっている。ので、有名人がやっていると言うよりは、「周りもみんなそうしているから」というのがおもな理由かもしれない。

 

③ パラグラフ作れない説

基本的に、段落を組みながら書くとなると、”意味のまとまり”を意識する必要がある。「この段落では、こういうことを説明するよ」という、段落ごとの役割である。いわゆるパラグラフライティングというやつ。例えば今書いているこの段落は、「パラグラフライティングを説明するよ」という役割があり、今その役目を終えたので、改行して命のバトンを繋ぐことになる。(正確には段落とパラグラフは別物だけれど)

で、文章を書いていると、”意味のまとまり”的なものを考えるのが、めんどくさくなったりする。そういうときは、1文ごとに段落を変えてしまうと楽である。「ここで改行すると変かなあ」とか、そういう心配が生まれなくなるため。難しいことは考えず、とにかく全部1行にする作戦だ。

ただ、これは正直、国語教育への冒瀆だとは思っている。我々、そのような文章の書き方は国語で習っていないし、今まで小中高と「段落ごとに意味のある文章」というのを学んできたはずである。安易な逃げの択はよくないよねという話。

 

④ どっかの学校が義務教育で教えている説

これは、ないです。ただ、今はないかもしれないが、いずれ出てくるかもしれない。「ネットで文章を書くときは、たくさん改行を挟み、一文一文を短くしましょう」的な。そうなったら国語教育の敗北である。

 

 

以上

ちなみに、今回の投稿は、↓の記事への怒りによって書かれている。

locafra.com

先日バズっていた、ヴィーガン関連の記事。酪農農家に1ヶ月滞在して、「反食肉」という思想に向き合ってみるという内容である。非常に反響がよかったようで、多方面で「読むべし」と言われていた。(動物倫理の観点ではかなり浅瀬でぱちゃぱちゃらしいけど)

ただ、僕はこの記事、3ページ目で挫折してしまった。というのも、読者を馬鹿にしてんのかというレベルで改行が多かったので。本当は、ヴィーガンに関心ある者としてちゃんと読みたかったのだが、どうにもこれ以上続けると本当に指がもげそうだったので。指の疲労をケアする「スクロール保険」にも未加入だしね。

個人的にこの記事の文章は、意味のまとまりの無視の典型だと思っている。段落だとかパラグラフだとかは、驚くほど意識されていない。国語の先生が見たらプンプンなんじゃないかと思う、、、のだが、そういう文章が「ライター」の書いたもの(しかもそれなりに真面目な記事)として通用しているあたり、やはり我々の国語教育は敗北したんじゃないかと思う。「ちゃんとした文章」を書く姿勢というのは、一体どこへ行ってしまったのか、、、

と言いつつ、こういうのを書き始めると全部自分に返ってくるので、この辺でやめます。でも、しっかり構成を練って「ちゃんとした文章」を書こうとするのって、結構大事なことだとは思っています。そうでないネット記事は、多分今後も増え続けるけど。まあそういうのに抗っていきたいですね。本日も長文でお届けしました。