浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

「わかりやすい」という感覚はどこから生まれるかをめぐる永遠の謎

どうもこんばんは。近頃雨が続いていますが、これは「秋雨前線」の影響らしいです。

もう秋なのか.....? 夏っぽいこと何もしてないんだが。夏っぽいこと、何もしてないぞ。

 

 

......今日はぐだぐだ雑感を書く系です。テイスト的には学問の手法論に近くなるかな。

先日、Twitterでこんなツイートを見かけました。

 

 

「論理的」とは「読み手にとって必要な部分が読み手の期待する順番に並んでいることから生まれる感覚である」

 

これね、、、

めちゃわかる

 

めちゃわかるので、今日はこれについて書きます。

 

「わかりやすい」とか「面白い」という感覚はどこから生まれるのか

今日は「わかりやすさ」とかについて。一応、大学で日々研究なるものを行ったり(行ってないけど)、インターネットの世界に大量の不燃ゴミ面白コンテンツを投入する身として、「わかりやすい文章とか面白い文章とはなんぞや」というのは意識していたりします。個人的には、「わかりやすさ」と「面白さ」って、かなり分かちがたいところで結びついていて、前者が後者の必要条件になっている気がする。意味難解でわかりにくい文章は、どうしても読んでて退屈だし、逆に面白い話には聞いててわかりやすいものが多いだろうということ。

で、そうすると、どうしたら「わかりやすさ」というものを作れるだろうかとか、そもそも「わかりやすいって何だ?」ってのが気になってくるわけです。やっぱり、自分の話を読んだり聞いたりしてくれてる人には、退屈してほしくないので。

まあ今日はそんなわけで、「わかりやすいという感覚はどうやったら生み出せるか」についての雑感です。最近それ系の本をちょっと読んだりしたので、紹介したり思うことを書いたりなどなど。個人的には、この辺の理解が深まれば、世界はもぉ少しハッピーになれると思ってます。頑張って書くけど、これ自体分かりにくかったらそれは本当に申し訳ないね。

 

 

読み手の視点に沿う

もう結論から言ってしまうと、読んでてわかりやすい・面白いものというのは、

読み手の視点に沿って書かれているもの

のことだと思います。これが全てですね。それだけじゃ何のことかわかんねえよって場合のために、もう少し詳細に書きます。

「読み手の視点に沿って書く」とはどういうことかというと、これすなわち、「読む側が抱く疑問にしっかり答えていること」だと思います。我々が何かの話を聞いて、「え? それってどういうことよ」と思ったとする。その際に、その続きでちゃんとその疑問への答えが用意されている、それが「わかりやすい文章」の特徴だと思います。

まあ例えばここで、僕が「半角括弧使うやつにはクズしかいない」と言ったとすれば、読者は「なんでそんなこと言うの?」とか「クズはお前の方だろ」と思うはず。ただ、そこに続いて、「私は、故郷を半角括弧原理主義者たちに焼かれました」と書いてあれば、一応は「なるほどね」と思えるわけです。思えますよね? つまりはそういうことです。

ここで大事なのが、書いてある内容には納得できなくても、文章の構造に対しては理解ができるということですね。どゆことか。さっきの例で言えば、「原理主義者たちに故郷を焼かれました」の一文は、一見するとお前は何を言っているんだでしかないけど、文章の構成として、「なぜこの一文が、ここに存在するか」については、あまり疑問は生じないはず。これは「半角括弧使う奴にはクズしかいない」という主張の(本当はそんなこと心からは思ってませんよ)理由や根拠となっているので。もしこれが、「半角括弧使いにはクズしかいない」「で、今日食べたきのこスパゲッティは美味しかった」とかだったら、こいつ別の意味でも狂人だなとなるわけです。

「故郷を燃やされた」の一文を少し変えて、「半角括弧使う奴は、天国の存在を信じないから」とかにしても同じですね。言っていることは意味不明でも、読者が抱く「なんでそんなこと言うの?」という疑問に対しては、一応答えが与えられています。

で、”わかりやすい文章”には、この種の「話や文章の構成が、読み手の疑問に沿って成り立っている」ことが、必須条件になっているかなと、個人的には思っています。繰り返しになるけど、内容的には意味不明だとしても、文章の構造的な次元(「なぜその一文がここに置かれているか」)では、あまり疑問が生じないことが重要なのだと。冒頭で紹介したツイートも、そういうことを言っていると思います(「論理的」とは、「読み手にとって必要な部分が読み手の期待する順番に並んでいることから生まれる感覚である」と)。

...特に大学の研究報告なんかは、この辺りを意識してやっていたりします。

 

読者のことをひたすら考える

先日古本市で買った。100円だった。安い。

もう少し続けると、”わかりやすさ”にとって大事なのが、「ひたすら読み手の心情を考慮する」ことだと思います。本日の主題はここにあり。

今日のブログ、何が言いたいかといえば、「わかりやすい文章を作るには、ひたすらに読み手のことを考える必要があるだろうけど、世の中の多くの文章はそうなっていないし、なんならそうすると『読者のことを甘やかしている』とか受け取られたりするから、メロスも僕もセリヌンティウスも激怒しているよということです。ちなみにメロスに出てくる暴君の名前覚えている人いますか。僕は出てきませんでした。

特に、「読み手を甘やかしてる」系の批判が腹立ちますね。こっちが「この文章何言ってるかわからんわ」的なことを言うと、脊髄反射的に「それは君の読解力が足りてないからだよ」とか言ってくる輩。まあ現実で出会ったことはあんまないけど、脳内では頻繁に顔を出してきます。腹立つ。

 

『考える技術・書く技術 問題解決力を伸ばすピラミッド原則』

ちょっと話変わって、先日買った本にバーバラ・ミント『考える技術・書く技術 問題解決力を伸ばすピラミッド原則』というのがあります。この本、さらーっと読んでみたけど、今回の繋がりで存外面白かったので、ちょっとだけ紹介したいと思います。

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僕が入手したのは旧版で、副題が「説得力を高めるピラミッド原則」となっている。

こちらは、「考える技術・書く技術」の名の通り、論理的思考やら、クリティカル・シンキングについて解説したものとなっている。主に「明瞭な文章を書くにはどうすればいいか」が解説されていて、著者曰く、明瞭な文章というのは、常にピラミッド型の構成を取るという。なぜなら、読者の思考様式というのは、常にピラミッド型だからである。いやピラミッド型って何やねんという話については後ほど。

で、この本、何がよいかといえば、ひたすらに「読み手のことを考えろ」というのを推している点ですね。著者はピラミッド型の文章を書くことを勧めているわけだが、それと同時に、こうも述べている。

「ピラミッド構造では、魔法にかかったようにただひたすら読み手の必要に応じて情報を与えねばなりません」(p22)

魔法にかかったようにというのがすごいですね。他にも、この本の基本的なスタンスとして、「読者はそもそも、あなたの文章を読みたいと思っていません。あなたが読者に対して”読みたい”と思わせなきゃならねえんだよ」というのが貫かれている。最初から興味関心ゼロの読者が想定されているのが、面白いところだなあと思う。

 

ピラミッド構造とは

本書の核となっている「ピラミッド構造」についても少しだけ解説。

ピラミッド構造とは、一番上に「核心の主張」が来て、その下位パーツに、それへの疑問・その応答が並ぶ構成のこと。文章で書くとわかりにくいけど、ちょっとやってみると、こんな感じ。

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まずこうやって、自分の言いたいことを書きます(ちなみに半角括弧というのは()こういう括弧のことで、これと対をなす全角括弧は()こんな感じ。僕は日本語の文章では全角括弧しか認めていない)

その次に、

 

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こうやって、主張の下に、「疑問」と「それに対する答え」を生やしていきます。

その後、

 

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その下にも「疑問」と「その答え」を生やしていく。こうすると、自然とピラミッド型になるよねという話。ちなみに、ここでのレギュレーション違反とかマナー違反とかはてきとうなことしか言ってないので当てにしないでね!

で、著者曰く、こうした書き方の何が優れているかと言えば、「読み手の思考プロセスに沿っている」ということにある。読み手が読んだものを理解する、まさにその順番で文章が並べられているので、必然読みやすく、わかりやすいものになりますよということ。こういう図形で構成を練ってから書き始めることが推奨されている。

 

Q&A形式で書く

もうひとつ大事なのが、次々と疑問に答えていくこと、つまりQ&A形式で文章が書かれていることです。疑問→答え→疑問→答えと。この点については、本文でいいこと言ってるなあとおもったので、ちょっと長いけど引用します。

 

...読み手を引きつけ続ける確実な方法は、唯ひとつ、読み手が抱く疑問を見抜き、その疑問にずばり答えていくことです。〔中略〕読み手が知らないことを知りたいと思うのは、必要にかられてです。知る必要がなければ何の疑問も持たないでしょうし、逆もまた真なりと言えます。

したがって、読み手の頭の中にすでにある疑問、あるいは、まわりの出来事をちょっと見回せば当然浮かんでくる疑問、そのような疑問に答えるような文書にすることで、読み手の文章への興味を確実なものにできるのです。(p26 下線は引用者)

 

読んでいて次々と疑問が解消されていく文章は、退屈しないし、おそらくわかりやすくもなる。ここで言っているのは、読み手を引きつける文章を書こうとすれば、読み手の疑問を考慮する必要があるし、その点で読み手の視点に立たざるを得ないということ。それはもはや甘やかしとかそういうことではないんだよと。その点でいいこと言っているなあと思います。

あともう一点、この本で面白いなと感じたのは、書き手は単に読み手の疑問に答えるだけでなく、読み手に対して疑問を生じさせる必要もあると訴えていることですね。読み手が話に引きつけられるのは、そこに何らかの疑問と、その疑問が解決されるかも!という期待が抱けるからで、もし最初から疑問が生じていなければ、当然興味は生まれないわけです。例えば「半角括弧使う奴はクズしかいない」とかではなくて、「漫画の違法アップロードをする奴はクズしかいない」とかであれば、「そりゃそうだ」で話は終わってしまうからね(終わらんかもしれんけど)

著者はその点で、「まず導入部で読者の疑問を引き起こしなさい」ということを指南してくれている。疑問は、解決するだけでなく、こっちから生み出さないといけないんだよと。これは確かにそうだなあと思えるところでした。

 

技術でなんとかなる

で、今日言いたかったことの一つは、これまで書いたとおり、「わかりやすい文章というのは、読み手の視点に立って書かれたもので、読み手に疑問を生じさせ、それを解決するようなものだ」ということです。まあこれには異論等あるかもしれないけど、ひとまずはそういうことで。

そして本日もう一つ言いたいことがありまして、それすなわち、「そう考えると、わかりやすい文章とか面白い話というのは、案外テクニックでなんとかなるよ」ということです。これが近頃、声を大にして言いたいことの一つ。

というのも、世間的になんかしら、面白い話や文章は、「面白い人間が作り出すもの」という認識が蔓延している気がするからです。例えば、「わかりやすく話ができるのは、その人にそういう才能があるから」とか、「あの人の話が面白いのは、彼が独創的で面白い人間だから」とか、そういう認識があったりしないでしょうか。僕はなんとな〜〜く、そういうのがあるような気がします。

で、それら認識が何に繋がるかというと、「面白い話をするためには、自分が独創的な人間にならなきゃならない」だとか、逆に、「自分はつまらない人間だから、人を引きつける文章は作れそうにない」とか、そういう思考ですね。実際にそうなってるかはわからんけど、なんとなくそういうのを感じるという話です。

ただ、この辺は、努力次第でなんとかなるのではと思ってます。こうした『考える技術・書く技術』的な本が存在しているように、明瞭な文章というのは、文章の構造を理解してちょっと練習すれば、それなりに書けるもんなんじゃないかなあと。今回のブログ、何が言いたいかといえば、「文章とかは才能の勝負ではないよ!」ということですね。どちらかというと、勉強や鍛錬の成果が色濃く出るもので、ジョジョの第7部スティール・ボール・ランジャイロ・ツェペリが『鉄球』という人間の技術で『スタンド』に立ち向かうように、案外「テクニック」で勝負できる部類なんじゃなかと、そう思っています。だから世の中で文章を書いてる大人達、もう少しこの辺の努力や工夫をしてほしい、本当に。

で、日本ではそういう教育を施してくれる機関がないので、なんとなく「個性勝負」みたいになってる風潮あるけども、多分「わかりやすさ」は作れるし、そしてわかりやすい文章は、どっかしら面白さとかにも繋がってくる。で、やっぱり世の中、面白さを意識した文章が増えた方が楽しいなと思います。書き方を画一化させようってわけじゃないけど、技術を身につけておいて損はないしね。

そんなわけで、僕はこの辺の「面白い話・文章」への強い憧れがあるし、その点で「わかりやすさ」への興味も尽きないです。ので、ぜひ世界中のみんなもこれを追い求めて行こうぜという話でした。ONE PIECE(ひとつなぎの大秘宝)のようによぉ!!

 

おまけ:ビジネスでも役立つらしい

最後に一点。上で紹介した本『考える技術・書く技術』の話をすると、これ実はビジネス書なんですよね。アカデミック・ライティング的な本なのかなと思っていたら、ゴリゴリにビジネスマン向けに書かれている。

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出てくる例が、全部ビジネス関連(p78)。

言っていることは『リサーチの技法』『大学で学ぶ議論の技法』とかのアカデミック系のものとほぼ同じだけど。つまり、この辺の「わかりやすく書く技術」というのは、大学でも社会に出ても求められることなんだなあと思います。

よく「大学で学んだことが、社会に出たあとどう役に立つの?」とか言われがちだけど、これら「思考の技術・書く技術」というのは、もっと推されていいと思うんですよね。我々、社会人になってからも必要な思考形式を、実は大学時代から訓練していましたよ? 的な。まあ、僕はこの辺を企業との面接で打ち出した結果、ひとつもうまくいかなかったので現実は無情でありますが.......

 

 

 

そんな感じ

です。 

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Netflixシリーズアニメ、「そんな感じ」。ちょっと狂ってる。

久しぶりになが〜〜く書きました。こんなえらそうなこと書いたけど、実際「読者の疑問に沿って書けたか」がだいぶ怪しいです。このエントリも二日かかったり、書き切るのにだいぶ苦労しました。

こんなこと言ってはいても、この前の記事とかは、読者のことをがん無視して進めたので、あんまり当てにしないでください。真面目な文章では意識してみるといいかもね程度です。いやほんと、そんぐらいのもんです。

以上。もし文章技術系でおすすめの本あったら、ぜひ紹介してください。