浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

3月11日の記憶

”Z世代”という言葉がある。主に1990年代の半ばから、2000年代に生まれた人たちのことを指す。デジタルネイティブと呼ばれる層がそれに当たる。難しい言葉を使わずとも、「今の若い人たち」ぐらいのニュアンスで、当分は通じると思う。

1998年生まれの僕は、もろにZ世代である。そして個人的に、我々Z世代の共通の記憶ととして、2つのことが挙げられると思う。2011年の東日本大震災と、2016年のドナルド・トランプの当選である。我々、9.11の記憶は共有していないが、この2つの激震は身に刻んでいることと思う。

で、もう日付が変わってしまったのだが、今日は簡単に、10年前の3月11日の記憶を書いておこうと思う。

 

 

僕は当時、中学1年生であった。そして新潟に住んでいた。中越沖地震を経験していたので、地震には多少の耐性があった。

震災が襲ったときは、中学校の終わりの会(ショートホームルーム)の真っ只中だった。僕はふざけて、定規を机の上に立てたりしていたのであった。中学の校舎は築2年ぐらいの新品であり、教室ドアのバリアフリーが行き届いていた。引き戸だったが、ガラガラガラア!って感じではなく、軽い力で、すぅーっと開くのである。それはもう、すぅーっと。すぅーっとである。

そしてそのドアが、急にバッタンバッタンと往復し始めた。左にスライドしたと思ったら、即座に右に移動する。それを繰り返してバッタンバッタン。その異様な光景が、なんとも不安を煽ってきた。震度は4か5だったと思う。

僕がいた1年2組の教室は4階に位置していたので、揺れは余計に大きく感じた。皆が一斉に黙り込んで、一言も発せず、得体のしれない何かに襲われているような不安があった、、、

のだが、所詮はその程度で、電球が落ちてきたり、ガラスが割れたりなどはしなかった。ただドアがバッタンバッタン言っていただけである。

その後は普通に家に帰った。どうやって帰ったかは覚えていない。家に帰ると姉がいて、ふたりでテレビを見ていた。このときはすでに津波の映像が流れており、何かとんでもないことになっているというのを感じた。

で、このときの僕は、実はパソコンゲームで遊んでいた。当時はYahoo!のゲームだったかグリーだったかが流行っていて、僕もそれにハマっていたのである。ラーメンを作るゲームだったかな。それをしながら片手間でテレビを見て、何やらすごいことになってるなあと感じたのである。そしてACのCMが大量に流れた。ぽぽぽぽーんから、金子みすゞまで。

そのうち、親が帰ってきて、夕飯の準備が始まった。もう一人の姉はちょうど高校の合格発表であり、祖母と一緒に30kmぐらい離れた土地にいた。紆余曲折はあったが、ちゃんと無事に帰ってきた。夕食は家族揃って囲んだ。TVではずっと震災の情報と、それ以上にACのCMが流れていたのである。馬鹿って言うと、馬鹿って言うのだった。

 

驚くことに、これが僕の3月11日の記憶のすべてなのである。教室のドアがバタンバタンしていたこと、パソコンゲームをしながらニュースを見ていたこと、家族そろってACのCMを眺めていたこと。思い出せるのはこの3つだけである。衝撃は大きかったが、直接被災したわけではない。ただ単に、急に何か非日常が舞い込んできた、それぐらいの感覚であったのだと思う。

 

大学に進学する際、地元を出て、名古屋に移った。そのときにいろんな人と話して、ちょっと驚いたことがある。3.11の記憶の語り方が自分と違うのだった。

僕の場合、地元の人と3.11当日について語るときは、「あの瞬間、何をしていた?」という話が中心になる。中学校にいたという人もいれば、放課後急に襲われたという人もいる。自分の身に起きたこととして語るという点では、共通していた。

.....のだが、名古屋に来て3.11について話すとき、割とみんな「ニュースみてビビった」的な話が多かった。自分が何をしていたかということは、あんまり語られない。ちょっと他人事感はあった。これはやはり、新潟ほど名古屋が揺れなかったからであり、名古屋は東海に位置しているから、、、と思ったのが、調べてみると両者とも震度は同じぐらいであった。ので、僕の聞いたエピソードがそういうものに偏っていたというだけかもしれない。

ただまあ、語り口の違いにちょっと驚いたという話。冒頭にも書いたとおり、僕にとって3.11は、この世代に共通の記憶だと思っていた。誰もが同じように「あのとき何してた?」というのを語れるものだと、勝手に思い込んでいたのである。ただ、当然距離が離れれば震度は変わるし、どれほどのリアリティをもって地震を受け止めたかも異なってくる。そのことをあんまり意識していなかった。

 

note.com

↑の記事は、もろに被災地にいた人の記録。昨日読んだけれど、僕の言っていたものとは違う意味で、東北にいた人は別の記憶を有しているのだと思った。僕のエピソードの100倍は読む価値あり。まあ詳しくは、読んで見るべし。被災地のリアルが伝わってくる。

 

一応、自分の記憶にもなんかしらの意義があればと思って、書くだけ書いてみたけれど、やはり東北・福島の人の記録を読むのが一番だとは思う。僕のは結局、非・被災地の経験でしかないため。ただまあ、それでも一応は書いてみた感じです。

皆さんはあの日、なにをしていて、どんな恐怖を感じましたか? それとももはや、具体的なことは何一つ覚えていないだろうか。その辺のこととか、聞いてみたいところですね。