浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

ガチ労働者になる前に労働法について学ぶ会:水町勇一郎『労働法入門』など

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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*元ネタ:皆川亮二『ARMS』(小学館

第1巻、3頁より

 

 



 

 

労働法の勉強をしてみようの会

 

 

はい!! というわけで、冒頭のクソ茶番に付き合ってくださった皆様方、ありがとうございます。今日はご覧の通り、労働法について少し学んでみようの会となっています。

ついに来週から働き始める私ですが、先日、大学の惨状について語る系の記事を書きました。で、その中で、職員に退職を強要する超絶パワハラ研修というものを取り上げました。どこかのコンサルを雇って、「研修」という名の下に、人格否定をしまくって自主退職させようとした案件ですね。詳しくは↓の記事を参照。かなりショッキングな内容ですな!!

president.jp

この記事を読んだときの感想は、もし自分がこういう目に遭ったらどうすればいいのか? ということでした。おそらく、基本的には辞めるか耐えるかの2択になりそうですが、ただ辞めるにしても、職を失うわけだからその先ちゃんと生きていけるか不安だし(借金とかあるかもしれないし)、耐えるにしても、そんな職場に居続けて本当にやっていけるのか? というのはあると思います。

で、これから頑張って働いていく身として、もし我々「労働者」を守る盾のようなものがあるのなら、それは知っておきたいところです。我々は、誰の、どんなことから守られているのか。逆に、単に守られることを越えて、使用者側と差し違えるための矛のようなものがあるのなら、それも知っておきたいところです。漫画『からくりサーカス』で言うと、「逃げる」「逃げない」の選択肢を越えて、第三の「闘う」が生まれるような、そんな感じですね(3巻あたりまでめちゃくちゃ面白いですよね)。

そういうわけで、前置きが長くなりましたが、本日は労働法についてちゃんと知っておこうよ!! の回です。「ちゃんと」とは言っても、判例を覚えたり条文の解釈をしたりとかではなくて、あくまで「教養」としてですが...... 労働法の成り立ちや、それがどんな仕組みで動いているのかは押さえておきたいところです。「労働者」という身分は、いかなる権利を有しているのか、そしてなぜそんな権利を持っているのか、というところですね。

ちなみに、僕は法学部の出身ですが、見事に労働法の授業は取ってなかったです。多分他のなんかの授業と被っててそっちを優先していた。そんなわけで、ほぼ知識ゼロですが、頑張っていきたいと思います。

 

水町勇一郎『労働法入門』を読みました

で、今回読んでみたのがこちら。先ほども画像で挙げましたが、岩波新書『労働法入門 新版』となります。

水町勇一郎『労働法入門 新版』(岩波新書、2019)

労働法入門系の本、実務家向けに書かれていて、あんまりガチの初学者向けじゃないことも多いんですが、こちらの本はかなり初学者向け(教養寄り)と思います。労働法の成立の歴史から、日本における特色、2018年の「働き方改革」のあれこれなども踏まえていて、なんかバランスがいいように感じます。

特に...... 皆さん、労働協約とか就業規則という言葉、知っていたりちゃんと説明できたりしますか?  僕は大変恥ずかしながら、労働協約とか知らんかったし、就業規則も「なんか、こう、いろいろ定まってるやつ」ぐらいの認識でした。で、他の労働法入門系の本を読んだときに、これらの単語が何の説明もなく使われたりしていたのだけれど(「当然知ってるよね?」的な)、本書ではちゃんと解説してくれていました。いとありがたし。そういう意味でも、しっかり初学者向けだと思います。

そんなわけで、今回は本書を使って、そもそも労働法とはどんなものかというのを確認していきたいと思います。労働法は、どんな風に成立し、どんなことをしてくれているのか。特に、僕個人としては、まずやつらが何をしてくれるのかということと、そしてなぜそんなことをしてくれるのか、というのが気になります。

 

 

そもそも労働法って?

そもそも労働法って何なんでしょうか? なんなんでしょうね??

「いや、『労働法』という法律は存在しなくて、実際には労働基準法、労働契約法、労働組合法、男女雇用機会均等法など複数の法律の総称であって……」というごちゃごちゃした指摘は置いといて、ごく簡単に言えば、それは労働者保護のための法律、と言えるように思います。例えば、労働基準法の第1条では、

第一条 労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。

ということを宣言しています。「人たるに値する生活」、いいですね。もちろん、単なる労働者保護だけではなく、労働関係の様々なことを定めてくれているのだけれど、中核的な理念としては「労働者保護」があるのだと言ってよさげな感じがします。

で、じゃあなぜそんな法律があるのか? というところで、本書『労働法入門』の説明を借りると(1-8頁)........ まず、今日の意味での労働法が生まれたのは、19世紀であるらしい。19世紀に入る前、1789年のフランス市民革命などによって、欧州の方で「個人の自由」という考え方が確立します。これと同時に、「契約の自由」という考え方も確立。伝統的な共同体とかから離れて、もう個人の自由な契約でやっちゃおうぜ!! という機運が高まります。

そして、この市民革命とほぼ同時期に、イギリスで産業革命が勃発。大規模な工業化が進展します。その結果としてどうなったかというと、「契約の自由」の名のもとに、非常に劣悪な条件で工場で勤務させられる労働者が増加してしまいました。超低賃金で1日12時間労働、さらには危険な環境で勤務させられることも普通にあり、労働者の貧困や健康問題が拡大していきます。で、それが単なる個人の問題を越えて、社会全体の問題となっていったわけです。そうすると、労働者の働き方について、ちゃんと法律等によって対処しなければ!! となり、労働や雇用の在り方に法が介入する形で、労働法が生まれた流れです。これが非常にざっくりした説明。

ここで面白いのは、労働に関しては、個人の自由(=契約の自由)に完全に委ねていてはダメだと考えられたことですね。なぜに、労働は個人の自由に任せっきりではダメで、法などが介入せねばならぬのか。本書ではそのことを、次の3つの点から説明しています(9-10頁)

第一に、労働契約においては、単なる「物」や「土地」などの交換を越えて、労働者自身の身体を取引の対象に入れていること。本書の言い方を借りれば、「契約の内容によっては、取引の対象とされた労働者という人間そのもの、その肉体や精神が侵害されてしまうことが」あり得ます(9頁)。で、たとえ本人の同意に基づいていたとしても、その者が肉体的・精神的に危険な労働に置かれることを社会的に容認していいのか、が問題になったそうです。

ここで、まあ、別にいいんじゃない? と思った方もいるかもしれません。が、第二の点として、労働者は使用者(会社・雇用主)に比べ経済的に弱い立場に立たされがちということがあります。会社の方は、資本があるので今日明日食うに困るということはないだろうけど、労働者の側からすれば、今日働かねば明日死ぬということもあり得ます。我らは「自分の身」一つ以外に何も持ってないので、それを切り売りせざるを得ないということですね。そうした力の不均衡の下だと、使用者から超低賃金・劣悪労働を提示されても、労働者はそれを断ることができなかったりするわけで、そこで「同意に基づく契約」とか言ってもというところです。あと、そういうのに任せておくとあっという間に社会問題になってしまうわけで。

そして第三に、労働者は働くときに自由を奪われがちということが挙げられています。労働者は、使用者の指揮や命令の下で働くので、その間は彼ら自身の「自由」が奪われているとも言えるとのこと。で、本書ではこの3つの観点から、労働については「個人」の自由に任せっきりではダメで、「労働者」という集団に対する保護が必要になったとされています。

 

「集団」という発明

で!! この、今さらっと書いた、労働者という「集団」というのが、非常に重要なポイントとなっています。そしてとても面白いところだとも思います。

元はと言えば、市民革命によって、一度「個人の自由」というものが確立したわけです。ただ同時に、そうやって個人の自由に任せておくと、色々と問題が起こることも顕在化したわけで、そこで改めて「労働者」という集団的括りが用いられます。本書ではこれを「集団の発明」と表現しています(11頁)

では、そうした「集団」を発明して、何がなされたかというと、次の二つのことが挙げられています(11-12頁)

1つ目が、労働者への「集団的保護」です。例としては、労働時間の規制や社会保険制度などが挙げられています。これらは労働者に対して、一律に適用されるものであり、彼らを「集団」として捉え、それを保護する制度となっています。あとで見るように、これらが「一律に」適用されるということは、個人の個別の契約や合意をも上回る効果を持ちます。

2つ目が、ストライキなどの団体行動を取る「集団的自由」の保障。団結して行動することが保障されています。例えば、劣悪な労働条件を提示されたとき、自分一人が抵抗したところで労働者の待遇は何も改善しないけれど、集団で抵抗すれば大きな力になります。以前は、こうした団体行動が団結罪といった罪に問われていたらしいですが、それが認められていくようになったという話。本書の言い方をそのまま持ってくると、「これは、個人の自由のもとで実際上自由を奪われていた労働者に対し、集団として自由を行使することを認め、労使の事実上の力関係の差を是正しようとするものであった」とのこと(11頁)。これはなんというか、非常に労働法らしい話だなーと思いました。

そんなわけで、ここまでをまとめると、労働法の性格というのは、個人の自由な契約に干渉し、労働者を「集団」として捉え、それを保護し、また団結して行動する権利を認めるもの、と言えると思います。で、なぜそんなことをしているのかと言えば、そもそも労働者が経済的に弱い立場にあり、自身の身体を契約の対象にして自由も委ねるような存在だから、となりそうです。まあ確かに、明らかにパワーバランスは使用者の方が上なので、なんらかの介入によって労働者の側もアゲとかないとなんだなと思います。

......ちなみに、ここまでの話は、あくまで労働法の成立過程の話。実際、かつての工場労働の時代と違い、今の世の中で労働者を「集団」として捉えることは、結構難しいように感じます。サービス業とか色んな業種が増えたし、働き方もますます多様になっているので。もちろん、本書もこのことに触れていて、「従来の定型的なモデルを前提とした集団的・画一的な保護・規制は、社会の多様で複雑な変化に十分に対応できないものとなっていった」としています(20頁)。ただ、その一方で、今でも「契約」や「同意」の下で、過酷な労働や不安定な雇用を強いられている者は多数おり、確かに新しい問題も増えたけれど、労働法の伝統的な問題もそのまま残存しているともされています(22頁)。要するに、時代が変われど、労働者保護という理念はこれからも当然必要だろうという話です。

 

労働法はどう働いているの?

本日は「労働法の基礎知識」的な回にしようと思っているんですが、そこでもうひとつ触れておきたいのが、労働法はどう働いているのか? という話。本書では、これについて労働法の4つの法源というのが紹介されています(52,53頁)。労働法が実際に動くときは、次の4つの何かしらが問題になっているぞ、ということですね。

1つ目が、シンプルに法律労働基準法や労働契約法などですね。例えば、労働基準法で、1週間の労働時間の上限が40時間と定められているなどですね。ちなみに、こうした労働法は強行法規としての性格を持ち、個人の自由を上回る効力を発揮するとのこと。例えば、使用者と労働者が互いに合意して、「週の労働時間は100時間としようぜ!!」という契約を交わしていたとしても、こうした契約は無効となります。本書を引用すると、「当事者の合意の有無や内容にかかわらず当事者を規律する」(42頁)という性格を持っています。

2つ目が、労働契約。何月何日から働きますとか、こういう期限で働きますとか、そういうものですね。まあこれもわかりやすいと思います。

そして3つ目が、労働協約。「労働協約って何?」というと、本書の説明をそのまま持ってくれば、「労働組合と会社との間で締結される労働条件などに関する合意・協定のこと」だそう(44頁)。さっきも書いたとおり、労働法においては、労働者という「集団」で行動&交渉する自由が認められています。で、そうした集団(労働組合)が会社から獲得した「合意」にも、法的な力が認められて、ちゃんと会社側を縛るルールとなってくれるそうです。例えば、労働者個人と会社との契約では、「ボーナスは月給の2ヶ月分」となっていても、労働協約にて「ボーナスは月給の3ヶ月分だ!!!」となっていれば、ちゃんとこの労働者も3ヶ月分のボーナスをもらえるなどなど(力関係的に、労働協約>労働契約となっている)。

最後に、4つ目が就業規則就業規則は、会社側が定める職場のルールのことで、これも労働者に集団的に作用します。非常に広範な内容が定められていて、賃金や賞与や退職について、その会社でのルールが示されています。詳しくは自分の職場のものをチェーック!! 正直、僕もまだ働いてないので、どういうものかはあんまりわかってないです。ともかく、法律や労働組合だけでなく、会社側も労働についてのルールを設定しているという話ですね。

で、労働が法的な問題となるときは、以上の4つ、すなわち①法律、②労働契約、③労働協約、④就業規則、のどれかが必ず関わっているとされています。ちなみに、強さとしては、法律>労働協約就業規則>労働契約の順番だそう。引用を持ってくると、次のような感じです。

働く人と会社の間の関係では、これらの四つの法源のなかのどれかによって根拠づけられた権利や義務となることによってはじめて、労働者が使用者に、または使用者が労働者に、法的な請求をすることが可能になる。逆にいうと、これらの四つの法源のどれによっても根拠づけられていないことについては、裁判所の力を借りてその実現を図ることはできない(法的にいうと「請求の根拠を欠く」ということになる)。労働法とは、これらの①〜④の法源に支えられた権利と義務の体系ということもできる。(53頁、太字は引用者)

これはなんというか、読んだときに、結構大事だな!! と思いました。というのも、我々が法律に頼りたくなるのは、なんかしら理不尽な目に遭ったときだと思います。これは本当に自分が耐えなければいけない問題なのか...... 実際は相手の方が間違っているのではないか....... とか、そういう状況ですね。

で、僕がここ1年間いた倫理学の領域では、こういうの、相手の「不正さ」を論証することが大事、とされていたような気がします。功利主義とか権利論とかを使って、「そもそも労働者を単なる『手段』として利用することは道徳的に正当化されず......」という風にやっていたと思います。

ただ、法の世界はあくまで「具体的」なものである、というのがやっぱり面白いなところだな〜と感じます。こうやって①〜④の法源というのが示され、そして「ここに該当しなきゃ、そもそも請求の根拠欠くから!!」とされている。そこがなんというか、清々しくてよいですね。ちゃんとルールが明文化されていて、なによりもまずそこが問題となる。それはつまり、自分が何か理不尽な目に遭っていそうなときは、ともかくこれを確認すべしというのがわかりやすいということでもあると思います。

あと、この①〜④の力関係の中で、「労働契約」が最も力が弱いとされているのも、面白いなと思いました。これも倫理学との比較ですが、倫理学では「個人の同意」というのは、それはそれは大きな力を持っているように思います。ただ、労働法においては、パターナリスティックな介入が割と平然と許されていて、それは成立の趣旨などからもそうなのかもしれないけれど、倫理学とは違うな〜〜と思ったところでした。僕も元は法学部だったはずなのに、いつの間にこういう思考に.........

まあでも、労働法の仕組みについては、だいたいこんな感じです。本当はもっといろいろ複雑なんですが、僕に説明できる範囲を超えるので、この辺にしておきます。4つの法源で動いているよ! というのが分かればひとまずOKだと思います!!

 

労働法は「力」か?

だいぶ字数が多くなってきたので、そろそろ巻きに入る形で...... 最後にこの「労働法は『力』なのか」というトピックで。冒頭の茶番で、漫画『ARMS』のジャヴァウォックの如く労働法を登場させたわけですが、実際に労働法は、何らかの助けになるんでしょうか。そして、なるとしたらどんな感じなのか。

今回、この『労働法入門』の他に、何冊か労働関連の本を読んだんですが、濱口圭一郎『若者と労働』という本に、面白い記述がありました。あとがきから引用です。

実は一点、極めて重要でありながら[本書で]語られないままとなっていた問題があります。それは、働く場で自分の、あるいは自分たちの権利を守るために必要な労働法や労働者の権利に関わる知識が、肝心の働く人々、とりわけ若い人々にほとんど教えられることもなく、放置されているということです

濱口桂一郎. 若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす (Japanese Edition) (p.227). Kindle 版.[]内、太字は引用者 

労働基準法にこう書いてあるなどと会社に文句を言う馬鹿な奴は真っ当な正社員になれません。

労働基準法?上等だ。お前は一生面倒をみてもらいたくないということだな。一生面倒を見てもらいたいのなら、ぐたぐた言うな」

というのが、暗黙の(時には明示の)社会的文法でした。つまり、労働法など下手に勉強しないこと、労働者の権利など下手に振り回さないことこそが、定年までの職業人生において利益を最大化するために必要なことだったわけです

濱口桂一郎. 若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす (Japanese Edition) (p.228). Kindle 版. 太字は引用者

ここに書いてあることも、まあぶっちゃけわかるでござるよという感じで、労働法を学ぶことは、一方で自分の身を守ることでありながら、他方で、定年まで過ごす「会社」というものに不和をもたらし得るものでもあるはずです。先日、来週から働く職場から、『社会人1年目の教科書』(ダイヤモンド社という本が送られてきたんですが、まあ当然、労働法の話は一切振れられておりませんでした。代わりに「演芸会は死ぬ気でやれ」「脳に負荷をかけよ」とかが書いてあるわけですが.......

↑こちら。まあ、大事ではあるとは思う。全然面白くなかったけど......

そんなわけで、本当に労働法を学ぶことが「力」になるのか? というのは、問われうることだとは思います。いや、絶対に力にはなるんだとは思うけれど、正直なところ、まだ働いてもいない人間が労働法を学ぶことで「力を得た!!」とイキがってていいのかという話ですね。こういうところには、否定的な人も多いのではないかと思います。

ただ、これについて思うところを2つほど述べて、本日は締めとしたいと思います。

1つ目は、水町『労働法入門』に書かれていることでもありますが、あくまで労働法は、労働者という「集団」を相手にしたもの。そこには「集団という発明」があったわけです。それすなわち、労働法の問題は、単に自分だけの問題だけではなく、同じような状況の他の誰かの問題でもありうるということです。

例えば、本書では、「権利を守り、公正な社会を築くために」という節で、次のようなことが書かれています。

不条理な事態に直面したときに、泣き寝入りしたのでは自分の権利や信念は守れない。それだけでなく、法と乖離したい実態を容認することは、会社側に法は守らなくてもよい、さらには、法を守っていては激しい競争に生き残れないという意識を植え付け、公正な競争の前提自体が損なわれる事態を生む。例えば、違法なサービズ残業をさせないと、同様に違法なことをしている他の会社と対等に競争できないという状況を生み出したりするのである。それは、現場で働いている人たちの人間性を蝕み、結局、そのような組織や社会は長続きしないという結果に陥る。このままでは、日本の会社の多くや日本の社会そのものがそういう状態になりかねない。(230頁、太字は引用者による)

この熱いメッセージ、よいですよね。他にも本書では、「国家によって権利や自由が保障されていたとしても、それが侵害されている自分の状態を黙認してしまうことは、間接的に他人の権利や自由が侵害される、すなわち他人を同様の状況に追い込んでしまうことにもつながる」と書かれています(243頁)

要するに、単に自分一人が耐え忍べばそれで解決、とも限らないということだと思います。法を外れた状況が常態化すれば、より多くの人が不幸になり得るし、逆に自分が自分の被っている不正に立ち向かうことで、他の誰かの状態が改善することもありそうだ、ということです。

もうひとつ言いたかったのは、やっぱりこういう「法」や「制度」がある以上、それは使った方がいいだろうということですね。これは本当にシンプルで、「あるなら使おうよ」という話です。

労働法の成立の歴史などを見るように、「集団の発明」という話もありましたが、現状の法や制度は、誰かが頑張った結果としてあるものだと思います。そういうものを作った人としては、同じような悲しみ・苦しみを生まないようにと頑張ってきたはずなので、それがあるのに使わないとなれば、「いやなんでよ? あるんだから使ってよ!!」となるはず...... 生活保護とかにも同じこと思ったりするんですが、誰もが使えるように「努力して」作られてきたもののはずなので、なんかこう、制度に欠陥があるとかならまだしも、単に「遠慮して」使わないというのは、よくないんじゃないかと思います。その人の頑張りが否定されてしまうというか......

そんなわけでですね、ぶっちゃけ労働法、日本社会においてはあんまりウケがよくないイメージがあるし、それを学んだ労働者というのもいまいち歓迎されなさそうだけど、でもやっぱり使っていくべきだろうなと思います。それは、上に書いたとおり、単に自分の身を守ることだけでなく、他者の状況の改善にもつながるし(あるいは改悪を阻止できたりする)、そして何より、誰かが頑張って作ってくれたんだから、使わないとダメだろとも思います。後者は完全に僕個人の感情的な話だけど、なんというかまあ、そんな風に思います。我々の「権利」として保障されているわけだしね。

 

 

 

以上!!

今日は「1万字以内」という縛りを自分に課していたため、だいたいこんな感じになります。全然書けていないところも正直たくさんあるけれど、それは各自、本書『労働法入門』を読んで学んでもらうということで。この本、バリ面白かったので、読むべし。

最後に、今更なんですが、現在の労働問題は、なにより非正規労働者に集中しているなと思いました。正社員もブラック労働の問題とかあるけど、やっぱり中心的問題は、非正規の人の地位の低さにあるように思います(色んな本でこれが触れられているし、政策の重点もここに置かれている)。そんなわけで、正規の人よりも非正規の人にとってこそ、労働法は武器になるんだなとも思います。

1週間後には働いているということが、全く実感の湧かないこの頃ですが、これからも頑張っていきたいと思います。とりあえず、こんな深夜更新(現在 am 2:12)はやめにしたいところですな!! そんな感じです。

 

 

 

 

 

 

↑ちなみに、この本も読んだけれど、なんか色々微妙だったので、水町本の方が個人的にはおすすめです。