浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

「弱者男性論」について思うことなどなど:現代ビジネス記事を読みました

先に言っておくとかなり長い上に、あんままとまってないです。毎回不必要に長文なんだよなあ、、、

 

gendai.ismedia.jp

先日、上の記事(「フェミニズム叩き」「女性叩き」で溜飲を下げても、決して「幸せにはなれない」理由)が、現代ビジネスから出てきた。主に「弱者男性論」なる立場への批判や、現状のアカデミズムに足りないものの指摘がなされている。読むべし。まさに、読むべし。

僕もこのブログとかnoteで、「フェミニズムのここが不満ですよ」とか、「ゆうて男にも辛さはあるよ」ということを書いてきた。清田隆之『さよなら、俺たち』にいちゃもんを付けたり、ソルニット『説教したがる男たち』に文句を言ったり、、、 そういうわけで、↑の記事はバズっていたこともあり、僕もちゃんと触れておくべきかなと思った。僕なりに内容を紹介したり、「弱者男性論」について思うことを書きます。

 

記事の個人的紹介

内容については、元記事を読んだ方が早いとは思う。が、ページが7つに分けられていて、6回もクリックするのは苦痛だよ〜という人向けに。大枠は記事の流れに沿いつつ、一応僕なりの紹介ということでやっていきます。

この記事の著者はベンジャミン・クリッツァーという方。この人は、デビット・ライスという名で「道徳的動物日記」というブログをやっており、僕も結構読んでいる。扱われている話題としては、動物倫理・ポリコレ批判・ジェンダー問題・幸福論などなど。個人的には、この人の意見に賛同するところが多い。特に、ポリコレへの不満だったり、フェミニズム系の議論については「ほんとそれな」と思ったりする。

というわけで、今回の現代ビジネスの記事についても、ほぼ全面的に同意しています。批判したいポイントとかもあんまないし、わかりやすい整理だと思っている。特に新しくなんか言いたいこととかはない。のだが、一応僕がどう思っているかとかを書いてみようという感じです。

 

弱者男性論

元記事はまず、「弱者男性論」の話から始まっている。

みなさん、弱者男性論って知ってますか。弱者男性論とは、男性の弱さや辛さに着目した議論のこと。この界隈では、KKOという言葉がよく出てくる。KKOというのは、「キモくて金のないおっさん」の略のこと。このワードを初めて見た人も多いかもしれないが、界隈では当たり前のように出てくる。

で、前提として、キモくて金のないおっさんが弱者であるということがある。キモくて金もないのだから、本来的には恵まれぬ存在であり、我々の「配慮」が必要な者たちである。のだが、現実として、彼らはそうした配慮を受けておらず、基本的に世間から無視、あるいは敵視さえされている。なぜかといえば、彼らが「おっさんだから」である。人々の同情やメディアの注目を得にくいという理由で、経済的・社会的弱者であるにもかかわらず、放置されているのである。

 

bunshun.jp

LGBTや女性や障害者や少数民族は弱者として認定されることが多いけれども、弱者に認定してもらえない人たちもいる。典型的なのは、中高年で貧困層に陥って肥っていて、でも生活保護は受けていないような非正規の男性だ。これはネットの中では「キモくて金のないおっさん」問題と呼ばれていたりする。

 

bunshun.jp

note.com

 

そのように、我々は直観的に「可哀想」と思える者(子どもや女性、外国人など)に対しては、同情や配慮を向けられるが、そうでない者(おっさんなど)に対しては冷たい。それっておかしくねえ? というのが、弱者男性論や、「かわいそうランキング」の立場になると思う。

 

フェミニズムへの敵視

で、この立場の人は、フェミニズムを敵視していることが多い。というのも、フェミニズムにおいて、男性はまるで憎むべき敵のように批判され、男が抱える苦悩というのはほとんど無視されているからだ。その苦悩としては、経済的な困窮などもあるが、ここでは主に「異性から相手にされない」ということがある。いわゆる、非モテの苦悶というか、孤独感や承認の欠如の問題である。この文脈で、男性の方が自殺者数が多い(それだけ人生がつらい)こともよく言われる。(弱者男性論をちゃんと追っかけているわけではないので、雑な推測が入ってたりはするけど、まあ多分そんな感じです。)

ところで、「男性が抱える問題の無視」というのは、フェミニズムに限らず、現状の”リベラル”な論者全体に通ずるところでもある。この辺は、リベラル—ポリコレ—フェミニズムが一直線に結べそうだし。おそらく、弱者男性論の擁護者は、基本的に現状の”リベラル”や、ポリコレについても批判的である。

その批判の主眼はまさに、「自分たちの問題が軽視、あるいは無視されている」という点にあると思う。これが転じて、個々の女性への憎悪・バッシングに向かっていくケースもある。

 

「弱者男性」のアカデミズムでの扱いにくさ

記事の内容に戻ると、学術的な議論における弱者男性の扱いにくさ、ということが指摘されている。

アカデミズムの世界では、確かに男性の辛さを語りにくい風潮があると思う。というのも、男性というのは常に「強者・特権者」の側であって、そこに配慮することは、「弱者」であるはずの女性やマイノリティの問題を無視することに繋がるからだ。基本的にアカデミズムの世界には、マジョリティは批判されるべき存在であって、配慮や同情の対象とはならないという空気感が漂っている。これは現在、人文系の大学院に身を置く僕自身、ひしひし感じられるところである。

一応、学術界隈にも「男性学」という学問はある。男性の抱える社会的重圧に焦点を当てたもので、フェミニズムが「女性に対する抑圧を取り除く」ものであるとすれば、こちらは「男性が被っている不当な抑圧を取り除く」ことを目指していると言えそうである。

ここではしばしば、”男らしさ”という規範が、男性たちを苦しめている。ここから解放されることを目指すべしということが言われる。 いわば、「らしさ」からの解放である。

 太田啓子『これからの男の子たちへ』がそんな感じであった。まあこれは、男性学の本ではないかもしれないけど、、、

 

元記事でも言われているけれど、そんな感じで、「男性学」の根底にはフェミニズムの思想があったりする。

根底にフェミニズムがあるということで、基本的にこの分野、「男性は特権者の側である」との考えは崩していない。あくまで、男は社会的強者である。だから、男性の辛さを救済するとは言っても、彼らを弱者として認めるわけではない。それよりも、自分が抱えている特権を自省して、よりフェミニズム的になりなさいと言われたりする。そうすることが、男にとっての幸福にも繋がるのだと。

 

さよなら、俺たち

さよなら、俺たち

 

清田隆之『さよなら、俺たち』でも、そうした論調は強かった。

ここでおそらく問題になるのが、女性の辛さ・男性の辛さに対する対処の非対称性である。女性が抱える辛さ・問題については、主に男たちが責めを負うことになる。女性には同情や配慮がなされ、男性には反省が促される。で、男性が抱える辛さ・問題についてはどうかというと、これもどちらかというと男性側に反省が求められる。すなわち、「あなたが抱えている男らしさの呪縛から、自由になりましょう」である。これでは男性たちは、自分の辛さが真摯に扱われているようには感じにくい。あくまで、女性の問題を解決する「ついで」のような印象も受ける。

というわけで、男性の辛さを主張する者からすれば、アカデミアでの男性問題の扱いには、大きな不満が残ってしまう。自分たちの「弱者性」が正面から扱われていないので。

 

制度的な辛さ、実存的な辛さ

元記事では最後に、制度的な辛さと、実存的な辛さという対比が出てくる。「女性の抱える問題は制度的なものであり、男性の抱える辛さは実存的なものである」といった具合である。

制度的なものというのは、社会の構造的な次元のことであって、女性は昇級しにくいとか、入試で不当に点数を下げられる、などなど。問題解決の筋道としては、制度や構造内の不平等を改革していこうとなる。

おそらく、「女性らしさ」「男性らしさ」の呪縛についても、同じような道筋になる。仮に「らしさ」が重圧として働いているのであれば、個人に「らしさ」を植え付けないよう、ステレオタイプを強調する表現を取り締まるべし、ということになると思う。あるいは逆に、「家庭的な男性もあり」という見方を広めるために、そうしたドラマやアニメを放映したりするなど。そんな感じで、「らしさ」が社会的に構成されるという前提のもと、そこへの制度的・社会的方策が採られるはずである。

ただ、この方針は、”今ここ”にいる私への救済とはなり難い。「徐々に”らしさ”を廃していこう」とか、「自由で新しい生き方を勧めていこう」とかは、将来的に役立つかもしれないが、すでに男性的な価値観を身につけてしまった者としては、今更そこから降りようとか言われても、もう遅いのである。救ってほしいのは現時点での苦しみであって、将来的な解決とか言われても、救済策にはなり得ていない。

こうした、”今ここ”にいる私が抱えている問題が、実存的な苦悩と言えると思う。それらは制度を変えたところで解決されないし、かといって「考え方を変えればいい」というほど単純でもない。そして、アカデミズムにおける男性論は、そうした実存的な悩みを扱ってこなかった。で、「弱者男性論」なるものが出てきて、フェミニズムや女性の敵視というかたちで、これに向き合っている、という話になる。

 

元記事では弱者男性論について、これが他者を「下げる」議論であることが批判されている。が、ここではとりあえずカット。僕としてはこの記事、男性の辛さは実存的であるという点と、アカデミズムがそれに向き合えていないという点が、特に面白かったです。

 

弱者男性論をどう思うか

あんま詳しくないといいつつ、それを評価するのはあれなんですが。

正直、僕も「弱者男性論」っぽいことは言っていると思う。フェミニズムが一方的に男性を特権者とすることを批判したり、「男には男の辛さもあって、それは無視されるべきではない」と言ったり。特に僕は非モテ云々で思うところが多々あるので、、、現状の”リベラル”だとか”ポリコレ”について、文句を言うことも多い。あまりに「マジョリティ=悪」というのが図式化されすぎて、一男性として抱えている思いだとかは軽視されがちなので。というか、「マジョリティ」「男性」とか、属性で一括りにするのは不毛だと思っている。仮想敵があまりにデカくて、その中の個々の人間は捨象されてしまうので。

www.u-tokyo.ac.jp

例としての上野千鶴子東大祝辞。これについては、「東大生男子」というのが一括りにされて、彼らに困難や苦悩もないかのように書かれているのが、若干問題と思う。もちろん女性の方が困難は大きいだろうし、そこの問題提起以上に重要ということはないのだが、こういう形で「個」の人間が抱える苦悩が無視されるのも、あんまよくないと思っている。

 

.....とはいえ、はっきりと申したいのが、僕がこの「弱者男性論」を支持しているわけではないということ。弱者男性論が、「男性の方は女性よりも多大なつらさを抱えている」(記事引用)と主張するものであるならば、そこには完全に乗れないというです。今日はとにかく、この一行が書きたかった。僕も男性の辛さとかは語るけど、「男性は女性に比べて不当に差別されている」とか、「女性差別よりも男性の辛さの方が問題」とは思っていないです。

まず言いたいのが、ことさらに「男性の」問題を強調したいとは思っていない。すなわち、男性の方が女性より差別されているだとか、男の方がハードな人生を送っているだとか、そういうことを言うつもりはない。僕がフェミニズムとかで不満なのは、上で書いたとおり、男性全体が特権者として一括りにされ、そこにおける個々の苦悩が無視されがちな点である。ので、あくまで「一人一人の人間に注目すれば、男にも辛さはある」と言いたいだけという感じ。逆にキモくて金のないおっさんとか、問題提起としてはわかりやすいけど、あれも大きな括りを用いているので、個を無視している点でよくないと思っている。

あと一番感じるのが、「男はつらいよ」という主張が、「女はつらいよ」という主張と二項対立的に捉えられるところ。これが最大の問題だと思っている。つまり、男の辛さを主張するあまり、フェミニズムを敵認定して攻撃したり、二つが相容れないもののように考えられるところ。これはただただ対立が深まるだけなので、よくないと思っています(同様の批判は一部のフェミニズムにも向けられるけど)。まさしく、互いの溜飲を下げあうのではなく、ちゃんと建設的な方向に向かうべきと思います。

僕の見てきた「弱者男性論」は、男性と女性の問題を敵対的・二項対立的に捉えるものが多かった。もちろん、それだけがこのすべてではないだろうが、ただ、そういうタイプの「弱者男性論」には、明確に乗れないという話です。個人的にはフェミニズムの意義や重要性は大いに認めているし、ここを対立的にしても、建設的でないと思うので。

 

 

また長くなっちまったよ

こんななっっげえ文章を読んでくれた人にはマジ感謝です。本当に、感謝。

そんな感じで、「男の辛さ」というところには共感するけど、「弱者男性論」まで行くかというと、そうでもないという話でした。一行で済むことを、またしてもgudagudaと語ってしまった。

一通り書いてみると、いろいろと自分の議論の甘さが見えてくる。一番は、「弱者男性論」なるものをかなり一面的に捉えていることだろうか。僕がここで取り上げた、「男性の方は女性よりも多大なつらさを抱えている」以外のタイプもあるかもしれない。

他には、この立場が問題視する”フェミニズム”と、僕の中でのフェミニズムが一致していないということはありそう。前者の”フェミニズム”は、いわゆる「ツイフェミ」的なものっぽいので。そこはもうちょい考えるべきであった。

他にも、紹介した元記事への批判とかも皆無になっちまった。まあその辺は、のちのちやっていくということで。

込み入った話ばかりしたので、最後だけでも和む画像を貼っておきます。

 

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春って、いいですよね。酸っぱい思いが空に溶けていきますよ。