浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

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イリゴエン『フランス人の新しい孤独』を読んだので、その簡単な感想

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ここ2,3日かけて、マリー=フランス・イリゴエン(訳:小沢君江)『フランス人の新しい孤独』を読んでいる。今日読み終わった。面白かった。ので、その簡単な感想など。

 

 

この本を知ったのは、昨年出た吉田徹『アフター・リベラル』(講談社現代新書)にて。ずっと読もう読もうと思っていたが積ん読していたのを、図書館の返却期限が近くなった機に、一気に読んでみた。で、結構マイナーな本だと思うのだが、刺激的だったので内容を紹介したり。

ちなみに、前述の吉田本においては次のように引用されていた(「個人が原子化した社会」的な文脈)。

 

……こうした個人主義ゆえの不安感は小説の主人公のみならず、フランス人の多くが実感しているものだ。九〇年代後半に「セクシュアル・ハラスメント」という概念を定着させるのに貢献したことで知られる精神科医マリー=フランス・イリゴエンは、その『フランス人の新しい孤独』で、先進国における個としての独立に加え、幸福な男女関係や家庭を築く能力を持たなければならないという二律背反的な社会規範が、多くの人びとを躁鬱状態に追い込んでいると診断している。日本でも、男女ともに仕事と育児の両面で成功しなければならないという役割期待から、ノイローゼなどが増えるのと同じ現象だ。
吉田徹(2020)『アフターリベラル』講談社現代新書、233頁

 

 

この紹介にあるとおり、「個人主義が加速した現代社会」を題材とした本である。個人主義の問題とかに興味のある人は、読んでみるべし。

 

簡単な内容紹介

本書について

著者のイリゴエンは精神科医。普段からセラピーなどを行っており、夫婦関係や「孤独」を問題とする患者に多く接している。そうした患者たちのエピソードを交えつつ、現代人がどのような孤独に直面しているのかを分析したもの。

ちなみに原題は”Les nouvelles solitudes”で、単純に「新しい孤独」の意味。「フランス人の」という部分は、おそらく訳者によって付けられたものである。実際の患者のエピソードが多数紹介されていることから、「フランスの話ですよ」というのが強調されたのかもしれない。ただ、内容的には日本含む先進国一般に当てはまりそうなものとなっている。

 

内容について

ではそれがどういう孤独なのかというと、、、この本では「新しい孤独」をもたらしたものとして、3つの要因を扱っている。すなわち、女性の自立志向・男性の戸惑い・カップル関係の脆さである(118頁)。

女性の自立志向については、近年女性の社会進出が進んだことや、避妊技術や中絶など女性の性的自立が進んだことが大きい。これにより女性たちは、自分たちの望むライフスタイルを手に入れやすくなり、かつてほど家庭(や男性)に縛られることがなくなった。そうすると段々、男性(夫)に求める理想が高くなってくる。家事育児を分担してくれる、自分が会社に行っても文句を言わない、細やかな優しさは見せてくれる、かつ男らしさも備えている、などなど。

それに伴い、男性の側では「女性たちの掲げる理想が高すぎる」という感覚が強まってきた。妻を自分より下に置きたがる男性は多い。妻の方が自分よりも収入が多いとき、男性は自信を失いがちになる。また、女性は家庭以外にも仕事という居場所を見つけており、男性に依存することも少ない。ので、女性の自立が進むほど、男性は「彼女らの理想像には到底至れない」という感覚や、「自分は必要とされていない」という気持ちを抱き始める。

こうして、女性からすれば「理想のパートナーが見つからない」ということになるし、男性からすれば「彼女らの期待が厳しすぎる」ということになる。こうして伴侶探しは難航し、孤独感を抱くようになる。また、現代は離婚もかなり一般的になり、かつネットを通じて「簡単に出会える」時代とされている。そうすると、不毛な関係を続けるよりは、新たな恋を追っかけた方がいいということになり、カップルの関係は脆くなる。

ただ、場当たり的な関係を繰り返しても、虚しさは癒えるどころかますます深まるばかりである。そうやって、現代の消費文化に踊らされ、ますます自己というものが見えにくくなる中に現れる孤立感こそ、現代人の抱える「新しい孤独」である。雑なまとめになった。

 

個人的おもしろポイント

この本を読んで面白いなあと思ったところの紹介。

① 安易な「出会い系使えば?」への反論になる

現代社会、「彼女(彼氏)ができない」的なことを口にすると、すぐ「出会い系使えば?」と言われる時代である。自分が使ってみた経験から悪くないよ的に勧める人はよいのだが、たまに嘲笑的にこれを言ってくる輩がいる。「独りが嫌ならWithに登録すりゃいいじゃん笑」とか、「DaiGoがマッチングさせてくれるよ」とか。後者はまだ面白いからよいとして、前者の輩が正しく裁かれることを祈る。

この本では「出会い系の虚しさ」について、多くの患者のエピソードを交えつつ紹介されている。好かれるために虚構のプロフィールを書いたり、それをみんながやるので互いに疑心暗鬼になったり。出会うことも離れることも簡単なので、相手が自分にとって有用なときだけ利用し、魅力がなくなったら即おさらばなんてことも。”実用性と移ろいやすさ”の特徴はますます深まっているとされ、互いにじっくり関係性を構築するとか、そういうのが重視されることはない。

「孤独の最終的な救済手段として出会い系がある」という観念は、それなりに広く共有されているように思う。ただ、出会い系においては、人間がモノのように評価され、追求されるのは愛情よりも即時的な有用性であり、その上離脱も簡単、、、個人的には、そういう環境で孤独が癒やされるとは到底思えない。この本でも、「出会い系はもう疲れました」というエピソードが多い。僕自身は出会い系使ったことはないのだが、あれはどうにも、その場限りの出会いを求める人間が使うべきツールな気がする(あるいは他者からの批評的な眼差しに耐えつつ、出会いを探っていける逞ましい個人など)。

そんなこんなで、「独りが嫌なら出会い系使えば?」という煽りに対して、「あれは孤独を埋めるどころか、逆に虚しさを加速させるものですよ」と自信をもって言えるところが、この本の面白いところである。

(まあこの本はそれ以上に、「そもそも強迫的に他人との繋がりを求めるべきではない」というところに落ち着くのだけれど)

 

② 「孤独」の多様な面が扱われている

一応、本書全体としては「孤独はそんなに悪いものではなく、むしろもっとそれを受け入れていくべき」というスタンスになっている。

この本の冒頭では、孤独をめぐる様々なイメージが扱われている。かつての社会では、孤独は完全に”忌避すべきもの”とみなされていた。独り身の男性には変人というイメージが与えられたし、女性に至っては魔女呼ばわりされたりした。人付き合いを避け孤独に暮らしていると、精神疾患を疑われることも珍しくなかったとか。

他方で、現代では孤独を礼賛する向きが強い。「おひとりさま」という言葉に見られるように、結婚とか家庭に縛られず、自由な暮らしをしている方がかっこいいよ的な。独りは悪いものじゃないという見方は強まっているように思うし、むしろ「SNSによるつながり過剰」とか、人と密になることの悪い面が強調されるぐらいだ。Twitterでもそういう「逆張り」的な思想がウケている。ボッチいじりとかはあるけど、あれも自虐的な要素が強い。

ただ、イリゴエンはこうした「孤独礼賛」的な風潮には、多分あまり賛同していない。なぜならそこでは孤独の持つ負の側面がまるっきり無視されているからだ。例えば、メディアが喧伝するイメージを批判するものとして、本文からの引用を載せておこう。

メディアも、シングルの増加に目を付けて、テレビの連続番組や映画に独身の人物を導入し、カッコいい容姿を前面に押し出し、そのポジティブなイメージにより、自意識や独立心、自立といった独身神話を作り上げていく。しかしながら、メディアの作り上げるシングル像とは、あくまでも社会的に上昇中の、三十歳前後の、高給取りの独身者なのである。しかし健康的で経済的な悩みもなく、職業的にもアクティブな三十歳の「シングル」と、失業中の五十五歳のシングルとのあいだに共通するものは何だろう? 金銭的に貧血状態のシングル、または年を取りつつあるシングルはどうなのだろう?(27頁)

「孤独」には孤立や虚しさ、絶望など、精神面にとってあまりよくない要素も含まれている。実際、妻に先立たれるなどして孤独に陥った高齢男性は、アルツハイマーにもなりやすいのだとか。加えて、孤独になることを「選べる」人間もいれば、そう「ならざるを得ない」人間もいるはず。そうした中で孤独のポジティブ面ばかりが強調されると、当事者の苦悩とかが無視される危険はあるだろう。

・・・とこのように、孤独を忌避するのでもなく、かといって一方的に礼賛するのでもなく、バランスを取っているところが面白いなと思った。日本でも「独りのすすめ」的な本はあるけど、あれは孤独のマイナス面にほとんど向き合っていなかったりするので。

で、著者は最終的には孤独を勧めるのだが、その際には下準備が必要であるとしている。曰く、「孤独も、一種の手ほどきである訓練をとおして身につくものである」とのこと。ただその訓練とはなんなのかは、、、ちょっと読んでいてよくわからなかった(独り旅行とかが推奨されていた)。その辺は次の不満点にも繋がってくる。

 

あとはシンプルに、「パートナーを持たない人生」に対して肯定的になれるという、セラピー的な効果も感じられた。個人差はあるだろうが、読後はなかなかに爽快感が得られる。

 

ちょっとした不満点

まあ本当にちょっとしたことです(ほぼ難癖なので読み飛ばしてください)。1つ挙げるなら、訳が若干読みにくい。何を言っているのかよくわからないところがポツポツあった。本当は訳があることに感謝すべきで、自分で原文にあたるべきなのだが、僕はフランス語が読めない。それが悲しいところ。先述の「訓練」の箇所も、この影響でよくわからんかった。

あと、著者のイリゴエンは精神科の先生なのだが、訳者の小沢さんは、多分この辺の精神分析の話題とかに疎いんじゃないかと思う。例えば、211頁ではフロイトの話が出てくる。糸巻き遊びの有名な話だ。そこの箇所を引用すると、

フロイトが『快楽原則の彼岸』で述べているように、彼の十八ヶ月の孫息子が糸巻きを遠くに投げたとき「遠い!」と叫び、その後、長椅子の下に転がっていったので「そこに」と言いながら糸を引っ張ったのを観察した。(211頁、強調は引用者)

原文を確認していないのでわからないが、多分これは「fort-da」のことで、普通なら「いない」と「いた」と訳されているところである(いないいないばあとも呼ばれている)。これはちょっと気になった。

他にもう一点、ちょっとヤバいミスがある。訳者の小沢氏によるあとがきで著者のイリゴエンについての説明があるのだが、そこにはこう書かれている。

著者マリー=フランス・イリゴエンは、医学から精神病学に進み、とくに被害者学を研究し、九八年に『セクシャル・ハラスメント』を出版し、ベストセラーになり二十六カ国語に訳されている。その他、家庭内暴力や現代人の孤独に至るまで、これらの分野の第一人者として欧米で認められている。(243頁、強調は引用者)

 何がヤバいかというと、イリゴエンが98年に書いた本は『モラル・ハラスメント』である。これは日本語にも訳されており、99年に紀伊國屋書店から出ている(『モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない』)。さらにこの本の奥付の著者紹介では、

「98年著『セクシャル・ハラスメント』出版、26ヶ国語に翻訳されフランスではベストセラーに。99年国民議会に「セクハラ」関係法案が提出され成立し、2001年1月、労働法に加えられた」

とある。が、この2つのセクシャルはどちらも「モラル」が正しい。イリゴエンはモラハラの第一人者とのこと。

・・・で、冒頭で挙げた吉田本の引用についても、「九〇年代後半に「セクシュアル・ハラスメント」という概念を定着させるのに貢献したことで知られる精神科医マリー=フランス・イリゴエン」と紹介されていたので、これは要訂正のはず(セクハラは多分90年代には定着していた)。一応、もし誰も指摘していなければと思いここに書いておきます。

 

そのほか

文章化するのがめんどくさい雑感を書いておきます。

  • 先日、清田隆之『さよなら、俺たち』を読んだが(↓が感想)、寄せられた多数のエピソードに依拠するという点では類似している。どちらも男女の関係について論じているので、この2つを比べてみても面白いようには感じた。

betweeeeeen.hateblo.jp

  • イリゴエン本においては、伝統的家父長制が弱まり、ある程度自由主義的な社会が到来したことが前提となっている(完全に家父長制がなくなったわけではないが)。その点、ほとんど家父長制的な考えを基軸にしていた清田本とは対照的だと思った。あっちにはあまり自由恋愛的な見方はない。
  • あと清田本と違って、こっちでは「女性のわがまま」も多少は批判されている。あっちは女性への批判がほぼ皆無だったので、この辺はイリゴエン本の方が受け入れやすかった。男性批判については両者共通するところがあるが、本書の方が若干同情の念は込められている。
  • 「出会い系」について書かれた本としては、小谷野敦『帰ってきたもてない男』が思い出された。この本では出会い系のルポ的な記述があり、シンプルに面白かった。
  • 本書は2007年に書かれたもので(訳は2015年)、SNSをめぐる議論などはちょっと古いところがある。今ほどスマホも普及していなかったはずなので。にもかかわらず、その主張は全く古くさくなっておらず、現代においてなおさら真実味が増しているように思う。2007年に書かれていたことの方が驚き。
  • 一人でいることが孤独、なのではなく、他者の中にいながら誰とも視線が合わないのが孤独だとされているところがよかった。「一人でいるときはけっしてうつ状態などにはなりません。読書し、音楽を聴きます。しかし一番辛いのは、パーティーなどで誰とも何も話すことがないときです。表面的に楽しそうに見せるのに耐えられないのです。時間の浪費としか思えません(19頁)」。めちゃくちゃわかる〜〜〜〜〜〜
  • 最後に、印象的だった一文の紹介。「詩人・小説家クリスチャン・ボバンは説明する「生きていくためには、一度でも誰かの眼差しを受け止とめ、一度でも愛され、一度でも抱かれなければならない。生涯のあいだにこのような体験があれば、一人でいられるのだ。孤独がけっして悪いことではない」」、、、、そういう体験をしてみたいぜ。

 

以上

結構入手の難しい本であるので(Amazonにも現在在庫なし)、みんなも読んでみてね〜〜的なことは言いにくい。のだが、孤独に悩まされがちな現代人、読んでおくべき一冊だとは思った。僕もこれをきっかけに、土井隆義『ともだち地獄』とか読んでみようかな。

今日はそんな感じです。長くなったけれど、最後まで読んでくれた人には感謝。そうでない人にも感謝。