浅瀬でぱちゃぱちゃ日和

全部日記です。大学院でいろいろやってました。今もなんだかんだ大学にいます。

コミュニタリアニズムの時代は来る.....のか?:M.サンデル『実力も運のうち』読みました

こんばんは。

5月が到来しましたね。さようならストレスに満ちた4月。僕はなんだかんだで、5月が一年で一番好きかもしれません。風がね、よいのよ。

 

それはさておき、先日、マイケル・サンデルの近著『実力も運のうち ——能力主義は正義か?』を読み終えました。

 

 

今日からしばらく、この本の感想なりを書いていきたいと思います。簡単に内容を紹介したり、ああでもないこうでもないと言ったりなど。普段からこのブログ来てくれている人に向けて言うとすれば、動物倫理の話がなくなって、こっちの話がメインになるという感じです。動物倫理はどちらかというと、趣味でやっていたので。今後も追ってはいくけど、いったん別の話題に移ります。

で、なぜこれをメインにするかというと、この辺りが僕の研究分野にかなり近いからですね。修論もおそらく、この領域(コミュニタリアン)関連で書く予定。だからまあ、今回出たこのサンデル本などは、無視するわけにはいかんという感じです。そしてそろそろ修論の準備をしなければならない(就活は?)。自分の考えの整理のためにも、しばしばこのブログでも取り上げていきます。

今日はひとまず簡単に、サンデルという人物についてなどなど。

 

日本でのサンデルの扱い

サンデルといえば、10年前に大ブームを巻き起こした『これからの正義の話をしよう』、通称:これ正が有名ですね。トロッコ問題とかが載っている、あれです。

 

 

 今回も10年前と同じく早川書房による出版で、訳者も同じく鬼沢忍氏。ちなみに氏はサンデルの他の本、ちくま書房の『公共哲学』なんかも訳しておられます。いろんな翻訳本を読んで分かったけれど、鬼沢氏の訳はマジで、マジでめちゃくちゃ読みやすい。この読みやすさがブームのきっかけになったようにも思います。

 

 若く見えるけど、現在意外と68歳。

 

で、日本においてサンデルって、やたら「おもしろ授業おじさん」的に扱われてきたところがあるんですよね。多くの人にとって、マイケル・サンデルという人物は、研究者(政治哲学者)というより、むしろNHKの「ハーバード白熱教室の人」であるというか。だからこそ日本では、サンデルというと「教育者」としてのイメージが根強いように思います(個人調べ)。

ただ、サンデルも大学教授である以上、「研究者」でもある。じゃあ、研究者(政治哲学者)としてのサンデルはどうなのかというと...... これ、日本だと相当評価が低いんですね。多くの人が、「教育者としてのサンデルは認めるけど、研究者として言ってることは、正直やばい」と思っている様子*1

というより、サンデルが支持する立場コミュニタリアニズム共同体主義)」が、日本では非常にウケが悪い*2。「共同体主義」とかいう名前からして、なんかもう抑圧的でヤバそうである。実際そんな風に受け取られてしまっているし、日本でこれを専門とする研究者も、管見の限りでは非常に少ない*3。そんなわけで、日本において<研究者としてのサンデル>は、批判こそされ、あまり好意的に言及されることがないのである。

 

ただ...... 僕は『これ正』から一貫して、政治哲学者としてのサンデル、結構いいこと言ってるなと思っています。特に「リベラル嫌い」的なものが高まっている今日では、なんかしら掬えるところがあるんじゃないかとか。コミュニタリアニズムの主張についても、現状は頭ごなしに否定されたりもしがちだけど、もう少し見るべきところがありそうな気がしています。

要するに、僕もコミュニタリアンなわけなんですね。修論の構想も現時点では、否定されがちなコミュニタリアニズムの可能性をもすこし探ってみようという方向でやってます。日本でコミュニタリアンを自称する人、体感かなり少ないので、おそらくこれは結構レアです。もし周りに法哲学・政治哲学・社会理論などを研究している人がいたら、「俺の知り合いに、コミュニタリアンがいるんだけどさ〜」と言ってみてください。軽く引かれると思います。そんぐらいには珍しいです。

 

新刊が出た

そんな感じで、卒論もサンデルを引きつつ書いていたら、ついこの間新刊が出ました。それが冒頭の『実力も運のうち ——能力主義は正義か?』です。

 

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ちゃんと買いました

 

原題は The Tyranny of Merits : What's Become of the Common Good? 。直訳すると、『メリットの専制 ——共通善はどうなったか?』ですかね。このMeritというのが厄介な概念なので、ここでは一応カタカナに*4。原題の副題では、ちゃんと「共通善」への言及があるのに対し、邦題でなくなってしまっている。これはちょっと勿体ない気がします。やはりこの「共通善」こそが、政治哲学者としてのサンデルが色濃く出ている部分なので。

で、Amazonレビューを見ると、原書(海外でのレビュー)については、かなり高評価が多い。現時点で、1006個の評価がついていて、星5つが71%、4つが19%、3つが7%、2つが2%で、なんと星1つは1%です。評価高っ。感覚的には斎藤幸平『「人新世」の資本論』とかに近いのかもしれない。

ただ、日本でのレビューはここまで高評価ではない。29個の評価の内、星5つは59%、星1つは8%という感じ。十分高評価かもしれないが、やはりネットを見ていると、「この議論には乗れん」という人もちらほらいる。

とりわけ日本では、サンデルの「共通善」に関する提言が、ウケが悪い。ぼやっとしすぎて何言ってるかわかんねえよとか、全体主義的で不毛な概念だとか、それで問題が解決するなら苦労しねえよとか言われたりする。この辺の「ぼやっと感・曖昧さ」が、日本でのサンデルの低評価に繋がっている、気がする。

これについては、率直にサンデルが煙に巻いてるというのもあるのだけれど、どうも日本と英米圏で、「共通善」の受容のされ方が違うというのもあるらしい。我々からすれば、「曖昧で説明不足な概念」ではあるのだが、向こうだと大統領スピーチの中にこの言葉が出てきたりして、それなりに馴染みのある概念っぽい*5オバマも選挙中にこの言葉を使っており、だからこそ「共通善の政治」というのも訴えやすいと思う。さすがに日本の菅政権に対して「共通善の政治をやれ」とは言えない。文脈が違いすぎるので。

ただ、そこを差し引いても「共通善」は、やはり我々には曖昧模糊とした概念である。その曖昧さが、サンデル、ひいては「コミュニタリアン」全体への評価の低さに繋がっている気がする。この、「共通善ってなんだよ問題」、『これ正』から残っていた課題なのだが、今回の『能正能力主義は正義か)』でも解決されなかった様子。そうすると、本書を通じてもやはり「コミュニタリアニズム」、ないし「共通善の政治」の普及は進まないと考えてよいだろう。

ただまあ、これは正直、もったいないなと思う。僕はこの共通善の話、存在論的な面では納得がいくし(ロールズの白紙の自己批判の話)、リベラリズムが前提としてきた主意主義的な自己を捉え直す上でも有効だと思っている。実践面でも、組織運営や地域コミュニティの話につなげたり、なにかと政策的な話がしやすいし、あと「コミュニティへの献身」とか「社会的な承認への欲求」とかの、我々の行動原理も説明しやすいという利点はあり得る。コミュニタリアンっぽい言い方をすれば、「リベラリズムが生み出してきた空隙を埋められる」というか。

そんなわけで、もう少しサンデル(や他のコミュニタリアン)の主張なり問題意識なりが細かく伝えられれば、多少は「あぁ、そういうこと言ってんのね」と思ってもらえることもあるだろう。サンデル訳わかんねえこと言ってるなと思ったけど、そういう意義があったのね、的な。どうにも、「共同体主義」の強圧さばかりが目について、彼らが根本として何を問題としていたのかや、どういう課題を解決せんとしているかについて、あまり目が向けられていない印象を受ける。その辺の問題意識なんかを、もう少し共有できればなあという感じ。

 

 

そんなわけで、

今日からしばらく、この本についての感想を書いたり、サンデルその他コミュニタリアンの思想について紹介して行けたらと思っています。目的としては、僕自身の研究内容紹介というのもあるけど、もう少し日本において「コミュニタリアニズム」への言及を増やしたいというのがある。一応研究している身ではあるし、僕ぐらいはやっておこう的な。

今日言いたかったことはたった一つ。それは、「サンデル、日本だと評価低いけど、割といいこと言ってると思うので、それを再発見していきたいな」です。そして今後は、コミュニタリアニズムの紹介などしていきたいです。その時代が来ることを願って......

今後扱いたい話題としては、以下の感じ。

  • 『能正』、10年前の『これ正』と比べて、どこが同じで、どこが違うか
  • 『能正』の感想、論点などなど。とりわけ、敬意の格差という問題について
  • コミュニタリアニズム」とか「共通善の政治」って結局なんなの?(これについて今日は一言も書けなかった......)
  • 近年、各国で騒がれている「リベラリズムの失敗」について(2020年にも日本で新書がたくさん出た。それを紹介したり)
  • コミュニタリアニズム法哲学的論点について→これは僕もよくわからん

しばらく学術系の話が多くなるかもしれませんが、ご容赦ください。ちなみにサンデル『実力も運のうち』を『能正』と呼んでるのは、多分僕だけです。

まあ、ぼちぼちやっていきたいです。就活とかも忙しいけれど、、、

 

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図書館で気張ってたくさん借りてきたので、頑張りたいと思ってます。

 

以上、そんな感じ。最近3,4日に1回更新ペースになってきたけど、ゆるりとやっていきます。

 

 

 

 

*1:<教育者としてのサンデル>と<政治哲学者としてのサンデル>を分けるのは、森村進論文において見られた。で、森村氏も前者は高く評価するが、後者については賛同できない部分が多いとしている

*2:本人は「コミュニタリアン」と呼ばれることに否定的だったりするけど、今日のところはそういうのは無視

*3:菊池理夫氏南山大学と小林正弥氏千葉大学が有名だけれど、この二人以外にあまり名前を聞かない

*4:普通は”功績”と訳されるが、本書では基本的に”能力”と訳されている。その辺のややこしさは本書解説で本田由紀氏も指摘している。

*5:とはいえ、向こうでも「ぼやっとした概念過ぎる」という批判はあるらしい。